表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/25

第十二話 過去(あの日まで)

 三年前まではこんなことになるなんて考えもしなかった。こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。



「もうすぐ産まれるわ。私たちの赤ちゃん。」


 谷中健二の妻、志保は自分のお腹を撫でて笑った。谷中にとってはこんな若い女性と結婚できたことだけでも奇跡だった。普通の会社員として仕事に人生を捧げてきた谷中が結婚をきっかけに定時に会社を出る姿を見て、仲間は感動すら覚えたほどだった。二人の間に子供ができて、順調に時が流れた。誰もが疑わなかった。その幸せは終わるはずがないと思っていた。



「今日もいい天気ですね。」


 鈴木清子は夫の正に語りかけた。正は笑顔で頷く。正は定年退職し、子供も無事に家を出ていた。年金と貯金で生活に不自由もない。穏やかな老後を二人は過ごしていた。近くの公園を散歩したり、ときには旅行に出かけたり。ささやかなで穏やかな幸せがいつまでも続くと思っていた。



「将来、俺と一緒にこの店を継いでくれないか?店員ではなく家族として。」


 田中有希にそう告げたのは彼女が働くカフェの店員の須藤蒼汰だった。蒼汰は年齢が三歳年上で有希とはこのカフェで出会った。この店はオーナー夫婦が昔からやっていた喫茶店を蒼汰がカフェのスタイルにした。蒼汰はオーナー夫婦とは親子のような関係で将来はこの店を継ぐことになっていた。有希は働き始めた頃から蒼汰に恋愛感情を抱いていたし、オーナー夫婦もこの店も大好きだった。だからこの言葉を蒼汰から言われたとき、涙を流しながら頷くことしかできなかった。仕事が終わった後、二人でこの店や自分たちの将来のことを話すのが有希にとって一番の幸せな時間だった。




「お父さんに会ってほしい人がいるの。結婚を前提にお付き合いしている人がいるの。」


 久しぶりに会った娘からそう告げられた井ノ上は驚いた。ただ、その驚きは『娘に結婚したい人がいること』ではなく、『娘が結婚したい人を自分に会わせてくれること』だった。


「許してくれるのか?私のことを…。」


 井ノ上の娘、遠藤結美は静かに頷いた。『遠藤』は井ノ上の妻の旧姓だ。それほど自分が恨まれているのは井ノ上自身が一番わかっている。だからこそ今の驚きと喜びは言葉では表現できないくらいだった。


 それは7年前の冬のことだった。井ノ上の妻は娘二人を連れて妻の実家へ向かっていた。井ノ上は急遽入った手術の対応に追われ翌日に出発することになっていた。井ノ上の妻の車が高速道路に入ったとき、後ろから車が急接近してきた。何が原因かはわからないが後ろの車は執拗に急接近を繰り返した後、今度は車の前に移動して車線を塞ぐように急ブレーキ。井ノ上の妻はギリギリで停車できた。しかし今度は運転席と助手席から降りてきた男たちが車を蹴りながら叫び始めた。井ノ上の妻は怖がる娘二人を抱きしめながら警察に電話し助けを求めた。そのとき、対向車側から車が走ってきて道路を塞いでいた相手の車に衝突。その反動で井ノ上の家族の乗った車に衝突、車外にいた二人を跳ね飛ばした。井ノ上の娘の結美だけは衝突で車外に投げ出されたため、大事には至らなかった。すぐに救急車が呼ばれそれぞれが別の病院に運ばれた。井ノ上の病院にも救急車が来て井ノ上も執刀しその患者は一命を取り留めた。その後、手術が終わった井ノ上に家族の事故が伝えられ、井ノ上は急いで別の病院へ向かった。だが、そこには変わり果てた妻と娘、泣きじゃくる結美の姿があった。この事故で助かったのは井ノ上の娘の結美と車外にいた『煽り運転』のドライバーの男だけだった。つまり井ノ上が手術した『煽り運転のドライバー』と結美だけが生き残った。結美は井ノ上に何度も叫んだ。『何でお母さんとお姉ちゃんを助けてくれなかったの?何で犯人を助けたの?』と。井ノ上には「仕方のないことだった。」と答えることしかできなかった。実際に井ノ上が事故のことを知っていたとしても自分の家族を自分のいる病院にまわしてもらうことはできなかっただろう。結美は父親を許せず、母親の実家に預けられ母方の名字を名乗りずっと暮らしていた。



 突然のことに驚き戸惑う井ノ上に対し、結美はやさしい笑顔で言った。


「私の好きな人が教えてくれたの。お父さんがしたことは正しいことだったと。仕方のないことだったと。私の好きな人も人を助ける仕事をしてるから。」


 井ノ上は静かに頷いた。唯一の家族に許されたこと、ただ一人の娘が幸せになろうとしていることをただかみしめていた。井ノ上にとって、止まっていた時間がやっと動き出したように思えた。




 そして事件の日を迎えた。


 その日、井ノ上は病院にいた。毎年ハロウィンでは少なからず救急車が出動するため緊急に備えていた。手には携帯電話、そこにあるメッセージを時折ながめていた。


『明日、会いに行くから。予定あけておいてね。』


 娘からのその言葉だけでどんなトラブルも乗り越えられる気がした。



 鈴木清子は正とともに家にいた。夕方に近所の子供たちがお菓子をもらいに来た。二人は笑顔でお菓子を渡し、子供たちを見送った。



 谷中健二はその日仕事に追われていた。妻から明日入院すると言われ、出来る限りの自分の仕事を今日中に終わらせて、明日は有給休暇を取るつもりで。外は若者でいっぱいになってきていたが、家に帰るだけなら問題はないと思っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ