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3話 静かな体育館

「私はバスケ部員ではないわ」


 僕の問いかけを、彼女は簡潔に否定する。


「どうして?」

「どうしてって……そりゃ、放課後にバスケットのシュート練習をしていたら、誰でもそう思いますよ」


 僕は戸惑いながらも、丁寧な口調でそういった。


「ふうん……浅はかね」

「っ!?」


 今この人、僕を侮辱したよな? 初対面だぞ!?


「ああ、勘違いしないでね。今のはあなたの人間性への評価ではなく、考えが浅いという意味よ」

「その二択なら、勘違いのしようがないと思いますけど。どっちにしろ傷ついたんで……」

「繊細なのね」

「ほっといてください」


 あんたが鈍感なんだ……。

 僕は皮肉を交えつつ、且つ苛立ちを抑えながら再度問うことにした。


「じゃあなんで、バスケ部員でもない先輩が、高校入りたての後輩にボール拾いさせてまで、シュート練習してるんですか?」

「先輩?……私も、入学して間もない1年よ?」

「……先輩じゃないのかよ!」

 僕は力の限りボールを床に叩きつける。勢いよく弾んだボールは、バスケットゴールのリングに向かって上昇するが、リングには既の所で届かずネットを撫でるだけだった。





 放課後の帰り際、ひとりの少女からボール拾いの任を受けた僕は、バスケットゴールをくぐり落ちてきたボールを、放った本人に投げ返すという単純作業を繰り返していた。


 校内の先輩とはいえ、部活動直属の後輩でもない僕がボール拾いなんて……と一瞬思ったが、彼女の下着を見てしまった罪悪感と、僕の悪評を校内に流布させない為の償いとして、彼女の命令に従う事にした。


 学校生活の一番の楽しみである帰宅を邪魔されたが、彼女のシュート精度が恐ろしく優れているので、ゴール下に突っ立っているだけで返球できることが、不幸中の幸いだった。


 そして現在、信じられない事実が発覚した。出会った瞬間から上から目線で僕に接してきたこの女は、なんと僕の同級生なのだ。先輩とはいえ態度が横柄すぎでは、と思っていた矢先、まさかの告白だった。


「もし僕が先輩だったら、とか思わなかったのか? 浅はかなのはお前だろ」

「年功序列こそ浅はかの極みじゃない。人間の上下関係は能力によって定めるべきよ」

「ずいぶんと過小評価してくれるじゃねえか。つうか初対面だろ。お前に僕の何がわかる!」

「あなたのことなんて知らないわ。知りたくもない。私が知っているのは、『私は誰よりも優秀』という事実だけ」


 ふっ。所詮は世間知らずのお嬢ちゃんか。


「どうやら、上には上がいるという事実を知らないようだから教えてやる。僕はこの私立水成高校、県内有数の進学校の入学試験で——」

「入試の成績で競うのはやめておきなさい。私、首席だから」

「……」


 そう言いながら彼女はボールを放つ。例のようにボールはリングに掠ることさえなかった。そして、ネットとボールの摩擦で生じた『パシュ』という音が、なぜか僕の耳には嘲笑されているように感じた。

 


 そういえば、新入生代表の挨拶、こんなやつだったかも。


「ま、まあ、成績が人間の全てじゃないからなぁ」


 成績で優劣をつけようとした人間のセリフである。しかも自己採点の。


 悔しさのあまり、リングをくぐり落ちてきたボールを拾い損ねていると、またもやシャトルドアが開かれた。しかし今度は、側面の屋外につながるドアではなく、体育館手前の校内につながるシャトルドアだ。


「お! やってるなぁ」


 そんなことを言い、ひとりの女が僕たちに歩みを寄せる。身長は170くらいあるだろうか。カジュアルなジャージ、首にはホイッスルを下げている。この姿を見る限り、体育教師だろう。


 そう推測したのも束の間。僕はその女の歩行に目を奪われる。長い手足を軽快に振る姿が、広大な体育館をファッションショーのランウェイに錯覚させるほど様になっていた。


「見ない顔だな。新入生か?」

「……はい」


 呆気に取られてしまった僕は、少し遅れて返答する。


「入部前から自主練とは感心だな。気合いのある部員はこちらも大歓迎だ」

「星咲先生。何度も申し上げていますが、私はバスケ部に入部するつもりはありません」


 隣の女子が返答する。こいつ、敬語使えるんだな……。

 2人の距離感を見るに、この星咲という名の体育教師は、こいつの担任ってとこだろうか。


「滝凍……何度もそう言うがな。入学初日から誰よりも早く体育館の鍵を借りに来て、こうしてシュート練習しているところを見る限り、バスケ部への入部希望者にしか見えないんだが……」

「これは練習ではありません。趣味です」

「そう、だから、バスケが趣味なんだろ?」

「バスケットに興味はありません。私が好きなのは、美しい放物線を描くシュートだけです」


 放物線……?


「いや、シュートが好きなら、きっとバスケも好きに——」

「なりません」


 滝凍というらしい彼女は、食い気味に否定した。っていうか、こいつ、名乗りもせずに僕をこき使っていたのか。


「小学生の頃、1日だけミニバスに参加したことがありましたが、パスもドリブルも、私には何が良いのか理解できなかった」

「そりゃ、何事も1日だけじゃわからないものさ」

「シュートは違います。あの美しい放物線を初めて目に入れた時、私は一瞬で魅入られた」


 だから、放物線ってなに。放物線が好きなの?


「なので、パスやドリブルに時間を割く暇があるなら、私はシュートのみに没頭したい」

「うん。それで構わないぞ」

「じゃあ入部します」


 構わないんだ……。入部するんだ……。

 なんなんだこの2人。適当すぎだろ。


「中学の時は、バスケ部に邪魔者扱いされながらやっていたので、鬱陶しかったのよね。けど、バスケ部に入部すれば、シュートだけしていても文句は言われない、ということでいいんですよね?」

「ああ、顧問の私が許可する」

「いや、いいんですか、そんなこと言って。こいつ本気ですよ?」


 僕は一応止めておくことにした。別にバスケ部に思い入れはないが、さすがに部員が不憫すぎる。


 それに滝凍はそういうことが平気でできる女だと思う。もし、同調圧力に屈して練習に参加することを彼女に期待しているなら、3年間期待を裏切られ続けることになるだろう。その証拠に、バスケ部に入部することが決定した滝凍は、既に3人の会話から抜け、再びシュートを放っている。

 

 自由だなぁ……。


「いいんだ。今の女子バスケ部は廃部の危機でな。入部してくれるだけでも助かる」

「廃部って、今の部員数は……」

「3年が1人!2年が1人!」


 星咲先生はなぜか誇らしげにそう言った。

 2人って、試合できないじゃん……。


「去年は1人しか新入部員を獲得できなかったからな。そしてうちの学校は、ほとんどの生徒が受験に専念するため、2年の冬の大会を最後に引退してしまう」

「はぁ……。大変っすね」


 僕は素っ気なく答える。少し冷たいかも知れないが、他人事なのでどうしても語気が冷たくなってしまう。


「ああ……だから、君たちが女子バスケ部に入部してくれて本当に助かるよ」


 星咲先生は涙ぐみながら面白い冗談を言った。


「はっはっは!先生は冗談がお上手ですねぇ。僕は確かに女々しいところはありますが、れっきとした男ですよ!はっはっは!」


 僕は冗談であることを強要するが如く、軽快に笑う。


「うむ!だから君にはマネージャーとして部に貢献してもらおう」

「はっは……」


 わかっていた。先程から冗談のような発言を本気で繰り返していたこの教師が、冗談で言っていないことは、わかっていた。


「これから苦楽を共にするんだ。入部初日の恒例ではあるが、事前に自己紹介をしておこう」

「いや、あの……」

「私は星咲雪ノ下。担当科目は保健体育、外見年齢は22歳だ!」

「……1年2組、鹿島要……実年齢は15です……」

「鹿島……ほぉう」


 しまった。星咲先生の勢いにつられてしまった。


「滝凍!君のクラスとフルネームを鹿島に教えてやってくれ」


 星咲先生が我関せずの滝凍にそう伝えると、彼女はこちらに目もくれず、シュート体勢を中断することもなく、ボールを放りながら答えた。


「1年1組。滝凍結月」


 煩わしそうにそう答えると、滝凍の放ったボールは、静かにリングの中心を貫いた。ボールの弾む音だけが、体育館にこだましている。その音が徐々に小さく小刻みになるにつれて、僕は絶望らしき感情が湧いてくるのを感じていた。


 

 


 帰宅途中、僕は駅までの道中にある公園のベンチに座っていた。


 近くにあった自販機で購入した缶コーヒーを飲みながら心を落ち着かせるためだ。もちろんこの缶コーヒーは微糖だ。苦くて甘いどっちつかずな味わいと、『びとぉ〜』というだらしのない響きは、僕に親近感をもたらし、心の平穏を取り戻させてくれる。


 さっそく微糖を口に入れ、どっちつかずな味を確認し、体内へ優しく受け入れる。うむ。やはりだ。こういう気分の時は微糖に限る。


 ようやく落ち着きを取り戻したのも束の間、『ガコン』という金属が軋むような音が、再び僕の心をざわつかせる。


 音のした方向に視線を移すと、公園内に設置してあるバスケットゴールが目に入った。そこまで大きい公園ではないので、半面コートですらなく、あくまでゴールのみがたたずんでいる。そしてそこから少し離れた位置に、今まさに狙いをすましている爽やかな青年の姿があった。


 その人物を認識した途端、なぜか僕は腹が立った。恐らくこの感情は、イケメンへの嫉妬では決してなく、先刻の体育館での出来事を想起させられたからだろう。


 まったく……嫌なこと思い出させやがって。


 しかしその青年は、僕の鋭い視線に気づくことなく、ボールを放っては拾いを繰り返している。彼に八つ当たりをしても仕方がないので、僕は目の前の広場に視線を戻す。


 再び微糖を口に含むが、さすがにこの状況で落ち着きを取り戻せるほど、微糖は万能ではない。そもそも僕なんかに親近感を持たれるコーヒー飲料に、そこまでの期待は荷が重い。


 そして僕は場所を変えるため重い腰をあげた。その途端、彼の方から聞こえてくる騒音に違和感を覚えた。


 ゴールネットの音を聞く限り、恐らくあの青年のシュートは10本中8本は成功している。練習とはいえ、バスケットにおいてはなかなかのシュート精度だ。


 レイアップ、ジャンプシュート、3ポイントシュートを織り交ぜていたので、滝凍とは違い、彼は真っ当なバスケ選手なのだろう。


 そう、この違和感は、滝凍のシュートと彼のシュートの違いだ。彼女のシュートは、不気味なまでに静かだった。


 滝凍の場合ドリブルをしない分、騒音が少ないというのもあるだろう。しかし、ボールを地面につく音と同じくらい、バスケットの世界では必ず聞く音がある。


 シュートを放った選手はもちろん、観客ですら不快な騒音。

 シュートの軌道が僅かでもずれただけで得点を許さない、あの無慈悲な鉄のリング。

 そのリングに阻まれた時に生じる、鉄が軋む不快な騒音。


 今日、あの体育館で、その音を……僕は一度も聞いていない。

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