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10話 初仕事

 練習試合まで残り3日。今日の僕は、付け焼き刃の知識で考え抜いた、チームの主な戦術を彼女たちに納得してもらわなければならない。そもそも僕が監督を務めること自体に納得していない部員もいるようなので、戦術を伝える以前の問題かも知れないが。


 とりあえず掃除や道具の準備は1年の仕事なので、選手の3人(滝凍、水戸、炎咲)は床の掃除を、僕はボールを磨く。心音先輩と宇佐木先輩は準備運動をして練習に備えている。しかし先輩たちの覚悟はまだ決まっていないらしく。


「3日後の練習試合ってトップチームとするのかな?」

「まさか。常和が私たち相手にトップチームで来るわけないですよ。まあ、セカンドチームでも強いと思いますけど……」


 そんな会話をしていた。

 事実は早めに伝えておいた方がいいと思った僕は、ボール磨きの手を止める。


「対戦相手はトップチームだと思いますよ」


 僕がなるべく恐怖を与えないように落ち着いた口調で言うと。


「? なんで鹿島君、知ってるの?」


 と、心音先輩が問うてきた。


 僕は昨日の書店での出来事を先輩たちに簡潔に伝えた。すると床の掃除を終えた水戸と炎咲にも聞こえたらしく、滝凍を除くバスケ部員の全員が息を呑んでいた。ちなみに滝凍は僕が磨いているボールを掻っ攫い、我先にとシュートをしている。滝凍にとっては3日後の試合よりも、今日の放物線を描く方が重要なのだ。


「雪村氷華って、去年の全国大会で試合に出てた人だよね!?」

「試合に出てたどころか、常和の絶対的エースですよ……」


 心音先輩と宇佐木先輩が顔を見合わせながら確認を取る。


「はい。その人が、3日後の練習試合で僕たちと対戦する、みたいなことを言ってました」


 実際はもう少し気遣いのない物言いだったが、雪村さんに悪意があったわけではないと思うので、厳密に伝えなくてもいいだろう。弱者が強者を無責任に羨むように、強者が弱者の気持ちを理解できないのは仕方がないことなのかも知れない。


「何が目的なのよ。常和の監督……」

「トップチームかあ……」


 臆することにも疲れた様子で項垂れる宇左木先輩と心音先輩。


 やはり言わない方が良かったか? いや、当日に怖気付くよりはマシか。

 そう自分を納得させたところで、静まり返った体育館に活気に満ち溢れた人物が訪れる。


「なんだ? やけに静かじゃないか」


 怪訝な顔でそう言いながら入館してきたのは、星咲先生だ。


「っ!星咲先生!今日もよろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」


 心音先輩が星咲先生の存在に気づいた直後に慌てて挨拶を飛ばし、僕たちもそれに続く。例によっておっとり系の心音先輩が体育会系の挨拶をするが、今日は空元気で無理やり声を張り上げている感じだ。


「そうだ。空元気でも声は出していけ。そうしているうちに気力は湧いてくる」


 星咲先生はそう言うと、最後のボールを磨いている僕の下へ、満足気な表情で近づいてくる。それに気づいた僕は、ボールを素早く磨き、星咲先生が来る前に準備を完了させた。別に急かされたわけではないのだが、星咲先生の相手は万全な状態で臨みたい。


「どうだ。3日後の試合には間に合いそうか?」

「まあ、考えてはきましたけど、上手くいくかどうかは、なんとも……」


 僕は昨日、部活を休んで書店に向かい、3日後の試合に臨む際の戦術を考えていた。それは星咲先生の配慮でもある。


「そうか!もう考えてきたのか。さすが私の見込んだ男だ。じゃあ早速今日から鹿島が練習の指揮をとってくれ」

「……はい」


 僕の情けない返事を気にすることなく、星咲先生は首から下げているホイッスルを外して僕に差し出した。


「ほら、監督としての最初の仕事だ。——気張れよ」


 星咲先生からのエールをホイッスルと共に受け取った僕は、吹き口を見つめながら息を整える。こういう本格的なホイッスルは音を鳴らすのが難しいと聞くが、監督としての第一歩を躓くわけにはいかない。僕は覚悟を決めてホイッスルを口に咥え、鼻から存分に空気を取り込む。そして肺に溜まった全ての空気を一瞬で放出する勢いで。


『ピッ!!!』


 高く鋭い笛の音が、館内中を支配する。その瞬間の部員たちの静止は、時が止まったのかと錯覚する程だった。こうなってしまえば後戻りはできないし、するつもりもない。僕は背水の陣で、人生最大の声量を腹から発した。


「集合!!!」


 果たして、僕の命令に従う部員はいるだろうか。滝凍には期待していないが、さすがに全員から無視されたら初日で選手生命、もとい監督生命が終わるぞ……。肉体の怪我の治し方は父親の影響でそれなりに理解しているが、心の怪我の治し方を僕は知らない。


 しかしそんな心配は杞憂に終わり、僕の監督生命は延命された。まずこの難局を打開してくれたのは、僕の癒し、心音先輩だ。号令から数秒の間で僕の監督としての初仕事だと理解したのか、パアっと表情を明るくし、僕の下まで駆け寄ってきてくれた。


 僕は犬を飼ったことはないが、愛犬が自分の呼びかけに応じて嬉しそうに駆け寄ってくれた時の感動を味わえた気がする。もう好きになりそうだ。いや、この感情ははもう恋かも知れない。それほどまでに、僕に向かってくる心音先輩は可愛らしかった。


 そして心音先輩の後に宇佐木先輩と水戸が続き、炎咲も不満そうな顔をしながらも集合してくれた。しかし、黙々とリングにボールを放り続けている滝凍は、案の定僕の命令には従わない。いや、そもそも集合の合図にすら気づいていないのだろう。


 ここは監督としての威厳を示さなければいけないのだろうが、僕に放物線を描いている最中の滝凍を妨害する勇気はない。それに僕が滝凍の手綱を握ったところで、踏ん張ることさえできずに振り回されるだけだ。常人との付き合いもままならない僕が、狂人と上手く付き合えるとは思えない。……よし。滝凍は諦めよう。


 僕は滝凍への苛立ちと恐怖の感情を整理し、集まってくれたメンバーにだけ僕の考えを伝えればいいかと折り合いをつけた。


 しかし水戸千波はそのような妥協を許さない。


「滝凍。聞こえなかったか。集合だ」

「…………」


 無我夢中でシュートを続ける滝凍は、水戸の呼びかけにも気づかない。そしてそれを見た水戸は呆れた様子でこう言った。


「……絶交しようか?」


 女子高生にしては大人な雰囲気のある水戸が、らしくもなく小学生みたいなことを言った。それを聞いた僕たちは思わず目を丸くし、笑った方がいいのかと逡巡してしまう。もし不器用な水戸なりの場を和ませるための発言なら、協力するのはやぶさかではない。と思ったが、それは僕たちの思い違いで、水戸にはちゃんと考えがあった。


 水戸から『絶交』を持ち掛けられると、滝凍は大抵の事に従うらしい。実際、今まさにシュート体勢で狙いを澄ましている滝凍の動きが止まっていた。


「わ、わかったから。絶好はやめて……。私、水戸さんとは親友になりたいのよ」


 そんな弱気なことを言いながらも、滝凍はシュート体勢のままリングを見つめ続けている。しかし両手で挟んでいるボールは小刻みに震えているし、頬には冷や汗が伝っている。水戸のパスは相手を理解するほど精度が上がるから、滝凍はなんとしても水戸との絆を紡ぎたいのだろう。


 どうやら滝凍にとってあの時に放った放物線は、水戸に執心する程の美しい曲線だったらしい。

 それにしても絶交って。高校生にもなってそんな脅しに屈するなよ……。


「絶交されたくなければ早く来るんだ」

「で、でも……。一球だけ。最後にこの一球だけシュートさせてほしい」


 さすがの滝凍も声に緊張感が漂い始めたが、呆れることにまだシュート体勢を崩していない。あいつ……シュートに飢えすぎだろ。


「本当に最後だぞ。納得のいかないシュートでももう一回は許さないからな」

「任せて。私はここぞという時に決める女よ」


 滝凍は水戸からの許しを得た直後、手の震えが止まった。そして仕切り直すことなく、止まっていたシュート体勢から動き出し、そのままボールを放る。


 宣言通り、滝凍の描いた放物線は優雅に宙を舞い、僕たちの耳に入ったのは、ボールとネットの摩擦音だけだった。


「美しい……」


 いつもの決め台詞を言い終えた滝凍は、僕たちの下まで優々と歩く。


「走れ」


 水戸の低音ボイスと鋭い視線を向けられた滝凍は、思い出したかのように急ぎ出す。いや、本当に忘れていたのかも知れない。


 それにしてもあの滝凍結月が人との繋がりを惜しむとは。これからは水戸に滝凍のコントロールを任せよう。


 こんな感じでとりあえずは統率を取ることに成功し、僕は部員全員を見渡してから、言う。


「改めて、女子バスケ部の監督を務めます。鹿島要です。やるからには本気で全国制覇を目指します。練習は相当キツイものになると思います。けど、必ずこのチームを強くします。だから——ついてきてください」


 深く頭を下げた僕は、彼女たちの表情を窺えない。歓迎か反発か。

 どちらでも構わない。これから認めさせてやればいい。


 3日後の常和戦は、水成高校の初陣と同時に、僕の監督としての真価が試される日だ。

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