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1話 出会ってしまった女の子

 滝凍結月たきとうゆずきとの出会いは、4月の10日、金曜日のことである。この日は高校生活始まって以来、初めての土日休み目前の日だった。


 入学式からわずか数日、新生活によるストレスを着実に蓄積し、五月病まっしぐらの僕にとってはもちろん、学校生活が苦ではない人間も例外なく、華金というのは誰もが毎週のように待ち望む日だ。


 そんな日。

 そんな日の、放課後。


 終礼から最短の電車に間に合わせるべく、僕は例のように焦りながら、体育館裏の駐輪場に停めてある自転車の解錠に手こずっていた。


 すると隣の体育館から『ガラララ』という音が耳に入った。僕は自転車の解錠を中断し、体育館の方に顔を向ける。そこには3つ並んだ体育館脇のシャトルドアのうち、中央のシャトルドアが開放されていた。さっき聞こえた『ガラララ』という音は、シャトルドアのスライド時に発する音だったのだろう。


 僕はそう納得し、再び鍵穴に差し込んだままの鍵を捻る。が、中学3年間で蓄積した赤錆が、鍵の回転を手こずらせる。


 いつもなら何度か鍵を差し込み直せば解錠できるのだが、この日は何故か頑なだった。電車の到着時刻は刻一刻と迫り、僕の焦りは苛立ちへと変わった——その時。


 体育館脇の中央のシャトルドア。つまり僕のすぐ隣の扉から、片手にバスケットボールを携えた少女が現れた。


 僕が立つ駐輪場の地面と、彼女が立つ体育館のフロアには高低差があるので、僕は自然と彼女を見上げる。


 無風だった屋内から出てきたからか、今日が強風の日という事を思い出したようになびく頭髪を払いながら、首を振って屋外を見渡している。


 ブラウスの上に、校則指定のブレザー。

 校則指定のスカート。

 校則指定の屋内シューズ。


 制服は高校生の当たり前の姿だが、体育館という場所と脇に抱えたバスケットボールが、そこはかとなく僕に違和感を抱かせる。


 怪訝に思いながら見ていると、遠方ばかり見渡していた彼女は、目の前にいる僕に気付き視線を落とす。


 女子を注視していたというのはなんだか気まずいので、僕も今この瞬間に彼女の存在に気付いた風を装い、一旦視線を落としてから再び彼女を見上げる。お互いの視線が交わされた、その時である。

 

 地を這うような一陣の風が、彼女のプリーツスカートをめくりあげた。


 その瞬間、紳士の中の紳士である僕は、反射的に顔を逸らす。


 脳からの命令でしか動けない平凡な男では、スカートがめくれたと認識した時、既に全貌が露わになっていてもおかしくない。


 そんなとてつもなく短い時間の切れ目ではあるが、僕ほどの紳士となれば、脳からの命令を待たずして、脊髄反射で顔を逸らすことができるのだ。


 もしかすると、僕が身に纏えば、たとえそれがタンクトップに短パンであれ、紳士服となりえるのかもしれない。


 だがしかし、目の前の女の子を守るためなら、全身全霊をそそぐことを厭わない僕の精神性が裏目にでてしまう。


 顔を逸らすことに全ての力を使い果たしてしまった僕の人体は、目を逸らすことを疎かにしてしまう。すると自然、僕の眼球は彼女の下半身に焦点を固定させたまま、頭部の回転に逆らうように微動だにしなかった。


 そして力及ばず、彼女の引力すら感じる漆黒の下着を視界にいれてしまう。


 なぜだ、なぜ僕はこうも無力なんだ! 情けないにも程がある。相手を思いやる心が強過ぎるあまり肉体がついてこないとは、紳士の名折れだ……。


 ともあれ、全力を尽くした結果見えてしまったのなら仕方がないといえよう。そう納得し、スカートがパンツを再び覆うまで見届けることにした。


 裾が校則の規定よりやや短めの位置まで戻ると、それ以上落ちることはなく元通りの制服姿になったことを確認し、顔を逸らしたまま彼女の下半身から顔に視線を移す。


「よく見てくれ。僕は出来る限り見ないよう、この通り顔を逸らしている。まずはこの努力を讃えてみるというのはどうだろう?」


 僕はいくつかの返答を予想していたが、彼女の反応は予想だにしないものだった。


「顔を逸らして目は逸らさず……ふふ、新しいことわざになりそうね」


 彼女は何事もなかったかのように、平然と僕を見下しながらそう言った。


 我を忘れて殴りかかってくるか、赤面して涙を浮かべるのが漫画の世界の定番だ。しかし現実の女の子はパンツを見られた程度では動揺しないらしい。否、現実の女子だって他人に下着を見られれば、殴るはないにしても、動揺くらいはするだろう。


 そう、おかしいのはこの女だ。

 それが、滝凍結月だった。


 高校生活の出だしにこんな出会いを果たした彼女に、僕はこの先の3年間——憎しみと恐怖に振り回される事になるのだが、この時点ではわかるわけもなかった。


 そして、滝凍との出会いが、女子バスケ部に入部するきっかけになるということも、この時の僕はまだ知らない。

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