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暗殺者山上は悪か正義か。

作者: 木森林木林

山上は『正義』でしょ。(ドンッ


でも山上が法律上許されないことをしたことには変わりない。


山上さんは『犯罪者』である。


正義だけど、犯罪者。


つまるところ、『正義』と『法律』はイコールではないということである。


法律に載っているルールが全て正義ではないし、正義が全て法律にあるわけじゃない。


でもほぼ正義。ニアリーイコールではある。


例えば殺人は悪だから相応の罰を与えるという正義を体現したルールは法律に書かれている。他色々な犯罪もそうだよね。


法律がないと、各々それぞれの正義によってさばくことになるから、絶対不平等というか、不条理が生まれる。


そう、法律は大事だ。とても大事だ。


かといって法律さえ守れば全て正義なのかといえばそうじゃない。


お隣の国が「ニホンはワレワレのモノデアル」という法律を作ると、それは正義か? 日本でも、全世界においてもそれは正義であってはならない。

または「日本で犯罪をしても自国に帰れば無罪」というのも、法律的には正しいのだろうが、それは正義ではない。

この例以外にも、法律さえ守っていれば何をしても良い、という思想の事件事例はたくさんあるだろう。


つまり法律は正義ではないのだ


法律はほぼ正義であるが、それでも全ての正義をカバーしているわけじゃない。





つまり、法律上の『正しいこと』と正義としての『正しいこと』は『全く別のものであり』、切り分けで考えるべきであると思う。




今回の銃撃事件は、法律的には絶対悪ではあり、そこは裁判所が裁くことである。


だがそれとは別に、正義か悪かはまた別と言いたいのだ。





だのに、こと今回の事件を語る上で、二元論として、山上さんは悪なのか、善なのか、という論争をしているように感じる。


私の答えは犯罪であるが正義である。




しかし正義とは何なのか。


一応ネット検索してみると「① 正しい道理。正しいすじみち。人として行なうべき正しい道義。しょうぎ」などとある(コトバンクより引用


パッと思いつくものは「それぞれが思う理想」であると思う


『敵も敵なりの正義で戦っている』『悪というのはおらず、ただ別の正義があるだけ』、というのはよく聞く言葉ではある。


だが、もっと追求するならば、「できるだけすべての人が得をすること」となると思う。


自分も得して、相手も得する。winwinの関係こそが、正義である。


そのために科学、効率化、文化、などといった、ヒトの叡智の結晶があるのである。



だが、例外が一つがだけある。それは悪人だ。


犯罪者に対しては、その行動の自由を奪い、ときには命を奪うことさえ許されるのだ。死刑などからそういったことは明白である


悲しいことに、世の中にはそれに値する人間がいるのである。


つまり結論として、正義とは「できるだけすべての人が得をすること(ただし悪人は除く)」ということなのだ。(異論はあるだろうがここではそういうことにしておく)







コレを踏まえて今回の事件を考えてみると、山上が正義か悪かは、まあ曖昧だよね。人それぞれだよね。っていう、なんとも浅はかな結論になる。


悪と言われればそうであるように思えるし、正義と言われればそうであるように思える。


殺人は許されない行為であるが、何人もの人間を彼は救ったのである。


人殺しの罪を犯し、多くの人を助けた。


言うなれば、トロッコ問題のレバーを引いた者が彼なのだ。


あるいは、ウルトラマンは街を踏み潰しているから悪だ!!いや悪をやっつけているから正義だ!みたいな。そういう話だ。


正義か悪かの境界があやふやなのだ。



まあ、悪か正義かを断じたところで、結局意味はないと思いますけど。「話し合いの結果、(正義/悪)に決まりました!」 ふーんだから何?って感じ。


というのは、客観的な意見だ。


ここからは主観的に物を言います。






山上は『正義』。


前述した通り、法律的には許されないことかもしれないが、俺の基準からすると正義である。


アーマードコアというゲームで「選んで殺すのがそんなに上等かね」という名言がある。


そりゃ上等だろ。


日本の法律に死刑が採用されているのも、度の越えた悪人には死を与えることが正義だという思想によるものだ。


『殺す』という手段は手段でしかなく、それ自体に正義か悪かはない。


「誰を」「何のために」殺すかで正義か悪かが決まるのである。


平和のために殺すならそれは正義である。

奪うために殺すのならそれは悪である。

悪人を殺すのならそれは正義である。

善人を殺すならそれは悪である。


自国を守るために人を殺すことは正義であり、正当な理由なく人を殺すことは悪なのだ。


もっと身近に言うならば、肉を喰うために動物を殺すことは正義だし、無意味に動物を殺すことは悪であり、病魔に侵されているものに薬を与え病原菌を殺すことは正義である。



この例からも分かる通り『殺し』そのもの自体には、悪と断じられないものがあるのである。


だからこそ、今回の銃撃事件の殺しとは、『正義』なのだ。



将来的に多くの人を救ってくれた、素晴らしい殺しである。


あと殺された相手が可哀想という意見もあるだろうが、個人的に同情はできない。


国民を守るという、国のリーダーとしての責任を果たさなかったんだから、このくらいのリバウンドはあってしかるべきだ。


厳しいかもしれないが、役目を果たせなかった一国のリーダーとしての責任はそれほどまでに重いのだと私は勝手に思っている


自分の行動が、全ての国民の命、生活を握っていることを自覚しておらず、自分が王様とばかりに己の欲望のまま好き勝手に行動する。


腐敗した政治家は、大量虐殺と同格の悪と言ってもいい。







だからこそ、今回の事件は、『正義』が『悪』を殺したと言う構図になるのである。






よく「テロリストを擁護とか頭おかしいだろ」という意見を見る。


その通り、山上はテロリストである。


テロリストとは、自分の政治的信念のために暴力を行うものである。


だが今回の事件は話が違う。


今までのテロリストとは『悪』が『無関係な人間』を殺すという事件が多かった。


それが今回の事件では、『正義』が『悪』を殺す。


だからこそ、「テロリストを擁護とか頭おかしいだろ」には疑問を投げかけたい。




本当に彼は『絶対悪』なのか?


確かに殺人は悪ではあるが、正義もあるだろ。と。


「正義のために殺人を黙殺するな!」というならば、同時に「殺人の中にある正義を黙殺するのか?」と言う疑問もある。


「正義のために殺人を容認するな!」と言っている人も、今回の銃撃事件の中にある正義を暗黙のうちに黙殺しているように感じるのだ。



罪と正義、どっちも存在しているのにね。







だがそう思う一方で、「殺しを肯定するのか?」という恐ろしさも同時にある。


平和の中で育ってきたからこそのヘタレなのかもしれない。


もし仮に戦争が起きたとして、そして正義がこちら側にある場合でも、殺しは恐ろしいと思う。


実際今起きている戦争で、ウクライナ側の兵士は葛藤があるだろう。


たとえ相手が人間以下の害虫以下、人を殺し全く反省せず、死刑の直前に自分勝手に反省したフリをし、今まで殺した人のことを忘れ命乞いで一縷の生き残る可能性にかけるような気色悪い甘ったれた存在であったとしても、死刑の執行人はかなりメンタルをやられると聞く。


なんというか、おそらく、世界が変わるんだと思う。人を殺した人間は。たとえそれが正義だったとしても。


俺がそう思うのは、夢の中で人を殺したことがあるからである。


夢でさえそう思うのだから、現実で殺したらきっと俺はすごい後悔するだろうなと思う。


いや後悔というよりも、それ以上のものではないだろうか。


例えば、『出産した母親とその父親』のような、初めてヒトの誕生を経験したものは人生が変わるとよく聞く。


それと同じく、初めてヒトの死に触れるということは、そういうことなのではないだろうか。


だから山上さんも、おそらくそういう後悔のような何かを思っているのではないか。


後悔はしていなかったとしてもそういう葛藤があるんだろうなと思う。








いや違うのかもしれないな。


この駄文のように「殺しを肯定する」ということは、たとえそれが正義であったとしても、村八分的に、白い目で見られ、ハブられるのではないか。という思いがあるのだ。


人は理屈だけで行動しているわけじゃないからな。



例えば、雪印の牛肉偽装事件。


西宮冷蔵は不正を告発し、正義を行った。


たが、多くのものから裏切られハブられて倒産したわけで。



そういう、正当性のない、強いものに縋るという本能だけで行われた、あの村八分が俺に起こるのではないか、と不安なのである。だから殺しが恐ろしいと感じるのだ。


殺しの罪が恐ろしいというよりも、自分の味方がいなくなるということが何より恐ろしい。


自己保身的なのだ。




でもそれが一般的な考えだ。


だが山上さんはその自己保身的な心を捨てて正義を行ったのである。


誰にもできることじゃないと思うけどな?








山上に対して他の人の意見を見ていると、表層的に彼の行動を見て、悪だと断じたり、正義だと断じているものが多い。


それは今回の事件の中に正義と罪が同居していることを考えずに、言葉に惑わされているからだ。「殺人」「テロリズム」「英雄」「救世主」


「テロリストだから悪だ!」「いや多くのものを救ったから正義だ!」「お前はテロリストを擁護するのか!犯罪者予備軍め!残された首相の妻が可哀想だと思わんのか!」「お前こそ統○教会によって日本が滅ぼされてもいいのか!お前らこそ悪だ!統○の手先だ!」


いやー、正しいよ。両者の意見は全て正しいと思うよ。





だが、お偉いさんは特定の人が得するために、特定の人を不幸にしてるわけじゃん。


某建築業界をサポートせずにこき使ったり、自らの固まった信念のために経済を悪化させたり、当選のために統○を利用してきたじゃん。


お偉いさんは『誰かが損して自分らが得する』という、『正義』とは程遠い、win-loss的なことをしているわけだ。


今回の銃撃事件もそれと同じく『誰かが損して誰かが得した』。ただそれだけのことなんじゃないっすかね。


だって政府も、同じことしてるんだから、同じことで返されるしかないじゃんね。


それも分からないほど、バカになってたんだね。







そして以下は駄文中の駄文である。




テロや殺人は恐ろしいことには変わりないから、よく考えずに「山上は悪!」というのも、わかる気もするけどさ


じゃあ何か?


「山上は悪!」っていう人は、これから先ずっと、日本が統○に支配されても良かったのか? 


宗教の犠牲者がで続け、選挙で不正して、政治、経済活動が停滞し続けるほうが良かったのか?


少数の人が作るルールに支配される、悪が笑い続ける世界のほうが良かったのかよ!?


あの銃撃事件を起こさなければ、これから全てうまく行っていたのかな? 


否。


それが現実なんだよ。彼がテロという、恐ろしいものに手を出さなければ変わらなかったんだよ。


だからこれはトロッコ問題だったんだ。


悪人一人と自分を犠牲に多くの人々を救ってくれるレバーを引いてくれたんだよ。


多くの人のために罪を被ってくれた。


彼は自己犠牲で多くの人を救った。


山上のアンチすらも、彼の恩恵は受けるのだ。


彼が首相を殺した結果、統○が崩壊することで、選挙が健全化するきっかけを作ったのである。


そして選ばれるべき人間が首相になり、政治は生まれ変わるのだ。


どれだけ否定しようとも、その恩恵は等しく与えられる。


自分で言っててなんだが、まるで宗教のような言葉だ。


山上信者は宗教だとよく言われるのも分かる気がする。


だが事実だろ?


有りもしない祝福を騙っていたカルトだが、こっちはあるのだよ。祝福が。


しかも見返りも求めない。


まあ、100万円を自分から差し出す信者はいるらしいがね。





もしかして彼が銃を撃たなくても、凄まじくポジティブ楽観主義的に考えれば、呑気にあと数十年して徐々に良くなっていったかもしれない。


彼がやらなくても、カルトによる、多くの犠牲者を出し続けながら少しずつ変わっていった可能性も僅かにではあるが、


彼が一発で確実に、急速に良くするきっかけを作ってくれたのだ。





この事実は変えられないのだ。


キ○○○宗教がどれだけ科学を否定しようとも、彼ら自身、ネットをして車に乗り人工肥料で育った食べ物を喰うなど、科学による恩恵を受け続けるように、


山上容疑者のアンチがどれだけ否定しようとも、彼の恩恵は受けるのだ。


そう、彼の功績は揺るぎないのだ。(無論、殺人の罪も揺るぎないのであるが)





だから山上は犯罪者で、それでも正義なんだよ。



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