表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『たからもの』  作者: サファイアの涙
67/126

第66章

 良作にとって、理沙との三年間は、とてもおだやかで・・・平和な時間だった。


 彼女がそうであったように、良作自身も理沙といると、心底ほっとでき、まるで激務げきむから帰宅して家庭のあたたかい空気に触れたサラリーマンのように、そのまま玄関先で迎えてくれた妻の膝で眠ってしまうような・・・そんな心地よさを感じていた。


 理沙は優しかった。


 ・・・どこまでも、優しかった。


 二人の間には、この三年間、波乱も曲折きょくせつも、そして、ケンカも、ただの一度もなかった。


 理沙は良作に従順で、口ごたえひとつしたことのない、おだやかで素直な子だった。


 もちろん良作側も、そんな理沙にあれこれ指図したり、ましてや命令するような場面を作る要素が無かった。


 二人は、本当に幸せだった。


 しかし・・・良作の心の中には、どこか「物足りなさ」があったこともまた事実である。


 理沙の優しさも、良作には体の一部のようになじんでいって・・・それが当たり前のようになっていた。


 だからといって彼は、そんな理沙の優しさに甘えすぎることもなく、ましてやおごることもなく・・・理沙をいつくしみ、大切にした。


 ならば、この「物足りなさ」は、いったい何なのか・・・?


 それは、言うまでもなく、美絵子の存在だった。


 良作は、理沙と楽しい日々を過ごすさなかでも、常に美絵子の置かれた現状が心の片隅かたすみで気にかかっていて、そんな彼女を救うことのできないもどかしさと、理沙と蜜月の日々を送る自分のうしろめたさに、どきりとする瞬間さえあったのだ。


 それはまるで、純白の書道の用紙の片隅に、ほんの一滴だけ垂らした小さな黒い墨汁ぼくじゅうのように・・・どこを向いても視界から消すことのできない、ただ一点の黒い影だった。


 ともあれ、良作は癒された。


 中学校で嫌なことがあっても、成績不振で悩んでいたときも、いつもそばには理沙がいた。


 そして、どんな疲れも癒してくれた。


 そういった意味で、理沙は、良作にとって、「心のドクター」だったのだ。


 しかし・・・理沙には、美絵子のような「匂い」はなかった。


 あの、フレグランスのような、甘酸あまずっぱいサクランボのような・・・ときには、バイオレットのように妖艶ようえんな、嗅いだ瞬間、気が遠くなるような、あの不思議な魅力を持った「匂い」が。


 良作にとっては、そうした、美絵子に備わった「独自の魅力」そして「彼女の記憶」が、ずっと彼の心をとらえて離さず、忘れがたいものとして、彼の中に残り続けていたのだ。


 理沙とここまで親交を深める以前には、まるで宗教の教祖きょうそのように、彼は美絵子を無条件で「信奉しんぽう」し、自分にとって絶対的な、ゆるぎない唯一無二の存在として、あがめていたのかもしれなかった。 


 だが、その一方で彼は、理沙との甘い日々を重ねるうちに、少しずつ、その「匂い」の感覚そのものが知らず知らずに次第に薄れてゆき・・・美絵子と過ごしたときに感じていた、あの胸がドキドキして、キラキラとときめくような、あのなつかしい日々の感覚が・・・いつしか、日ごとに薄れてゆくのを肌で感じ始めてもいた。 


 しまいには、美絵子の、あの愛らしい声も、良作をひと目でとりこにした、あの天使のような笑顔さえも・・・次第に過去のものとなり、記憶の彼方へ去ってゆきつつあった。


 そして、理沙が北海道に旅立つ頃には・・・まともに美絵子の顔さえも、思い出せなくなってしまっていたのだ。


 そんなある晩・・・良作がぼんやりと美絵子の家の前を通りかかったとき・・・家の中に明かりがともっているのに気がついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ