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『たからもの』  作者: サファイアの涙
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第54章

 先生の手紙は続く。


 『私ね・・・良作君と峯岸さんの間に、「行き違いの何か」があった晩、心配になって、彼女の家に電話しました。


 電話口に出たのは、彼女のお母さんの時子さんだったけど、私が彼女の様子を尋ねるとね、「しばらく休ませていただきます!」という強い口調で、電話を切られてしまいました。


 私、何か失礼な言い方をしてしまったのかしらと、自分の話した内容や言葉遣いを振り返ってみたけれど・・・何も時子さんを怒らせるようなものはなかったのよ。


 ・・・心配でした。


 あんなにフラフラになって帰った峯岸さんを、付き添うこともせず、黙って自宅へ帰してしまった自分を何度も責めました。


 もしかしたら、途中、ふらついて道路に迷い出て、車に轢かれてしまっていたかもしれないのに、です。


 ああ・・・あのとき、峯岸さんがどんな反応をしようと、私はそばにいるべきだった・・・。


 そして、保健の先生がたまたま不在だったこともあったけれど、保健室のベッドから起き上がる峯岸さんを、無理やりでも止めるべきだった・・・そんなことばかり考えてしまいます。


 そうしていたならば、良作君と峯岸さんの間に、悲しい「何か」も起きなかったんじゃないか・・・そうも考えました。


 このように私は、いざというときには臆病おくびょうで、判断に迷う、どうしようもない人間なんです。


 良作君も峯岸さんも、とっても私を信頼し、頼ってくれていたけれど・・・「教育者」としてもまだまだ未熟だし、実は、芯がとっても弱い人間なんです・・・。』


 良作は思った。


 (鈴木先生・・・そんな風に、自分のことを評価していたのか。でも、先生だけじゃない。誰だって、弱い人間じゃないか。先生、そんなに自分を責めないでください。あのときは、僕だけが一方的に悪かったんですから・・・。)


 『・・・その後、何度電話しても、誰も電話口には出ませんでした。


 でも、峯岸さんね、学校へ来る前日に、電話口に出てくれたの。


 「元気・・・? お母さんは?」って尋ねるとね、「うん。今、出かけてるから、あたしだけなの。」って彼女言ったわ。とても暗い、さびしそうな声でね。


 「体のほうは大丈夫なの・・・? 疲れてるんじゃない・・・?」ってくと、「ううん。疲れてない。でも、良作君が・・・。」って言ったから、「良作君、峯岸さんに何か言ったの・・・?」って訊いてみました。


 すると、「ううん。なんにも言わない。でもね・・・あたし、良作君を怒らせちゃったの。嫌われちゃったかも・・・」


 そう言ってね・・・彼女、わっと泣き出しちゃったのよ。


 私・・・どうなぐさめていいのか分からなくって、ただ彼女が泣きやんで、気持ちが落ち着くのを待ちました。


 私は言いました。


 「きっと、違うと思うよ。良作君ね・・・たまたま、その時、機嫌が悪かっただけなのかも。だから、峯岸さんは、なんにも悪くないの。きっと良作君だって、峯岸さんをこんなに泣かせちゃって、反省してると思うんだ。だから、許してあげて・・・ね?」


 「・・・うん。」って、彼女は言ったわ。


 「学校へ、来られそう・・・?」って訊いたら、「あした行く。でも先生・・・あたしたち、あした引っ越しちゃうの。みんなで、お父さんのところに行くの。」って。


 彼女ね、次の日学校へお母さんと来る直前にね、学校の前の文房具屋さんで、みんなに配る鉛筆をいっぱい買ってきたようなの。


 私・・・彼女が、良作君の分も、もしかしたら買ってあるんじゃないかって、そのとき、ふと思いました。


 でも、お別れの挨拶あいさつとお見送りで、そのことを忘れてしまっていました。


 私は、校門の前で、良作君が授業を受けている5年生の教室を、さびしげに見つめる峯岸さんを見ていたのを思い出して・・・あの時、今からでも走って、5年生の教室に飛び込んででも、良作君と峯岸さんを会わせるべきだったと後悔しました。


 ここでも、私の「決断力の甘さ」が出てしまいました。


 峯岸さんのお母さんも、姉のかおりさんから、良作君のことは聞いていたそうです。


 かおりさんは、ずっと教室に閉じこもっていた子で、めったに校庭には姿を見せなかったから、良作君と峯岸さんの関係をあまり知らなかった・・・そう思っていましたが、違っていました。


 やはり、姉妹なのよね・・・峯岸さんの変化にいち早く気づき、それが良作君にからむものだと、すぐに判断したのは、やはり、実のお姉さんだからなんでしょう。』


 美絵子が不登校になったあの日、良作は、彼女の姉のかおりから受けた、突き刺さるような視線を思い出した。


 『・・・こんなこと、良作君には酷な言い方かもしれないけれど・・・たぶん、峯岸さんのお母さんの時子さん、そして、姉のかおりさんは、良作君のことを憎んでいると思うんです。


 お母さんから、峯岸さんの転校先を聞いた私にね、時子さん、こう言ったの。


 「先生・・・美絵子の転校先のことは、先生と校長先生にだけお教えしますので、どうか他の方には、一切教えないでいただきたいのです。」


 私が「なぜですか・・・?」って訊いたらね、「それは、先生ご自身が、一番良く分かっているはずじゃありませんか。」と、返されたわ。


 きっと、良作君のことが頭にあったのよね・・・「これ以上、うちの美絵子に関わらないで!」って心境だったんだと思う。


 私ね、良作君・・・本当は良作君に、峯岸さんが落ち着いたら、何が何でも会ってほしいって、思いました。


 だって、峯岸さんを元気にして、元のような明るくて魅力的な子にしてあげられるのは、良作君しかいないって、分かっていたから・・・。


 のみならず、良作君にも、峯岸さんの存在が、絶対不可欠だとも、分かっていたからです。


 しかし、私はまたも「判断ミス」を犯しました。


 時子さんとの約束を無視してでも、私は、二人を引きあわせるべきでした。


 良作君、よく聞いてね。


 峯岸さんね・・・今現在、不登校で、ずっと自宅にいるのよ。


 私が向こうの学校の校長先生に電話で確認したから、間違いないわ。


 彼女ね、転校したその日から、ひどいいじめに遭ってたらしいの。


 きっと・・・ずっとふさぎこんで、暗い表情してたからかもね。


 仲のいい友達が出来るどころか、担任の先生からも「暗くて、不愉快な嫌な子だ!」と言い捨てられたらしいから。


 私、それを聞いたときね・・・今すぐ、その学校に飛んでいって、その担任の先生の横っつらを、みんなの前で思い切り張ってやりたい、とさえ思ったわ。でも・・・教育者として、それは許されなかった。


 ・・・何もしてあげられない自分が、とっても歯がゆかった。


 今ね、峯岸さんは、転校の手続きをしているの。


 良作君、教育現場に立つとね・・・いろいろなものが見えてくるものよ。


 私がいた、母校のA小学校も、良作君が今いるK小学校も、ほぼ全員が仲良くして、とてもいい校風だったわ。


 でもね・・・私が「インターン」の研修先でいた都会のある学校はね、小学生なのに、大人の不良のようにグレてる児童が大勢いたり、校風そのものがよどんでいて、教師も、「教育者」として不適格な人も何人もいたの。


 私は・・・そういう「みにくい世界」をさんざん見てきた人間として、最後に良作君と峯岸さん・・・そして、明るい2年生のみんな、誠実な、K小学校の矢野校長先生ともめぐり会えて、とっても幸せでした。


 良作君・・・私、教育者として、初めて、保護者との「約束」を破ります。


 教師として、「信頼」を失ってもいい。


 良作君には峯岸さんが・・・そして、峯岸さんには良作君が・・・やはりお互いが絶対に必要なんです。


 もっと早く決断していれば、峯岸さんも不登校にならずに・・・いじめに遭うこともなかったのかもしれません。


 良作君、今からでもいいので、峯岸さんに会ってあげて!


 峯岸さんの住所は、埼玉県の・・・』



 ここで、手紙の文字は終わっていた。


 いや・・・最後の文字の「埼玉県の」のあとには・・・万年筆の「曲線」が、すーっと紙面の下に向けて、放物線のように突き抜けていたのである。


 おそらく先生は、最後の気力を振り絞って、良作と美絵子をまた結び付けようとしたに違いない。


 それはまさしく、先生の「絶筆」であり、良作に向けての「遺書」でもあった。


 良作は・・・自分と美絵子のために、最後の「命の炎のゆらめき」をのこして静かに去っていった先生の大きな愛を感じ取り・・・2年生に気づかれないように、そっと泣いた。

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