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『たからもの』  作者: サファイアの涙
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第112章

 1991年10月26日(土曜日)。


 この日、良作は、21歳の誕生日を迎えた。


 美絵子と初めて会ってから、10年。


 そして、最後に会ってから、丸2年もの歳月が流れていた。


 良作は、K市の住宅地図とともに、おおまかな、埼玉県の「市街地図」も、書店から取り寄せていた。


 地図上で詳細にルートを検討し、まずは、K市の役場を第一目標に決めた。


 1989年8月に、美絵子と再会する直前・・・実は良作は、地元のY市の役場に行き、窓口にて美絵子の消息を尋ねたことがある。


 どうしても美絵子の行方が分からず、「わらをもつかむ思い」で、役場に助けを求めた形だった。


 セツさんに美絵子の写真をもらい、二度目に彼女を訪ねたとき、「二度と来るな」と警告され、美絵子に会うための一切の情報をもらえなくなり、いわば「セツさんルート」が絶たれた良作の、その当時の彼なりの「最後のあがき」だったといえる。


 ところが、個人情報に関する事項・・・すなわち、「現住所」「電話番号」「現在の年齢」「既婚・未婚の情報」「離婚・再婚に関する情報」「生死の情報」といった、もろもろの事柄は、他人の良作には、いっさい開示されなかったのだ。


 それゆえ、イサオ氏のメモがなかった当時、もう美絵子の「痕跡」をたどることは、非常に困難を極める、至難の業となっていた。


 良作は以前、美絵子の祖母、山田セツさんから写真をもらったとき、イサオ氏の名前と、彼がK市の「北海道ビール」の社員だという情報を入手していた。


 しかし、イサオ氏一家が、「社宅」に入っているという保証などなく、追跡が非常に困難な「一般の民家」で暮らしている可能性もあった。


 また、K市の電話帳から、私立探偵よろしく「峯岸イサオ」の名でしらみつぶしに探すという方法もあるにはあったが、膨大な「同姓同名」のお宅を訪問するまでの「執念」は、当時の彼にはなかったのである。


 付け加えるならば、「イサオ」という名前が、どのような漢字で書かれるのかも、セツさんから口頭で聞いただけだったので、実は良作は知らなかったのだ。


 さらに、良作がイサオ氏から頂いたメモには、イサオ氏の名前も電話番号も書かれておらず、ただ住所が書いてあるだけだった。


 そのため良作は、イサオ氏の「落ち着いたら、こちらから連絡する」という言葉を信じて、その住所に手紙を出すこともせずに、ただひたすらイサオ氏からの電話連絡なり、手紙での連絡を待っていたのだった。


 それに、役場を訪ねる前の、写真と情報をもらった当時の良作は、まだ中学三年生であり、自分の小遣いだけで行ける電車賃も、タクシー代もなかった。おまけに、遠く離れるK市まで直行できる自家用車はあっても、車の免許がなかった。


 両親に、それまでの、自分と美絵子に関する一切の事情を話し、K市にまで同行させる勇気も、1985年当時の彼には湧かなかったのである。


 理沙と里香・・・ふたりの恋人と別れ、なおかつ、最後には、最愛の天使、美絵子まで失った彼に残された「唯一の光」・・・それが、その貴重なメモだったのだ。


 こうして良作は、ムダだとは知りつつも、そのような経緯から、美絵子の「生死」を自分の足で、目で耳で確かめて、自身を完全に納得させるため・・・まずは、埼玉県K市の市役所を訪ねることにしたのであった。

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