死後途
24歳の誕生日、僕は死んだ。ちょっとした事故で、僕もまさか死ぬとまでは思わなかった。
周囲の人間は「まだ若いのにかわいそう」だとか憐れんでくれたけれど、死んだ本人としては、少なくとも憐れまれるほど悪い気分ではなかった。むしろ、痛みも苦しみもなく、あっさりと逝けたのはラッキーだとさえ思えた。
そもそも、希望と活力に満ちた若者ならまだしも、僕のような覇気のない、ただ何となく生きていただけの人間には、人生の短さは分相応だ。才能に溢れた人たちと違って、僕らは社会にとって、代用の効く量産品に過ぎない。
唯一の後悔は、最後の肉親である歳の離れた妹を残してしまったこと。彼女に苦労と迷惑がかかるのは何とか避けたかったが、今となっては難しい。せめて大人になった彼女と、酒を呑んでみたかった。それが下戸である僕の人生ただ一度の酒になるはずだった。
ともかく、死んでしまった今の僕には、人生最後のお楽しみが待っている。「死んだ人間は何処へ行くのか」。どんな天才も、凡人も、等しく決して解くことのできない問いであり、誰もが最後に答えを知ることになる。いよいよ僕にも、その時が近づいている。
目を開けると、辺りは霧に覆われたみたいに真っ白だった。身体を見回しても傷一つない。ただ、身体の重みを一切感じられない。脚はあるが、これが幽霊というやつなのか。
「この度のご往生、お疲れ様で御座いました。これより死後の世界へご案内致します」
空間の奥からすーっと滑るように現れたその男は、厳つい顔に似合わぬ至極丁寧な言葉で僕の注意を惹きつけた。
「あのー、あなたは一体、どなたでしょうか?」
少し裏返った声で、僕は尋ねた。
「私は<案内人>で御座います。亡くなられた貴方の魂を、求める処へと導く者で御座います」
<案内人>は、腰をキッチリ90度に折り曲げて、深々と頭を下げる。
「<案内人>は皆、其々に下界を観察しております。そしてその日亡くなった方々お一人おひとりに、担当の<案内人>が付くことになっております」
「……担当ってゆうのは、どうやって決まるんですか?あ、いやその、あなたが恐そうだから嫌だとかでは決してないんですけど」
「挙手制で御座います。<案内人>と言えど機械では御座いませんので、害の無さそうな方を選ばせて頂きました」
終始堅かった彼の表情に、ほんの少し綻びが見えた気がして、僕の心はちょっとだけ、落ち着きを取り戻した。
「それで、さっきおっしゃっていた、"求めるところ"というのはどこなんでしょう?」
重ねた問いに、<案内人>は背筋を改めて伸ばし、説明を始めた。
「人生様々な様に、死後の世界も人其々で御座います。但し、死後の世界ではその在り方を、御自身でお決め頂く事が出来るのです」
「……というと?」
「例えば"天国と地獄の途"。こちらを御選び頂くと、天国へ行くのか地獄へ堕ちるのか、審判の儀へと続きます。審判は、生前の行動や信ずる宗教毎に、定められた基準で決定される事になっております。
また"転生の途"。こちらは所謂"生まれ変わり"で御座います。生前の記憶を失い、その魂だけが新たな肉体へと入る事になります。
それから"霊体の途"。所謂幽霊として、前世の記憶を宿したまま、下界で暮らす事が出来ます。
"精神の途"は、肉体から解放され、霊魂となった精神を更に高める修行に臨まれる方々が御選びになります。
この他にも、貴方の信ずる処に依って幾つもの"死後の途"が用意されております。さて、どの様な死後をお望みでしょうか」
一連の説明を終えて、<案内人>はどこからともなく取り出した紅茶を音なくすすった。僕は少し考えてから口を開いた。
「生まれ変わり……は、どんな感じですか?どんなふうに生まれ変わるか選べるとか?記憶は、ホントに全部、なくなっちゃう?」
「残念ながら、生まれ変わる場所も時代も、全ては運命に委ねられます。それが未来なのか過去なのか、時には全く異なる世界に転生する場合も御座います。
記憶に関しましては、極稀に、記憶の消去が不完全で、生前の記憶を宿している場合が御座います。ただし、"死後の途"に関する記憶は決して残りません。
私も、恋人への強い想いから記憶を残したまま転生された方を存じております。しかしながら、転生されたその時代、その場所に、その恋人はいらっしゃいませんでした」
「……なら、幽霊は?幽霊になれば、記憶を残したまま大切な人のところへ行けるんですよね?」
「その通りで御座います。訓練すれば、下界の物に触れることも可能です」
「おおっ!それなら……」
「但し、お勧めは致しません。そもそも、霊体として下界の物に干渉する事は許されておりません。この規則を破った者には厳しい懲罰が与えられます」
「ば、罰って、どんな?」
「<案内人>になる事です」
僕は言葉を失ったが、<案内人>は表情を一切変えることなく、じっとこちらを見つめている。互いに無言の時間が続いて、先に耐えられなくなったのは僕だった。
「<案内人>は、辞められないんですか?」
「新たな<案内人>が決まる迄、辞める事は出来ません。死後に進んでこの仕事を選ばれる方は滅多におりませんので、私が<案内人>を辞める事は、恐らく御座いません」
また沈黙が続いた。しかし次に痺れを切らしたのは<案内人>だった。
「さて、そろそろ貴方の"死後の途"を御決め頂く時間で御座います。どの様な死後を、お望みでしょうか」
「……さっきの説明にあった以外にも、選べるんですよね?」
「勿論で御座います」
「……なら、<案内人>になります」
はじめて、<案内人>の表情がはっきりと曇った。眉をひそめ、わずかに怒りまで込めて言葉を放つ。
「私のことを憐れに思われたのなら、必要ございません。どうぞ、ご自身の本当に望む"死後の途"を、お選び下さい」
「勘違いしないでください。僕は別に、あなたのことを思って言っているわけではありません。
<案内人>になれば、地上をずっと見ていられるんでしょ?それなら妹を、見守っていられる。
そもそも、ここでもし僕が天国とかに行って、いつか妹がここに来たとき、妹が生まれ変わりを選んだりしたら、僕らは二度と出会えない。
僕はここで妹を見守って、いつか妹が死んだとき、担当を買って出る。そしたらここで、二人でお酒が呑める。それでようやく、僕の唯一の未練が晴れるんです」
<案内人>は、今や豊かな感情を顔にのせている。そしてもう一度背筋を伸ばし、深々とお辞儀をした。頭を上げたとき、そこに彼の姿はもうなかった。
「さて、貴方はどの様な"死後の途"を、お望みでしょうか」