私は私
王都のほぼ中心にある、王立学園。
ヴァズリア学園の門構えを視界に入れた瞬間のことである。
「は…?」
コンクリートジャングル。
行き交う大量の車。
押し合い、せめぎ合う狭い電車内。
私語ひとつない、息苦しいオフィス。
ひたすらカタカタ。カタカタ。カタカタ。PCのキーボードを叩く規則性のある音。
定時は17時半にも関わらず、タイムカードを切ってから3時間のサービス残業当たり前の社畜精神上等で、同僚や先輩たちは顔から生気が抜け落ち、そこは戦場。
至福は仕事終わりのスイーツ。
彼氏もおらず、結婚もせず。
遠く離れて暮らす親には心配掛けたくないあまり、当たり障りのない連絡しかしていなかった『前世の私』の姿。
「あー…そっか、死んだのね」
なんだか腑に落ちた。
というのも、私は公爵家の長女として生まれたがマナーや淑女教育は全く身につかず、両親の顔に泥は塗れぬ!という精神力だけで漸く並程度には出来るようになった凡人だ。
私のひとつ下に出来の良い弟が居るし、弟が公爵家を継ぐので私は適当な貴族に嫁ぐんだろうなぁとしか思っておらず、また両親はそんな馬鹿な子である私に呆れつつも甘いので未だ婚約者なる者を立てては居なかった。
興味がない、とまでは言わない。
頭の方は並でも一応貴族としての常識はある。
政略結婚というものはしなければならないし、いずれ自分も婚約者を迎え、婚約者に迎えられて、結婚し、この血を守っていかなければならない。
漠然とだが思っていた。
そう、さっきまでは。
「…姉さん?なにやってんの?」
「え?あ…あぁ…大きいなって」
「見慣れてるでしょ、今日から2年生だよ?」
そう、私は2年生になったのだ。
つまり学園に通うようになって2年。
今日は弟が入学する日。
2年も通っていて何故敢えて今日思い出すんだ、前世の私。
なにか、前世でも頭の方は並だったのか。
…並だったんだろうな、これと言った記憶はないし。
いや、まぁ、この際。記憶やら前世やらはどうでもいい。
結局私は私でしかないのだし、此処で16年生きた事実は変わらない。
良くある、『転生者なら〜』的な発想もない。
そんなことは疲れるだけだ、前世で超絶ブラック会社の社畜と化していた私は今世でぐらい楽をしたい。
朝起きれば侍女が世話をしてくれて、マナーは大変でもご飯は美味しい。
呆れつつも私に甘い両親と、特に確執もない弟。
貴族令嬢との笑顔の嫌味合戦は疲れるが、貴族として生きるならば致し方ない。避けられないのだ。
避けられない以上はやるしかない。逃げられる場合はもちろん逃げる。私は基本ヘタレだ。前世風に言うならば。
だが問題は。此処が何処か、である。
良く言う『乙女ゲーム』にしろ、違うにしろ、私には今まで生きて来た現実でしかない。
そう、現実でしかなかった。
私が前世さえ思い出さなきゃ。
前世を思い出したとはいえ、16年生きた私が居なくなったわけではない。
どちらも私であり。どちらも私ではない。
公爵家の長女である私も。
超絶ブラック会社の社畜だった私も。
どちらも私ではあるが、どちらにも属さない。
簡単に言えば、プラスとマイナスがごちゃ混ぜになって出来た『別のナニカ』である。
別のナニカであれば最早人間とは呼べないかもしれない。
うーん、難しい。
「ねぇ。あなた、人格というか…記憶、かしら?それが自分の中に2人分あったらどうする?」
「……ごめん姉さん。姉さんの突拍子もない発言には慣れてるけど、もっと分かるように言って?」
「夢と現実がごちゃ混ぜになった感じというのかしら?」
「はぁ…?」
分からないわよね、私も分からないわ。
というか質問の仕方が分からないのよ。
いきなり『前世を思い出しましたー』なんて言ってごらんなさいよ、真っ先に頭を疑われるわ。
いえ、もう疑われているのだけれど。
…嗚呼、ほら、口調までどちらに属して良いのか分からなくなってしまったわ。
ごちゃ混ぜになってしまって、私が私じゃなくなるような気がするの。
でも侵食して行くのも私である以上、結局私は私でしかなくて……。
あら?なんの話をしていたのかしらね?
嗚呼、そうだわ。
今日はとってもおめでたい日の筈よ。
「今日は入学だったわね。早く行きましょうか」
「そうだね」
そうよ、私は私。
前世だの今世だの、全く関係ない。
公爵家の長女で、超絶ブラック会社の社畜で、なんの特技もなく、マナーや淑女教育は精神力だけで漸く並程度まで身に付けたやれば出来なくもない女。
容姿も並。頭も並。だけど切り替えだけは早い女。
だって私、曲がりなりにも貴族だもの。
私は私。私であって、私じゃない。
それも私よ。
あー今日も空は青いわ。
初投稿です。
思ってたのと違いますが、これはこれでありかなと。
お読み下さり、ありがとうございました。