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血は本当に紅色なのか  作者: シバキ回し太郎
1/1

#1

「うぅっ……。気持ち悪ぃ」


 肌を強く刺す風が耳を掠めていく。

 木特有の臭さが漂うことも相まって、目覚めは最悪と言っても過言ではないようだ。

 寮生活を強いられているこの男。割り当てられた部屋に、ベッドは二つしかない。

 三人部屋であることを忘れさせるかのよう。

 三本並ぶ歯ブラシ。

 三人分の名前の書かれた表札。

 そう、三人苦労なく暮らしていけることを想定されているにも関わらず、ベッドは二つしかない。

 布団なるものは一切用意されておらず、部屋を横たわるソファーは机より硬い始末であった。

 本来ならば独自に作った交代制で三日に二度ベッドで寝れるわけだが、どうにもおかしい。昨日もベッドで寝られていない、一昨日も、その前も……。


「この一週間、なんでちゃんと寝れてないの?」

 

 ぼやけた目を擦る。寝相の悪さのおかげで体の節々は感覚が朧げだ。勢い余って誤って、指で眼球を突いてしまった。


「っ?! ……」


 飛び上がるほど痛かったはずなのに、大声は出なかった。

 声が出ない。喉を寒さで痛めてしまったのかもしれない。


「はぁ……。布団が恋しいぜ」


 棺桶というにはあまりにも小さく、体を縮こまらせてやっと入る木箱で、なぜ一週間も寝ていたのか。

 春と思えないほど寒いからだろうか。

 寝相が悪すぎて追い出されたからだろうか。

 いびきが喧しすぎたからだろうか。

 正体不明の夢遊病で夜な夜な踊り出したからだろうか。

 彼にはわからない。

 上記のどれも、男の脳裏をかすりもしないのだ。

 彼は知らない。

 ダイナミックな寝返りによって、同僚一人沈んだ夜があったことも。

 大音量のいびきで窓が割れたことも。

 夢遊病で部屋を散らかしたことも。

 彼はたとえその話を聞いたとしても、日常的にこう答えていた。


「んなアホな話あるわけねぇだろ?」


 一週間たった今、彼はやっと己の愚行が真実であることを認め、そして無自覚さを知った。

 ただ、ひどく後悔している素振りもない。

 冷たい風が吹き抜けるのも残り数日程度。なにせ今は四月だ。

 外に咲く春特有の花が今か今かと花開こうとしているのだから、すぐに暖かい時期がやってくる。

 まぁ、むさくるしいほどの暑さもすぐにやってくるわけだが。


「部屋に入れてもらって、支度して朝飯でも食いに行くか……」

 

 小さい木箱から起用に脱出しむくりと立ち上がると、男は部屋のドアノブを回し押した。

 野郎三人の部屋、セキュリティなぞなんのその。

 防犯意識の皆無な三つ巴のためか鍵を掛けない事が当たり前になってしまった。

 別段、何か奪われてしまったら困るような代物はこの部屋に存在しない。

 しいて言えば、部屋の隅に構える大きな金庫に入っている、少額の金くらいだろう。


「はぁ……。今月はいくら入るかなぁ」

 

 おつかい程度の残高で、野郎三人は給料日である一週間後まで生きていかなければならない。

 給料日の翌日から次の給料日。年がら年中彼らの財布事情は、例えるならば『とても耐えしのぎがたい冬の寒さ』と言ったところか。


 深く長いため息をつき、男は寝間着から着替えた。

 黒のジャージを上下事務的に脱ぎ終わり、寝ている1人の小さい同僚目掛けてそれらを投げる。

 起きる気配は一切ない。

 死んだように寝ている。

 二日に一回着まわしている白いワイシャツをとるべく、木製のクローゼットに向かった。

 

 ギシギシ。


 年期の入った音をたてて開くこいつも、彼らよりうんと年上である。

 サビついた蝶番は不安定で、修繕する必要がある。

 

 モワっとした空気が中から押し寄せてきた。木独特の臭さをすでに木箱で味わった彼からしたら、しつこいくらいだった。

 木のにおいの染みついた白のワイシャツ、ズボン、茶色のベストを取り出し身に着ける。

 特に思い入れもない服なので、いつもいつも扱いはぞんざいになってしまう。

 そしてそれは例にもれずこの瞬間においても同じだった。

 何かを急いでいる素振りもないのに動きが派手だからだろうか、身につけられた衣服の全てに、散り散りになりそうな勢いがある。


 いつも着ている三点セットに着替え終わり、固いソファーに座り込む。

 一人でできるような娯楽は、この部屋に存在しない。何もすることがなく、ただ何となく下敷きになって折れ曲がった、今にも泣きそうな

カレンダーを眺めてみた。

 飲み物のシミ、食い物のカスでいっぱいだが、かろうじて文字は読めた。


「1402年か」


 戦乱の激しい世はいつ終わるのか、戦を見ても聞いても何も面白くない。

 周りで倒れる戦士らは血の滝を流して死に、飢えをまぬかれようと土を食べて死に、死んだ方がましだと言って死に……。

 軍人であるからこそ、彼は命の重さを十分に熟知している。

 戦乱の世が終わることは、軍人としてのアイデンティティが消失することと定義する人間もいるかもしれない。

 だが彼は一刻も、この戦乱の世の中を終わらせたかった。


「……」


 考えを巡らせているうちに、睡魔が襲ってきた。冷たい風で熟睡できなかったのだ。無理もない。

 何も考えずベッドに横たわった彼は、いつの間にやら目を閉じた。

 睡魔に負けたのだ。模擬戦で上下問わず相手を打ち破るほどの実力を持つ彼もまた、睡魔にはめっぽう弱いらしい。


 ***


「ーーろ! 起きろローレンス!! 起きーー」

「はっ!!!」


 ズコっ!!


 岩石のような頭蓋と山頂のような顎が鉢合わせる。

 

「イッテぇ……」


 表面積の小さい顎の衝撃は強く、波打つようにして石頭の脳みそを揺さぶる。

 一方の顎も砲弾のごとき勢いを持つ頭に屈服し、今にも地割れを起こしかねない。

 

 両者ともにうずくまる。そうしている時間なんて、ないはずなのに。

 両者ともに沈黙する。そうしている時間なんて、ないはずなのに。

 彼らは一歩も動かない。まるで彼らの時間だけが止まったかのように。


「ローレンス……お前いつまで寝てんだっ! しかもこの部屋で」

「この部屋は……俺たちの部屋だろ。アルバート、お前はまだ支度が終わってねぇじゃねぇか」


 語気が弱い。お互い少々いら立っているが、それ以上にお互いの攻撃がクリーンヒットしたのだ。

 怒る気力よりも、その痛みを耐えることに意識が集中する。

 

 ワイシャツのボタンを掛け違えた寝坊助であるローレンスは、己の患部をさすりながらボタンを振り出しから掛けなおしていった。


「……お前ら早くしないと遅れるんでしょ? ほら、はよたて」


 小柄な褐色男児が口を開く。外に放り出された男の寝間着を吹っ掛けられた男だ。

 他のふたりとは違って、無傷な顎と脳には喋る余裕も考える余裕も十分にある。

 

「テリー……お前、俺たちを置いてくなよ」

「あんまり冷たくすると……、シバキ回すからな……」

「……。言ってること野蛮じゃん」

 

 褐色男児、もといテリーという男は絶句しその場を後にした。

 残るはどうしようもない寝坊助と大柄な男の二人だけだ。

 この立ち合いを見届けるものは、だれもいない。

 ソファーの下に寝そべる鞘を手に取るのが早いか、ベッドの横につるされたガントレットに手をはめるのが早いか。

 見事な手さばきをもってして、彼らはお互いの一瞬をついて構えようとした。


「……」

「……」


 ビュぅ


 寒く遅い風が右から左に流れていった。

 急がなきゃいけなかったんだった。

 彼らは冷静になり、お互い持っていた剣もガントレットも床に落とし、そそくさと部屋を後にしたのだった。


「俺たち、何してんだろうな」

「もうお嫁にいけない。恥ずかしい」

「んなことのたまってねぇで着替えろ」


 鋭角の顎、もとい大男アルバートは寝間着を脱ぎ捨て、虎柄黒シャツとセットのスキニーパンツというシンプルスタイルで部屋を後にした。

 今日は先日行われた昇格試験の合格発表日。

 彼らは、現実を無情に押し付ける白い張り紙を見に行くのだった。

 

 

「やっときた」


 足の速いテリーになんとか追いついた二人。決して汗だくということではないが、多少息が上がっている。

 珍しくも針のような空気で漂うこの時期だが、息が白いということもない。

 つい二十分前まで多くの兵隊でひしめき合っていた掲示板前は、人気のひの字もなく踊るにはもってこいと思わんばかりの閑散さだった。

 

「どれどれ……」


 人の圧で、汗でクタクタになった張り紙に目を向けてみるテリー。それに続いて後ろの野郎も覗き込んだ。

 張り紙はすでに黄ばんでいた。

 ここに暮らす獣人の汗が原因かもしれない。

 

「三人とも受かってるじゃん!!」

「うぉーーー!!!」


 三人は揃って雄叫びをあげた。獣人でもあげることのない大音量は、空間の反響性も相まってさらにその大きさを拡大していた。

 おそらくら全ての寮の人間に聞こえていたかもしれない。

 落第してまたここでの生活を強いられている奴らがいることを考えもせず、三人は喜び勇んだ。


「これで俺らも本部で生活か!」


 アルバートは満面の笑みをこぼした。開かれた大口からいまにも幸せが溢れ出そうなほどに。

 やはり彼もまた、三人部屋に二人のベッドというのは我慢しきれなかったらしい。

 激しい鍛錬後に高質な睡眠は必須。

 それが確保できなければ、調子も上がらない上に吸収も悪くなる。


「まともな、まともなクローゼットが!」


 ローレンスは普段輝くことのない目を光らせていた。

 古臭い木の匂いには御免だ。

 開くことを忘れたかのようにして開かなくなる、あのクローゼットともおさらば。

 

「早く、早く金が欲しいぜ」


 給料が上がる事に、テリーは期待を膨らませていた。

 たしかにこの一週間は、昼晩スープ生活を余儀なくされている。

 しかしそこを過ぎればステーキも夢ではない。

 

 幸せが口から溢れる男。

 木の匂いが服から溢れる男。

 涎が口から溢れる男。


 側から見ればバカ丸出しの三人だが、昇格が裏付けるように優秀なのは確かだ。

 そんな三人組の新生活が、始まろうとしていた。

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