変革の風
「なんか一気に話が変わるなぁ……」
飛行機の中でぼやいた大蛇は、オリヴィアに聖書について教わっている最中だった。
「だって、あなたが知りたいって言うのだから仕方ないでしょう? 大蛇の権力や情報網なら知っているものだと思っていたわ」
「別に存在自体は知っていたことには知っていたんだが、そこまで深くかかわることはないだろうと思って……」
「……つまり?」溜息交じりに金髪の准将は要約を求めた。
「ちゃんと、聴いていませんでした、はい」
遡ること三日前、梅雨明けを控えた六月中旬――。
その晩、オリヴィア・ミラ・ウィンドセアリスの前に、その資料は提示された。
「これは……?」やや困惑気味にオリヴィア。
「俺の旧友――幽っていう中国人なんだがな――から届けられた情報だ」
渡されたタブレットをスクロールして、電子書類に目を通す。
「これ、本当なの? それと後半についてなのだけれど……」
「…………〝そっち〟については後で話す。前半の部分は読んだ通りだ」
書類には二つの報告について書かれていた。
一つ。ローマ・ヴァチカンが大量の武器を搬入し、教会での法儀礼を行っているとのこと。
二つ。〝槍の男〟と〝聖槍〟が十週間前から九週間前の間に、ヴァチカン内で確認されたとのこと。
〝聖槍〟について知ってはいても、オリヴィアは〝槍の男〟については知らない。
「近々ヴァチカンに向かうことになってるんだが、あんまり落ち着いた会合はできなさそうだと思ってな。お前に伝えたのは注意を払って欲しい――というより、警戒しておいて欲しい」
「妙に慎重になってるのね。……了解したわ」
「まあね。何年も前からカトリックとは繋がりはあるが、今回は少し事情が変わっててな。これから行くことも、もしかしたら罠かもしれない。そのリスクを捨てきれないんだよ」大蛇は自室の壁にあるカレンダーを見る。「加えて、時期も時期だ」
その言葉にオリヴィアは彼の真意を把握した。
「あと一か月で作戦開始だものね。最終調整も済ませておきたいのでしょう?」
「その通りだ。なのに呼び出しだからね」
広い肩を大きく落とし、彼は溜息をついてぼやいた。「……ここまで来るとあからさますぎて逆に疑わない選択肢も出てきてしまう。いやまあ、その可能性は限りなく低いと思っていいんだが」
「でも、その〝事情が変わった〟って?」
「ああ。さっきも言ったが、ヴァチカンとは前から付き合いがあってな。後で話すことになるんだが、文書にも記載があった〝槍の男〟の情報を提供する代わりに、こっちは〝聖槍〟をはじめとした聖遺物をヴァチカンに返還するための援助をする――っていうことになってたわけさ」
オリヴィアは黙って相槌を打った。
「そうした場合、情報共有って大事だろ?」
「ええ、連携をとっているのだから当然と言えば当然ね」
「そうだ。でも目撃情報があったにもかかわらず――いいや、それを通り越してヴァチカン内に滞在していたにもかかわらず、こっちに何の情報も回さなかった。これだけでも立派な契約不履行と言える。何か隠れてその〝槍の男〟と交流があるとか、そういった隠し事があると睨むのは別に不自然じゃない」
ただ――と大蛇は付け加えた。
「一つ目の報告については、もしかしたら無視して構わないかもしれない。というより、疑わないで済む可能性がまだ残っている」
「――というと?」
「ヴァチカンにおけるカトリックの熱狂さは、言葉は悪いが狂信的と言ってもいい。そして、〝槍の男〟は〝聖槍〟と呼ばれる得物を持ってる。いかにも聖遺物って雰囲気あるよな?」
「それに反応して聖遺物奪還のための戦支度っていうこと?」
「その可能性もあるってことだ。要するには報告の一つ目と二つ目は区別して考えられる可能性だ。カトリックとは一言で言っても、それが一枚岩じゃないというのは容易に想像できる。そりゃ組織だからな、考えられないはずもない」
「まるで十字軍みたい」
「……まあ、いずれにせよ行ってみなきゃわからない。判断のしようがないんでね」
「でもさっきああなた罠かもって――」
「罠だったらその時はその時だ。武力で食い破るだけ。それ以外の場合は礼儀を持って接する。楽でいいだろう?」
「相変わらずの凄まじい脳筋さ…………あなた本当に国の重鎮って言う自覚あるの?」
うーん、と大蛇は考えた。その様にあまり知性は感じられないオリヴィアではあったが。
「あるある」
棒読みで答えた大蛇の言葉に、重みの『お』の字もなかった。
「はぁあ…………。でも、とにかく近日中に向かうこと、教皇庁内での警戒は了解したわ。あなたの話した仮説も頭に入れておきます」
「うん、そうしてくれ」
そう言って、二日後の朝、出発を控えたオリヴィアは一時間弱、黒ノ宮邸を後にしていた。
――なんとなく、夢を見た。
戻って、大蛇の元に赴いた彼女の両手には、花束があった。儚いモノを大切に抱えるかのような繊細な持ち方で、オリヴィアの表情にもどこか切なさがあった。
「隣、いいかしら?」
「ああ、勿論」
大蛇の言葉に、オリヴィアは昔を思い出したくなった。彼と初めて話した――と言っても、殆ど会話と呼べるものにはならなかったのだが――時のことだ。
――あの時の大蛇はほぼほぼ私のこと無視していたのにね。
元はと言えば彼のもとへ副官として赴いたのも、カルロスやアナスタシアといった面々からの司令といった側面もあった。
彼の首が縦に振られたのを見て、オリヴィアはその墓と対面した。
「霊園、ここだったのね」
「…………オリヴィア、家を空けていたと聞いたが、まさかソレを買いに?」
オリヴィアはただ頷いた。「九条美雪さん。あなたの、大切な人……」
かつてこの黒ノ宮邸には――黒ノ宮大蛇の隣には、オリヴィアではなく、別の幼い少女がいたということ。そして、その少女を守ること叶わず、〝槍の男〟によって亡くなったこと。
二日前――。ある程度話がまとまったところで語った大蛇の声には、彼には似合わない――少なくともオリヴィアにはそう思える――哀しみの孕んだ音色があった。相当その少女を愛していたのだろうという激しい思いが伝わって来た。日没前に虚しく鳴り響く鐘の音のような、淋しさだった。
「悪いな、気を遣わせたか」
大蛇の言葉に、彼女は首を横に振った。「いいえ、そういう訳じゃないわ。ただ、そうしたかっただけ」
そんな話を聴けば、きっと私じゃなくたって花を手向けたくなる――オリヴィアは墓石に刻まれた文字を見た。
――『古き約束 最果てにて汝と再会せん』
ただ、そう書かれていた。
「そうか。ありがとう、きっとアイツも喜んでくれるよ。まあ、実際に死者の声が聴けるわけでもないから、ホントのところはわからないが」
「…………」
「――それでも、だ。俺の他にアイツを想ってくれる人がいるなら、俺は救いがあると思うよ」
碧い瞳は、先程から真っ直ぐ墓に向けられている。その下には、きっと白銀の少女が埋まっている。大蛇に命を託し、生きる意味を、戦う意味を与えた少女が。
「アイツは俺の命を誰かに繋げと言った。俺が俺とアイツに誓った約束を守れなかったんだ。せめてそれだけは――アイツが死ぬ前に交わした約束だけは、果たしたい」
そう語った大蛇の決意が、よくわかる。
彼の方を見やる。先程までの彼女と同じように墓を見つめる黒い瞳。その中に確かに宿る炎。
「アナスタシアとカルロスが言っていたの。あなたは残忍で冷酷で非道で無慈悲だと」
「……どうした急に?」
「それでも、私思うのよ。最後にあなたの中に残るのは、きっと誰かへの想いだって」
「買い被りだそれは。どちらかと言えば、その〝想い〟のためなら手段は選ばない。選んでなどいられない。ここで立ち止まるわけにもいかない」
そう言って、大蛇はくるりと踵を返す。「――だから、俺はたとえ罠だろうと死地だろうと、進み続ける」
すーっと、唐突に吹いた風。靡かれるオリヴィアと大蛇の長髪。
――風向きが、変わる!!
それでもその足取りに迷いなどなかった。一歩一歩踏みしめる両足の力強さに、逆にオリヴィアは一抹の不安を捨てきれずにいた。果たして、彼が戦い続けた先に何があるのか――わかるはずもなかったから。
そして時は再び一日後の機内へと戻る。
お久しぶりです。今回から第五章・対峙篇です。
週一投稿を目指して頑張ります。




