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黒金のコントラスト  作者: むみょう・あーす
【第一部:旅立ちの序曲】第四章:遭遇篇
22/25

刀傷熱傷

 日露両国の陸軍があちこちで乱戦状態が続いていた。

 悲鳴、絶叫、鼓舞、歓喜――。

 それら全てを背景音楽として、彼は何度も何度も踏み込んで女帝の首を狙いながらも、決して貪欲に攻め続けはしなかった。

 時折攻勢に出ては氷の剣を容易く斬り裂き、打ち砕き、大蛇は軽々とアナスタシアを追い込んだ。

――やはり難しいようね。

 余裕の表情で大蛇の前に立とうとしたアナスタシアに、最早その時の威勢のよさは欠片ほども残っていなかった。

 声を張り上げ、何度も何度も氷の武器を生産してはそれで斬りつけようとし、あるいは投擲を試みた。矢として、槍として、幾度となく、幾千もの〝極寒〟を凝縮して作られた凶器が、本来ならば大太刀を振るう大男の身体に数多の穴を作り上げるはずだった。

 周囲には湖の水を汲み上げ巨大な氷の柱として投擲した残骸が残っている。大蛇の足元や身体にはアナスタシアが彼の身体ごと凍らせようとした痕跡が残っている。

 水や氷を主とした魔法を扱うアナスタシアにとって、ここや大アラル海のような水分が豊富な場所というのは有利に働く。この戦場ならオリヴィアともいい勝負はできそうだ、と大蛇が思う程の猛攻だ。

 ――だが、それら一切を黒ノ宮大蛇は振り払う。

 迷いもなく、恐れもなく、ただひたすらに目の前にいる女を斬りつけようと両足に力を入れて飛び掛かる。

 一撃一撃がとにかく重い。アナスタシアにとってみれば、彼が攻勢に出れば死なないことを念頭に置いて防御や回避に徹するので精いっぱいで、今の彼女には隙を突く余裕などどこにもなかった。

 だが、一時大蛇は後退した。

「どうだ、もう降参する気にはなったか?」

「……どういうつもり?」

「どういうつもりもなにも、今はお前らとやりあう時間じゃない。それに、お前もまだ未熟だ、俺の成長速度を上回る進化を見せられなければ、たとえ何年経とうと同じような戦闘を繰り返すだけだ」

「――ああ。確かに、貴様は以前にも増して強くなっている……だが、だからといってここで退くわけにはいかない」

 そう語るアナスタシアの海のような青い瞳には、強い決意が宿っている。諦めることなど決してしないという徹底抗戦の意志。

――どんな理由があるのかはわからないが、

「敗北を刻み付けてから、その後でたっぷり訳を聞き出すとしよう」

 落ち着き払った声と共に、彼は再び大太刀を構えた。

 そこに、

「――宰相閣下、ご報告です!」

 インカムを通して入って来た通信士官の声に意識を割き、アナスタシアはこの隙を逃すまいと攻勢に転じた。

「どうした?」

「カスピ海周辺の国境警備隊から報告! 百隻を超える飛空戦艦の大艦隊が進軍している模様です!」

――カスピ海?……ああ、あそこら辺は資源が豊富に取れる場所か。どれほど時代が進み、原子力をメインとしようとも、石油石炭はやはり不要にはならんだろうし。

 納得いく展開だった。

 カスピ海から侵攻し、なおかつその先のペルシャまで獲得できれば、<東亜連合>の勢力圏たるアナトリア半島とアラビア半島を孤立させ、一気に領土を獲得できる。更には地中海とスエズ運河における権益も抑えられ、念願の不凍港を獲得できる。月面など宇宙空間への進出もまだ進んでおらず、通常の港というのは星刻暦六十四年現在においても現役だった。

 黒ノ宮大蛇をはじめとする<色家>の影響力を削ぎ落したいというアナスタシアたち<元老院>側の思惑もあれば、共和国としての企みも本命であるカスピ海侵攻を果たせれば達成できる。

 ここから畳みかけるつもりだろう。そのためのプランも周到に用意しているに違いない。

「……これでわかった、黒ノ宮大蛇? <元老院>と<財団>を一度に敵に回すということが即ちどういう結末を辿るのか」

 アナスタシアは冷たく、低い声で大蛇に言った。「ここで<東亜連合>には敗北してもらう。その先はあなたにも分かるだろう?」

「各民族の独立気運が高まるだろうな。各地で内乱が起こるのは必至、間違いなく大日本帝国は二つの超大国に後れを取る」

 きっとアナスタシアのことだ、もう既に工作員を派遣しているのだろう。

 ――だが、そこに隙があった。

 これからのことをずっと彼女は論じている。

 ここで必ず勝たねばならない。でなければ計画を次の段階に進められないのだ。

 だからこそ、その瞬間に大蛇は勝利を確信した。その核心は笑みとなって表情に現れ、アナスタシアは敏感に反応した。

「何がおかしい?」

「アナスタシア、お前がここから一気に畳みかけられるように周到に準備していたことは理解したし、大したものだ。だが肝心なことを忘れている。……余程あの一か月間俺を倒すことに執着してしまったようだな」

 轟音と共に突風や振動が彼らを襲う。やがて二人をはじめ、陸上で戦闘を行っている者たち全てから太陽光を遮る黒い影が真上を横切った。

「あれは……どういうことだ?」

「どういうことか? 単純なことだよ。ただ北極海やインド洋に極秘裏に艦隊を展開させていただけのことだ」

 凝視すればそこに三つの筒状のものが大小合わせて十八もあった。二列に並んだ計四基の主砲と二基の副砲であった。

 なるべく喫水線の上下で対称となるように作られた設計。

 大日本帝国海軍が所有する最大の戦艦。 

 アナスタシアは激しく爆音を轟かせ前進し続ける超戦艦を見上げ、呟いた。「――コースマス・リンコール=ヤマト……」

「そういうことだ。それと、一つ――」

「……?」アナスタシアは怪訝な表情で大蛇を見た。

「強くなっていたよ、本当に」

「大蛇、あなたは……」

「その二人称、久しぶりに聞いたな。――もしこの闘争が俺とお前との間の、全く完全な個人間のものであったのなら、ここで勝ちを譲っても……少なくとも撤退だってしていただろう」

「……」アナスタシアは沈黙したまま彼の話を聴いた。

「――だが、俺は<色家>総帥であると共に帝国宰相だ。<東亜連合>を率いていかねばならない。お前だって同じような立場のはずだ。俺には俺の、お前にはお前の役目がある」

「つまりは――」

 艦尾動力部から直結する青く染まったエンジンノズルに視線を一瞬映した後、再びアナスタシアに目をやった。

「この作戦の果て、実行の目的の――さらにその向こうに何を企んでいるかは知らないが、吹っ掛けてきたのはそっちだ。完膚なきまでに叩き潰させてもらおう。それに――」

 外界までも凍結させてしまいそうな絶対零度の瞳で、アナスタシアは超戦艦大和の進行方向とは逆の空を見上げた彼をしっかりとらえていた。

 大蛇は左手で〝それ〟を指す。

 アナスタシアも首をもたげると、明らかに共和国軍が劣勢なのが見て取れる。

「……」

 だが、それで彼女は怯えたりなどしない。ここで無理をしてでも彼を止めなければという闘志も不思議と湧いてこない。

 この状況になって、銀髪の魔法使いはより一層冷静な判断を下せるコンディションへと整いつつあった。

――今は勝てなくてもいい。彼に膝をつかせるのは私ではなくてもいい。今まで大蛇の手にかかって来た我らの同志の弔いのためにも、我らが大目的のためにも、ここは……!

 手を薙いで、大蛇の周りに氷の礫を展開した。

「大蛇、あなたなら<ドラコナイト>が持つ性質の幾つかあるうちの一つにこんなものがあるのを知っているわよね」

「……」

「物質が持つ性質や反応時の作用を増幅させるっていう効果――」

 指を鳴らし、辺り一帯を飾る氷の巨大なオブジェを全て溶かした。水となったそれらはバイカル湖へ戻る。

 ――しかし、アナスタシアの目の前で黒ノ宮大蛇は爆音を響かせながら火炎と黒煙の中に呑まれた。

「……ほう、氷の中に<ドラコナイト>を混ぜ合わせた高揮発性の物質を突っ込んで発火させたか」

 中から現れたのは顔の左半分に火傷を負った大蛇の姿だった。

「夢の物質だからな、<ドラコナイト>ってのは。他の性質も併せて、これがなければ俺にダメージを負わせることはできないわけだ」

「――今はな」

「なんだ、随分余裕そうじゃないか」

 女帝の絶対零度の鋭い眼光が大蛇を射抜く。「だが、お前を打倒するのは我々だ。二度の世界大戦も、これから起こる三度目の世界大戦も……いいえ、この人類と世界の創世から数十万年の歳月はお前を打ち倒すためだけにあったことを思い知るだろう」

 ソビエツキ―・ソユーズがアナスタシアの真上をホバリングしていた。艦底部の第二艦橋のハッチが開き、アナスタシアはそこに向けて踵を返して歩いていく。

 ここで貪欲に勝利を求め、アナスタシアの首を討ち取り、ソビエツキ―・ソユーズを占領したところで、彼は自らの勢力圏を一気にロシアまで広げなくてはならない未来まで見据えていた。

――それは流石にしんどいな。

 だから――、

「まぁせめて、このくらいの負傷は覚悟していたと信じたいな」

 地面が、まるで隕石でも落下してその衝撃で形成されたクレーターのように凹むほどの力みで、彼は蹴った。

 大蛇からすれば小柄な少女でしかない。けれど容赦なく右肩を掴んで大蛇の正面を向かせて斬りつける。二百センチの刀身は額の左側から左目、左頬……と雪国の女を証拠たる氷点下の体温が計測できそうな、不健康なほどの白い肌から赤い溝を作り出した。アナスタシアはそこからは川のように流血する左半分を抑え、丁度合流した共和国陸軍の兵士たちや、白いローブを模した制服を着た――おそらくは共和国の魔法使いだろうが――者たちが続々と集う。

 ハッチに向けて歩き始めた彼女は、目の前に巨艦が迫ったところで立ち止まった。

「黒ノ宮大蛇、覚えておけ。いつかお前を必ず最強の座から引きずり下ろすことを。我々は、我々の行く手を阻む全てを容赦しない。……そして、もう一つ――」

 両手を顔から離し、紅く染まった左半分の顔だけを見せる。

「<ニムロデ>の名をな――」

「こりゃまた御大層な名前だな……」

 そのまま彼女は、今度こそソビエツキ―・ソユーズへと乗り込み、共和国現在最大級の飛空戦艦は上昇する。

 傷を負った女帝の帰還――。

 そこに付け込む隙などいくらでもあったと言わんばかりに大蛇は微笑をたたえ、共和国総旗艦の離陸を見ていた。

「――相変わらず頭の緩い女だ。最強の椅子なんて興味ない。だが、譲り渡す相手はお前たちではダメなんだよ。それに……アナスタシアは昔からそうだ。いらん土産ばかり残す悪癖は結局治らないのか」

 たかがこの程度の爆発で――と吐き捨てて、顔や体の所々が焼け爛れた彼は再び大太刀だけを手に走り続け、敵を一掃するまで止まることなどなかった。

 耳に入れたインカムを操作し、オリヴィアに繋いだ。「オリヴィア、聞こえているか?」

「大蛇――大丈夫だった? ケガは……」

「大丈夫だ、かすり傷やら火傷やらはあるが、放っておけば何とかなるだろう」

「……わかった、手当は全部終わった後で。――連絡一点、そろそろ合流時間よ。随分と重々しいらしいわよ?」

 彼に伝えるべき言葉は、その一言だけで十分だった。

「了解」

 彼女に答えるべき言葉は、その一単語だけで十分だった。

 腕につけた端末を操作して地図と時刻を確認し、再び彼は走り始めた。行く手を阻む一切を斬り捨てながら――。

 一時は止まったかのように思えた大蛇の快進撃は、まさに〝最強〟の称号に相応しい鬼神、あるいは闘神のごとき形相だった……。

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