発進前夜
<大陸事変>から一向に日露関係は悪化の一途を辿っていた。解消のために<ブリタニア連合帝国>が仲介役となって平和交渉に努めていたが、一向に妥協案が提示や承諾が成されなかった。
帝国宰相の黒ノ宮大蛇も<元老院>最高議長アナスタシア・アレクサンドル・ミハイル・ロマノヴァも対外的には平和路線を貫いてはいたが、裏では既に臨戦態勢をとっており、外交による関係修復というのは、ただの出来レース同然であった。
もともと広大な領土を自治領として一つの広域国家圏を治める宗主国として日本は不慣れな点が多い。それが<大陸事変>につながったのは確かだ。しかし、<プラールヴァル共和国連邦>からの提案が日本国民に報道によって伝えられた時、彼らは一斉に激怒した。
――大陸部の主権回復。
極右団体を中心に「内政干渉だ」と非難し旧ロシア帝国、旧ソ連帝国主義の再来だと叫んだ抗議運動は日を重ねるごとに苛烈なものになり、反対に極左団体は大陸部の解放を主張する。
一週間後、四月二十一日、テレビ中継をスクリーンに投影し、大蛇とオリヴィアはその光景を眺めていた。
「……国家が見事に分断されゆくわね」
「まだこのくらいだろう? 今騒いでいる連中はただの過激派だ。あとは中間層がどう動くかにかかっている」
「一族で国民を扇動し続けるとなると、割と世論の評価に対して客観的でいられるのかしらね」
「そういうわけだ。……だが、過程はどうあれ、武力衝突の一度や二度は起きるさ」
「というより起こしたいのでしょう?」
「そうなるな。お前の平和主義には真っ向から対立してしまう形になってしまうが、こっちも色々込み入っていてな」
「……」一度彼女は沈黙した。
「彼らとの闘争が終わればこちらも平和路線にシフトしていく。戦争続きだと国内情勢が不安定になりやすいものだからな。いつだって指導者は勝利と平和を求められる。勝ち続けらないトップは引きずりおろされる」
「中途半端な戦争で勝ったとして、得られる賠償金や土地や権益が少なければそれはそれで非難の対象になるわ」
「……どうせ向こうにはアナスタシアがいる。〝氷雪の女帝〟が半端な負け戦なんてしない。あの雪女の事だ、必ず大規模、長期戦にまで持っていくだろう――辛酸を舐め、泥臭く這い上がれてこれたなら、な」
「随分雑ね……それ以前に〝再来の皇女〟の人となりはよくわかっているようだけれど」
「……六年ほど前のことなんだがな、俺が当時通っていた高校――東京帝国高校に留学生として来たんだよ」
「わざわざ日本に?」
「国家間の外交面でのアピールもあれば、<元老院>と俺たち<色家>との関係が良好であることを示す目的もあったのだろう。……もしその当時に天野のことを吊り上げたりしたらその時は俺も少し危なかっただろうな」
「故意に日露関係を悪化させようとしていると責められるから?」
首を傾けた彼女の言葉に大蛇は頷いた。
「旧ソ連だって百年前はコミンテルンに属する連中を日本にスパイとして送り込んだり、日本人工作員を活動させていた。下手をすれば今の時代だと世論を扇動されて俺たちが目立った行動ができなくなる」
そこでオリヴィアは大蛇が賜った〝第一の臣民〟という言葉を体現する人物でないという認識がより明白になった。
彼にとって国や団体、組織というものはあくまで隠れ蓑であり、駒でしかない。彼が保有する軍隊とて大蛇の侵略を効率化するためのものであって、大義名分などというものはどこにも存在しない。
それはつまり〝正当化〟という罪悪感に呑まれそうな自己を一時的に癒すための脳内麻薬を自分から手放す行為。極限まで自身を追い込む行為であり、それは彼が利己的な理由で国レベルまで動かしているという自負を己に課すことによって責任から逃れないようにするための縛り。
――振るう暴力を正当化し、正義だと信じて疑わず屍山血河を築くのは確かに質が悪いわ。けれど、自分の成すことに正しさはないと知って尚進み続けることは一体どれほど罪なことなのかしら……。
見守るしかなかった、今は。
脳裏によぎるのは数か月前に謁見した〝氷雪の女帝〟その人だ。青いドレスを身に纏う雪国の真の玉座に君臨するに相応しい冷ややかさを持っていた銀髪の女性。
そしてすぐそこにいる両腕の袖を捲った灰色のワイシャツの上に黒いベストを着込んだ男。前に垂らした結われた長髪を前後左右に揺らしながらスクリーンから離れ、窓に近づく。
その方角は北西。
――間違いなく、見据えている。
その刀身が凍てつくか、雪が黒く染まるか、勝利の女神の色は何色か――オリヴィアは既に結論に達していた。
――事態の急変までおよそ一か月を要した。
その間日露関係は遂に改善されることなく、むしろ軍事的な緊張状態はこの一か月の間に緩むことなどなかった。開戦の五月三十日の二日前には既に最後通牒は日本から発せられており、開戦までの数日間は一触即発状態であった。
帝国政府は<ブリタニア>の仲介を期待したが、彼らは不干渉を表明。
大蛇は、
「どうせ<元老院>と<財団>が裏で手を組んでいるとか、そういうのだ。面白みもない」
と吐き捨てただけで、特に<東亜連合>として<ブリタニア連合帝国>に何か報復措置をとることもせず、<プラールヴァル連邦共和国>との接近も当然なく、一時的に三すくみの対立構造が再び露わになった。
「……さて、<大凶変>後の地球――気候や地殻の大規模な変動がいつでも起こりうるこの時期に、どうやって仕掛けてくる?」
大国間の戦争をこの時期にやるなど前時代への逆行に他ならない。だからこそ――、
「――大蛇!」
「いよいよか、宣戦布告でもあったか」
息を切らし、汗が額から頬へとしたたるオリヴィアが首を左右に振った。「いいえ、それが――」
共和国南東部に位置するバイカル湖周辺の国境付近にて両軍が衝突したとの報告が入った。
「オリヴィア、報告を続けてくれ」
彼女は頷いた。「駐屯警備隊だけでなく、<大陸総督府>より応援が出撃、共和国側も増援を派遣しているわ。あと……」
「言いにくそうだな」
「――共和国が宣戦を布告。共和国宇宙海軍から飛空戦艦ソビエツキ―・ソユーズが一個艦隊を引き連れ本空域に向けて進発したそうよ」
「ソビエツキ―・ソユーズ……確か共和国側の総旗艦か」
「ええ。実質<元老院>保有艦よ」
「……なるほど、つまりアナスタシアが前線に出てくる可能性が高いということか。この世界には前線豚しかいないのか?」
「間違ってもあなたに言われたくはないわ」
「それもそうだ」彼は笑った。「――で、武力衝突前後の事はわからないのか?」
「ええ、ただでさえ情報が錯綜していて事の詳細はまだ」
「……そうか、なら無駄に死人が出る前に終わらせないとな」
感情の全く乗っていない声。それがただの建前であることは容易に察せられた。
「あなたまさか――」
「前線豚の居場所横須賀に行くぞ、一報をいれておいてくれ。二時間半後に総旗艦<榛名>は空母二隻、巡洋艦四隻、駆逐艦八隻――直轄艦隊を率いて進発する。更に本艦隊には強襲揚陸艦を二隻随伴させ、更なる増援を行う」
「それだと本格的に――」
本格的に戦争になる。
そう言おうとしたところで大蛇は彼女の言葉を強引に遮った。「副官、早く命令を全軍に伝達してくれ。……それと追加の命令を。――螺旋の龍を天に上げろ、とな」
大蛇は用意していた、対応策を……事前に。
緊張状態の高まりに一切限度の無いこの一か月の間に、既に軍部や各省庁、国民までにも〝そう〟なった時の対応を大まかには伝えておいたのだ。少なくとも、彼が進発するタイミングには大日本帝国天皇より開戦の旨を伝える放送が流れるだろう。
敬礼をしてから彼女は部屋を後にする。
執務室に一人、大蛇はぼやいた。
「……ただの<色家>の総帥なら、こんな駆け引きなんてしなくてよかったんだろうがな」
言葉を聴けば、それは後悔を匂わすものではないかと思わず考えてしまう。けれど、彼の顔には隠し切れない悔しさが滲み出るわけではなく、ふっと不敵な笑みを浮かべていた。今の自分を否定することなく、こういう道もあるさと楽しんでいる様子だった。
……そんな彼を、ほんの少しの隙間からオリヴィアは覗いていた。
――大蛇の狙いは?
被害拡大前に総旗艦直轄艦隊を、しかも彼が直々に前線に向かって、早期に戦闘を終結させる。
共和国の動きにどれだけの念入りな準備がなされているかによるが、それ自体は基本的にはできるだろう。だが、問題は戦線に参加する大蛇が――いずれ<氷雪の女帝>と対峙するであろう彼がここで済ますだろうか?
――私と戦った時もそうだったけれど、彼の好戦的な性格がここで出ると二度目の日露戦争が起きる。ナチス残党討伐のためにも軍事力の温存も含めて、国力の低下は致命傷なのに……。
オリヴィアは考える。
――でも……。
「……そのための、<蟠龍>?」
窓の外から兵士たちが走ってゆく姿を、黒塗りの高級車が往来していく様を、戦争への機運を高めていく国民が宰相府の前で熱狂にひたる光景を――アイスブルーの双眸は捉えていた。
それとも――と彼女は思う。それは一つのひらめき。
二つの大きな力が彼女を圧迫し、押し潰そうとしているかのような感覚。
あるいは極端なほどの寒暖さ、とその感覚は形容できよう。
そんな尋常ならざる感覚に晒されたが故に脳裏をよぎったひらめきだった。
「……やるのね、氷雪の女帝と一戦――」
ここまで来てしまったのなら、と彼女は腹を括った。たとえ自分が何を背負っていようともここまで来てしまったのなら、もう引き返すことなど叶わないのだ。少なくとも、大蛇はそう考えて腰を上げ、狼煙を上げんとしている。
今、執務室にいる男がどの方角を向いているなど語るまでもない。どんな表情をしているのかもわざわざ推測するまでもない。
……三十分後、用を済ませたオリヴィアは真っ直ぐ大蛇がまだいるであろう執務室に向かって歩いた。その顔には腹を括った並々ならぬ覚悟と同時に苦々しさを浮かべ、その胸中に蠢いていよう苦悩と葛藤が容易に察せられた。
宰相府には高揚と緊張が、相対的にそこに出入りする者たちの気を引き締める作用を果たしていた……。
お久しぶりです。
三話分書き溜めたので順番に、日を適度に空けながら投稿しようと思います。




