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サカゲキ!  作者: 内間飛来
部活動、してみる?

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 地獄のようなマラソンから生還したら、さらなる地獄が待っていた。さすがに第二音楽室に全員は入りきらないからという理由で、私たち一年生は体育館の壇上に移動したんだけれど。ただでさえ走ってクタクタだっていうのに、腹筋や背筋なんかの筋トレをさせられた。その次は、腹筋にグッと力を入れて意識しながら、とにかく長く細く息を吐き続けるだとか、可能な限り早く息を吐き切るとか、そんな呼吸法をいろいろとやらされた。そういう、体を動かすトレーニングをひと通りやったあと、私を拉致した男の先輩――副部長で、名前は高木というらしい――が全員に紙を配って回った。それは、コンコーネ五十番という歌の練習教材の一番目と、北原白秋の五十音という、よく演劇の声出し練習に使われているというものをコピーしたものだった。

「簡単な発声練習をして声帯を十分温めたら、そのふたつをやるよ。笹森さん、ピアノ、お願いね」

「三島先輩、私は一応、まだ正式な部員じゃないんですけど」

 ムッとした表情で小さい先輩――このときようやく名前を知った。しかも、部長だそうだ――に文句を言ったのは、私と同じクラスの子だった。釣り目が特徴的で、気が強そうとは思ってはいたけれど。まさか、先輩に堂々と意見するだなんて。私は驚くとともに、心なしか笹森さんを怖いと思った。

 三島先輩は、笹森さんに余裕たっぷりに笑って言い返した。

「あんれまあ、入学前から入部宣言して、春休み中ずっとうちの部に通いつめていたのに『正式な部員じゃない』って言うの? つれないねえ。それに、私が知っている〈この場にいる、ピアノが弾ける人員〉はあんただけなんだから。いっちょ、頼まれてよ」

 笹森さんはため息をつくと、面倒くさそうにピアノに座った。そして、私たち一年生は笹森さんの演奏を頼りに発声練習をすることになった。けれど、私は声を出さずに口パクしていた。だって、この体験入部だって、三島先輩に強引にさせられたものだし。先輩のせいで今日も思わず叫んじゃったけど、もうこれ以上は学校で声を出したくなかったし。

 発声練習が終わると、笹森さんはコンコーネの一番を弾き始めた。それに合わせて、みんな、あまり音も外さずに順調に歌っていたと思う。だけど、笹森さんはどんどんとイライラとした表情になっていって、しまいには鍵盤を叩きつけるように音を鳴らして弾くのをやめてしまった。みんなが戸惑っていると、笹森さんは椅子から立ち上がった。そして私を睨みつけて、指さした。

「吉崎さん! あなた、声出す気がないならとっとと帰りなさいよ!」

 一瞬、壇上にいた全ての人が押し黙った。体育館にはバスケ部やバレー部などの他の部活も活動しているんだけれど、そのボールが床にぶつかる音、シューズが擦れて鳴ったキュッという音が、この歌劇部が静まり返った一瞬だけ、大きく大きく感じた。

 一瞬の静寂を経て、みんなはざわざわと動揺し始めた。笹森さんはというと、怒り冷めやらぬという感じで私に詰め寄った。

「あなた、クラスの自己紹介でもしゃべらなかったし、授業で当てられても先生を無視してやりすごしているでしょう。なのに何で、そんな人がサカゲキの体験に来てるのよ! ごまかしても無駄なんだから。口やお腹の動きを見ていれば分かるのよ、声出してないなんてのは! ――この部はね、毎年、全国高等学校演劇大会の全国大会を目指しているのよ。そして卒業後、プロになる人もいるの。つまり、誰もが真剣に部活動に取り組んでいるのよ。あなたは『コミュニケーション能力を高めたいな。少しずつ、恥ずかしがらずに、みんなとしゃべれるようになれたらいいな』程度に思って体験に来ているんでしょうけれどね、そういう軽い考え、一番迷惑だから。そういうことは、他でやってよ!」

 私の目の前は、だんだんと暗くなっていった。だけど、笹森さんの顔だけは何故だかアップになったように見えた。そして、彼女の怒りに満ちた言葉はただの音にしか感じられなかったし、その後ろでダムダム、キュッキュという音が不規則に、だけどとても大きな音量で耳の奥に響いていた。

 とても不穏な空気だったと思うのだけど、それをかき消したのは三島先輩だった。先輩は〈黙れ〉とでも言うかのようにパンパンと手を打ち鳴らすと、笹森さんに向かって言った。

「はいはい。ここでちょっと、趣向を変えてワークショップしようか。内観ワークショップ」

 内観? と一年生たちが首を傾げていると、三島先輩はにやにやと笑いながら続けた。

「自分の内面と向かい合って、本当の自分を見出すためのワークだよ。……では、笹森からいってみようか。あんた、音大の推薦入試枠が欲しくて入部を希望したんだろう。だけど、本来なら引退しているはずの横溝先輩がいまだに伴奏者として籍を置いているのが、気に食わないんだね」

 三島先輩の言っていることが当たっていたのか、笹森さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。他の一年生たちは〈三年の先輩が、本来はすでに引退しているはずである〉という点に驚いたみたいで、あちこちで小さく「引退?」とつぶやく声が聞こえてきた。それに気づいた高木先輩が、全国高等学校演劇大会について、少しばかり説明してくれた。

 それによると、大会は秋に始まり来夏に終わるという。つまり、高校演劇の地方大会から全国大会に至るまでのスパンは、野球のような〈初夏から夏の甲子園まで〉というような短さではない。一年ほどの長さがあるうえに、年度をまたぐのだ。そのため、全国にコマを進めることができなかった場合、二年生は三年生になるのを待たずに引退ということになる。次回の地方予選に出るころには、受験勉強で忙しくなっているからだ。だから、横溝先輩は本来ならば、引退しているはずなのである。

 また、勧誘会でドレスを着て歌っていた先輩は、三年生だそうだ。彼女はすでに引退しているそうなのだが、勧誘会のためにひと肌脱いでくれたらしい。そして横溝先輩が何故この先輩と同じように引退せず部に在籍しているかというと、伴奏のできる人がいないからだ。ただ、それだけが理由ではないという。音大の推薦入試枠は一枠だけらしいんだけれども、ドレスの先輩も、横溝先輩も、その枠を狙っているんだとか。

 音大入試の合否というのは、声楽の場合、声帯の安定期の関係もあって、これからの伸びしろという〈未来〉を見据えて決めるのだそうだ。だから、今までずっと何かしらの楽器をやっていたけれど、その楽器では音大には入れないという烙印を押されてしまった人がどうしても音大に入りたい場合、高校三年生から声楽に転向して受験し、合格するというのはよくあることだという。対して、ピアノは〈未来〉ももちろん加味されるけれど、小さいころからの積み重ねも大切になってくる。横溝先輩はピアノを始めたのが小学校高学年に入ってからと、音大を目指す人の中では極めて遅いスタートだった。だから、歌劇部の伴奏者になることでとにかく弾いて弾いて弾きまくって、その腕を磨いているらしい。

「歌の練習のとき以外は、自分のピアノの練習をしてもいいってお墨付きをもらっているからね。そして、家に帰るのにかかる時間がもったいないからってんで、夜九時まで弾きこんでから帰宅するんだよ。少しの時間も惜しいから、推薦枠を勝ち取りたいから、横溝先輩は引退せずに残ってる。そして、昼休みも放課後も、ずっとピアノを弾き続けている。――笹森、あんたは『音大の推薦がもらえたらラッキー』『部活動の時間にも自分の練習ができる、ラッキー』くらいにしか思っていなかっただろう? 単にピアノを弾く時間が欲しいだけだったら、向坂先生に相談しなよ。そしたら、横溝先輩みたいに夜遅くまで居残って好きなだけ弾きこめるから。でも、それをせずに今ここでイライラしているのは『入部できれば練習時間の確保も推薦も安泰。どうせライバルはいないんだし』としか思っていなかったから。そして『入学前に入部宣言もしているのに、最初から上級生たちと一緒の活動ができず、ぺーぺーの同級生と一緒に()()()()()している』という現状が、思い描いていた部活動生活とは違ったからだろう? そうだって言うなら、あんただって入部の動機が不純だと思うんだけどもね。どうかな? 自分の心に、聞いてごらん? あんた、この部で何がしたいの? 何を目指しているの? 部活動を通じて、どうなりたいのさ。あんたは、本当は、何を望んでいるんだい?」

 三島先輩に言いこめられて、笹森さんは黙って俯いたまま、ただただ拳を強く握っていた。

 不穏な空気を打ち砕いてくれたと思っていたのに、先輩のせいでさっきよりも場の空気が重たくなった気がする。みんな、居心地が悪そうにそわそわとしているし。それに、こんな公開処刑みたいなこと、可哀そうだな――そう思っていたら、三島先輩は私をロックオンした。そしてにやにやと笑うと、嫌みともとれるような口調でゆっくりと言った。

「吉崎琴音。この数日間、私はずっと見ていたよ」

 ぞっとする思いで三島先輩を見返すと、先輩はここ数日私が体験した他の部活での様子を全て詳細に語った。そして、こう付け加えたんだ。

「あんた、表情筋は死んでるけど、目だけは馬鹿正直だったよ」

 どういう意味か、分からない。――そう思ったら、そのままの言葉を三島先輩は返してきた。驚いていると、先輩はさらに続けて言った。

「あんたが自覚している〈あんたの感情〉は、羞恥、恐れ、諦め、落胆。あと、驚き? この程度だろうけれど。あんたの目は、もっと()()()()()よ。諦めの裏側には、常に羨望があった。『私も友達が欲しい』『友達と楽しい時間を過ごしたい』って。羞恥と恐れの裏側にも、羨望があったね。『私を受け入れてほしい』っていう。どんなことがあって、どのように傷ついて、どうしてしゃべらなくなったかは知らないけれどもさ。少なくとも、あんたが私にぶつかってきて『大丈夫ですか?』って声をかけてきたとき、私はあんたに対してマイナスの感情は持たなかったよ。なのに、あんたは、どうして、何をそこまで恐れている? どうして、その羨望に手を伸ばして自分のものとしない? 本当にこのままでいいとでも思ってる? 高校まではそれで何とかなるだろうけれど、大学ではそうはいかないかもしれないよ? ましてや、社会人なんて無理だろうね。在宅ワークでもして、会話手段はメールのみにでもするかい? 親が生きているうちはそれでも何とかなるだろうけれど、果たして老後までそれで生活していけるかね? あんたは、本当は、何を望んでいるんだい?」

 三島先輩は、私の全てを見ていた。今も、未来も、全て。そして全てを見透かして、私の心に土足で踏み込んでくる。それはとてつもなく怖くて、悲しくて、腹が立った。何年も心の奥のさらに奥に押し込めていたものが扉を破ってあふれ出し、勢いよく喉元までのぼってきたほどだ。いつもの私ならそれをグッと飲み込めたんだろうけれど、今の私にはそれができなかった。気がつけば、後先のことを考えることなく、私は叫んでいた。

「先輩に、何が分かるって言うんですか! 声が気持ち悪いって学校でも家でも虐められた私の気持ちが、先輩には分かりますか! 何で先輩は、私のことが分かるんですか! どうして、今まで私のこと誰も分かってくれなかったの! ただ仲よくしたいだけなのに、どうして気持ち悪いって言って傷つけるのよ!」

 先輩は嗚咽する私から、視線を外そうとはしなかった。そしてとても真剣な表情で、静かに私に尋ねた。

「今、この場に、あんたの声に対して気持ちが悪いって言ったやつ、いるかい?」

「いないけど、絶対そう思ってる」

「何でそう決めつけるんだよ」

「だって、今までもそうだったから」

「じゃあ、聞いてみるかい? ――吉崎の声、気持ちが悪いと思う人は素直に挙手しな! 怒らないから、素直に!」

 いきなり先輩がそんな恐ろしいことを言うもんだから、私は死刑宣告を受けたような心持ちとなった。みんなの素直な思いを見るのが怖くて、即座に目を硬くつぶったんだけれど、先輩がしつこく「目を開けろ」と言ってくる。諦めて目を開けると、そこには〈誰も手を挙げていない〉という光景が広がっていた。

 正直、私はその光景が信じられなかった。だって、散々、気持ちが悪いって言われてきたんだよ? そのせいで、友達も失ったんだよ?

「ほらね。だーれも気にしちゃいない。気にしているのは、あんただけだった。案外、そんなもんなのさ。ちなみに、家でも虐めらるっていうのは、家族全員から?」

「あ、兄だけです……」

 たどたどしくそう答えると、先輩はにっこりと笑った。

「じゃあ、とりあえず、学校ではしゃべってみようよ。少しずつ、部活の間だけでもいいから。少なくとも、ここにいる全員、あんたの声のことなんかどうとも思っちゃいないしさ。……というわけだから、明日も体験に来な。逃げても無駄だよ、今日みたいに拉致してやるから」

 そう言い終えると、先輩は笹森さんと私に〈公開処刑してしまったこと〉を謝罪した。そして、一年生を見渡して言った。――あんたたちも心の内側に目を向けて「本当の自分はどんな人間か、どんなことを望んで、どうなりたいのか」をじっくり考えてみて、と。

「あぐらでもいい。その場に寝そべってもいい。楽な姿勢になって。そして、目を閉じて、ゆっくりと呼吸して。鼻から吸って、口から吐いて。頭のてっぺんから、足のつま先まで新鮮な空気が巡っていくのをイメージして。そして、心の内側に目を向けてみるんだ。目を逸らすな。逃げるな。心の奥底にいる自分と向き合え。自分の声に、耳を傾けろ」

 言われるがまま、目を閉じて、深く呼吸して。しんと心が研ぎ澄まされていくごとに、私の胸は「他人と、ごく普通に会話をしたい」という思いで張り裂けそうになった。「私だって、人並みに青春を謳歌したい」という願望で涙があふれてきた。私だって、何気ない会話を楽しみたいのだ。誰にも馬鹿にされることなく。誰にも耳を塞がれることなく……!

 今まで、また傷つくかもしれない、裏切られるかもしれないという恐怖で、私は心の扉を閉じていた。その扉は、兄から逃れるために毎日閉じている〈完全防音の、私の部屋のドア〉と同じかそれ以上に重たく閉じていた。でも、本当は、ずっと開け放したかった。部屋から出て、誰かと一緒に笑いあいたかった。それがまさか、こじ開けて入ってくる人がいるだなんて。そのまま受け入れたら、また傷つくかもしれないけれど。でも、()のもとに出て行っても、いいんでしょう? 息苦しい、閉塞感のある部屋から出ていっても、許されるんでしょう? だったら、私は――

「さて、そろそろ体験時間も終わりだね。目を開ける前に教えてほしい。――諸君らは、今のワークで〈自分〉というものが分かったかね?」

 三島先輩の問いかけに、私は手を挙げて答えを示した。――本当は分かっていたし、知っていたんだ。私はもう、独りでいるのは嫌。他人が好きなものを苦手だと思ってたのも、そう思い込むことで〈独りでいることの大義名分〉を作りたかったから。本当は、興味があるし、大好きだった。そういう気持ちを捨ててしまったほうが悲しくて寂しいことなのに、目の前の恐怖に負けて捨ててしまった。けれど、もう二度と失いたくないんだ、って。

 目を開けていいよ、と指示すると、先輩は私たちを見渡して言った。

「答えが出た人も、出なかった人も。家に帰ったら、今一度、今のワークをやって〈自分〉を見つめなおしてごらん。そして、その答えを満たすために我がサカゲキという舞台が必要なやつだけ、明日も顔を出すといい。では、解散!」

 こうして、私のサカゲキ生活一日目は幕を閉じたのだった。

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