3
仮入部は部活動勧誘会当日からできたんだけれども、サカゲキの衝撃がすごすぎて、その日は帰宅することにした。そして家に帰ってからは自分の部屋で、もらったチラシとか、入学式の日にもらった冊子を眺めて頭を悩ませた。――どういう部活だったら、しゃべらず過ごすことができるかな? 可能な限り、人と関わらずに過ごせるかな? そもそも、そんな部活、あるのかな……。
翌日の放課後から、私も他の子たちと同じように部活動の体験をして回ることにした。仮入部期間はそんなに長くはないから、その期間中に全部の部活を回るのは無理。だから、いくつか候補を絞って回るしかない。とりあえず初日は、英語部に行ってみた。ひたすら英語の勉強をして資格取得を目指す部活だっていうから、誰とも話すことなく過ごせると思ったのだ。それに、勧誘会のPRタイムのときに、先輩たちが英語だけで話しているのがすごいとも思ったし。内容は、あまり分からなかったけど……。
「一年生のみなさん、体験に来てくれてありがとう。じゃあ、さっそく会話の練習してみようか」
「えっ、資格取るための勉強って、参考書を使ってやるんじゃないんですか!?」
先輩の言葉に驚いてそう尋ねた子がいたんだけれど、みんな、その子と同じように思ったみたい。どの子も、びっくりした顔をしていた。もちろん私も、びっくりというか、騙された気さえしていた。先輩曰く、試験には会話形式のテストもあるし、それ以外にも弁論大会への出場とかしているそうで。だから、活動も会話練習がメインなんだとか。ちなみに、PRのときにきちんとその旨を言っていたそうだ。……英語で。そういう大事なことは、日本語で言ってよ!
おかげで「思っていたのとは違うから」という理由で早々に退出する子が何人かいたので、私もそれに便乗した。本当に、そういう大事なことは日本語で言ってよ!
さらに翌日、私は家庭科部を体験した。料理を作ったり、お裁縫や編み物をしたりする部活である。誰とも話さないでもできる内容ではあったけど、友達と「味見してみて。超美味しくない?」と楽しそうに笑いあっている子たちがとてもまぶしく見えて。
「あなたも、上手にできたわね。美味しそうじゃない」
先輩が気遣ってそう声をかけてくれたけれど、とても申し訳ない気持ちになってしまって。「私の声が変じゃなかったら、私もああいう風に友達と楽しくお料理できたのかな」と考えてしまったが最後、まだ友達がいたころの楽しかった調理実習の思い出が心の底から噴き出してきてしまった。そしたら、何だか、ただひたすら灰色が広がるだけの世界を重しをつけて動いているような、だるくて、空虚で、何をしたって何の意味もなさないような、そんな気持ちになってきて。できあがった焼き菓子を持って帰ったんだけれども、そこに何の喜びも感じることができなかった。
さらに翌日、また別の部活にお邪魔させてもらったんだけれども、家庭科部で感じたような気持ちにしかなれなくて。こんなんで高校生活をやり遂げられるのかなと肩を落として次の日を迎えて、もう今日は部活の体験をしないで帰ろうかなと思いながら廊下を歩いていたら、急に誰かに手首を掴まれた。それと同時に、いきなり力いっぱいにグンと引っ張られた。突然の出来事に驚いて叫びそうになったけれど、グッと声を飲み込んで、手を掴んでいる人物に目をやった。――あの、小さな先輩だ!
パニックになった私は何度も腕を振ったけれど、先輩の手を振り払うことができなかった。
「っしゃー! 捕獲成功! みなの者、であえ! であえ!」
勝ち誇った先輩の号令を合図に、どこからともなく男の先輩が現れた。みなの者と言いながら、現れたのは一人だけだった。しかも、あの、仮面をつけて歌っていた人だった。
ごめんね、と言いながら、先輩は私の片腕を掴んでしゃがみこみ、もう片方の腕を私の足と足の間にすばやく突っ込んだ。
「いやああああああああ! 何でええええええええええええ!?」
もう、恥ずかしさとか、恐怖とか、声を出さないようにしなきゃとか、そういうものの全てを忘れて私は叫んだ。そして私はそのまま、先輩の肩に担がれてどこかへと連れ去られた。
(どうして、こんなことになったんだろう……)
気がつけば、私は体操着に着替えており、大勢の人たちと一緒に校門にいた。めちゃくちゃ恥ずかしい格好で担がれて、更衣室かどこかに押し込められて、小さい先輩に急き立てられながらわけも分からず着替えさせられて。あれよあれよという間に、今である。
「キミちゃんが手荒な真似をしたみたいで、ごめんなさいね」
深くため息をついて肩を落としていると、そう声をかけてきた人がいた。勧誘会のときにピアノを弾いていた三年生だ。体操服に縫いつけられていた名札を見るに、横溝という名前らしい。
横溝先輩のことを、私はすごく線が細くて、たおやかで、可憐な花のような人だと思っていた。雰囲気とか性格とかはそう感じたままみたいだけど、でも、先輩の腕は無駄なお肉がなく、筋骨隆々とまでは言わないけれど、それに近いくらいにはムキムキだった。指も、きっと柔らかで綺麗なんだろうなと思っていたのに、男の人の手のように節くれだっていた。
「私の腕と手、気になるの?」
ふふ、と先輩は笑ったけれど、私はとても失礼なことをしてしまったように感じた。慌てて俯いて首を横に振ったら、先輩はまた優しく笑った。
「大丈夫よ、気にしないで。あなたがただびっくりしただけだっていうの、ちゃんと伝わってるから。――ピアノを弾きこんでいるとねえ、こういう腕と手になるのよ。すごいでしょ」
私が顔を上げると、先輩はお茶目にウインクした。私は顔を真っ赤にしながら、何度も何度もうなずいた。
横溝先輩とそんなやり取り――とは言っても、しゃべっているのは先輩だけだったけれど――をしていると、あの小さい先輩がメガホンを首にかけて現れた。先輩は集まった部員と、そして体験入部しにきた一年生たちを眺め見ると、胸を張ってメガホンを構えた。
「いいかね、諸君。音楽とは、筋肉である!」
さも当然のようにそう言うから、一年生のうちの何人かが「はあ?」と声を上げた。私も、思わずぽかんとしてしまった。小さい先輩はそんな私たちにメガホンを突きつけると、首を左右に振って「誰だ今『はあ?』って言ったやつ!」と犯人捜しをし始めた。しかしすぐに、先輩はメガホンを構えなおした。
「今『はあ?』って言ったやつらよ。君たちは、筋肉なしに歌って踊れるとでもお思いか? できるわけがなかろう! 長時間にわたって体を支えることのできる筋肉と、そして体力がないものから死んでいく! それが舞台というものである! ……というわけで、今からこの坂を走って登りまーす。登ったら、その先にある神社の階段を一段一段丁寧に、でも走りながら登って。そんでもってお参りしたら、また一段ずつ丁寧に、でも走りながら降りて。そして校門まで走りきりましょう」
一年生の集団のここそこから、不平不満の声が上がった。でも、先輩たちは慣れているとばかりに涼しい顔で坂を登り始めた。
「吉崎さん、私たちも行きましょうか」
横溝先輩ににっこりと笑いかけられて、私もなし崩し的に走り始めた。幸運なことに、私は学校名の由縁にもなっているこの坂を登ったことも降りたこともない。通学路的に、そこを通る必要がないからだ。だから、不幸にも、この坂が意外と急こう配で〈普通に登り降りする〉だけでも大変だということを知らなかった。
(本当に、どうして、こんなことになっちゃったんだろう……!)
私は他の一年生の子たちと一緒に、走ることもできずにあえぎ苦しんでいた。すぐ後ろには小さい先輩がいて、「足が止まっているぞ」と言いながらメガホンでお尻をぽこぽこ叩いてくる。一緒に走り出したはずの横溝先輩はというと、息が上がりきって歩くのもやっとな一年生の大群を追い抜いて他の先輩たちと合流していた。――どうして、本当に、こんなことになっちゃったの……!?