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バレエの発表会にお邪魔させてもらってすぐ、秋の大会にやる演目の練習が始まった。渡された楽譜の表紙にはもちろん、〈三島君世 作〉と書かれていた。ただし、今回のお話はおとぎ話のリメイクではなく、先輩のオリジナルストーリーだった。
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玩具たちは生きていて、夜になると動き出す。そんな彼らには、語り継がれていることがある。それは〈百年に一度、玩具の国を治める王様が天上よりやってきて、新しい世界へと旅立たせてくれる〉というものだ。新世界に旅立つことができるのは、たったひとつの玩具だけ。選ばれた玩具には、とてつもなく幸せな生活が待っている。
天国で待っている友達と再会できるのか、はたまた輪廻転生を果たした友達と一緒に人間の生活ができるのか、それとも玩具の国の真の住人となって気ままに生きてゆけるのか。――その〈幸せな生活〉というのが、どんなものかを知っている者は誰もいない。だけど、〈とてつもなく幸せ〉というのだけはたしかで、その権利を得られるというのは大変名誉なことだった。
玩具たちは、権利を得るために主張する。自分がどれだけ、友達を楽しませてきたか。どれだけ、愛されてきたかを。そんな中、壊れかけのブリキ人形が、場の空気も読まずに昔を回顧する。「私は覚えているよ。あなたが笑ってくれた日々を。もう一度、一緒に遊びたいね」と。
ブリキ人形は長いこと壊れたままで、修理されることもなく玩具箱の奥底にいて、友達からは忘れられた存在だった。そんなブリキ人形のことを、他の玩具たちは馬鹿にして笑った。そして、こいつの言うことは忘れてとブリキ人形を脇に押しのけて、玩具たちは王様への主張合戦を再開させる。それでも、ブリキ人形は天国があるだろう方向を見つめて言い続ける。――私は、覚えているよ。
誰もブリキ人形を相手にしようとはしなかったけれど、最新鋭の玩具だけは「ブリキさんのお話を聞きたいな」と言ってくれる。それが後押しとなって、ブリキ人形は今は亡き友達への愛を語る。
今まで、優劣を競い合っていた玩具たちは自分を恥じた。そして、ブリキ人形のその想いこそが玩具には大切なものだということを思い出した。
「ブリキ人形こそが、権利を得るにふさわしい」
玩具たちは全員、そのように感じて王様にそう訴えた。王様は彼らにうなずくと、ブリキ人形を新しい世界へと連れて行ったのだった。
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それは、とても切なくて。だけど、最後は心が温まるような、とてもきれいなお話だった。こんなことをまた思ったら失礼だとは思うけれども、これがあの三島先輩の中から生まれ出たお話だなんて。本当に、すごいとしか言いようがなかった。
台本をもらってから、私は何度も何度もそれを読み返した。そして、ブリキの人形にとても共感した。私はこの子と違って、最終的には自分で独りぼっちになることを選んだけれど。それでも、心の、自分でも気づかないくらいに奥底のほうでは〈もう一度、人と触れ合いたい〉〈独りぼっちは嫌だ。友達が欲しい〉と思っていた。周りから馬鹿にされ、さらに忘れ去られて空気のように扱われるようになって、その現状に悲観してても。無意識に、人とのつながりを求めていた。だから、ブリキちゃんが「もう一度、一緒に遊びたいね」と今は亡き友達に向かって語りかけ、会いたい、そばに居させてと訴えるさまは、思いの美醜に違いはあるかもしれないけれど、三島先輩に本心を見抜かれて泣きじゃくった入部前の私自身の姿を思い起こさずにはいられなかったのだ。
もしも私が、この役に抜擢されたら――。ブリキちゃんの心の叫びを、しっかりと観客に伝えることができるだろうか。友達との楽しかった思い出、壊れたことで忘れ去られてしまった寂しさ、直ることもなく再び一緒に遊ぶこともできないまま友達と別れた悲しみを。ちゃんと表現できるだろうか。
歌えるようになって、先生や先輩からいろんなことを教わって。生の舞台ではなくDVDでだけど、いろんなお芝居を見て、見えるもの、聞こえるもの、感じるものは何でも吸収しようと思って。だけど、それでも、自分には足りないものが多いというのは分かってる。部員の中で一番歌が上手というわけではないし、先輩たちのように場数を踏んでるわけでもないし。美澄さんのように、指先ひとつで感情を伝えられるような技術もない。それでも、もしも――。
そんなことを空想して、淡い期待をしていたんだけれど。もちろん、私に役がふられることはなかった。先輩たちにとっては、これが最後の舞台になるかもしれないから。役付きは先輩たちが優先。例外は美澄さんだけで、彼女は踊り子人形の役に抜擢された。あとは、さもにゃん。横溝先輩がいよいよ受験に集中することになったから、さもにゃんが伴奏を任された。
それでも、私は落胆なんてしていなかった。何故なら、なんと私も舞台に出るからだ! 〈選ばれる権利〉を主張する玩具たちとブリキちゃんを傍観しながら、はやし立てたり場を盛り上げたりする群衆のひとりではあるけれど。とうとう、私は三島先輩の舞台に立つのだ。私も、ブリキちゃんの舞台の一部になることができるのだ。それだけで幸せだと思えた。しかも、群衆も人数に限りがあるから、全ての歌唱組志望の一年生が出られるわけではなかった。空いていた枠は三人分。ありがたいことに、私と圭吾君はそこに選んでもらえたのである。こんなに嬉しいことはないなと、頑張って努力を続けてきてよかったなと、心の底から思った。
たとえ群衆であっても、ただぼんやりとそこにいればいいというわけではない。その世界を創り上げるためのパーツの一部として、しっかりと存在しなければならない。だから、役付きの人たちを引き立てるための背景の一部とはいえ、気は抜いたらいけない。私は、どうしたらブリキちゃんたちの住まう世界の一部になれるだろうか、どうしたらブリキちゃんたちの仲間の一人としてそこで生きることができるのかを、私なりに一生懸命考えた。どう振舞えばいいのか、どこまでなら不自然にならないかを精いっぱい模索した。
それから、さもにゃんのピアノの練習に付き合った。合唱の伴奏とはまた少し毛色が違ってくるらしくて、ひとりひとりの歌いかたや息遣いによって、楽譜に書いてあるよりも若干早くしたり遅くしたり、音を溜めたりしなければいけないらしくて。そういう弾きかたに慣れていないから、先生や先輩から「そこ、もう少し遅く」などの指示をもらって、歌い手の人の呼吸や動作を見ながら調整しても、気持ちがはやっちゃうそうで。お昼の自主練のときに、私と裕子ちゃん、そして圭吾君のいつもの三人でさもにゃんの特訓のために、いろんな役の歌を歌った。それは、群衆の練習と同じくらい楽しかった。
何度も台本を読んで、何度もそうやって歌っていたから、いつの間にか自分が群衆として出るところ以外のセリフや歌も覚えていて。部活からの帰り道の、周りには誰もいないところで、圭吾君とふたりでこっそり歌ったりお芝居したりして遊んだ。裕子ちゃんやさもにゃんとも〈他の役ごっこ〉したかったけれど、さもにゃんはピアノ、裕子ちゃんは衣裳製作でとても忙しくしていた。
九月に入ると、文化祭の準備が始まった。クラスの出し物の準備と掛け持ちして舞台上での稽古をするのは大変だったけれど、とても充実していた。このころにはクラスの中にも何人か仲のいい子ができていて、あのしゃべることすら嫌がった私が壇上にということに、とても驚いてくれた。そして、励ましてもくれた。絶対見に行くね、楽しみにしているねと言われるたびに、怖くなる気持ちも正直まだ少しはあったけれど、それでも期待に応えたいという気持ちのほうが勝った。三島先輩の舞台を、ブリキちゃんのお話を、最後まで楽しんでもらいたい。そのためにも、私も頑張らなければと強く思った。
裕子ちゃん渾身の衣装ができあがって、それに袖を通したときは胸が高鳴った。衣装の半分くらいは過去の使いまわしで手直ししただけだそうなんだけれど、今回の舞台用にと新規で作ったものもいくつかあって。私の衣装は、その〈新規で作ったもの〉のうちの一着だった。なお、ブリキちゃんや最新鋭のロボットの玩具なんかは材木屋の子が張りぼてで作っていた。こちらも力作で、手先が器用で何でも作れちゃう人ってすごいなって、とても感心した。
歌唱部分以外で音楽の流れるところは作曲を担当してくれているOBの先輩がパソコンのソフトで打ち込みをしてくれているんだけれど、歌唱部分はひとりひとりに合わせてさもにゃんが弾くことになっていた。
ブリキちゃんのお話は演劇大会でも披露することになっていて、そこでは舞台装置の設置と撤去で合計三十分、演目自体は六十分以内と定められている。そんな準備、撤去を短時間に済ませなければいけない中、ピアノを運んでくるなんてことはもちろんできない。だから、文化祭前にピアノ伴奏部分も録音して、文化祭で公演するときに実際に録音したものを使ってみて、直す必要がありそうなら大会までに調整しようということになっていた。でも、さもにゃんは、歌い手がいない状態でも、まるで歌い手がいるように全ての曲を弾ききった。さすがとしか言いようがなかった。
文化祭での評判は上々で、少しの見直しと、完成度を高めるための練習に努めようということになった。クラスの子たちもたくさん見に来てくれて、すごくよかったという感想をいっぱいくれた。たくさんの人を魅了した舞台の一部になれたことに、私は少しばかり誇らしい気持ちになった。ちなみに、お母さんも見に来てくれたんだけど、嬉しそうに泣いていた。独りぼっちで、人がいるところでは声を出すのも嫌がった私が、たくさんの仲間や友達に囲まれていて。群衆のひとりとはいえ、舞台に立って歌ったり踊ったりしている。それが、本当に嬉しかったらしい。安心したように笑うお母さんの姿を見て、私も嬉しい気持ちになった。
「さあ、次はいよいよ、お待ちかねの地区大会だよ! 気張っていこう!」
文化祭の打ち上げで、三島先輩がそう吠えた。私たちは、熱をたぎらせる先輩に続いて高くこぶしを振り上げたのだった。