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春大会は、赤ずきんちゃんをやった。ミュージカル仕立てにするべく、もとの童話の内容に三島先輩が歌やセリフを書き足したものだ。作曲はOBの先輩で作曲を専門的に学んでいる人がいるらしく、その人が手掛けたそうなんだけれど。そのおかげなのか、あの三島先輩からは想像もつかないような、とても可愛らしい雰囲気の作品となっていた。特に素敵だなと思ったのは、赤ずきんちゃんがお花畑で花を摘むシーン。色とりどりのお花たちが「私を摘んで」「いいえ、私を」と鈴が転がるような綺麗なハーモニーで歌う中、蝶々が一匹軽やかに舞うのだ。その蝶々は、一年生の中で唯一春大会に演者として参加した美澄さんだった。
照明の仕事を仰せつかった私は、カラーフィルターを交換しながら、美しく舞台を飛んで回る蝶々の姿を目で追った。さすがは美澄さん、バレエで舞台慣れしているからか、とても堂々としていて。蝶々の儚げな雰囲気をしっかりと表現していて。そして「私を、私を」と迫っていき、一緒に赤ずきんちゃんと踊りだすお花たちをかき分けながら「駄目よ、赤ずきん。お母さんの言葉を思い出して」と一生懸命に赤ずきんちゃんを心配する姿は、とても優しかった。
そうそう、もうひとつびっくりしたことが! オオカミ役は高木先輩だったんだけれども、あの勧誘会のときのような朗々として厳かで、ちょっと怖い感じとは真逆の、とてもコミカルな演技と歌いかたをしていたのだ。演技をする人にとっては当たり前のことかもしれないけれど、そんなきっぱりと違う色の演技ができるってすごいなって、心の底から思った。高木先輩は歌もお芝居も高校に入ってから初めて学んだそうなんだけれど、私も頑張れば、来年の今ごろには高木先輩のようになれるんだろうか。
大会の成績は上々で、先輩たちは先生と一緒に「これなら秋からの大会もいい線いけるかもしれない」と喜んでいた。私は、そんな先輩たちを眺めて嬉しい思いを抱きつつも、美澄さんの舞台上での姿を思い返しては本当にすごいなあと何度も思った。
三島先輩は、いつか私をステージの華にしたいと言ってくれたけれど。本当に、私もいつかは美澄さんみたいにステージに彩を添えることができるようになるんだろうか。とても想像はつかないけれど、でも、そうなれたらいいと思ってどきどきした。
ふと、私はあることを疑問に思った。というのも、この大会で歌劇をやったのは、うちの高校だけだったのだ。他の高校は、歌ったり踊ったりはしないで普通に演技だけ……演劇部の名の通り、演劇をしていたのだ。そう言えば、私たちが出たこの大会も、これから目指す全国大会も演劇の大会だった。どうしてなんだろうと三島先輩に尋ねたら、あっけらかんと答えが返ってきた。
「ミュージカルやオペラ専門の大会がないんだよ。それに、演劇大会だからって歌劇をやったら駄目ってことはないから。だから、演劇大会に出るってわけさ」
そこから、大会や部活、そして先輩のことを改めて聞いた。
小学校は演劇やミュージカルの巡回公演がやってくることがあるんだけれど、先輩は小学校に入ってすぐのころにそれを見て、ミュージカルにぞっこんになったという。それ以来、先輩は〈お話の虫〉と化したそうで、休み時間は学校の図書館で借りてきた本を読み、おうちに帰ってきてからは街の図書館で借りてきた視聴覚資料や衛星放送の演劇系チャンネルなどで観劇する毎日を送ったらしい。
「誕生日やクリスマスには演劇や歌劇のDVDをおねだりし、お年玉の代わりにもDVDを所望するお子様だったんだよね、私」
「だったじゃないだろ、今もだろ」
横合いから高木先輩がそうツッコミを入れてきて、三島先輩は不機嫌に顔をしかめると「うるさい」と言って高木先輩にひじ打ちをお見舞いした。私は先輩たちのやり取りにクスクスと笑いながらも、三島先輩に尋ねた。
「なんで役者じゃなくて作家や演出家になろうと思ったんですか?」
「吉崎さん、それ、絶対に聞かないほうがいいよ」
私を心配するように表情を曇らせた高木先輩に、三島先輩は再びひじを思いきり入れた。そして痛そうに悶える高木先輩のことを構うことなく、三島先輩はにやりと笑って言った。
「舞台に関わる仕事がしたいと思って、いろいろ考えてみたときにさ。気づいちゃったわけよ。作家や演出家なら、どんなに著名な役者も私の手のひらの上で踊らせることができるって。想像したら、もう、最高にゾクゾクしたね」
三島先輩は、どこまで行っても三島先輩だった。先輩は作家や演出家になろうと決めてからは、人間観察も趣味のひとつになったそうだ。お話やキャラクターを作るうえで、いろんな性格の人がいるというのを把握しておいたほうがいいだろうという理由らしい。だから私はあんなにも、先輩に見つめて、見つめて、見透かされたんだろう。
高木先輩が心配してくれた通り、ちょっとゾッとしたけれど、でも、三島先輩らしいなと思ったら、何だかおかしくて。
「すごく、先輩らしいです」
「笑うほどかい。まあ、いいよ。そのうち、あんたも私の手のひらの上で踊るんだ。笑っていられるのも今のうちだからね!」
私はうなずきながら、先輩にお願いした。おすすめの舞台のDVDを貸してほしいって。舞台を創り上げるということに参加して、生の舞台を目の当たりにして。そして先輩の話を聞いて、もっと〈知りたい〉と思ってしまったからだ。もっと、舞台のこと、お芝居のこと、歌劇のことを知りたい。知って、私も先輩やみんなと一緒に学校の教室では見られない世界を見てみたい。そう、強く願ってしまったからだ。
「明日、さっそく持ってくるよ!」
そう言った先輩は、とても嬉しそうだった。そして私は、大会の翌日から〈帰ってきたら手早く宿題を済ませて、DVDを見る〉という毎日を送るようになった。
夏休みが始まってすぐに、美澄さんのおうちがやっているバレエ教室の発表会があった。是非見に来てということだったから行ってみたんだけれど。言葉がなくても、踊りだけで喜怒哀楽やストーリーが分かるというのが、本当にすごくて。ほんの少し指先を動かすだけでも、いろんなものが伝わってきて。すさまじく、エネルギーがつめこまれていて。〈感情を伝える〉というのは、ものすごく奥深いんだなと感動しきりだった。
「バレエも、歌劇も。突き詰めていく作業はとても苦しいけれど。でも、そこを抜けるとね、すごく気持ちがいいのよ」
涼やかな表情でそう言う、美澄さんはとても凛としていて。本当にかっこいいと思った。三島先輩に、裕子ちゃん。さもにゃんに、圭吾君。そして、美澄さん。私の周りには、かっこいい人ばかりだ。
「私も、気持ちよくなれるかな?」
「さあ、それは吉崎さん次第だから」
美澄さんにはすげなくそう言われてしまったけれど、さもにゃんがきょとんとした顔で私を見つめてきて。
「琴音はもう、体験しているじゃない。だからきっと、これからもそういう体験できるわよ」
さも当然という感じでそう言うものだから、私は驚いてしまって。いつそんな体験をしたんだろうと戸惑っていたら、美澄さんがさらりと「尋ね人ドね」と言ってうなずいて。――ああ、そうか。たしかに、ドを探す旅はつらかった。でも、完全に捕らえることができたとき、私はとても清々しい気持ちになったんだった。それに、初めて介護施設で歌ったときも。とても、心が湧きたったのを感じたんだった。
それなら、私も知っている。知っているから、もう一度、ううん、何度だって求めることができるだろう。私は、今よりももっと感情を爆発させてみたい。そのためにも、もっとたくさんのことを知って。そして何度も試行錯誤しよう。もっと感情を! もっと、その先へ! もっと、明るい場所へ! ――そう思いながら、私はどこまでも気持ちよく広がっている青い空と白い雲を眺めたのだった。