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泣き止んでから、私はあの日のことを先輩たちに話した。三島先輩はまた「殴ってやろう」と息巻いて、それをまた高木先輩が止めた。その後、裕子ちゃんたち一年生組が口々に「お兄さんは分かってない」と言った。
「吉崎のソプラノ、めっちゃ可愛くてヒロイン感あっていいじゃんな。俺、正直、羨ましいもん」
「え? 宮本、あんた、2.5志望なんでしょう? あれって、男優しかいないのに?」
「えっ、さもにゃん、あの雑誌読んでるわりに知らないの? アレやコレもミュージカルになってて、女優さんもたくさんいるんだよ?」
「えぇっ、裕子、それ本当に!?」
きゃいきゃいと楽しそうに話し出した裕子ちゃんとさもにゃんの光景を、私はとても懐かしいと感じた。学校を休んだのはたった三日ほどだけど、私にとってその三日はつらくて苦しくて、とても長い三日だったから。
思わず顔がほころんだ私に、圭吾君が言った。
「吉崎、知ってる? お前とハモるの、すっげえ気持ちがいいんだよ」
「やだ、宮本、気持ちの悪いこと言わないでくれる?」
さっきまで裕子ちゃんと盛り上がっていたさもにゃんが急に真顔に戻って、圭吾君を蔑んだ。怒って「はあ!?」と声をひっくり返した彼に続いて、高木先輩が苦笑交じりに言った。
「笹森さん、誤解しないであげて。宮本君が言いたいのは、吉崎さんの声、透き通ってて綺麗だから、それにぴったりハモれると良い気分になれるってことだと思うよ。ランナーズハイならぬ、シンガーズハイ的なさ」
なおも圭吾君をじろりと睨み続けるさもにゃんに、圭吾君は「先輩の言う通り」というかのように必死にうなずいた。その様子を見ていた裕子ちゃんが唐突に、ボランティアで歌う予定の曲のうちの一曲を歌いだした。彼女が歌っているのは、アルト音域だった。それに続いて高木先輩がバス音域を、圭吾君がテノール音域を歌いだした。ピアノ担当のさもにゃんは、参加できないのがもどかしそうにもぞもぞと身じろいだ。三島先輩はというと、得意げに指揮者っぽいそぶりを見せた。
みんなが歌いながら、私がハーモニーに加わってくるのを待っていた。私は恐る恐る、そこに飛び込んだ。最初はやっぱり、いろいろと思い出してしまった過去の嫌なこととか、電話越しに聞いた〈この子は向いてない〉という言葉に囚われてしまって全然声が出なかったけれど。みんながにこやかに、とても楽しそうに歌い続けてくれて、三島先輩やさもにゃんが〈大丈夫だよ〉という感じの笑顔でウンウンとうなずいてくれたおかげで、最後のほうにはすっかりと〈怖い〉という気持ちを忘れていた。――のびのびと自由に声が出せるって、こんなに気持ちがよかったんだ。それに、圭吾君が言ってた〈ハモると気持ちがいい〉というのも、何となくだけど分かった気がした。カチッとはまると、とても気持ちが上がって楽しくなってくるというか。
頬が上気して、胸はドキドキして。何とも言えない高揚感を覚えていると、三島先輩がにやりと笑った。
「その笑顔、いいね。〈楽しい〉って顔してるよ。――その調子で、明日もサカゲキで笑顔になろう」
私はしっかりとうなずくと、今度こそ〈自分の声に対する負の感情・思い出〉を手放した。
先輩たちが出場する春の大会に使う道具ができあがってきて、私たち一年生も裏方の仕事が振り分けられて。それの練習をしながら、とうとう介護施設でのボランティア歌唱の当日を迎えた。
人前でパフォーマンスをするだなんていう大それたことを、一度巣ごもりして逃げた私なんかにやりきることができるのか。たくさん練習してはきたけれど、ちゃんとその通りにできるのか。不安で押しつぶされそうになって、私は久々に泣いてしまった。だけど、裕子ちゃんと圭吾君が励ましてくれて。さもにゃんが大丈夫だと太鼓判を押してくれて。みんなが私のことを信じて、信頼してそのように言ってくれていると感じることができたから。私は、その思いを受け取って弱気な自分に喝を入れた。
それでも、やっぱり緊張しないというわけにはいかなくて。ホールに集まってくれているお年寄りの方々の前に整列したときは、胸がバクバクいってて吹き飛んでいってしまうんじゃないかと思った。でも、さもにゃんが弾くお辞儀のための音を聞いたらリラックスしてきて。私たちの歌を、心行くまで楽しんでもらおうという気持ちになってきて。歌い始めたら、楽しくて。気がつけば、お年寄りの方々も一緒になっての大合唱となっていた。
ホールにいる全ての人たちが楽しそうに歌っている。この光景を目の当たりにして、私は目の前が一段明るくなるような感覚を覚えた。それと同時に、あたたかくて、色で例えるなら桃色かオレンジの風がブワッと吹き上がるような感じもした。それはとても気持ちがよくて、幸せで、いつまでもその中に漂っていたいと思えるものだった。
(感情を伝えるって、気持ちがいい。そして、感情が伝わるって、もっと気持ちがいいんだ……!)
割れんばかりの拍手を受けて、おしまいの合図のお辞儀をしながら私はそう思った。そして、いつまでも素敵な笑顔を向けてくださっているお年寄りの方々に感謝するとともに、改めて、こういう体験をもっともっとしてみたいと思ったのだった。