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サカゲキ!  作者: 内間飛来
尋ね人はド
11/24

 翌日、私たちは午前中の授業が終わると、お弁当袋をひっつかんで体育館に走った。すれ違った先生に「廊下は走らない!」って怒られたの、何年ぶりだろう? そして、慌てて早歩きに切り替えながら、友達と笑い合ったのって、何年ぶりだろう? そんな他愛ないひとつひとつのことが、とても輝いてるように感じで、どきどきわくわくした。

 ピアノの鍵を借りてくるからということで、一旦笹森さんと別れて。私は裕子ちゃんとふたりで先に体育館に向かった。壇上にあるピアノの脇に陣取って笹森さんを待っていると、走ってやってきた彼女が呆れた顔で私たちを見下ろした。

「先にご飯食べててくれてよかったのに」

「うん、でも、みんなで一緒に食べたかったから」

 そう返すと、笹森さんはほんのり顔を赤くして俯いてしまった。それに釣られて、私も顔が赤らんだ。私、もしかして、結構恥ずかしいこと言ったのかな?

 裕子ちゃんがにやにやと笑いながら「さあ、ちゃっちゃと食べちゃおう」と言って、私たちはようやくいただきますをした。

「先生に話したら、声をかければ午前中のうちに鍵貸してくれるって。返すのは部活のときでいいそうだから、明日からは時間の限り練習ができるわよ。それから……」

 笹森さんは膝の上に置いていたお弁当箱を脇によけると、楽譜が入っているだろうトートバッグの中からあるものを取り出した。――それは、なんと、漫画雑誌だった。

「正しい姿勢について、他に注意点がないか聞いてみたの。そしたら、ヒールの高さが五センチから七センチくらいのパンプスを履くと、ほどよくリラックスした状態でスッと立てるんですって」

「あ、私もネットで調べたよ。つま先に重心を置くといいんだっけ? だから〈かかとのある靴〉なのかな?」

 私がそう尋ねると、笹森さんが小首を傾げた。

「私も調べて、その情報を見てね。それで先生に聞いてみたら『それだと、体が変に力む』んですって」

「でも、だからって、何で漫画雑誌なの? しかもそれ、最新号じゃん! なのに表紙にデカデカとサカゲキって書いて……もったいない!」

 裕子ちゃんが、いろいろと納得がいかないという感じで口を尖らせた。どうやらかかさず買っている雑誌だったみたいで、彼女はぶつぶつと「素敵な表紙が」とか「まだ私は買えてない」とか言っていた。思わず、私も笹森さんも笑ってしまった。

 笹森さんは、私にその漫画雑誌を差し出した。そして、立ってみて、と言った。

「その雑誌にかかとだけ乗せて立ってみて」

 私はお弁当箱を膝から降ろすと、雑誌を床に置いて、笹森さんのアドバイス通りにしてみた。――何これ、姿勢が自然と伸びる!

 裕子ちゃんは依然「ああ、最新号が」って言っていたけれど、私はもう目からうろこで感動しきりだった。笹森さんは私の反応が嬉しかったのか、にこにこと笑っていた。

「ね、すごく気持ちよく立てるでしょう? 体はリラックスしてるし、つま先にも変な力が入らないし。表紙にサカゲキって書いておけば、備品とみなしてくれるってお墨付きもらったから持ってきてみたんだけど。持ってきて大正解ね」

「すごい! すごいよ、笹森さん! やっぱり、笹森さんはかっこいいよ! すぐに行動に移して! 私も見習わないと!」

 私は興奮気味に、笹森さんを見つめた。彼女は、照れくさそうにもじもじしていた。でも、本当にすごいと思ったんだ。正しい知識を身に着けるための貪欲さが、私とは段違いで。私は素直に、彼女を尊敬した。

 笹森さんは、なおも照れくさそうに頬を染めて言った。

「よかったらだけど、今度のお休みに、一緒にパンプスを見に行かない? 一足持ってたら、こういう練習のときにも重宝するでしょうし」

「えええ、いいの? でも、どうしよう、私、友達とおでかけなんて、何年ぶりかなあ?」

 私は興奮気味に、目を白黒とさせた。念願の友達ができて、その直後に〈一緒におでかけイベント〉だなんて! まるで、青春真っ盛りの高校生みたいだ。登下校以外はずっと引きこもる生活をしていたから、実はまともな洋服もあまり持っているとはいえない。そのことについてブツブツと悩んでいたら、裕子ちゃんが目を輝かせて「じゃあ、洋服も一緒に何着か買おう」と提案してくれた。――わああ、どうしよう。どうしよう! お母さんに、お金もらわないと!

 一緒に出かけることが決まってホッとしたのか、笹森さんはキリッと真面目な顔つきでお弁当を手にして言った。

「さ、早く食べ終えて、音取りしましょう。雑誌、一冊しか持ってこられなかったから、譲り合って使ってちょうだいね」

「うん、ありがとう!」

「ねえ、終わったら、それ読んでもいい?」

 パンプスに洋服にと話題が転々としたのに、裕子ちゃんはいまだに〈まだ読んでいない最新号〉というところを引きずっていたようで。本当に本当に羨ましそうに、まるでトランペットを見つめる子どものように雑誌を見つめてそう言った。笹森さんは弾けるように笑うと、「部活が終わって学校を出たら、こっそりね!」と返事した。


 私たちのドを探す旅は、ハ長調を覚えるところから始まった。ピアノを弾いてもらいながらなら音階を上り下りできるんだけれど、ピアノなしで歌うとソから上に行くときに音が上がりきらなくて、上のほうのドに綺麗に着地できなくて。下り道も、恐る恐る降りるものだから、ファから下がもたついてしまう。なので、まずはしっかりとハ長調を体に覚えこませる作業を専念することにした。

 あと、笹森さんが座学をしてくれた。私は、先生が黒板に書きだしてくれた調号と何調っていうアレを、見た目そのまま丸暗記しようと思っていたんだけれど。実はもっと簡単な覚えかたがあるそうで。

「シャープの記号はね、ファ、ド、ソ、レ、ラ、ミ、シの順番で付いていくのよ。でね、ファにシャープのときの長調はソから。ドまでシャープが付いているときの長調は、レから始まるの」

「つまり、最後にシャープがついてる音の〈ひとつ上の音〉が、私にとってのドになるってこと?」

「そう、その通り! だから、ハ長調で楽譜の読みかたを覚えて、あとは調号のつく順番を暗記するだけでいいの。フラットのほうにも同じような法則があってね――」

 後日、先生が約束通りレジュメを配ってくれたんだけど、そこにもこの笹森さんが教えてくれたことが書いてあった。先に笹森さんが教えてくれて、一生懸命にそれを暗記して、三人で適当に楽譜を開いては調の当てっこをしていたから、この数日で、私と裕子ちゃんは笹森さんを除く一年生の中で一番楽譜が読めるようになっていた。

 音楽を少しでもやっている人からしたらできて当たり前のことかもしれないけれど、頑張ったことが結果として現れるという経験をあまりしてこなかったから、私は素直に嬉しく思った。笹森さんも自分のことのように喜んでくれて、私の〈嬉しい〉という気持ちはより一層強くなった。そして――

「ねえ、吉崎さん。最初、あなたがサカゲキの入部届を持ってきたときに、私、すごくびっくりしたのと同時に不安に思ったんだよ。入学式のあとの自己紹介の件もあったし。君世(きみよ)が無理やり連れてきたって、高木君からも聞いていたし。本当にいいの? 大丈夫? 無理してない? って思ったんだけれども。――この数週間で、あなた、すごく変わったね。すごく、毎日が楽しそうで素敵だよ」

 日直の日に、学級日誌を向坂先生のところへと持って行ったときに。先生は私にこっそりとそう話して微笑んだ。私は、変わるきっかけをくれた三島先輩のことを、寄り添ってくれた裕子ちゃんのことを、一緒に変わろうと努力してくれている笹森さんのことを誇らしいと思った。そして、その三人や先生の気持ちにもっと応えていきたいと強く思った。

「あの、私、きっともっと変わっていくと思います。サカゲキのおかげで、私はもっと変わっていきます。――先生、自己紹介のとき、無理に話させようとしないで庇ってくださって、ありがとうございました。怒らないでいてくれて、ありがとうございました。そして、今の私を素敵だと褒めてくださって、ありがとうございます!」

 先生は、最後までにこにこと笑っていた。本当に、感謝しかなかった。

 周りのたくさんの人に支えられて、手を引っ張ってもらって、少しずつ変わっていく。それは、勇気を出して一歩を踏み出すたびに、世界に色がひとつ足されていくような感覚。そして、ほんの些細なことですら、楽しくてわくわくするくらい、心も体も軽くなっていく。気がつけば、私はゴールデンウィークを待たずして、クラス内でそこそこ話せるようになってきていた。きっと、みんなにとっては当たり前だけど私には無理だと思っていたことが、今後はもっとできるようになっているだろう。もっと、世界が色鮮やかに輝かしく見えるようになっているだろう。そのときに、私の手をとってくれている人たちともっと笑えるようになっていたい。

(そのためにも、まずは、早くドを捕まえなくっちゃ……!)

 心の中で自分自身に喝を入れると、私は先生に挨拶して職員室をあとにした。

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