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日米蜜月 〜戦後編〜  作者: 扶桑かつみ


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フェイズ117−2「イスラム世界の混乱(1)」

 「イラン・イラク戦争」は、1980年9月22日にイラクの攻撃によって始まった。

 

 根底には、イスラム教世界でのスンナ派(スンニー派)とシーア派の対立、アラブとペルシャの対立があった。

 イラクがソ連の誘いに乗ったという点も見逃せない。

 しかしイラクが激発したのは、順調に近代化を果たし、国力と軍事力を大幅に拡大させたイランに対する恐怖心だった。

 イランとは単に国境を接するだけでなく、イラク国内にはイランと同じシーア派が非常に多いため、他のアラブ諸国よりも受ける脅威は弱くはなかった。

 イランがスンナ派諸国に融和外交を展開するのもイラン側に余裕があるからで、アラブ諸国が受動的に受けたに過ぎない。

 

 そしてイラクが感じた恐怖は、主にペルシャ湾岸のアラブ諸国の多くが感じた恐怖(脅威)でもあり、イラクはアラブ世界を代表してイランと戦端を開いたとも言える。

 

 この場合、イランがシンガポール条約機構に属している事は、あまり関係なかった。

 シンガポール条約機構は、反共産主義を目的とした安全保障条約で、共産主義国、社会主義国以外の1国同士での戦争には機構参加国は参戦しない事になっていた。

 これは加盟国同士、第三国同士の不和が全くないわけでなく、また共産主義陣営の謀略を避けるための措置だった。

 アジアはヨーロッパほど二色に分けられているわけではないからだ。

 それをイラクは逆手に取った事になる。

 

 イラクの開戦理由は、古くからペルシャ(イラン)の侵略を何度も受けた地域の失地回復とされ、一応は外交決着していた約束(アルジェ協定)を無視していたが、それも当事者にとっては些細なことに過ぎなかった。

 開戦理由は、ほとんど建前や名目に過ぎなかった。

 上記したようにイランが怖かったからだ。

 

 またイラクは、無策のまま戦端を開いたのでは無かった。

 戦争までに、主にソ連からほとんど秘密裏に多数の兵器を購入して部隊を整えた。

 

 一方でイラン軍に対しては、近隣で最も大きな軍事力を保有している事が分かっていたので、ソ連がアフガン侵攻に合わせるという形をとって中央アジアに軍備を集中的に配備し、イラン軍の関心とかなりの兵力をイラン北東部国境に集めさせた。

 しかもイランは、ソ連のアフガン侵攻に反対していた為、イラン側としても示威を兼ねた軍備の北東部への集中を行った。

 


 イラク軍の攻撃は、奇襲で始まる。

 

 イラク軍は近代戦の定石通り、航空兵力を用いて敵の空軍基地を奇襲攻撃し、敵の空軍力を殺ごうとした。

 そしてその上で準備していた地域から地上侵攻し、短期間で敵戦力を撃破すると共に戦争目的を達成しようと構想していた。

 この時点では、長期戦など全く考えていなかった。

 そもそもイラクに、長期戦を戦うだけの国力も軍事力も無かった。

 

 しかし戦争には相手がいた。

 

 イラン軍は、第二次世界大戦後主に日本軍の指導を受けて順次近代化が行われた。

 そして日本がアメリカを中心とする自由主義陣営の有力国であるため、日本軍が指導したイラン軍も多くが日本風ながら西側に準じた軍制が導入された。

 シンガポール条約機構にも所属しているので、日本、満州などの駐在武官も多く滞在していた。

 

 またイラン軍は、特にソ連に対して純粋な国防軍である事が第一とされているため、防衛のための軍事力の建設に力が入れられた。

 そして巨大なオイルマネーによって、主に日本から大量の武器を購入した。

 さらには1970年代には、国内での産業の発展によって一部兵器の自力生産にまで取りかかり始めるほどとなっていた。

 兵器の輸入は日本が過半を占めるも、アメリカ、イギリス、フランス、満州など西側の有力国の兵器も購入しており、1980年の時点ではインド連邦を上回り近隣で最も装備の整った巨大な軍事力を有するようになっていた。

 

 必要性の低い海軍はおざなりに等しかったが、主にソ連軍と対峙する空軍の精強さは、イスラエル空軍に匹敵するとすら言われていた。

 このためアラブ諸国の一部には、宗派の違いを越えてイランをイスラエルに向けるため友好関係を深める向きも強かった。

 何しろ、中近東でも最強の軍事力を持つことにもなるからだ。

 


 そしてイラク軍の奇襲に対してだが、イランの国内の各所に設けられたレーダーサイトが、明らかに戦闘行動を取る多数の未確認機を確認する。

 イラン軍のレーダーサイト網は北部のソ連軍に対して分厚く設置されていたが、主にソ連の遠距離攻撃を警戒して南西部の油田地帯にも濃密に建設されていた。

 またレーダーサイトと連動して、広域防空を行う地対空ミサイル部隊も配備されていた。

 しかしこの時は、ソ連軍の行動に対抗するため移動可能な対空ミサイル部隊の半分以上が、アフガニスタンに近い北東部に集中されており、イラクが依頼したソ連の謀略は成功を納めていた。

 

 しかしイラン国内と国境近隣を隙なく覆うレーダーサイト網は、確実にイラク軍機を捉えていた。

 

 その数100機以上。

 

 第一線機を450機以上保有しているイラン空軍が相手なので、イラク空軍としては総力を挙げて攻撃を仕掛けていた。

 

 イラン空軍の保有する機体のうち輸送機や偵察機を除く70%以上が戦闘機で、大半がソ連に備えた配置が行われていた。

 イラクに向けられているのは、油田地帯を守る航空隊とソ連のコーカサス山脈方面を担当する航空隊になる。

 また首都テヘランから近いカスピ海がソ連との境界にもなるため、首都防空隊として精鋭の戦闘機隊が配備されていた。

 残りの25%は基本的には戦闘攻撃機なので、補助的に戦闘機としての役割を果たすことができたが、これらも多くはソ連に向いていた。

 

 このためイラク空軍が当面脅威とするべきイラン空軍機は、約150機程度になる。

 

 しかしイラン空軍は、西側の列強特に日本と同じ状態の維持を心がけていた。

 兵器の調達はもちろん、補給、整備部品の用意、そして兵士の訓練も高い水準にあった。

 このため平均稼働率は最低でも50%以上、この頃は平均70%を越えており、自力での兵器生産能力を持たない国、途上国もしくは新興国としては非常に高い水準を持っていた。

 (※冷戦時代は兵器数を多めに装備するので、先進国でも稼働率は総じて高いとは言えない。)

 そしてイラン空軍の一番の特徴が、日本、満州と同じ警戒網と航空管制システムを持ち、航空機は地上からの正確な情報に従って効率的に任務を行える点だった。

 当たり前と考えられがちの事だが、統合的で有機的な司令部組織、レーダーサイトなどの設置と維持には、意外に経費と手間がかかるし兵士の訓練も必要なので、列強と呼ばれる国以外ではほとんど保有していないのが一般的だった。

 だがイランは、ソ連と国境を接する事と隣国インド連邦と対ソ警戒で連携すること、場合によっては日本軍とも共同作戦することを考え、時代時代の最新鋭の情報通信システムを揃えるようにしていた。

 極東での負担軽減のためにも日本、満州も熱心に指導した。

 特に1975年以後は、イランの防衛力は格段の向上を見せつつあった。

 


 イラン空軍の数の上での主力は、日本の中島飛行機が輸出用として開発した「二〇式戦闘機(隼II)」だった。

 

 「隼II」は、当時日本国内で三菱に大きく押されていた中島に、政府が開発させたものだった。

 この経緯は「隼II」のライバルである、アメリカの「F-5 タイガーII」と似ている。

 戦闘機の性能や用途も「タイガーII」と似ており、途上国でも比較的容易く運用のできる軽戦闘機というのが売りだった。

 「タイガーII」よりも主翼が大きくほぼデルタ翼の形状を持つのが違いだが、小型の双発エンジン装備だったりと似ていた。

 別にマネをしたわけではなく、結果として似ていたのだ。

 ただしデルタ翼なのは、アメリカの機体よりもエンジンが非力な証拠で、アメリカの機体に及ばない点なのは大きな違いと言えるだろう。

 

 それでもアメリカの「タイガーII」より低価格だった事もあり、主にインドなどアジア諸国を中心にして輸出を伸ばし、後に性能を大きく向上した改造型も開発され、一時期の中島の経営を支える主力輸出機に育っていった。

 

 その「隼II」を、イラン空軍は約150機保有して数の上での主力に据えていた。

 他には日本の三菱製の「二四式艦上戦闘機(剣風)」を75機、アメリカの「F-4D ファントムII」約75機を戦闘爆撃機として、旧式の日本の「閃光改」を約75機、そして日本の西崎が開発して間もない最新鋭の「78式戦闘機(紫電)」を約75機装備していた。

 戦闘機の種類は多いが、補給品や部品も十分買い込んでいたし、整備兵の育成にも力を入れていた。

 

 また攻撃機としては、中島が格安価格で販売したばかりの新鋭機「76式攻撃機(嵐竜)」約50機を装備している。

 導入までは「流星改」を使っており、1980年頃はまだ一部の「流星改」が格納庫の奥に残されていた。

 


 当時「紫電」は、まだ日本軍にもほとんど配備されておらず、ほとんど幻の戦闘機ですらあった。

 また、アメリカで生産が混乱した「F-14 トムキャット」とは、イランへの売り込み合戦の逸話で一躍有名になった。

 しかしイランは、自前のレーダーサイト網を持つことと、適正な性能、価格、さらには日本との長年の友好を重視して「紫電」を選んだ。

 

 「トムキャット」は複座戦闘機で優れた長射程レーダーを持つため、単独でも高い管制能力を有する。

 だが、自前のレーダー網を持つイランにとっては、無用で贅沢すぎるものだった。

 そもそも「トムキャット」は、イランの要求に対して高性能すぎたし、何より高すぎた。

 しかしこの売り込みに失敗したグラマン社は、アメリカ政府が緊急支援しなければ倒産していたほど経営が悪化してしまう。

 このためアメリカ海軍への「トムキャット」の配備まで混乱したし、アメリカがイランを嫌う理由の一つとなった。

 

 また、グラマン社が一番最初に一括で納入するという条件を出していたため、西崎も日本空軍が全面協力する形で日本空軍より先に1979年に一括納品されるという経緯があった。

 このため日本空軍向けの機体もイランへの輸出に回され、日本より先にイランに配備が一気に進んだのだ。

 そして「紫電」は、1976年に川崎重工の飛行機部門と川西飛行機が合併した「西崎飛行機(NZA)」が最初に送り出した戦闘機でもあり、川西、川崎双方にとって久しぶりに正式化された戦闘機というだけでなく、新たに発足した会社の社運を賭けた機体とも言えた。

 しかし戦争勃発当時は配備されたばかりで、パイロットの配置転換や訓練が十分進んでいなかった。

 

 「紫電」は当時の典型的な制空戦闘機で、日本空軍にとっての主戦場のイタリア北部の空、オホーツクの空でソ連空軍機に優位に立つために作られた機体だった。

 だが汎用性は高く、単に寒い地方での運用にも向いているだけでは無かった。

 ライバルとしてはアメリカの「F-15 イーグル」が挙げられるが、流石に「イーグル」ほどのエンジンパワーは無く、機体の空力特性を活かすことで格闘性能は匹敵するものがあった。

 

 そして同機の開発は、一応は西崎飛行機が行った事になっているが(※2基搭載されたエンジンは他と同様にIHI製)、実際は満州の東洋エアクラフト(旧:九州飛行機が母体)などとの共同開発だった。

 レーダー性能が高いのは、日本より技術力の高かった満州の企業が開発した装備を搭載しているためだった。

 

 そしてアメリカが日本、満州に購入を迫っていた「イーグル」の70%の値段で90%の役割が果たせるというのが売りといわれた。

 また機体の拡張性が確保されているため、その後大幅に改良して性能を向上させた「紫電改」、「紫電改二型」が生み出されたりもしている。

 

 もっとも、満州は満米経済摩擦解消の一環として「イーグル」を大量購入せざるを得なくなり、「紫電」の採用は当初予定の半分以下で、主に日本空軍の機体となった。

 

 また「紫電」は、イラン・イラク戦争の活躍で有名になったおかげもあり、その後インド、支那連邦共和国でも採用された。

 一時期イタリアも食指を伸ばしたほどだった。

 最終的に「紫電」および「紫電改」は、日本、満州、イラン、インド、支那連邦などでライバルとされた「イーグル」に匹敵する合計1000機以上が生産・装備されている。

 このため「20世紀終盤のアジアの主力機」とも言われた。

 


 もう一つのイラン空軍の特徴として、当時最新鋭の攻撃機「76式攻撃機(嵐竜)」を挙げることもできるだろう。

 

 「嵐竜」は、急降下爆撃も可能な戦術爆撃を主体とした多用途型攻撃機で、純粋な戦術爆撃機だった。

 対空戦闘能力は米ソの極端な性能を与えられた対戦車攻撃機よりも高いが、敵戦闘機から逃げる為の能力でしかない。

 このため、一部で言われる戦闘爆撃機という表現は間違っている。

 

 用途としては、少し前に米ソが作った戦術爆撃機と似ているため、「遅れてきた戦術爆撃機」と言われることがある。

 もしくは英仏など西欧各国が共同開発した「トーネード IDS」に、開発時期的にも近いだろう。

 また、愛知が作った海軍向けの「天狼」とも似ているため、「天狼」を近代改修してさらに地上機型にすれば十分だったとも言われることも少なくない。

 

 実際は、日本空軍がインドネシア戦争での苦戦を教訓として開発された戦術爆撃機で、日本の機体としては珍しく可変翼を持つ。

 低空任務も得意としているため、米ソが開発した対地攻撃機と比較する向きもあるが、米ソの機体ほどの重装甲や頑健さはない。

 汎用性は高く機体の拡張性もあるため、かなりの期間改修を続けながら使われた。

 オプション装備を付けることで洋上作戦能力が与えられており、対艦ミサイルを運用できるなど戦術の幅は広い。

 しかしこのイラン・イラク戦争では、対艦ミサイルを用いたタンカー攻撃で悪名を馳せることにもなってしまっている。

 なお輸出に際しては、「ストームドラゴン」という英名が使われたりもしている。

 


 イラクの空爆は、奇襲の効果とイラン側の迎撃が間に合わなかった事から、レーダーサイト、空軍基地への空爆はかなりの成功を納めた。

 この後の地上侵攻が出来たのも、初戦の空爆が成功したおかげだった。

 しかし防爆シェルターに格納されている航空機はほとんど無傷で、しかも謀略で有力機がソ連に向いていた事から、イラン空軍が受けた損害はかなり少なかった。

 また、司令部組織の破壊は全て失敗しており、開戦当初からイラク軍の限界を示していた。

 

 それでもイランが奇襲を受けた影響は少なくなく、かなりの期間はイラク空軍の勝手を許すことになる。

 だが、油田地帯上空と首都上空の制空権は維持し続けたし、逆にイラク北部のキルクーク(イラク有数の油田がある)を空爆したりしている。

 さらに開戦から一ヶ月程度で、バクダッド空爆も実施している。

 

 空襲の成功を受けて、イラク軍は開戦すぐにも地上侵攻を開始する。

 大量に輸入していたソ連製の戦車、フランス製の装甲車などで重武装したイラク軍の精鋭部隊は、戦争目的でもあるペルシャ湾岸の油田地帯に主力が投入された。

 また北部キルクークが脅威を受けるのを阻止するため、北部でも予備的な侵攻が行われた。

 

 空での戦いは、イラク空軍の数の上での主力は「Mig-21」で、改良型も装備していたため「隼II」相手だとそれなりの勝負が可能だった。

 旧式の「閃光改」は圧倒的、やや旧式の「剣風」、戦闘爆撃装備の場合の「ファントムII」にも何とか挑むことはできた。

 しかし当時最新鋭の「紫電」には一方的に叩かれた。

 

 当時「紫電」と互角と言われた「Mig-25」は、バクダッドの首都防空隊に少数しか配備されていない迎撃専門の戦闘機なので、「紫電」と対戦の機会がなかった。

 もう一つの数の上での主力機はフランス・アルゼナル製の「F-1 ミラージュ」で、これも「隼II」や「タイガーII」と同じコンセプト、同じ世代の機体だったので、ソ連国境から移動してきた「紫電」の敵ではなかった。

 

 イラン空軍の「紫電」隊は、日本軍退役後に軍事顧問としてイラン入りしていた菅野直もと提督(退役時中将)の指導のもとで奮闘し、冷戦時代最盛期に多くの戦果を記録していくことになる。

 なお菅野もと提督は、「紫電」の開発に関わっていた事からイラン行きを志願しているが、戦闘機パイロットとしては年を取りすぎているにも関わらず「紫電」の操縦桿を握ったこともあると言われる。

 

 イラク空軍の頼りは可変翼を持つ「Mig-23」の輸出型だったが、開戦頃は数が十分では無かったのであまり活躍もできなかった。

 しかも「紫電」との対戦は、他の機体よりマシという程度でしかなかった。

 この事はソ連空軍は「輸出型はモンキーモデル」と言うも少なからずショックを受けており、ソ連は新型機の開発を急ぐことになる。

 それでもイラク空軍としては最も頼りになるため、この後にソ連から「Mig-23」の改良型を大量に輸入している。

 そしてその後は、「Mig-25」の後継機の位置付けもあって「Mig-29」まで輸入するが、当初の戦闘ではソ連にすらないものだった。

 


 開戦初期の戦況全体は、当初はイラク空軍が有利だったが、イラン空軍の主力がソ連国境からイラク国境に移動し、そして攻撃された各地の基地の稼働状況が改善すると、戦況は一気にイラン空軍に有利になっていった。

 そして制空権を失う事は戦争自体を失うことに等しく、この時も例外ではなかった。

 

 しかも戦争は、まだ始まったばかりでしかなかった。

 


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