第一話 日陰を好む男
とある狙撃手の話がウルス共和国で噂になっていた。
『聞いたか? 例の東洋人スナイパーの話』
『ああ、聞いた聞いた。背面撃ちで1000m先の的に弾を命中させたっていう……』
『そう! 噂じゃ建物越しにターゲットを撃ち抜いたとか、高速移動する戦闘機を一発で仕留めたとか! しかもそのスナイパー……めちゃくちゃ美人らしいぜ!』
会話する男性二人――から300m距離を取った喫茶店で、耳栓を付けた一人の男性がカタッとカップを揺らした。
「どうしました? にいさん……」
「いや――」
『ポニーテールの巨乳! その眼は月光の如く輝き、獲物は絶対に逃さない……』
『うわぁ、すげぇな! 一度会ってみたいなぁ。その美女狙撃手……』
死んだ瞳をしたポニーテールの男性は「一つしか合ってねぇ」と一人突っ込む。正面の褐色肌の少女はキョトンとした顔で男の顔を覗いていた。
「……前回の仕事、目立ちすぎたなぁ。ああ、やっぱロクなことない」
砂糖ましましのコーヒーを啜り、古谷純平は小さくため息を付いた。
「にいさんはもう少し、自分を主張してもいいとおもいますけど」
銀の瞳にまっすぐ見つめられ、純平は気まずそうに視線を外す。
「――いいか琴。目立つという行為には相応のリスクが発生するんだ。昨今のニュースを見てみろ、有名人は常に監視され、少しでも常識から外れた行動をとっただけで世界中に晒され人生を奪われる。知名度が上がるほど、世界は窮屈になっていくのさ」
「むぅ。それにしても、にいさんは日陰に身を置きすぎだとおもいます」
「いいんだよ、日陰が好きなんだから。自己承認欲求に惑わされて、バカなことして注目を浴びて、分不相応な役目を背負い自滅する。そんな人生はごめんだからな」
純平は外の色がオレンジ色に変わっていくのを見て、ふと時計を見る。
時刻は十八時、じきに月が顔を出す。
「そろそろ戻るか」
「あ! ちょっと待ってください! わたし、新商品のストロベリーコーヒーを……」
純平は妹・〈未琴〉の首根っこを掴み、喫茶店から引きずり出す。
「月が出るとお前、体調崩すだろ。背負って帰るのはごめんだ」
「うぅ……また次の機会に会いましょう、ストロベリーさん……」
純平は喫茶店から出ると同時に足を止めた。聞き覚えのある足音が聞こえたからだ。
『純平君!』
それは、純平の傭兵仲間の一人。
「どうしました? そんな血相を変えて」
『た、大変だ! うちの組合が〈COLORS〉に睨まれた!!!』
〈COLORS〉。共和国直属軍の名を聞き、純平は眉間にしわを寄せた。
「大体察した……例の仕事、受けたんだな?」
『あ、それが……はい。すみません。純平君は反対してたのに』
「いや、荒谷さんが謝ることじゃないです。……わかりました。すぐに戻ります」
傭兵団〈crow〉に所属する、黒影のスナイパー古谷純平。
彼は忌々し気に夕陽を眺め、悟った風に語り掛ける。
「あんたの言う通りだな。嫌なほどに……」