#8「ピンチで 窮地」
翌日、火曜日。
「……おっ、ちゃんと作ってる!」
昨日私が言った通り、ちーちゃんはしっかりお昼ご飯を持ってきた。
「たりめーよ。明太子と明太子と、あと明太子」
ちーちゃんは三つのおにぎりを指差して、全部同じことを言った。
「ちゃんと中の具も買い貯めた方がいいね……」
何はともあれ、これで後は学校をサボらないよう見張ってあげればオッケーだ。
ところで、私たちにはもうすぐとあるイベント__いや、試練が待っている。
「そっか、あと10日……」
前期課程第2回試験。言い方を変えれば、一学期の期末試験。7月上旬のその日まで、あと少しだった。
「ちーちゃんは大丈夫だよね?勉強」
「え、ダメだけど?」
「え?いや、だって……普段からサボってるなら、その分いい成績とって埋め合わせしてるでしょ?」
「ん、なんで?」
「ん?」
おかしいな。これ会話通じてるのかな。どこから話せば良いのかな。
「えっとね……ちーちゃん?まず、ちーちゃん週に何日かは学校サボってたんだよね?」
「翼に見張られるからもうサボれないけどな……」
「でも、テストもあんまり点良くないってことでいいのかな?」
「恥ずかしながらな」
「提出物は?」
「ちょいちょい出すの遅れてるな」
「じゃあ、前期の成績やばいと思うよ……?」
「……」
返答は遅かった。しばらくの静寂のあと、ちーちゃんは口を開いた。
「……やべえじゃんあたし!」
「うん!もっと早く気付こう!?」
成績は2、いや、教科によっては下手すると1かもしれない。さほど偏差値が高くもないこの高校で、1なんて取った日には大学受験が大変なことになってしまう。
これは……忙しくなりそう。
というわけで、放課後。私とちーちゃんはとある場所に向かった。
「これが、矢市垣家……!」
壮大というか、荘厳というか。ちーちゃんの家は、昔らしさのある和風な一軒家である。石畳の道を渡って庭を横切った先に、家の大きな戸が待ち構えるように悠々と立ちはだかっていた。その横には鉢に植えられた盆栽が立ち並んでいる。平凡な家で暮らす私からすれば、とにかく高級感の凄まじい家だった。
「なんか、緊張しちゃう……」
「そうか?」
ちーちゃんはそんな様子もない。住んでる人だから当たり前か。
とにかく、私たちは戸を横に開けて玄関に踏み入った。中も黒っぽい木を基調とした雅な景観である。
「おじゃまします……」
「ただいまー。誰もいねえけど」
脱いだ靴を綺麗に揃え、私はちーちゃんの後を付いていく。
階段を一歩上がるたび、木が軽くもずっしりとした音を立てる。その先、二階の奥で、ちーちゃんは立ち止まった。
「ほい。こっち」
ちーちゃんがドアを開けて入った部屋に、私もすさすさと入り込んだ。
部屋は畳と木の、落ち着いた部屋だった。装飾は少なく、置いてあるもので目立つのは机とテーブル、それから本棚とゲーム機ぐらいだ。本棚には少年漫画の単行本が数シリーズしまってあった。『覆面ライダードライヴ』『ツーピーシス』……読んだことある作品もちまちまと。
「悪いな、なんか地味な部屋で」
「ううん。このぐらいの方が落ち着く」
ちーちゃんが、テーブルを囲う座布団に座った。私も隣の座布団にお尻を乗せた。
「さて、スマバトやろーぜ」
「ダメ」
ゲーム機に手をかけたちーちゃんの腕を、私は瞬時にぐっと掴んだ。
「勉強の計画立てに来たんだよ。ほら、前のテスト見せて」
「はい……」
観念した様子で、ちーちゃんはテストを挟んでいるらしいクリアファイルを開いた。中から各教科の回答用紙を取り出し、並べていく。
「コミュ英46……現国46……古典42……世界史35……化学基礎32……数学ⅠA15……」
「高い方から低い方へと読むな。心に刺さっから」
出てきた順に読んでるだけです。たまたまです。
そうして、全部のテストがテーブルに所狭しと並んだ。
「うーん……国語はまあ、この感じならよく復習してワークもやれば点上げられるよ。世界史もまあ、ほぼ暗記するだけだし」
時間さえ取れば、きっと文系科目は大丈夫だろう。多分、英語も。
「問題は理系かな……特に数学。一から復習しなきゃ」
「まじかー……」
「仕方ないでしょ。じゃ、やろっか」
「マジ!?今日から!?」
ちーちゃんは驚愕して聞き返した。
「当たり前でしょ?もう10日しかないんだから」
とにかく時間がない。効率よく、集中して。それが大事になってくるだろう。
「さ、教科書出して!」
「うぅ……」
ちーちゃんは再び観念して、カバンを漁りだした。
「……翼」
「ん?」
「や、なんかさ……最近めっちゃ親切にしてくれるよな、お前」
ちーちゃんはそういうと、少しだけ目を伏せた。
「嬉しいけど、ちょっと心配になる」
「ちーちゃん……」
確かに、最近頑張りすぎな気もする。社会復帰早々ペースを上げすぎだと言われても、あまり否定はできない。
「前も言ったろ?十分頑張ってんだから、無理すんなって」
でも、私は今、頑張らなくちゃいけない。
「……だって。このくらいしないと、ちーちゃんに恩返ししきれないから」
人生を変えられた。世界を変えられた。心から救われた。そんな恩を、一体どうやって返せと言うのだろうか。今懸命にやっていること一つ一つさえ、私が彼女に受けた恩の一欠片すら返せているのか分からない。
それぐらい大きなものを、あの日__出会いの日、私は授かったのだ。
でも、だからこそ、私は__
「だから……やらせて!」
今出来ることは、意地でもやりたいんだ。
「……わーったよ。じゃ、やるか」
「うん!今日は夜まで帰らないから、覚悟決めてね!」
「お前こそ、あたし想像してる3倍は頭悪いからな!覚悟しとけよ!」
長い夕方になりそうだ。