#5「そして 新たな朝へ」
「どうした?」
ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、千夏ちゃんが言う。
「え……だって、千な……矢市垣さん、学校は……?」
「ん?サボった」
「えぇ……」
臆面もなく言う彼女に呆れながら、たっま今自分も同じことをしていると気づいた。今というか、かなり長い期間。私の方が格上だ。
「丁度いいや。ちよっと話しようぜ?」
微笑んで、千夏ちゃんが言った。
「ありがとうございましたー」
店員さんの声が耳を通り抜ける中、私は袋を破く。中から拳より少し小さいぐらいのチキンが顔を出した。湯気をあげながらお腹を空かせる匂いを放つチキンに、私は歯を引っ掛ける。
「はふっ……」
「熱いぞ?まだ」
「んっ……」
彼女の言う通り、味よりも熱気が口いっぱいに広がる。アツアツの肉塊が舌の上を転がる。
「んん……でも、おいしいな」
「だろ?」
コンビニにきてまたはいいものの、特に買うものの無かった私に、千夏ちゃんが勧めてくれたチキンである。
千夏ちゃんの方もチキンを頬張っている。向こうは赤い辛口だ。
しばらく間食に没頭して食べ終えた後、千夏ちゃんが口を開いた。
「昨日さ、悪かったな。翼の気持ち考えないで、勝手なことばっか言って」
未来を見れるようになった今の私を作ってくれた恩人は、そんなことを言うのだった。
「気にしなくていいですよ。その……あの時抱きしめてくれて、嬉しかったです」
恥ずかしいけど、ちゃんと言った。千夏ちゃんも少し頰を赤くして、困った顔になっている。
って、あれ?
「あの、今、翼って……」
「あー。良いだろ?友達だし」
至極当然であるかのように、彼女は言った。友達。友達!
「ん、駄目だった?」
「いえ、全然!」
じゃあ……じゃあ、私も良いかな……。
「ありがとう、ちーちゃん!」
「え……ちーちゃん?」
「あっ」
いや馬鹿馬鹿馬鹿!!ちーちゃんは流石に駄目でしょ!!急に距離近すぎでしょ!!
どうしよ……千夏ちゃんどう思ったかな……。
「あの……」
「なんか……恥ずいな。そんな可愛い呼ばれ方されたことないから」
千夏ちゃんはそう言って、黄金色のポニーテールをいじっている。
「ちーちゃん……ちーちゃんか……いいな」
顔を赤くして言う。わっ、可愛い。かっこよくて可愛いのずるいよ。
「……ちーちゃん」
私も、彼女に聞こえない声量でまた呟いた。
時間はゆったりと過ぎるのだった。
「翼んち、行っていい?」
コンビニを去った後、ちーちゃんはそう言った。良いけどうちには何もないよ?私はそう言ったが、聞いてみると__
「おっ!やっぱあるじゃん」
私の部屋に着いてすぐ、テレビの下のゲームソフトが並ぶ棚を見て彼女が嬉しげに言う。
聞いてみると、昨日来た時に見かけた"大戦闘スマッシュバトラーズ"がやりたかったらしい。
「やっぱりスマバト?いいね、やろっか」
「よしきた!」
私はソフトカードをゲーム本体に入れ、電源とテレビの電源を付けた。種類の違う2つのコントローラーを本体に繋いで両手でちーちゃんに手渡すと、彼女は意外にも操作が難しい方を手に取った。
「あたし、けっこうガチ勢だぜ?」
「私だって。3スト終点でいい?」
おう、とちーちゃんは頷く。
その先はもう、お互い無言の集中モードに入り浸った。一戦士と一戦士としての、一瞬も気を抜けない死闘の果て。
「……っああああ!!!」
「やったー!」
最後に戦場に立っていたのは、私のキャラだった。
「うぅ〜……」
ちーちゃんがショックを受けた様子で寝転がりながら、不満げにうめく。
「いや、シーラ強すぎだって!ホープドライブ適当に撃ってれば当たるじゃん!」
「じゃあ、ちーちゃんもシーラ使う?」
「……いい。あたしハーティしか使えない」
見てろよ!彼女はそう言って、再び起き上がった。
「……ふふっ」
「なんだよー!」
「や……ごめんね」
ちーちゃんと過ごすの楽しくて……とは、恥ずかしくて言えなかった。
それから、何十戦と繰り返して。
「疲れたぁー……」
「2時間ぐらいやっちゃったねえ……」
二人で寝転びながら話していた。さっき最終戦が引き分けに終わり、テレビの電源はすでに消えている。
時計はもう、1時を指していた。どうりでお腹も空くわけだ。
「……ねえ、ちーちゃん」
「んー?」
寝転んだまま、ちーちゃんは返事した。気の抜けた顔で。
「私、来週から学校行くよ」
「ん〜……え!?マジで!?」
一瞬頭が働いていなかったんだろう。ちーちゃんは面白いぐらい声のトーンを変えて、バッと起き上がった。
「行けんの?今日初めて外出たばっかりなのに、頑張りすぎな気もすっけど」
「うん。変わらなきゃ、って思うから」
今日、一歩踏み出せた。きっと学校だって行ける。そう思えるのは、彼女のおかげだ。
「んー……そっか」
「ちーちゃん、また頼っちゃうかもしれないけど……」
「いーのいーの。あたしで良いなら頼れよ」
「うん……ありがとう」
笑顔でそう言ってくれる彼女に、私は感謝することしかできない。なにもかも、与えられたばっかりだ。
「強いね。ちーちゃんは」
本音が漏れるように、半分無意識でそう呟いていた。
「何言ってんの。翼だってちゃんとやり直そうとしてるもん、強いだろ」
「でも……」
「でもじゃない!」
ちーちゃんは突然、私の声を遮った。
「お前は頑張ってる!周りの人が言ってんだから、間違いねえだろ」
光のような声だった。霧が晴れたような気持ちだった。
「……うん。私、頑張った」
ちょっとだけ、体の力が抜けた。その方がもっと頑張れる気がした。
私は今、少しずつでも歩いてる。それだけは忘れちゃいけないんだ。
「……じゃ、そろそろお昼ご飯作ろっか!」
「作れんの!?」
「うん。パスタとオムライスどっちが良い?」
「パスタ!断固パスタ!!」
大声で言うちーちゃんの口元に、よだれが垂れかけていた。
それから3日後。月曜日がやってきた。
「忘れ物してない?」
お母さんが、部屋のドア越しに私に聞く。こっちはとっくに準備完了しているのに。
「大丈夫だって!私の部屋にまで聞きに来なくて良いから!」
「だって、久々だし……」
心配性な人だ。
「昨日から準備したから。平気っ」
数ヶ月ぶりに着る制服に着替え終えると、私はそう言うと共に、ドアを開ける。エプロンをつけっぱなしのお母さんが立っていた。あなたこそ、仕事行く準備出来てないよ。
「うんうん!やっぱり女の子はセーラー服着なきゃね!」
「なにそれ……もう」
変なこと言ってないでよ……そう言おうとして顔を上げた。
目の前にあったお母さんの顔は、涙ぐんでいた。
「……ほんとに、もう大丈夫なんだね」
声色は震えながらも、嬉しそうだった。
「うん。ちーちゃんも居てくれるから」
「そっか……千夏ちゃんにお礼言わなきゃね」
金曜の夕方、ちーちゃんと初めて会った時は、お母さんすっごく驚いてたっけ。確かその時も嬉しさで泣いてた。
「じゃあ、もう行くから!」
お母さんに言い、私は階段を駆け下りた。
「翼!」
玄関の前で呼び止められ、私は振り返った。
「頑張れ!」
たったそれだけ。たったそれだけの言葉が、私の心をどれだけ支えてくれるか。
「頑張る!」
だから、私も笑顔でそう言い返すのだった。
ドアを開けた先には、輝ける新しい世界が広がっていた。
新しい何かが芽吹き、花を咲かせる予感がした。