#10「仲直り 計画」
「ちょっとキツい話するけど……良いかな?」
「大丈夫……うん。大丈夫」
なぜかわざわざ二回言った。
「姉ちゃんがいたんだ。3つ上の」
始まったちーちゃんの物語を、私は机の前の椅子に腰掛けて聴いた。
「小さい頃からいつも一緒だった。幼稚園に入っても、小学生になっても」
ちーちゃんは、遠くを見据えるような口調で話す__話している気がした。彼女の表情なんて読めるはずもないが。
「でも……翼も覚えてるよな?昔あった地震」
小学生の頃の地震__。
「うん」
当然覚えている。3年前、中学一年生になったばかりの4月末の大震災。お母さんと丸2日会えなくて、中学生にもなって夜通し大泣きしていたのをよく覚えている。
「あたしは必死で姉ちゃんを探した。見つけた時にはもう、大怪我してグラグラ揺れる建物に寄りかかって、血まみれで動けなくなってた」
想像したくないはずのその光景を、何故か私の頭は鮮明にイメージし、瞼の裏に投影している。血を流す少女と、泣いて立ち尽くすその妹の姿が、私の心に刺さった。
「建物がみんな壊れて火事になって……周りの人はみんな逃げるのに必死だったから、誰も助けてくれなかった。あたしも何すりゃいいのか分かんなくて、ただ泣いてた。でもその時親父が__」
何故か言葉をそこで切ったちーちゃんが、息を吸い直す音が電話越しに聞こえた。
「……矢市垣理創が駆けつけてきた。あたしはすぐ、泣きながら『助けて』って叫んだ。あいつ医者なんだよ。白衣着てたろ」
「じゃあ、お姉さんは……」
助かった。助けてもらえた。そう語ると察した。
「死んだよ」
「…………え」
長い間隔の後にちーちゃんが紡いだのは、予想外の答えだった。
「そんな……なんで?理創さんは……?」
手遅れだった?それとも助けられない傷だった?
「あいつが姉ちゃんの治療に失敗したんじゃねえよ。あいつは……治療なんかしてくれなかった」
「嘘……!」
「嘘じゃない。『必ず戻る』って言ってあたしたちを置き去りにした。もう一回あたしの前に現れたのは、姉ちゃんが生き絶えた10分以上後だった」
「…………」
正直、頭の中がまとまりきらない。初めて聞いた、ちーちゃんの家族の話。それがこんなものになってしまうなんて__。
何を言えばいいのか分からない。『残念だったね』か?『可哀想に』か?返す言葉が見つからない。絞り出そうとしても、雫は一文字も垂れてこない。
「……それからは、あたしとあいつは必要最低限の会話しかしてない。顔もわざわざ合わせなくなった」
一人で夕飯食うのは慣れてきたけどな__ちーちゃんは半笑いのような、無理した笑いとともにそう言った。
「それが、あたしがあいつを嫌ってる理由」
ちーちゃんはそう言って、物語の幕を引いた。
「……でも」
矢市垣家の確執はたしかに分かった。だけど、責任は本当に理創さんにあるのだろうか。そもそも、震災で起きた悲劇に責任を負うべき人間なんているのだろうか。
「でも、理創さんが全部悪いわけじゃないと思う。きっと……きっと忙しくて」
「………………」
「ほら、他にも怪我をしてる人がたくさんいたから……それに、医者の人ならやることがいっぱいあっただろうし__」
私が言い終わる前に、遮ってちーちゃんが言葉を発した。
「……ふざけんなよ。娘の命より大切な要件があんのか?おい。言ってみろよ」
「……いや、それは、その……」
……心臓が止まりそうになった。初めて聞いた、凍りついたナイフのような彼女の怒りの声。どんな怒号よりも、命の危険さえ感じるほどに恐ろしかった。
「……ごめん」
「や……悪い。あたしも言いすぎた」
「うん……」
嫌な静寂だけが、その後に残った。部屋の空気に押しつぶされそうなのを我慢しながら、数秒が経って__
「……ごめん。やっぱ話すべきじゃなかったかも」
ちーちゃんがそう言った。
「聞かせといてなんだけど……忘れてくれ。やっぱり、あたしの家の中の問題だから。また明日な」
「え……あ、うん……」
強引に話を終わらせた彼女に何も言えないまま、スマホの画面には"通話終了"と表示されるのだった。
もう一度電話をかけることは、私には出来なかった。
ざばぁぁぁぁん……。
「はぁぁぁ……」
お湯に浸かるとともに、気の抜けるような声を口から漏らした。あの後、私はすぐに寝巻きを持ってお風呂に向かったのだ。
視線を天井から前方へ移すと、胸元の二つの房が湯船にプカプカと浮かんでいた。同年代では大きい方のようだが、重くて肩が凝るだけだ。欲しい人がいるなら3割分けてあげたい。
「……心配だな」
どうでもいいこと頭に浮かべて紛らわそうとしても、さっき聴いたあの話を忘れることができない。
「良いのかな……このままで」
良いはずがない。それは分かっている。だけど、自分に何ができる?過去に戻って、彼らの亀裂を防げるか?あるいは、ちーちゃんのお姉さんの死をどうにか防げるか?
無理だ。時計は左回りをしない。太陽は西から東へ戻りはしない。過去は本と記憶の中にしか無い。
ならばどうする?どうするも何もない。どうすることもできない。私のような関係のない人間なら尚更だ。
「……」
シャワーに目を向けて、天井を見上げて、浴槽の栓と睨めっこして、やっと一つだけ考えが浮かんだ。
「……そうだよ。それしかない」
壊れた絆を治すことなどできはしない。過去は変えられない。それは受け入れなければならない。
その上で、新しい絆を紡ぐんだ。私とちーちゃんが出会った時のように。
そうだ。きっと今が恩返しの時だ。
一刻も早く、些細なことでも行動を始めたくて、私はお風呂の戸を開けて、近くに置いてあったスマホを手に取った。
「よし……!」
クラスのグループチャットを開き、メンバー一覧を見て、彼女の名を探す。
「あった」
蓮業寺 微香。ちーちゃんの中学時代__すなわち、彼女のターニングポイントをそれ以前から知る人物だ。彼女からヒントを得られるかもしれない。
彼女との個人チャットを開き、すぐに文字を打ち始めた。
『夜中にすみません、クラスメイトの柿田です。相談があるのですが…』
送信した。あとは返事を待つだけだ。
「よーし……やるぞ!」
始めよう。仲直り計画……(仮)!