1-1『犬王子、来る』
私、伯爵家第六子、四女であるエルメゼシア・ラスティオラは転生者だ。
現在、生まれ変わって十年、前世はごく普通の大学生だった。
姓は佐藤と日本において最も普遍的で、名前も和美とこれまた何処にでも居そうな普通の名前。
小中高と通った学校では、特徴が無いのが特徴な奴とかいうどこぞの量産型のような評価を受けていた。
本当に普通ならボッチ気味な人生では無いと思うけどそんな評価だった。なんだったんだろうね、あれ。
そんな私だった訳だが、ちょっとした不慮の事故というもので、若い身空である日突然ポックリ逝ってしまった訳だ。せめて二十歳の誕生日は迎えたかった。
まあ、それも今は関係ない。結局は既に前世での事である訳だし、記憶を持ったまま生まれ変わったとはいっても、かつての人生での事なんて考える必要も無い。
気になる事が無い訳じゃない。例えば向こうの両親の事だったり、巻き添え食らわせて一緒に死んでしまったであろう、私の愛犬だったポチタロウはちゃんと天国に行けただろうか、とか。
それとも何処かで私のように転生してるのかな、とか。
もしそうなら幸せになっていて貰いたいものだ。あの子ならきっとたくましく生きて行けるし大丈夫だとは思うけど。
「……はぁ、ポチタロウか……」
あの子は可愛かった。ボッチ気味で出不精だった前世の私にとっての心のオアシスだったと言える。
犬種的には只の雑種だったけれど、だからこそオンリーワンな愛らしさがあったというか……ワンコなだけに。
「……お父様にお願いするのも、ううん」
「エルシィ?」
ため息まじりの呟きを、お茶の席で同席していたふたつ歳上の兄、リオス兄様に聞かれ聞き返される。
リオス兄様はこのラスティオラ伯爵家の次男で、末っ子の私のすぐ上の兄弟となる。
「エルシィはいつも何か考え事をしているね、僕よりも頭も良いし、きっと色んな事を考えているんだろうね」
「そんな事は、ありませんけれど……」
幼さの残る整った顔立ちを微笑ませながらリオス兄様はそんな事を言うけれど、正直過大評価も良いところだ。
だって、考えてた事はペットに犬が欲しいモフモフわちゃわちゃしたいとかそんな理知的な事とは真逆の事な訳で。
「リオスお兄様より頭が良いというのも、いつも考え事をしているというのもお兄様の勘違いですからね? 今だってそんな……」
「謙遜は良くないと思うよ? 僕だけじゃなくて、みんなが認めてる事だしね」
いや、ホントに大した事は考えてないのだが。
ただ前世での愛犬を想っていただけで、特に何か難しい事を考えていた訳ではないのだけれども。
「……ええと、そんなに買い被られても困るというか、えーと」
実際、ただ単に前世の記憶と知識の分アドバンテージがあるというだけで、私自身はそんなに頭が良い訳ではない。将来的にはリオス兄様に抜かされるんじゃないだろうか、この兄様、普通に年齢に比べて聡明だし。
「買い被りじゃないよ、優秀だからこそ、父上も殿下の婚約者にエルシィを推挙したんだしね、古参の伯爵家とはいえ、侯爵や辺境伯なんていう上位貴族の令嬢達を押し退けて選ばれたのは、偶然じゃあないと思うよ?」
「うぐっ……」
あんまり触れて欲しくない話題が飛び出してきて、思わず私はうめき声を上げてしまう。
そうなのだ、私は齢十歳にして既に婚約者が存在してしまっている。貴族令嬢なんだし当たり前と言えばそうなのだが、ちょっと早すぎやしないだろうか。
殿下、つまりこの国の王子様が相手という、なにそのご都合主義みたいな展開なのだが、私としてはちょっと気後れしている。
いや、王子様いいじゃん? 女の子の憧れ的な展開じゃんとは思うし、絶対嫌かと言われると、そうでもないという優柔不断な心持ちなのだけれど、その、出来れば、前世今世と二度の人生初の浮いた話なので、恋愛感情的なものを育んで、相思相愛で初めては行いたいかなーと思う所存であって……。
何が初めてかって、結婚だよ、あとそれに付随する一連のイベントだよ。ええ。
「父上は政治的な策略だって堂々と言っていたけど、相手が王家ならそれ以上の相手は居ないと思うし、エルシィの幸福に繋がる話だし、良かったと思うよ、僕は」
「……そ、そうですけれど」
婚約を、お父様と国王陛下との間で内々に決定されたのがほんの数日前。それまで第二の人生をそこそこ謳歌していた私としては寝耳に水だった。
……寝耳に水だったのだが、打算的な考えをするなら、悪くなくない? となるわけで。
貴族子女というのは、基本的に結婚政策の為の実弾である。
四女という立場の私は、本来ならすごく優先順位が低くてそんなに重要じゃない所へと嫁ぐ筈だった。
下手したら、御用達の商家のおっさんあたりにご褒美にプレゼントとかされてもおかしくないぐらいの立ち位置だった訳だ。
もちろんそんなのゴメンなので、ある程度自分の意見が通るように色々とやった訳だけど、その効果が次代の国王様だと言うなら、ちょっと効果てきめん過ぎる……。
「エルシィ、もしかしてあまり乗り気じゃないのかな?」
「いえ、乗り気じゃないというか、本当に私で良いのかと」
「エルシィはは本当に謙遜だね、普通なら跳び跳ねて喜んでもおかしくないのに」
リオスお兄様の言うとおり、普通は喜ぶんだと思う、前世日本でだって、相手が王子様の物語とか王道も王道だったしね。
ただね、私個人がビビっているってだけなのよ、うん。
殿下の顔は流石に見たことあるけれど、性格までは知らないしさ。
元日本人のぼっち女子としては不安なんだよ本当に。
はあ、ポチタロウに逢いたい、ストレス発散にあの子をむっちゃモフモフしたい……。
「エルメゼシア様、リゼオセス様!」
悪くない話だが、心情的に完全に受け入れるにはちょっと抵抗がある将来の事に、再びため息が漏れそうになった時、慌ただしい足音共に私とリオスお兄様を呼ぶ使用人さんの声が聞こえてきた。
「騒がしいな、なんだろう?」
「随分と慌てていますわね?」
程なくしてお茶を嗜んでいた部屋へと駆け込んでくる若い使用人さん。かなり慌てているけど、何かあったのだろうか。
「どうかしたのかしら? そんなに慌てて」
「は、はい実は──」
「……へっ?」
何かの聞き間違いかと思い、もう一度聞く。
「で、ですから、殿下が、フェリオ王子が、このお屋敷に!!」
フェリオ王子、つまり先日決まった、私の婚約者がいきなり来訪したとの事だった。
「なにそれー!? 聞いてないんだけどー!?」
「え、えと、どうしよう父上も不在なのに……」
「承知しておりますよぅ! で、でも殿下はエルメゼシア様の顔を見に来たと効かなくてぇ!」
うわぁ、すごい不安になった。なんで手順とか全部すっ飛ばしていきなり来るの。
聞いてた話だと、後日、公式に発表があってから然るべき場で顔合わせって聞いてたのに……。
「と、とにかく、殿下をお待たせする訳にもいかないだろうし、エルシィは着替えを……」
「は、はい」
「──必要ない、確認しに来ただけだからな」
屋敷で普段着ている衣装で、一国の王子に対面する訳にもいかないので着替える為に部屋を出ようと廊下へ出た時、進行方向から幼い声色ながらも威圧的で、傲慢にも感じる声に動きを止められる。
声の主の方へと顔を向けると、そこに居たのは、現在の私と同い年ぐらいの男の子。でも、まるで獣のような目付きで、怖いぐらいに視線が鋭い、黄金色の髪の、犬のような耳をした少年だった。
顔は見たことがあるので知っている。フェリオ・アークランド・ハウンドロード殿下。
人族の国王様と犬耳族の正妃様との間に産まれた、この国の嫡子。
「先日、占星術士に聞いた事を確認しに来た、眉唾物の話だが、他に探す手段もない」
「え、えと……」
フェリオ殿下は周りに居た使用人やお兄様に目もくれずに真っ直ぐ私の前へと進み、睨み付けるよう見詰めてくる。
「俺の婚約者だとかいう女、お前に質問がある」
「は、はい」
なんだろうか、こんな不作法な真似をして、いきなり来たかと思ったら私に質問があるという。なんの事なのか、検討もつかない。
「あの、それで、質問とは……」
「サトウカズミ、この名に聞き覚えは?」
「────」
いきなりだった。いきなり前世での私の名前を言われて、一瞬思考が停止した。
「……知っているのか!? ならば教えろ、サトウカズミは、いや我がご主人の事を!!」
次に、フェリオ王子が言った台詞で急に現実へと引き戻された。
「……は?」
「我があるじ、大恩ある我がごすずん!!俺の、いや、わすは前世で受けた恩に報いるためにも、必ず探さなくてはいけないおひと! 知っているなら教えるだす!!」
なんか口調まで変わったぞこの王子。なんだコイツ。
「あの、フェリオ殿下?」
「違う、わすは、ポチタロウというごすずんの付けた立派な名前があるのだ!!」
「………………」
ちょっと待って、なんつった今、この王子。
聞き間違いでなければ、ポチタロウと聞こえたんだけど。
いや、まさか、前世がなんだとか、私の生前の名前知ってるとかあるけど、まさかね?
どうしよう、私の愛犬だったポチタロウが、もしかしたら王子様かもしれない。
私は、今はただ硬直する事しか出来なかった。