わたしの理想の王子さま~婚約破棄騒動に巻き込まれました~
「わたし、理想の王子さまを見つけるわ!」
力いっぱい拳を握りしめて、わたしは目の前にいる幼馴染みに高々と宣言をした。
そんなわたしの宣言を受けても幼馴染みは読んでいる本から顔をあげないし、顔色ひとつ変えずに「へえ、そうなの。頑張れば?」なんて言う。
なんて薄情な幼馴染みだろう! わたしはこれから戦地に赴くような気持ちでいるというのに!
ムッとしたわたしは幼馴染みに近づき、その手に持っている本を取り上げた。
本を読んでいると思ったけれど、幼馴染みが読んでいたのは新聞の切り抜きのようだ。本の間に挟んであった新聞の切り抜きの内容は、今巷を賑やかせている窃盗団のこと。
華麗な手口で多くの美術品や宝石を盗み出し、被害に遭った人は軽く100は超えているとか。その被害に遭った人物は庶民よりも貴族やお金持ちの富豪ばかりなのが彼らの特徴である。
そんな彼らがまたどこかの家からお宝を盗み出したらしい。こんなに大暴れしているのに捕まらないなんて、色んな意味ですごい。
そもそも、幼馴染みがこの盗賊団に興味を持っていたことが意外だ。こういうの好きじゃなさそうなのに。
わたしが不思議に思っていると、幼馴染みはようやく顔をあげ、実に不満そうな顔をした。
わたしの幼馴染みはとても地味だ。
野暮ったい前髪で顔は隠れているし、性格も社交的ではなくて、むしろ人嫌いなきらいがある。だけど髪の毛はいつもさらさらとして天使の輪が出来ていて、前髪で隠れた顔がとても整っていることを、わたしは知っている。
さらにきれいなのはその瞳。左右で色が違うオッドアイ。右目は赤味の強い紫で、左目は逆に青味の強い紫。そのどちらもとても澄んでいて、とってもすてき。わたしは幼馴染みのその瞳が大好きだ。
だけど本人はそう思っていないようで、それどころかその瞳が嫌いなようだ。だから前髪で瞳を隠す。
もったいない、綺麗なのに。
そう言ったわたしに、彼は驚いた顔をして、すぐに顔を顰めた。
「そんなこと言うのは君だけだよ」と不機嫌そうに言うのだ。
だけどね、わたし知ってるんだ。それが照れ隠しだってこと。顔には出ていないけど、耳が真っ赤だったから、たぶんきっとそういうことなんだろうって思っている。
「…それ返して」
「い・や! わたしの話をちゃんと聞いて」
「君の話はいつも聞いているだろ」
「ちゃんと、って言ってるでしょ。いつもわたしの話なんて半分も聞いてないじゃない!」
「そんなことは……ないとは言わないけど」
憮然とした顔で答える幼馴染みのエリクに、わたしは先ほどまで不思議に思っていたことをころりと忘れ、ほらね、と勝ち誇った顔をする。
……でも、なんでだろう。ひどくむなしい。
「…で、なんだっけ。ああ、そうそう…リディの理想の王子を見つけるって話だっけ」
「そうよ」
中々本を返さないわたしに観念したのか、仕方なく、という雰囲気を醸し出してエリクは聞き返す。わたしはそれに胸を張って答えた。
「どうやって見つけるつもりなのさ」
「それはもちろん、夜会でに決まっているでしょう。わたし、ようやく社交界デビューが決まったの!」
「へえそうなんだ。よかったね」
「うふふ、羨ましいでしょう。エリクも一緒にいかが?」
「ぼくは遠慮しておくよ」
「まあ! 冷たいわ、エリク。わたしが社交界デビューするのに付き合ってくれないの?」
「なんでぼくが君に付き合わないといけないわけ。そもそも人の多い場所は嫌いだ。だからぼくは行かない」
きっぱりと言ったエリクにわたしは「むぅ…」とむくれてみせたけど、エリクが夜会に来ないというのは想定内だ。だってエリクは人嫌いだもの。
「あら、そう。じゃあエリクはこうしてずっと一人で本を読んでいればいいのだわ。わたしに構って貰えなくて泣いても知らないんだからね!」
「それはないから安心して行ってきなよ」
しっし、と手首を前後に振るエリクにわたしは今度こそ本当にムッとした。
まったく失礼しちゃう! 人を犬みたいに!
「…ところで、リディの理想の王子さまってどんな人なの?」
ぷんぷんとしていたわたしは、エリクのその一言で、その怒りを遥か彼方に放り投げ、理想の王子さまについて熱く語る。
きっとこれもエリクの計算のうちなのだろうけど、わたしはこういう単純な性格をしていてそれを直せないのだから仕方ない。
「わたしの理想の王子さまはね! わたしより背が高くて、かっこよくて、とっても頭がいいひとよ!」
「……へえ」
「ちょっと意地悪だけど、ときどきすごく優しくしてくれたり、鍛えているようには見えないけど実は鍛えていて強いひとだとなおいいわ!」
「……」
力強くわたしがそう答えると、なぜかエリクは黙り込んだ。
いったいどうしたのかと顔を覗きこもうとするまえにエリクは顔をあげ、にやりと意地悪な笑みを浮かべた。
「そんなやつ、いるわけないだろ。もっと現実を見なよ」
「いるもん! 今度の夜会で見つけるんだから! 今度の夜会はいっぱい人が集まるのよ。だからわたしの理想の王子さまだっているはずだわ」
「あっそ。見つかるといいね」
エリクは興味をなくしたようにそう言って、わたしから本を奪い返すとまた本に目を向けた。
それからわたしがいくら話しかけてもエリク知らん顔。聞こえないと言わんばかりに本を読み続けた。
わたしはしばらくそんなエリクをむぅと睨み続けた。だけどエリクがわたしに構う気はないとわかると、フン! と鼻を鳴らして顔を背けた。
「エリクのバカ! ぜったい、わたしの理想の王子さまを見つけてきてやるんだから! そしたらわたしに『ぼくが間違っていた。すまなかったリディ』と泣いて謝って縋るといいのだわ!」
もう一度「バーカ!」と言ってわたしはエリクに背を向けて歩き出す。
怒っています、というアピールをしたにも関わらずエリクはなにも言ってこなくて、余計に腹が立った。
──絶対、エリクを見返してやる!
わたしはそう、決意を新たにした。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
エリクはうちの近くに住んでいるわけではない。
だけど、なぜかよくうちの庭にやって来ては本を読んでいる。
エリクは王子さまだ。この国の第3王子であるのに、ただの平凡な伯爵家であるうちの庭によくやってくるのはいったいなぜなのか?
そうエリクに問えば「なにか問題があるわけ」と怒られてしまうので聞けない。
困ったわたしが父さまと母さまに訊ねると、二人はにこやかな顔をしてエリクの母親と懇意だったのだ、と答えた。
なんでもお城の暮らしはとても窮屈で、たまに逃げ出したくなるらしい。だから逃げ場を提供してほしいと、エリクの母さまにうちの両親が頼まれたのだと。
なるほど、そういう事情であったのか。
わたしはすんなりと納得したものの、なぜこの質問でエリクに怒られたのかがよくわからず、もやもやしたけれど、すぐにそのもやもやもどうでもよくなり、わたしは本を読むエリクにエリクが来るまでにあったことを一人で喋り続けた。
エリクがうちに来た最初の頃はエリクは煩わしそうな様子を隠しもせず、どんなにわたしが話しかけても無視し続けた。それでも諦めずにわたしが話しかけていると、根負けしたのか、少しずつわたしの話に応えてくれるようになったのだ。
それが嬉しくてわたしはより一層エリクに話しかけるようになり、今ではエリクを見かけると話しかけるのが習慣となっている。
しかし、だからと言って仲が良いのか、と聞かれれば首を傾げざるをえない。
なぜならエリクはわたしに対してものすごく意地悪なことばかり言うからだ。
「バカなの?」「もっと現実をみなよ」「たまに君のその能天気さが羨ましくなるよ」などなど、エリクのわたしに対する暴言の数々は語り切れない。
そんなエリクなので、わたしたちは喧嘩が絶えない。喧嘩ばかりと言っても過言ではないくらいだ。
だけど、それも次の日になればころりと忘れて、わたしはエリクに普通に話しかけてしまう。話しかけてからそういえば昨日喧嘩したのだった、ということを思い出す。しかし、エリクも昨日のことなどなかったかのように返事をするので、わたしたちは喧嘩はするけど仲直りは一度もしたことがない。
だけど、今回は違う。
エリクにとっては今までのものと変わらない喧嘩だったのかもしれない。だけど、わたしにとっては違うのだ。
昨日のエリクの暴言は聞き捨てならなかった。国中探せばわたしの理想の王子さまの一人や二人いるはずなのだ。それなのに、いるわけがないと一刀両断された。許すまじ。
理想の王子さまと結婚することは、幼い頃からのわたしの夢で、それをいるわけがないと言われたのだ。夢見る乙女として許し難い。
だから、わたしは今回はとても怒っているのだとエリクに表明するために、エリクが庭に来てもエリクに近寄らなかった。
エリクが「ごめん、ぼくが悪かった。許してくれリディ」とわたしに許しを乞うてくるまで、絶対に許さないと決めていた。
数日もすればさすがのエリクもおかしいと気付いてわたしに謝ってくるだろう──そう思っていたわたしが甘かった。
ああ見えてエリクも意地っ張りなのだ。絶対に自分からは謝らない頑固なところがあるということを、わたしはすっかり忘れていた。
エリクは謝罪はおろか、手紙の一つもわたしに寄越さなかった。なんて強情なのだろう。
この間の件を何度思い返してもわたしに非はなく、明らかに無神経なエリクの方が悪い。なのに、謝罪の一つもできないなんて!
我が幼馴染みながら、なんと呆れた男だろう。きっと彼の奥さんになる方はきっと大変だ。まだ見ぬ未来のエリクの奥さんにわたしは心から同情する。
エリクはわたしと話をしないにも関わらず、相変わらずうちの庭に来ては読書をしていた。そんなエリクの姿を、わたしは屋敷の中から見つけては、いい加減謝ってくれればいいのに、と思う。
エリクが謝ってくれさえすれば、仲直りしてあげるのに。
本当にどうしようもない男だと、呆れと通り越して感心さえ覚えてしまう。
エリクとまともに会話がないまま、わたしは社交界デビューの日を迎えた。
デビュタントの証である白いドレスを身にまとい、めいっぱいおめかしをして、わたしは意気揚々と父さまにエスコートされて会場へ向かった。
会場内にはわたしと同じく今日が社交界デビューである貴族のご令嬢がたが多くおり、期待と緊張からか、どことなく浮いた表情をしていた。
わたしもそんなうちの一人で、不躾にならない程度に辺りを観察した。
今日のわたしの目標は、わたしの理想の王子さまを見つけること。
そしてエリクをぎゃふんと言わせてやることだ。
エリクがぎゃふんと言うところなんて、正直想像ができないけれど、まあ、それはそれ。とにかくわたしはエリクを見返したいのだ。
わたしは理想の王子さま候補を探した。
あ、あの方なんてどうかしら。
あ、こっちの方もすてき、かも。
きらきらとした笑みを浮かべる貴公子たちに、早くもわたしのテンションはハイになった。
こんなにたくさんいるのだもの。絶対にわたしの理想の王子さまがこの中にいるはずだわ!
今に見てなさい、エリク。絶対にあなたをぎゃふんと言わせてやるんだから!
…とはいえ、淑女は自分から声を掛けてはならない。
だから自ら行動に移すことはできないのだ。じゃあどうするのか、と言えば、気に入った方をただじぃっと見つめるのだ。その視線に気づいた貴公子が令嬢に近づき、ダンスを申し込む。それが一般的だ。
だがわたしはそんなまどろっこしいことは出来ない。
ただ見ているだけで相手が気付くか? わたしなら絶対に気付かない自信がある。それこそ、それに気づくのは最初から気になっていた場合だけではないだろうか。気にもとめていない令嬢の視線に気づくとは考えにくい。
と、なるとやはり容姿の良し悪しがすべてだ。美しく可愛い令嬢には当然のごく、蟻のように貴公子たちが群がり、反対に可愛げのない令嬢はぽつんと壁の花になる。
容姿の他にも、身分も関係あるかもしれない。親の身分が高ければ出世が見込める。それを狙って声を掛ける計算高い方もいるだろう。
わたしの容姿が別段劣っているとは思わない。だが、特別優れているとも思わない。そして身分も伯爵令嬢という、ぱっとしないもの。
だからわたしは物語でいう、村娘Aの印象くらいしか貴公子たちに与えられないだろう。
そんなわたしが狙いを定めた貴公子たちに話しかける方法。
──それはわざとぶつかる、だ。
わざと貴公子たちにぶつかり「きゃっ、ごめんなさい」と謝れば、向こうもなんらかのアクションを起こすだろう。そこからなんとか会話を継続させ、この子良いなと思っていただき、ダンスを申し込んでもらう。
我ながらなんて素晴らしい計画だろう。自画自賛したくなるくらい素晴らしい作戦だ。
そんなことを考えながら、油断なく周りを観察していると、なんだか辺りがざわざわとしだした。
いったい何事か、と思い、皆が見ている方を見ると──。
「エリク王子がいらっしゃるなんて…なんて、珍しい」
「殿下はこういった場はお嫌いだと伺っておりましたのに…」
そんな戸惑った周りの会話なんて耳に入らないくらい、わたしは驚いていた。
エリクは人嫌い。この夜会にも出る気がないようなことを言っていたのに、どうして急に出ることにしたのか。
もしかして…わたしをからかいに!? だとしたらなんて暇なやつだろう!
邪魔をするつもりなら絶対に許さない!
そんなことを考えていると、不意にエリクを目が合った。
エリクは公式の場所であるからか、普段は下ろしている前髪を左に流し、右だけをすっきりとあげ、その端正な顔を半分だけ出していた。
正装をして顔を(半分だけ)出したエリクは本当の王子さまみたいだった。
いや、本当に王子さまなんだけど。
エリクはわたしを見ると、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべてすぐに視線を逸らした。
その笑みをたまたま目撃してしまったご令嬢から興奮したような悲鳴があがる。
わたしも興奮した。
ただし、他の令嬢とは違う意味で。
──理想の王子さまを見つけられるものなら見つけてごらんよ。
あの目はそうわたしに語って、バカにしていた目だった。
なんて…なんて腹の立つやつだろう…!
いいだろう、その挑発に敢えて乗ってやろうではないか!
絶対にこの夜会で理想の王子さまを見つけてやる、と再度決意し、わたしはエリクに背を向けてズカズカと歩きかけ──いけない、と思い直し、淑女らしく楚々として歩いた。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
理想の王子さまを見つけるべく、わたしは奮闘した。
しかし、なかなかこれと思う人物には出会えず、少し疲れてしまったので、外の空気を吸おうと思い、中庭へと出た。
人気のない庭をゆっくりと歩いているうちに、段々と気が滅入ってきてしまった。
もしかしたら、エリクの言う通り、理想の王子さまなんていないのかもしれない。
そんな弱気なことを思ってしまい、わたしは頭を軽く振る。
いいえ! 理想の王子さまはぜったいいるわ。諦めたら、だめ。
そう自分に言い聞かせ、再度気合を入れて会場へ戻ろうとした時、なにやら言い争う声が聞こえた。
痴話喧嘩かな、と思いつつも、わたしはそんなことに構っている場合ではないので気にせず会場への道を戻って行くと、段々と声が大きくなっていった。
その時点でなんだかとても嫌な予感がしたけれど、会場へはこの道を通らなければ戻れない。迂回する道がもしかしたらあるのかもしれないけれど、わたしはその道を知らず、下手な道を通れば迷子になる可能性が高い。ここの庭はとても広いのだ。知らない屋敷の庭で迷子になるのなんてごめんだった。
どうかこの声の主たちに会いませんように、と祈りながら進んで行ったけれど、その願いは残念ながら神様に届かなかったようだった。
わたしは運悪く、一人の男性と、二人の女性がなにやら揉めている場面に遭遇してしまった。
「婚約破棄よ! 浮気をするなんて、最低…!」
「違う、誤解なんだ!」
「浮気をした人はみんなそう言うのよ。もう信じられない…!」
「エリーナ、俺の話を聞いてくれ」
「触らないで!」
ベシン! とエリーナと呼ばれた女性が男性の手を叩く。
二人の間にいた女性がおろおろとして「カレヴィさま…」と男性に近づき、その手を取ろうとするのを、男性が拒否した。
「俺に触らないでくれないか、ロズリーヌ嬢」
「そんな…どうしてですか? あんなにあたしに優しくしてくださったのに…」
「君に優しくした覚えはない。俺にまとわりつくのをやめて貰えないか」
「酷い…!」
ロズリーヌと呼ばれた彼女はカレヴィと呼ばれた男性の言葉に、顔を歪めた。
ロズリーヌはとても可愛らしい顔をしたひとだ。男性からみれば庇護欲をそそるようなそんな容姿をしている。だけど…なんとなく、彼女に違和感を覚える。しかしその理由はわからなくて、すごくもやもやする。
もんもんとわたしが悩んでいる間にも言い争いは続き、エリーナはそんな二人を様子を冷めた目で見て「バカバカしい」と冷たく吐き捨てた。
「そんな茶番をわざわざ演じなくても結構よ。お二人は愛しあっているのでしょう。わたくしのような可愛げのない婚約者などさっさと捨ててしまえばいいのだわ」
「だから誤解だと言っているだろう! 彼女とはなんの関係もない。むしろ付きまとわれて困っていたくらいだ」
「どうだか…。そんなこと言っておきながら、内心では喜んでいたのではなくて? 彼女、とても男性ウケの良い方ですから。言うだけならなんとでも言えますものね?」
「違うと言っているだろう!? どうすれば君は俺の言うことを信じてくれるんだ?」
「だから、信じられないと言っているでしょう。いい加減わかっていただけないかしら」
うわあ…すごく修羅場。ここを通らないといけないなんて、なんて不運なんだろう、わたし。
どうしたものかとしばらく様子を伺ってみたものの、三人の話は平行線で、一向に話が進む気配がない。
…仕方ない。ここはわたしが気配を消して三人に気付かれないように通ろう。それしか方法もなさそうだし、女は度胸だって本にも書いてあった。
わたしは覚悟を決め、抜き足差し足で音を立てないように、気付かれないように慎重に進む。
三人の意識は完全に互いに向けられていて、周りの様子を伺う余裕はなさそうだから、きっと大丈夫。バレないはず。
あともう少しで三人の横を通り過ぎるとほっとした時、エリーナとばっちり目が合ってしまった。
げ…! いやぁな予感が…。
「そこのあなた」
「は、はい!」
呼び止められて条件反射のように返事をしてしまい、激しく後悔した。
ああ、なんで返事をしちゃったんだろう、私…いや、返事をしなくても結果は変わらなかったと思うけど。
「あなた、わたくしたちの話を聞いていて?」
「え…えーっと……」
どうしよう、なんて答えればいい?
ここは素直に頷くべき? それとも誤魔化すべき?
どうすればいいのか判断ができなくて、誰かに縋りたくなる。その誰か、にまっさきに思い浮かんだのが、あの嫌味な幼馴染みの顔だというのが実に腹立たしいけど。
なかなか答えないわたしにエリーナは「まあ、いいわ」と軽く言う。
解放してくれるのかとほっとしたのも束の間、彼女はわたしの近くにやってきて、「よく聞いてちょうだい」とわたしにこの状況説明をしだす。
…どうしてこうなったの。なぜわたしはこうなった経緯を説明されているの。
困惑しながらも彼女の話を簡潔にまとめると、エリーナとカレヴィは家同士で決められた婚約者で(このあたりはすぐに想像できた)、幼い頃から付き合いがあるのだという(つまり幼馴染みってことね)。それなりに仲良くやっていた二人だけど、数か月前からカレヴィの様子がどうもおかしい(浮気?)。怪しんだエリーナがカレヴィのことを周りにさりげなく聞くと、彼はエリーナ以外の女性とよく一緒にいるという噂を耳にし(浮気調査ってやつね!)、その現状をこの夜会でしかと目にした(浮気現場取り押さえなのね!)。なので、婚約破棄を願い出たら断られ、今に至る、と…。
なるほどなるほど。状況はよくわかった。
わかったのはいいけど、それとわたしになんの関係が? わたし、この三人に会ったのは今日が初めてなんですけどね?
……あれ。ちょっと待って。この話、どこかで聞いたことがあるような…?
でも、どこで? うーん…思い出せない…。
わたしが一人で記憶を一生懸命手繰っていると、エリーナが話しかけてきた。
「──というわけなの。あなたはどう思いまして?」
「……へ?」
記憶を手繰るのに夢中だったわたしは間抜けた返事をしてしまった。
今のわたしの顔は間抜けた顔をしているだろう。間抜けた顔選手権があったならば、かなりの上位に食い込めたはずだ。
しかし、いくら間抜けた顔選手権で上位に食い込めようとも、淑女としてその顔は不合格──なんとか誤魔化さなけらばならない!
わたしは控えめな微笑みを作り、淑女らしく答えた。
「あなたのお話を伺う限り、彼が悪いように思います」
そう答えたわたしに、エリーナは満足そうに頷いた。
よし、これでわたしの淑女らしからぬ顔を誤魔化せたに違いない。さすがわたし。やればできる子!
…そうやって自分で自分を褒めるのは、想像以上に虚しかった。
「そうでしょう? ほら、誰が聞いてもあなたが悪いと言うのだから、悪かったと認めてはいかが?」
「くっ……俺は本当に浮気なんてしていないんだ!」
エリーナは「往生際の悪いひとね」と冷めた目でカレヴィを見つめた。それにカレヴィは悔しそうに顔を歪める。
…うーん…本当に彼、浮気していないような気がする…これは彼の話を聞くべきか?
わたしが悩んでいる間にも、二人の平行線の会話は続いている。
「俺が愛しているのはエリーナだけだ!」
「そうやって、そこの彼女にもおっしゃっていたのでしょう。…もう、あなたとの会話はうんざりよ。わたくしは帰ります。帰ってお父様にこのことはお話しておくわ」
「ま、待ってくれ、エリーナ!!」
そう言って歩き出したエリーナの腕をカレヴィは掴み、それを思い切りエリーナは振りほどいた。
「彼女に触れた手でわたくしに触らないで!」
そう叫んだエリーナの瞳は潤んでいた。
──彼女はカレヴィのことが本当に好きなんだ。
そう、誰にでもわかるような目をエリーナはしていた。
これが本当に誤解なら、きっと二人とも後悔をする。なんとかしないと──とわたしが口を開きかけたとき、「──話は聞かせてもらったよ」と、聞き覚えのありすぎる、わたしにとっては今一番聞きたくない声が背後から聞こえた。
「誰だ!?」
驚いたエリーナを庇うようにカレヴィは動く。それも意図して動いたのではなく、自然とそうしたとわかる動きだった。以前にも似たようなことがあったのかもしれない。
警戒心を露わにするカレヴィに、その声の主はいつもと変わらない調子で喋り出す。
「驚かせたかな。ぼくとしてはそんなつもりはこれっぽっちもなかったんだけど。別に気配を殺して近づいたわけでもないし」
「エ、エリク殿下…!?」
カレヴィは驚いた顔をしている。その背後にいるエリーナも、若干存在を忘れられているロズリーヌも同様の表情をした。
わたしは──悲しいことに──声でわかってしまったんだけど。
「エリク殿下がどうしてここに…」
「ちょっと外の空気が吸いたくなって、庭を散歩していたのさ。そこのご令嬢と同じようにね」
そう言ってわたしを見てニヤリとエリクは笑う。わたしは笑顔が引き攣りそうになるのを必死に堪えて、淑女の微笑みを保つ。
……エリクにはなにもかもバレている気がする…わたしが嫌になって庭に出たことも、少し落ち込んでいたことも。
──もしかして、いつまでも戻らないわたしのことを心配して来てくれたとか?
……いや、エリクに限ってそれはないか。
「それで、話は聞かせてもらったけど、きみたちはすれ違ってしまっているようだね」
さらりと自然にそう言ってのけたエリクにわたしは盛大につっこみたい。
話は聞かせてもらったって言うことは、盗み聞きしていたってこと? いつから? そもそも王子さまが盗み聞きなんてしていいの? というか、聞いていたのならもう少し早く出てきてわたしを助けてよ!
「……殿下には関係のないことでは?」
ぐっと堪えるようにそう言ったカレヴィに、その通りだと盛大に頷きたい。
きっと本音では関係のない人がしゃしゃり出てくるなと言いたいのだろうけど、さすがに王子さま相手にそれは言えない。権力ってこわい。
……ちょっと待って。わたしも関係ないよね? なのになんで巻き込まれているの? なんでわたし追い返されないの? わたし、この中で身分は下の方なはずなんだけど…。
「きみの言う通り。ぼくにはまったくもって関係のないことだし、普段であれば聞かなかったことにして素通りをするところだ」
「え? そんなこと言っちゃうの?」
思わず口に出てしまい、わたしはしまったと口を両手で塞ぐがもう出てしまったあと。時すでに遅し。というか、そんなことしたら今呟いたのわたしだってまるわかりでは⁉ 素知らぬ顔をしていれば誤魔化せたんじゃ…? もう! わたしのバカ! 気づくのが遅すぎる!
内心大慌てのわたしを置いて、エリクはわたしのつっこみなど聞こえなかったかのように続きを話す。
「──だけど、そこの彼女が巻き込まれているようだから、放って置けなくてね」
そう言ってエリクが意味深に見たのはわたしだった。
エリクはわたしを助けるために出てきてくれたの? 優しいところもあるじゃない!
感動に打ち震えていると、カレヴィが不思議そうに尋ねた。
「そこのご令嬢と殿下はどのようなご関係なのですか?」
「彼女とぼくの関係か。一言で言い表すのは難しいな……」
うーん、と真剣に悩み込んだエリク。
いや、一言で言えるでしょ。わたしたち、幼馴染みでしょうが!
「もしかして、彼女は殿下の……」
思いついた、というように意味深に台詞を止めるエリーナ。
そのあと台詞は想い人とか恋人とか、そんな言葉が続くのだろうという予測は簡単にできる。いや違うからね! わたしとエリクはただの幼馴染み!
「ああ、きみたちが思っているような関係じゃないよ。強いて言うなら、彼女はぼくの──」
エリクは言葉を切り、わたしを見てニヤァと笑った。
…なにか、すごく嫌な予感がするのだけど…わたしの気のせいでありますように…!
「──彼女はぼくの“おもちゃ”かな」
気のせいじゃなかったー‼‼‼
しかもおもちゃって! なにそれ! わたしはいつからエリクのおもちゃに⁉ 人ですらないの⁉
そして感動したわたしのこの気持ちを返して‼
「は、はあ…そうですか」
「そう。だから、ぼく以外の人が遊んでいるのを見ると気分が悪い。ぼくはこう見えて心が狭くてね」
こう見えてって…どう見たって心狭そうだけど、というつっこみはあとで本人にしてやろうと思う。
「だから、早く彼女を解放してほしくてぼくが出て来たというわけ。それで、ぼくの見解を述べさせてもらうと、エリーナ嬢は彼の話をきちんと聞くべきだし、カレヴィは彼女……ええっとなんと言ったかな……ああ、そうそう。ロズリーヌ嬢に期待させるような態度を取るのをやめるべきだ。カレヴィとエリーナ嬢は両想い。婚約破棄なんてする必要はない。もっと話し合おう。はい、以上」
──え、ええ⁉ それだけ⁉ それだけなの、エリク⁉
しかも両想いって暴露しちゃっているし! 情緒のかけらもない!
ぽかんとしてエリクを見ていたのはわたしだけじゃないようで、カレヴィもエリーナも同じように見ていた。
……仲間がいた。よかった……!
「きみたち二人よりもぼくが興味あるのはきみの方だよ、ねえ? ロズリーヌ嬢?」
「……は、はいっ?」
思いっきり存在感がなかったロズリーヌにエリクが不意に話しかけたため、彼女は目をまんまるくしている。
だけど…わたしの気のせいかな。彼女はなにか焦っているような感じがする…。
「きみはなにを待っているの? さっきからずっとそわそわしていたよね? 計画外のことが起きたから焦っているのかな?」
「な、なんのことだか、あたしにはさっぱり…」
「ふぅん、惚けるんだ? まあ、いいけど。どうせきみの“仲間”から詳しいことは聞き出せるし」
「え…」
ロズリーヌはエリクの“仲間”という単語に反応し、顔を青ざめた。
でも、どうして? エリクがロズリーヌの“仲間”から詳しいことを聞くと、なにか彼女にとってよくないことがあるの?
「ここ最近、婚約破棄騒動が増えている。その騒動に紛れてこっそりと金目の物を盗み出す輩もいるようだし?」
「────ッ!」
婚約破棄騒動に金目の物を盗む輩…? あれ、それって前にエリクが新聞で読んでいた窃盗団のことじゃない?
──あ、そっか! カレヴィとエリーナの話を聞いたとき、どこかで聞き覚えがあるなあと思ったけど、それって友人たちが言っていた話だ。最近、婚約破棄騒動を起こす人たちが増えているって。その内容とエリーナが話した内容がとても似通っていたんだ。
エリクに話しかけられてロズリーヌの顔はみるみると青くなっていく。
そんな彼女を不思議に思い、じっと観察をして気づいた。最初、彼女を見たときに違和感を覚えた理由に。
「あなた…もしかして、男…?」
「‼」
わたしの問いかけにびくりと反応するロズリーヌ。
これで確定だ。彼女──いや、彼は男だ。それもとびっきり可愛い。
なんかおかしいと思ったんだよねー。いや、見た目は完全に女の子だし、声だって女の子の声だった。だけど、なんていうのかな…女の子特有のふわってした感じがなかった、というか…。女の子にしてはかくかくしているっていうか…。
「おや。リディもわかっちゃった?」
「……それどういう意味?」
わたしをバカにしているの? そういうこと?
「……ふ…ふふふ……」
「ロ、ロズリーヌさま…?」
突然笑い出した彼にわたしは戸惑った。
男だとバレておかしくなっちゃったの?
「あははははは‼ まさか、王子さまがでしゃばってくるとはねぇ…! それもあのエリク王子だし、ボクの正体がバレてしまうのも仕方ないかな?」
「…きみ、正体がバレて気がおかしくなっちゃった?」
ちょっと引き気味に言ったエリクに彼は可愛らしい顔をにんまりとさせた。
それにエリクが警戒をした次の瞬間に、彼は重たいドレスをものともせずに軽やかに動き、あっという間にわたしの背後に回り込んだ。そして、いつの間にか手に持っていたナイフをわたしの首のすぐ近くに当てた。
「──動かないでね。動いたら彼女の首がスパーンって飛んでいくよ? ボクはそれでも一向に構わないけどさ」
すぐ近くできらりと輝くナイフにわたしは恐怖で震えた。
まったくもってどうしてこうなったのか理解できないけれど、わたしが人質になってしまったことだけは、あまり回転の良くないこの頭でも理解できた。
少しでも動けば、わたしの命はない。
こういう命のやり取りとは無縁の世界で生きてきたわたしは、ただ恐怖で震え、誰かに縋ることしか考えられない。
──こわい、こわい、こわい…! 誰か……助けて……助けてエリク‼
悔しいことに、涙が勝手にあふれ出て、わたしの視界が歪んでいく。
そんな視界の中で、カレヴィは歯がゆそうに顔を顰め、エリーナは顔を青ざめているのがわかった。
そして、エリクは──。
「…………だな」
「なにか言った?」
「バカだな、って言ったんだよ。聞こえなかった? きみの耳は飾りかな?」
「…なんだって?」
ムッとしたように言った彼は、すぐにひゅっと息を飲んだ。
それはきっと、恐怖からだ。
──だって、エリクの顔は今まで見たことがないくらい、冷たくて怖い顔をしているから。
「本当にバカだよ、きみは。──彼女に手を出さなければ、痛い目に遭わずに済んだのに」
「な…なに言──」
彼がなにかを言う前に、エリクが視界から消え、次の瞬間には彼に強烈な蹴りを食らわせてわたしと引き離した。
一瞬のできごとで、わたしにはなにがなんだかさっぱりわからなかった。
カレヴィが彼の様子を確かめに近づくと、彼は気を失っているようだった。
とりあえず、わたしは解放されたらしい、ということだけ理解はできた。
「リディ、大丈夫?」
いつになく優しい声でわたしに問いかけるエリクの声を聞いて、わたしは助かったんだと、ようやく実感できた。
それと同時にわたしの涙腺が決壊した。
「エリク…エリク…! すごくこわかった…!」
「うん、そうだね」
「しんじゃうかとおもった…!」
「…うん。大丈夫。ぼくが絶対にリディを死なせないから。なにがあってもぼくがリディを助けるよ」
「う、うわあああん!」
大声をあげて泣くわたしに、エリクは呆れることなく優しく背中をさすってくれた。
わたしはそんなスーパーレアな優しいエリクに縋りついて、気が済むまで泣いた。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
あとから聞いた話によると、エリクはもともとあの夜会に出るつもりであったらしい。
なんでも、巷を騒がせている窃盗団が次に狙う家は、夜会を主催している家であると事前に情報を掴んでいたのだとか。
窃盗団は夜会の婚約破棄騒動を隠れ蓑に盗みを働くのを常套手段としていた。だから、今回の夜会でも婚約破棄騒動が起こるだろうと踏んで、警戒をしていたらしい。
しかし、エリクの想定外だったことは、その婚約破棄騒動が思っていたよりも小さなものだったこと、人目のつかない場所で修羅場が起きたこと──いつもだと人目のある会場で行われていた──だ。まあ、それにわたしが巻き込まれてしまったことも想定外だったようだけれど。
結果として、窃盗団を捕まえることができ、最近よく起きていた婚約破棄騒動はぱたりと起きなくなったという。その騒動も窃盗団が起こしていたものだったようだ。
わたしを人質にした彼は変装が得意で、窃盗団の中でも幹部クラスの立ち位置だったことがわかっている。
しかしながら、窃盗団全員を捕まえることは適わなかった。
結局、捕まえたことができたのは端の団員のみで、幹部クラスは捕まえられなかったのだ。
──そう。わたしを人質にした彼も、何者かの手助けによって逃走してしまった。
そのことを、淡々とした口調でエリクはわたしに告げた。
きっと内心では悔しく思っているに違いない。なんたってエリクは負けず嫌いなのだ。きっと頭の中は自分が捕まえた彼をどう懲らしめようかと考えているんだろう。
あ、そうそう。カレヴィとエリーナはあれから仲直りをし、後日、わたしとエリクのもとへ丁寧なことに二人そろって挨拶にきてくれた。
わたしたちのおかげでお互いの気持ちを確認し合うことができた、本当にありがとうございました、って。
そのときの二人はすごく幸せそうで、よかったなあ、としみじみ思ったものだ。
…いまだもってなぜわたしが巻き込まれたのかはわからないけれど。
「……それで? リディの理想の王子さまってやつは見つけられたわけ?」
わたしが窃盗団のことについて思いを馳せていると、いつも通りにうちの庭に来て読書をしていたエリクが、珍しく自分から話しかけてきた。
……明日、空から槍が降ってくるんじゃないかな。
そんなことを言ったらエリクが不機嫌になることは容易に想像できるから、わたしはその台詞を心に留めておく。
だってわたし、大人だし。一人前の淑女だし。
「声に出ているんだけど」
「えっ⁉ 嘘⁉」
心の声が漏れてしまっていた⁉
そんな、バカな…! わたし、もう立派なレディになったはずなのに!
「……本当、リディは変わらないよね」
「それって褒めてないよね」
「さあ? どうかな」
ふふんと意地悪に笑うエリクこそ、相変わらずだと思う。
あのとき、「ぼくがリディを守るから」と言われてちょっとときめいたのは、わたしの記憶の奥底に閉じ込めておきたいできごとだ。あのときのエリクはなんかこう、キラキラとしていて、こんな近くにわたしの王子さまが…とちょっと思っちゃったよね。気の迷いだったけど!
「…そんなことよりも、エリクってば、強かったのね。もやしみたいなのに」
「喧嘩売っているわけ?」
「いやだわ。褒めているのに」
「どう考えて褒められているように思えないんだけど…」
ちょっとムッとした様子のエリクにわたしは誤魔化すためにえへっと笑う。
すると盛大なため息をエリクは零す。
…ため息つくと幸せ逃げちゃうんだからね!
「そうそう! あのときのお礼をきちんと言えていなかったわね。助けてくれてありがとう」
「別に…きみを助けるのは僕にとって当たり前なことだから」
「え?」
それってどういう意味…?
家族みたいだから? それとも、もしかしてエリクはわたしのこと──。
「だって、リディがいなくなったら、リディで遊ぶっていうぼくの楽しみがなくなるじゃない」
「……」
…………ですよねー!
ふー、危ない危ない。危うく盛大で恥ずかしい勘違いをするところだった!
そうだよね、エリクに限ってそんなことあるわけがなかった!
「……まあ、リディが無事でよかったよ」
ぼそりと、聞こえないくらいの声音で呟いたエリクは本当に素直じゃないと思う。
まあ、素直なエリクなんて気持ち悪いだけなんだけど。
「この間はだめだったけれど、次こそはわたしの理想の王子さまを見つけてみせるわ! だからエリク、応援してね」
にっこりとわたしが笑って話しかけると、エリクは少し眩しそうに目を細め、すぐにいつもの意地悪な笑みを浮かべた。
「…まあ、頑張れば? ぼくは無理だと思うけど」
「そんなことないわ! ぜったい見つけてみせるんだから!」
「あっそ。見つかるといいね」
そう言って本に視線を落とすエリクは通常運転で。
そんなエリクを少しムッとして見つめながら、わたしは口で言ったことと正反対のことを思う。
──まだ、理想の王子さまは見つけなくていいかな、と。
もう少しだけ、エリクとこうしてのんびりとした時間を過ごしたい。
だって、わたしはエリクとこうして過ごす時間が大好きで、大切だと思っているのだから──。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リディの家から帰ると、即座に呼び出された。
それは予想できた呼び出しであり、ぼくにとって憂鬱な呼び出しでもあった。
気が進まなくとも、無視はできない。だから、渋々と指定された部屋へ向かう。
王宮はぼくにとって居心地の良い場所ではない。たとえぼくが生まれ、育った場所であっても──いや、生まれ育った場所だからこそ、ぼくはここが嫌いだ。
そんな嫌いな場所になぜ今でも留まっているのかといえば、それには理由が二つある。
一つはここが比較的リディの家に通いやすい場所にあるからだ。
リディの家で読書を楽しむのは、ぼくの唯一の癒しの時間でもある。読書くらい他の場所でもできるだろうと思うかもしれないが、ぼくにとってはリディの家で読書をするのが一番心地いいのだ。
そしてもう一つは、ぼくの“仕事”に関係がある。
“仕事”といっても、公務といった表に出てこなす仕事ではなく、裏の“仕事”だ。公式的にはぼくはなんの一切も関わり合いのない仕事。けれど、密かに受け持っている仕事。また、秘密裡に行われる仕事──そういった、決して他人様に堂々と自慢できるようなことではない仕事をぼくは請け負っている。
今回の呼び出しもその仕事関連のことだ。
指定された部屋につき、ノックをするとすぐに入れと声がかかる。
そして中にいた人物に声をかける。
「なにかご用ですか、兄上」
「相変わらず我が弟は素っ気ない……兄は悲しいぞ」
「そういうのはいいので、早く用件を」
「…つまらんなぁ」
心底がっかりしたように言う、ぼくと似た色合いの青年こそぼくの実の兄であり、この国の王太子であるジェラールだ。ぼくに厄介な仕事を押し付けている張本人でもある。
「しかし、おまえの働きのおかげで窃盗団の活動はしばらく落ち着くだろう。ひとまずご苦労だった」
「……幹部候補の少年には逃げられてしまいましたけどね」
「簡単に捕まってくれるような相手ではないことはわかっていたことだろう。下っ端でも窃盗団の何人かを捕まえられただけでひとまずは満足しておこう」
「…はい」
正直に言えば悔しいが、彼らの規模を考えれば、内通者が紛れ込んでいたとしてもおかしくはない。その可能性も考えてはいたが、あちらの方が一枚上手だったのだ。たとえ、トカゲのしっぽのようなものだとしても、彼らの仲間を捕まえることができただけで満足するべきなのだろう。
それでも、悔しいことに変わりはないのだけど。
「しばらくはおまえもゆっくりするといい。またなにかあったときは力を借りるぞ」
「はい、わかっています」
ぼくの返事に満足した兄上は、「そういえば」と話を変えた。
「おまえの幼馴染みのリディ嬢に理想の王子さまは見つかったのか?」
兄上にはリディが理想の王子さまを探していることを、ついうっかり口を滑らせてしまっていた。こんなことをリディに知られたら面倒なことになる。そのため、知らないふりをしていてほしいと兄上には頼んである。
「そんなもの、見つかるわけがないでしょう」
「なぜだ? いるかもしれないだろう?」
不思議そうな顔をして問いかける兄上に、ぼくにはにっこりと笑みを浮かべて答える。
「リディの理想の王子さまの条件を満たす人間なんて、ぼく以外にありえませんから」
「……」
だって、そうでしょう?
リディよりも背が高く、格好良くて、とても頭が良くて、ちょっと意地悪だけどときどき優しくて、鍛えているようには見えないけど実は鍛えている強い人──その条件に当てはまる人間が、ぼく以外にどこにいるのというのか。
「逆にぼく以外にいるのなら教えてもらいたいくらいです」
「……おまえのそういうところが私は羨ましい……」
「どういう意味ですか、兄上」
「そのままの意味だ。あー……しかし、万が一、ということもあるだろう。エリク以外の理想の王子さまが見つかってリディ嬢が惹かれるという可能性も──」
「ありえませんね。リディがぼく以外の誰かを好きになることなんて絶対に。──そんなこと、絶対にさせません」
にっこりと笑って言ったぼくに、なぜか兄上は引きつった笑みを浮かべ、しきりにリディに謝っている。兄上は時折よくわからない行動をする。
まあ、ぼくにはどうでもいいことだけど。
──さて。どうやってリディにぼくがきみの理想の王子さまだと自覚させようか。
その方法を考えるのが、今のぼくの楽しみである。
─完─