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傷口の血を絞り出し、止血を済ませると、ベンジャミンはトムソンをベッドに寝かせた。傷そのものは深くなかったが、体力や精神力の消耗からか、処置が終わる頃にはトムソンは眠っていた。その様子を心配そうに見つめるマールとティムの前に、トムソンの荒い寝息だけが響く。
「まったく、無茶するんだから」
小さな声でそう言って、マールがため息をつく。呆れたような調子ではあるが、責めるような響きはない。我が身を顧みずに息子を助けようとしたこと自体については、少し誇らしく思っているらしい。
「なあ、おっさん。父ちゃんは……」
「出血の方は、まあ問題ねえ。ただ、あの手の獣は厄介な病原菌持ってる可能性があるから、早めに殺菌しとかねえと危ねえかもな」
「それって、やべえじゃん!」
不安げな顔で尋ねたティムが、説明を受けて慌てる。元はと言えば自分のために負った傷なのだから、さすがに腕白な子供と言えども責任を感じているのだろう。
「落ち着けよ、だから俺がいるんだろうが。森に行きゃあ大概の薬草はある。今から行って取ってくれば、大した事にはならねえはずだ」
そう言ってベンジャミンは、胸を張った。マールが申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめんね、あなたにばっかり苦労かけて」
「へっ、そいつは言わねえ約束だ。それに、いつも言ってんだろ。俺は英雄だってな」
ニヤリと笑って力こぶを作ってみせると、ベンジャミンは二人に見送られながら家を出る。
太陽は真上を少し通り過ぎ、わずかに傾き始めていた。しかし、まだ陽が落ちるまでには十分な余裕がある。昨日のように真っ暗な森を駆けずり回るような事態にならないと思うだけで、気が軽い。だが、今回は強い殺菌作用のある薬草が必要だ。ベンジャミンの記憶にある限り、そう頻繁に見つかるものではない。トムソンの体調を考えても、楽観視はしない方が良いだろう。
ベンジャミンは森に向かう前に自宅に寄ると、家の近くに転がしてあった枝と適当なボロ布で松明をこしらえた。ベンジャミンは普段、明かりとして松明を持ち歩くことは無い。いちいち手元の火に注意を配るのは面倒だし、かと言って気を抜けばうっかり服や草木を焦がしてしまったり、火が消えてしまったりするためだ。持ち歩くならばランタンの方が、よほど使い勝手が良かった。それにもかかわらず松明を作ったのは、明かりのためではなく、魔獣に出くわすことを警戒したためだ。ベンジャミンはあまり慎重な性格ではなかったが、さすがについ先ほど襲われたばかりともなれば、用心も必要だと感じていた。
一般に獣は火を怖がると言われるが、厳密にはあまり正しくない。火を警戒する獣もいるが、好奇心から積極的に寄り付く獣も、決して少なくないのだ。しかし、松明には武器としての価値がある。火を警戒しない獣はいても、鼻先を火で炙られても闘争心を保っているような獣は見たことがない。
何より先程の人狼のような相手の場合、斧による有効打を与えることは非常に難しい。軽く当てた程度では毛皮に阻まれて大した傷にならないし、大振りの一撃は十中八九、躱されてしまうからだ。先程の戦いではトムソンを襲ったことで隙ができ、上手く攻撃が当たったが、そんな機会は何度もあるものではない……と言うより、あってもらっては困る。
とにかく松明一本でも、斧だけで戦うよりは相当マシなはずだ。もちろん何も起きないならそれに越したことは無いのだが、この程度の対策はしておくべきだろう。そろそろ腹も減っていたが、のんびりと食事をしている暇はない。ベンジャミンは水だけ腹に流し込むと、森へと向かった。
森の入り口に差し掛かった頃、東側の道から何かが近付く音が聞こえた。まさかいきなり魔獣に出くわしたかとベンジャミンは身構えたが、音の方を向くと、そこにあったのは人の姿だった。行商人かとも思ったが、身なりからすると違うらしい。歳は若く、十代半ばほどの少女である。ぼさぼさとした亜麻色の髪を頭の後ろで一つに縛っており、麻布の粗末な服の上に、少し丈の短いマントを羽織っている。服装は典型的な旅人のものであったが、この物騒な時期に少女が一人で旅をするとは、どうにも考えにくかった。腰には剣を下げていたが、それをまともに振り回せるかどうかも怪しい。なんとも謎が尽きないが、しかし、今はそれどころではないのだ。ベンジャミンは、そのまま無視して森へと入ろうとした。
「すみませーん、西のお城って、こっちの道でいいですかー?」
大きく手を振って存在を主張しながら、活発そうな良く通る声で、少女が声をかけた。ベンジャミンは面倒だという思いと、好奇心が半々ほど混ざった気分で、少女へと向き直った。
「ああ、このまま南に行くと小さい村がある。そこを通り過ぎて、あとは道なりに進むだけだ」
「ありがとうございます!それじゃあ、失礼しまーす!」
大きな声でそう言って頭を下げると、少女は南へと向かっていった。
少女の来た道は、世界の西と東を繋ぐ山へと続いている。東西を繋ぐ道は世界の北と南に一本ずつ存在するが、南方で戦争が行われている現在では、この山道が世界の東西を渡る唯一の道となっている。
現状、わざわざ山を越えて東西を渡る人間は、二種類だ。東西を問わず商売をしている行商人か、もしくは敵国に寝返った傭兵である。あの少女はどう見ても行商人ではなかったし、城への用と言うならば、傭兵と考えるのが妥当だろう。しかし子供、それも戦い慣れていなさそうな女が傭兵と言うのも、どうにもしっくり来ない。たった一人で山を越えてきたところを見ると、実は相当に腕が立つのだろうか?
次々に浮き出る疑問を打ち切って、ベンジャミンは森へと向き直った。どのみち、あの少女が何者かなど、俺には大して関係のある事ではないのだ。余計な事は気にせず、さっさと薬草を探さねばならない。ベンジャミンは腕を振って景気を付けると、大股で森の中へと向かっていった。




