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女神の体が、音もなく浮き上がる。冷笑を浮かべたまま両手を広げると、その手の平に黒い光が収束し、無数の黒い矢が二人にめがけて放たれた。
ベンジャミンは飛び退いて躱しつつ、その威力を確かめるため、追って放たれる矢の一部をあえて盾で受ける。大きな石が叩きつけられるような衝撃がいくつか、腕に伝わるのを感じた。
矢を躱しつつ、エステルは前に出ていた。そのまま女神へ接近し、攻撃を加えようとする。その時、エステルが進む先の上空に、バチバチと弾ける光球が作り出されていたことに、ベンジャミンは気付く。
「エステル!」
彼女向かって、叫ぶ。危険を察したエステルは前進を止め、矢を躱しながら後方へ飛び退いた。その瞬間、エステルの少し前方の地面に、黒い雷が叩きつける。
光の矢と、雷の光球。見覚えのある戦闘の光景だと、ベンジャミンは気付く。思えば、あの精霊が女神の分身とするなら、用いる力や、その戦い方が似通っているのも、当然のことだ。あの精霊が俺たちと戦ったのは、ただ力を試すだけでなく、俺たちに女神との戦闘のリハーサルをさせる意図があったのだろう。
精霊は、自分の力など女神の持つ力の、ほんの一部に過ぎないと言った。ならば、女神が他の攻撃手段を隠し持っている可能性は大きいだろう。しかし、こちらには女神の祭壇で手にいれた剣がある。戦力が上がっているのは、こちらも同じことだ。相手の戦術を読めている分、こちらに分がある。
ベンジャミンは矢を防ぎつつ、頭上への警戒も怠らない。その上で女神との距離を詰めるのは困難を極めたが、エステルと自分を同時に攻撃するのは、いかに女神と言えども楽ではないのか、少し攻撃が甘い。付け入る隙は、見えていた。
二人が、矢と雷撃へ的確に対処する様子に、女神の顔から冷笑が消える。わずかばかりの怒りか、あるいは煩わしさを感じたように、口を一文字に結んでいた。そして、より手に力を込めるようにしたかと思うと、放たれる矢の勢いが増した。
嵐のように放たれる矢に、ベンジャミンはたじろぐ。数を増した黒の矢は以前にも増して回避が難しくなり、盾で防ぐ腕への衝撃も重くなった。このままでは、防ぎきれなくなる。
希望を求めてエステルへ目を向けてみると、彼女も矢を躱すのに必死になっていた。なんとか距離を詰めようとするも、女神から五、六メートルほど離れた位置を行ったり来たりしており、それ以上は近付けない様子だ。このままジリ貧か、と思ったベンジャミンの眼前、エステルが一瞬、手の平を天に向け、それから飛び退いた。
何事かとベンジャミンが見ていると、数拍置いて急速に女神の頭上に光が集まり、雷を放つ光球が作り出された。真下の女神めがけて、激しい稲光が落ちる。
女神は目にもとまらぬ速度で側方へ移動し、それを躱した。上手く不意を突いたはずの攻撃だったが、回避されたことに二人は悔しそうな表情を浮かべる。だが、女神の攻撃が一瞬止んだ。
二人は素早く気を取り直し、女神へと駆ける。五、四、三メートル。距離を詰める二人に女神は両手を向けるが、今度は矢を放たない。その様子にもまた、二人は見覚えがあった。
女神の攻撃を予測し、武器の射程に入る直前、二人は後方へ飛び退く。それとほぼ同時に、女神の全身から強力な黒い光の波動が放たれ、激しい衝撃波となって打ち付ける。しかし、直前で距離を取りつつ、後方に跳んで勢いを殺した二人に、さほどのダメージは無かった。
やはり今の攻撃は、女神にとっても大技だったのだろう。それが不発に終わったことに、女神の顔にも明確な怒りの表情が浮かぶ。
相手は精神的に崩れ始めて来ている。察したベンジャミンは、この好機を逃すまいと一気に攻め込む。女神に向けて走るベンジャミンに、再び矢を放とうと女神が手を向ける。その手を、エステルが放った光の矢が撃ち抜いた。
「おおおおおああッ!!」
雄叫びをあげながら、ベンジャミンは女神に横薙ぎの一撃を繰り出す。刃は吸い込まれるように女神の脇腹へと打ち込まれ、その一撃に女神は大きく跳ね飛ばされた。女神は素早く体勢を立て直すが、決して小さくないダメージを受けている。もはや初めの頃の余裕そうな態度は、どこにも無い。激しい敵愾心を持ち、ベンジャミンたちを睨んだ。
再び女神は、黒い矢と雷の光球を放つが、これまでの戦闘の消耗や、今の一撃のダメージがあってか、攻撃は正確さを欠いてきていた。矢の放たれる速度、量は不安定になり、光球の作り出される位置は大きくブレる。一つのミスがさらなる焦りを生み、次の攻撃の失敗を招く。何度も繰り返すうち、もはや女神はメチャクチャに矢と光球を打ち出すようになっていた。
もちろん、そんな隙だらけの状態を、エステルが見逃すはずはない。女神の攻撃の合間を縫って、どんどんと距離を詰める。そして、ついに剣の射程に捉えると、矢を放ち続ける女神の腕を、一撃で斬り落とした。
ドサリという音を立て、女神の右腕が地面に落ちる。傷口から赤黒い血が流れ出し、足元で輝きを放つ草の葉を、どす黒く染めてゆく。女神は苦痛に顔をゆがめ、膝を付いた。
エステルは数歩下がって、女神の反応を窺う。もう、勝負はついただろう。自分たちの目的は、女神を殺すことではない。負けを認めて考えを改めてくれることを、期待していた。それに、仮にも女神、それも傷付いた相手をさらに痛めつけることは心苦しかった。
「何故だ……」
体を震わせながら、女神は言った。激しい怨恨を込めた声だ。
「我が力の欠片を受けただけの人間が、なぜ、こうも容易く我を凌駕する……?」
「何だよ。女神のくせに、そんなことも分からねえのかよ」
震えながら話す女神に、挑発的な笑みを浮かべたベンジャミンが答えた。女神はベンジャミンを睨み付ける。
「女神の力が、人の夢の力だってんなら……俺とこいつの、夢の力ってやつがてめえを超えてる。そんだけの話だろうが。元はと言えば、てめえを産み出した力だぜ?産みの親の力に、ガキが勝てるかよ」
得意げに胸を張って、ベンジャミンは語る。それに、エステルが続いた。
「私たちは、生きるために戦ってる。生きて、もっと幸せな未来を作るために。ただ一人で絶望して、破滅なんかを望んでるあなたに、負けるわけにはいかない!」
二人の言葉を聞き、女神は俯いて黙り込む。荒い呼吸と、女神の腕からボタボタと流れ落ちる血の音だけが響く。それから突如、女神が笑い始めた。
「夢、未来……ふふ、ははははは……!」
女神の態度の急変に、二人は怯んだ。女神は狂ったように、ひとしきり笑い、また無表情に戻った。
「……ならば、そなたらの言う意志の力を、とくと目に焼き付けるがよい」
そう口にした瞬間、どす黒い力の奔流が、暴風と共に女神の体を取り巻き始めた。大地が鳴動し、周囲の草木や空間から、急速に光が失われてゆく。
瘴気と呼ぶべきか、その黒い風は女神の体へ凄まじい勢いで取り込まれ、女神の白い肌までも、漆黒に染め上げた。二人はその光景と激しい力の流れに気圧され、身動きが取れない。女神は残された左腕を天へ突き上げ、叫ぶ。
「さあ集え!この世界に満ちる、遺恨たちよ!我が身に宿り、破壊と滅亡の姿を、ここに顕現させるのだ!」
その言葉を合図にしたように、周囲を舞う黒い風は大幅に力を強め、一帯を埋め尽くす。漆黒の瘴気に包まれ、二人は数メートル先に立っている女神の姿すら、見えなくなった。
身に纏わりつく瘴気に、頭がクラクラとする。吸い込む度に肺の中を穢され、吐き気を催しそうになる。
たまらなく不愉快で、どこか懐かしい感覚。エステルを殺したいほど恨んだ、あの時の感覚に似ていた。
真っ暗な闇の中、その感覚に、ベンジャミンは取り込まれそうになる。
その彼の手を、エステルが掴んだ。小さくて、柔らかな手だった。ベンジャミンは、その手を握り返す。
すると、胸の中を埋め尽くしていた不快さが、すっと消えていった。そうだ、こんな邪念に呑まれている場合ではない。
周囲を取り込む漆黒の瘴気が、少しずつ晴れてゆく。闇が消え、再び体を照らす陽光の温かさに、安らぎを感じる。しかし、その安らぎは眼前の光景によって、一瞬にしてかき消された。
「何、これ……」
エステルが絶句する。二人の目の前、女神の居た場所には、おぞましい姿をした怪物が佇んでいた。大きさは四、五メートルはあり、あらゆる生物をめちゃくちゃに継ぎ合わせたような姿をしている。
蜘蛛のような虫、あるいはタコの触手、そして植物の蔓のような脚が、それぞれ数十本も蠢き、その上に乗った胴体らしきものは、獣の毛皮に覆われたような部分もあれば、大木の肌のような部分もある。
側面には動物の腕や翼、あるいは植物の葉や枝が無数に伸び、それぞれが一匹の動物のように動く。そして、その胴体の上に、かろうじて人の形をした頭部が乗っている。
それは僅かばかり女神の面影を残していたが、まるで福笑いのようにパーツがでたらめに配置され、目は四つ、五つ……顔の側面にも並び、いくつあるかも分からない。
「これが女神……?どう見ても、バケモンじゃねえか……」
本当にこの世の生物なのかも疑わしい怪物を前に、それ以上の言葉が出てこない。唖然とする二人に、怪物が語り掛ける。
「化物……そうか、我は醜いか?これが、そなたら人の遺恨、憤怒、憎悪……それらの感情の作り上げし姿。我が姿の醜きは、己が醜さと知れ!」
瘴気を撒き散らしながら、怪物が怒号を発する。だが、それに身じろぎもせず、エステルは口を開いた。
「たとえ、人に醜い心があったって、それが人の全てじゃない。少しでも、人の中に夢があるなら……私は、それを守る!この世界を、滅ぼさせはしない!」
「――ならば、守るべき世界の意志に押し潰されよ!その手の、一握りの夢と共に!!」
怪物は身を震わせ、無数の目に怒りを宿しながら、臨戦態勢を取った。
二人は互いに顔を見合わせ、行くぞ、と合図をするように頷く。これが、最後の戦いだ。




