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この恵まれた世界の中で  作者: 雀村桜子
女神と世界
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 そこに広がる光景に、ベンジャミンは目を奪われ、立ち止まった。周囲には絶えず光の粒子が舞い、木々の葉は青緑色に明滅を繰り返す。浅い川を流れる水も、周囲を飛び交う鳥たちの姿さえ、輝いて見えた。

 ここと似たような光景を、見た覚えがある。エステルの村の西、『生命の水』と呼ばれる霊水のあった洞窟の奥地だ。確か、あそこの水や木々も、同じように輝いていた。これは、女神の力の輝きなのだろう。

「おじさん、急ごう」

 エステルの声で我に返り、森の奥へと歩を進める。戦場の側から、追ってくる魔獣の姿はない。まだ兵士たちが食い止めてくれているのだろうか。

 周囲に野生動物の気配は絶えず、特に鳥の数が、ここは極端に多い。戦場を抜けて駆け込む必要が無いためだろう。世界中の鳥のほとんどが、ここに集まってきているようにさえ感じる。

 その中には当然、襲い来る者たちもいた。特に攻撃的なものと言えば、もちろんあの、赤いトサカを持った……ニワトリだ。あちらこちらの木から、何の前触れもなく飛びかかってきては、嘴の一撃を加えようとしてくる。

 しかし、もはやニワトリごとき、二人にとっては大した敵ではない。特に女神の祭壇で手に入れた剣を持つエステルの力は凄まじく、軽く撫で斬るようにするだけで、襲い来る鳥は真っ二つになった。

 そしてベンジャミンもまた、この旅の中で少なからず成長していた。飛びかかるニワトリに素早く反応し、その身を斧で叩き切る。稀に躱されることもあったが、その時は素早く、盾を構えて攻撃を防ぐ。場合によっては、そのまま盾で殴り倒すこともできた。

 百戦錬磨とまでは言わずとも、二人ともこれまでの旅の中で、多くの戦闘経験を積んできた。もはやただの獣や鳥など、まるで恐るるに足らない。それどころか、人狼ほどの魔獣ですら、今のエステルの力をもってすれば十把一絡げの雑兵として扱えるほどだ。

 次々に敵を薙ぎ倒す二人の姿に、周囲の獣たちも委縮したか、徐々に襲い来る鳥や、獣の数も少なくなってゆく。さらに森の奥へと進んでゆくと、ぱたりと動物の気配を感じなくなった。

 ついに、追うのを諦めたか?いや、違う。そんな理由ではない。二人は本能的に、感じ取っていた。獣たちは、この先にある、もっと大きな存在を畏れているのだ。間違いない。女神の樹は、もう目と鼻の先にある。

 程なくして、曲がりくねっていた森の道が、まっすぐに開けた。その正面には、さらに大きく開けた場所。そこに、周辺の木よりも遥か大きく、強い輝きを放つ、美しい大樹があった。

 女神の樹だ。二人は、一目見た瞬間に理解した。

 その幹は、大地と天を繋ぐ柱のように太い。人が十人、二十人集まって手を繋いでも、囲えるか分からない。力強く伸びた無数の枝は、その一本一本から息づく声さえ聞こえるほど活力に満ちている。それを彩る青々とした葉たちは瑞々しく、キラキラと輝きながら光の粒子を散らしている。

 その堂々たる佇まいに息を呑み、目を見開く。体が震えるのは武者震いだろうか。それとも、畏怖の念によるものだろうか。二人は顔を合わせ、覚悟を決めたように頷くと、力強く歩を進めた。

 まっすぐに伸びた道を進み、女神の樹へ近付く。すると、木のふもとに立つ人影があることに、二人は気付いた。真っ黒な髪を腰まで伸ばし、同じく黒い衣服に身を包んだ女だ。両手を少し広げて、女神の樹を見上げていた。

 こんな所に、普通の人間がいるはずもない。だとすれば、思い当たる存在は、ただ一つだけだ。二人が近付くと、その女は振り向いた。

 その顔は、髪や衣服と同じ漆黒の瞳をしていたが、それとは対照的に、肌は陶器のように白い。まっすぐに伸びた鼻と、薄い唇は肌の白さと相まって生気を感じさせず、人の形をした彫刻や置物のように見える。

「――来たか。何より忌まわしき、我が産みの親よ」

「産みの親……?」

 女は、重く冷厳な威圧感のある声で、語りかける。その言葉の意味が掴めず、ベンジャミンはオウム返しをした。それに眉一つ動かさず、女は言葉を続ける。

「我は、人の夢より生まれしもの。人の夢より生まれ、人の願いを叶えしもの」

「じゃあ、あなたが……」

「左様。我は人に、女神と呼ばれし存在。この樹を、そして世界を司るもの」

 問いかけるエステルに、女は答えた。二人の予想した通りの答えだった。それを聞いたエステルが、語調を強めて、女神へ問う。

「どうして、あなたは……この世界を、滅ぼそうとするの?」

「我の願いは、人の願い。我が人を滅ぼさんと願う、それ即ち、人が自らの破滅を望んだからに他ならぬ」

「そんなはずない!みんな、生きたいから必死になって戦ってる!救いを求めて、なんとかして生きようって、必死になってる!それなのに……あなたには、必死に生きようとしている人たちの……魔獣たちの、生き物たちの、そんな声が、何も聞こえないの!?」

「聞こえている。己が欲に任せ、意に添わぬものを排除し、醜き衝動に身を委ねる声が」

 声を荒げるエステルの様子すら、女神はまるで意に介さず、皮肉を込めて鼻先であしらう。エステルは泣きそうな顔をして口をつぐみ、次の言葉を探す。そこに、ベンジャミンが割って入った。

「おい、クソ女神。なら、こいつはどうなんだよ?勝手に救世主にされて、身の回りの物、全部奪われて……それでも世界救おうとしてんだぞ。自分の夢とか、栄光のためですらねえ……他人のためだけに、必死こいて世界を救おうとしてる、こいつが見えてんだろ?」

 俺は誰よりも、エステルの想いを、苦しみを、間近で見てきた。下らない嫉妬心で自分を殺そうとした愚かな男さえ受け入れ、信頼してきた彼女を、ただ欲のままに生きる醜い生物と一緒くたにすることは、たとえ女神でも許さない。ベンジャミンは己の思いを言葉にして、女神に叩きつける。だが、女神の表情は、揺るがない。

「して、その気高き者から全てを奪ったのは、果たして何者であったか。全てを奪いしは、我ではない。己が希望たる者を、己が手で苦しめる。それが人だ。そのような者を、なぜ救う必要がある?」

「――元はと言えば、てめえが勝手に世界に手ェ出したせいで全部おかしくなってんだろうが!」

「それで迷走せしは、人の所業よ。与えられた糧に安堵し、己が夢を見失い、我を堕落させたのは、そなたらだ」

「こンの……ああ言えば、こう言いやがる……」

 馬の耳に念仏とは、このことだ。ベンジャミンは舌打ちし、歯ぎしりをする。何を言おうとも女神は全く聞く耳を持たず、ただ皮肉を返すだけだ。もはや口で説得することは、ベンジャミンには不可能だった。

「一体、どうすればあなたは……この世界を支えてくれるんですか?」

 懇願するように、エステルが問いかける。何か一つでも、女神の心が分かれば。そんな彼女の思いも虚しく、女神はまるで相手にしない。

「もはや、交渉の余地などない。我らの行く先は、破滅のみよ。招かれざる英雄よ。早々にこの地を立ち去るがいい。そして、我と共に滅びるのだ」

 エステルは、落胆と絶望の表情を浮かべる。もはや口で説得することは本当に不可能だと、彼女も理解したのだろう。

 だが、それならばどうする?言われた通りに帰って、滅びを待つことなど、こいつを説得する以上に無駄な選択だ。ならば……。

「……嫌だ、と言ったら?」

 ベンジャミンは敵意を向けながら、問いかける。その言葉に、女神が臨戦態勢を取った。

「知れたことよ。今この地で屍となり、滅び去るのみ」

 その瞬間、周囲の重く冷たい空気が、一層に強くなる。だがベンジャミンは恐れず、むしろその反応を待っていたと言うような顔をして、斧を構える。

「ハッ……結局、そう来るってわけかよ」

「武器を下げよ。女神たる我に刃を向けるは、天に唾するに等しき行為」

「どうせ引きゃあ滅びるんだろ。なら、天に唾でもクソでも吐いてやるぜ」

 そうだ、この方が、よっぽど分かりやすい。ベンジャミンはニヤリと微笑む。口で言って聞かないなら、ブン殴って言うことを聞かせるしかないだろう。先程からの煽るような言動には相当むかっ腹が立っていたし、手荒な解決の方が、スッキリしそうだ。

 もはや戦いは避けられない様子を見て、エステルも身構えた。そして、叫ぶ。

「私たちだって、こんなことは望んでない。けど、あなたの思う通りにさせるわけにもいかない!」

 二人の様子に、初めて女神の表情が変わる。目を細め、口角を少し吊り上げたその表情は、怒りや恐怖ではない。冷笑だ。

「愚かな……我が力の一部を受けた程度で、人を超えたと錯覚したか」

 そして、その目をかっと見開き、叫ぶ。

「ならば、それも良いだろう。己が愚かさを知り、今、この地に滅びゆくがよい!」

 女神の声が、静かな森にこだまする。同時に放たれる冷たい威圧感に抗うように、二人は武器を握る手に力を込めた。

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