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ベンジャミンは客室に戻って、ようやく一息ついた。
まだ時間としては昼になったばかりだったが、船旅をし、西の大地を歩き、女神の祭壇で戦い、そして今は東の王城に居るのだ。目まぐるしく変わる状況に、かなりの気疲れをしていた。
「そういや、城の方で料理とか、出してくれんのか?」
「……出ないんじゃないかな。あんまり豊かな国じゃないし」
苦笑いをして、エステルが答えた。
まあ、そうだろうなと思いつつも、少し残念だった。国王に後押しされて、世界を救う戦いに赴くなど、滅多にある事ではないのだ。豪勢な料理など振る舞われる事にも、少しは期待したくもなる。
しかし、俺が世界を救う戦いに参加するなど、人生何が起こるか分からないものだと、ベンジャミンはしみじみ感じる。もっとも、その主役は自分ではなく、エステルの方なのだが。それでも、こんな経験は誰にでもできるものではない。あの時、彼女の旅に付き添う選択をしたことは、間違っていなかったのだ。
結局のところ、取ることになった策は強行突破という単純かつ危険極まりないものになったが、そこに不満はなかった。以前は、本当に女神の樹へ辿り着けたとして世界を救えるかどうかも分からなかったが、今は違う。女神に考えを改めさせ、豊饒な世界を取り戻す。確信のある目的が、今は存在するのだ。
二人で談笑したり、無意味に城内を徘徊してみたり、街に出てみたり。そわそわとして収まらない心を抱えながら、二人は過ごした。そして、ようやく日が落ちてくると、今度こそベッドに入り込んだ。
「……絶対、生きて帰ってくるぞ」
ベンジャミンはエステルに向けて言ったか、もしくは自分自身に言い聞かせるように、呟いた。エステルの返事は無い。わざわざ返事をするまでもないと思ったのか、返事をできなかったのか、ベンジャミンには分からなかった。
翌朝、二人はまだ空の暗いうちから、誰に起こされるともなく目を覚ました。興奮で全身に活力がみなぎり、眠気など少しも感じない。軽く体をほぐして、二人は部屋を出た。
早朝から作戦を開始するつもりならば、これくらいの時間でも早すぎはしないだろう。玉座の間の様子を見に行くと、そこに王がいた。
「おお、おぬしたちか。もう少し経ったら、兵士を向かわせようと思っておったのだが」
なんとなく、ベンジャミンは誇らしげな気分になった。決戦の当日にグースカと眠りこけていては格好がつかない。
「もうじき、兵士を集めるつもりだ。二人も準備ができたら、城の入り口前へと向かってほしい。私も、そこへ向かう」
二人は返事をして、城を出た。それから適当に食事を取って城の入口へと戻ると、まばらに兵士たちが集まり始めていた。二人は適当な位置に立って、王が来るのを待つ。程なくして、王が現れた。
王は二人に、前へ出るように促した。言われた通りに前へと進み、王の横に立って、兵士たちの方へと向き直る。集まった兵士は、あまり多くない。せいぜい三十人ほどだ。とは言え、あくまで今回の目的は女神の樹への到達であって敵の殲滅ではないので、これでも十分だろう。
「皆の者よ。今日、この場に集まってくれたことに、感謝する。我らの目的は、この二人……救世主たちを、女神の樹まで送り届けることだ。敵兵の討伐や、王都の防衛は他の者に任せ、その目的だけに集中してもらいたい」
兵士たちの間に、どよめきが広がる。それは、作戦の目的に対する違和感だろうか。それとも、ベンジャミンの存在に対してだろうか。当たり前のように『救世主たち』と呼ばれたことに対し、ベンジャミンはプレッシャーを感じていた。
「おそらく……いや間違いなく、厳しい戦いとなるだろう。だが、何としても成し遂げてもらいたい。なぜなら、彼らこそ、この国の……いや、この世界の、最後の希望なのだ!」
「オオーーーッ!」
王の言葉に、歓声を含んだ雄叫びが湧き上がる。そして、王が手で示すと一斉に町の外を目指し、行軍を始めた。ベンジャミンたちもそれに合わせ、歩き出す。プレッシャーと、それ以上の高揚感。本当に、世界を救う戦いへ赴くのだという実感が、どんどんと湧き上がってくる。
町を抜け、西の方角へ歩いてゆく。戦場は、世界の中心に位置する女神の樹から真南に伸びた道の周辺だ。このまま進み、数時間で到達するだろう。砂ばかりの広がる大地を、ひたすらに歩いてゆく。照り付ける太陽すら、高揚する者たちの体力は奪えない。
歩き続けるうち、徐々に空気の振動を感じるようになる。遠くで繰り広げられる戦いの余波だ。鼓膜に響く声は微かに、だが近付くほどに確実に、激しい戦いを伝えている。風が運ぶ砂の香りの中に、少しずつ血なまぐさい臭いが増えてゆく。
遠くに、戦う者たちの姿が、わずかに感じられた。それに気付いた兵士たちは陣形を変え、二人を包み込むように並ぶ。そして、少しずつ歩調を速めてゆく。ゆっくりとした行軍が早足になり、徐々に駆け足気味に、そして全速力となって、戦争の真っただ中に突入する。
むせ返るような血の臭いと、そこに交じる獣の臭い。西部の兵、東部の兵、そして魔獣までもが、入り乱れて戦っていた。足音、剣戟の音、雄叫び、そして断末魔。あらゆる音が響き、意識を持っていかれそうになる中、エステルの叫び声が聞こえる。
「おじさん、死なないでね!」
「当たり前だ!」
ベンジャミンは応え、叫び、駆け行く。周囲を走る兵が、襲い来る魔獣と西部兵を止めるため、一人、また一人と減ってゆく。だが、ベンジャミンたちは走る速度を落とさない。女神の樹というただ一点の目的地だけを見据え、ただ全力で、走り続ける。
道は少しずつ坂が増え、走るベンジャミンたちの体力を奪う。活力を与えるのは、その丘の先の森だ。女神の樹があるのは、その中だ。森に近付き、木々が視界を大きく埋めるようになるにつれて、戦いは、より激しさを増してゆく。三十人ほどいたはずの兵士たちは、気付けば十人も残っていない。それでも、確実に、女神の樹へと近付いている。
息を切らしながらも、ベンジャミンは走り続ける。疲れなど感じている暇はない。女神の樹のある森までは、もう数百メートル程度の距離だ。森へと続く道は細く、さらに傾斜がきつくなっている。その細い坂道一本だけが、女神の樹へと続く唯一の通路だ。
周囲には、人狼や牛頭を含む、高位の魔獣たちが、目を血走らせて迫る。この先には進ませないと、ベンジャミンたちを狙って飛びかかり、その腕を、爪を振るう。兵士たちが、それを身を挺して止める。
ベンジャミンたちが、坂道へと辿り着いた。そこで、残っていた数人の兵士たちは立ち止まり、振り向く。後ろの敵は自分たちが食い止める。お前たちは進め。そう言っているようだった。彼らの奮闘あって、ベンジャミンとエステルは、ほぼ無傷でここまで辿り着いていた。
そして二人は、きつい傾斜のかかった道を駆け上がる。道を塞ぐ魔獣を薙ぎ払い、無我夢中で進む。そのうち、砂で覆われていた道に、徐々に緑が増えてくる。森は、もうすぐそこだ。
二人はさらに足に力を込め、玉の汗を散らしながら、森へと駆け込んでいった。




