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精霊はしばらく倒れていたが、ゆっくりと体を起こした。もう、戦おうという姿勢は見せていない。
「……驚きました。まさか、あの状況でなお、手加減をする余裕が残っていたとは」
「加減できねえから、斧を使わなかったんだよ。素手なら全力でトドメ刺しに行っても、死にゃしねえだろ」
ベンジャミンは不愉快そうに、そう答えた。実際、本当に斧で叩き切って構わなかったならば、そうしていただろう。しかし、仮にもこの地を守護する存在というならば、殺してしまうのは問題がある。だからこそ、最後は素手で攻撃をしたのだ。
その様子を見て精霊は、わずかに微笑んだ。
「それを手加減と言うのですよ。あなたはとても、優しい心の持ち主です」
突然の誉め言葉に、ベンジャミンは戸惑った。背中がムズムズする。優しいなんて、俺のガラじゃない。
話している間にエステルは起き上がり、ベンジャミンの隣へ移動した。瞬間的に精神力を消耗していただけで、体へのダメージは小さかったらしい。今は比較的元気そうだ。そのエステルの様子を確認すると、精霊は二人に向けて話した。
「あなた方の力は、十分に理解しました。これだけの力があれば、きっと……女神様を止めることも、可能でしょう」
それから、二人に向けて、両手を突き出す。その手から柔らかな光が放たれ、ベンジャミンとエステルを包み込んだ。
暖かく、心地よい感覚がした。良く晴れた日に、干した後の布団……いや、もっと柔らかで、心まで包み込むような温かさだ。母の腕に抱かれている子供が味わう安らぎ、とでも言うのだろうか。その感覚に身を任せていると、今の戦いで負った傷や疲れが、すっかり消えていった。
「……あなたがたには、辛い運命を与えてしまいました。ですが、この世界に生きる全ての者たちのためにも、どうか、この世界をお救い下さい」
今までとは違う、懇願や贖罪のような響きを持った言い方だった。そうして、言い終えると精霊は再び強い光を放ち、その形を変える。ほんの数秒後には、最初に部屋に踏み入った時と同じ、巨大な水晶の姿となって、部屋に浮遊していた。ただ、今度は水晶の中に収められていた剣が取り出され、エステルの前に浮かんでいる。
「それは、この世に危機が迫った時、それに立ち向かうためと、女神様が作り出された剣。……よもや、それを向ける最初の相手が女神様になろうとは、皮肉な話ですが」
どこからともなく、精霊の声が聞こえる。エステルは、その剣を手に取った。
曇り一つない刀身の輝きは、ベンジャミンの目から見ても、ただの剣ではないことが分かった。
「――さあ、お行きなさい。あなたたちは、この世界に残された最後の希望。これが、私からの最後の贈り物です」
そう言い終えるが早いか、水晶が強い光を放ち始める。それに呼応するように、部屋の床へと刻まれている多数の文様も、激しく輝きを放ち始めた。真っ白になる視界に目を開けていられなくなり、ベンジャミンは目を閉じた。
光が治まった時、砂の匂いを感じた。
それから、吹き付ける風と、日光が肌を温める感覚。何が起こったのかと目を開くと、二人は東の国の、城の入り口前に立っていた。太陽の位置を見ると、まだ時間は昼頃で、祭壇にいた時からほとんど経過していないことになる。
「何だ、これ……?」
「ここまで、送ってくれたのかな」
「そういう事か……どうせなら、一気に女神の樹まで送ってくれりゃ良かったのによ」
「あははは、でも、今日はもうクタクタだし、王様にも報告しないとね」
まあ、確かにそうだ、とベンジャミンは思った。傷や体力は精霊の手によって癒されたが、消耗した精神力までは、取り戻してはくれない。ゆっくりと休む時間が必要だった。
「そう言えば、お前……体の調子はどうだ?」
「もう、バッチリ。体の中から、どんどん力が湧いてくる感じ。この剣の力もあるのかな」
そう言うと、エステルは剣を軽く振ったり、力こぶを作ってみせたりした。やはり、あの精霊が力を与えたのだろうか。これで彼女の命が繋がれていれば良かったが、不安は拭いきれなかった。ロウソクの炎は、消える直前に最も強く燃え上がると言うのだから。
「……ねえ、おじさん」
思い悩むベンジャミンに、エステルが声をかける。明るい声の調子ではないが、不安そうなわけでもない。
「おじさんは、これからも……私と一緒に、来てくれるよね?」
「当たり前だ。ここまで来といて、知らん顔して帰るとでも思ったのかよ」
「ううん、思ってないよ。おじさんは、そんな人じゃない」
そう言うと、エステルはベンジャミンから目線を外し、独り言のように呟いた。
「……一緒に来てくれた人が、あなたで良かった」
ベンジャミンは、何と答えていいのか、分からなかった。
「ほら、行こう。王様に報告して、次のことを考えなきゃ」
無理矢理明るい雰囲気を作るように、エステルは言った。そして、ベンジャミンの手を取り、駆け足気味に城の中へと向かってゆく。ベンジャミンは複雑な思いを抱えながらも、彼女に続いた。
城の二階へ向かうと、やはり玉座の間に王は居ない。エステルは、もはや当たり前のように奥の扉を叩いた。中から王の返事が聞こえたのを確認して、部屋に入る。王は、驚いた顔をしていた。
「これは……随分と早く戻ったようだが。何かあったのか?」
「まあ、色々あったんすけど……ちゃんと祭壇には、行ってこられました。確かに収穫はありましたけど、女神の樹に近付くために役立つような情報とかは、無かったスね」
ベンジャミンは、女神の祭壇での出来事を、かいつまんで話した。王はその話を聞きながら、ただ頷く。あまり詳しく聞こうとしないのは、エステルの体調について、はっきりしないためだろうか。実際、これで彼女が大丈夫なのかどうかは、ベンジャミンにも分からなかった。
一通りの話を聞き終えると、王は腕組みをして、目を閉じ、考え込んだ。それから唸ったまま、しばらく動かない。
どうにもその間が長いので、なんとなくベンジャミンは、王の机に乗っている本に目をやった。細部は読み取れないが、どうにも女神の樹に関する伝承をまとめた文献のようだった。エステルに賭けるだけあって、王も王なりに、女神について調べていたのだろうか。
「……しかし、言いにくいことだが、そうなると現時点で、あの木へと向かう現実的な手段をこちらから提示することはできぬ」
何か新しい情報が見つかっていれば、とベンジャミンは少し期待していたが、そんなに都合良くはいかないらしい。もっとも、こう言われるのは予想通りのことであったし、いまさら落胆することもない。
「戦争は東部が不利、休戦も不可となれば、もはやこちらから打てる手は、何一つとして存在せぬのだ。最も現実的な方法は、東部の者を見捨て、西部の者と共に全てを制圧してから樹へと向かうことだろうが、当然、私は東部の王として、そのような選択を薦めることはできぬ」
実際、現実的な選択としては、そうなるのだろう。だが、そんな解決方法を許容できるのであれば、ベンジャミンもエステルも、こんなに苦労して旅を続けてはいなかった。王は詫びるように、言葉を続ける。
「――無理をすれば、方法は無いとも言えぬ。いや、これは方法と呼んでよいのかも疑わしい、本当に最後の手段なのだが……」
「……それは?」
エステルが、王に問いかける。王は一呼吸おいてから、答えた。
「強行突破だ。我々東の軍と共に、ただ一直線に、女神の樹を目指す。あまりに危険な方法ではあるが、犠牲を抑えつつ、女神の樹へと到達するだけであれば、これが最も単純にして迅速な策だ。しかし、いかに卓越した力を持つ救世主と言えども、こればかりは……」
「私たちなら、大丈夫です」
その言葉を待っていた。そう言うように、エステルが答えた。まだ信じられないという顔をする王に、再びエステルが言う。
「その方法で、構いません。私たち、ただの兵士に負けるほどヤワじゃないですから」
自信満々に告げるエステル。ベンジャミンも頷こうとして、思い止まった。あまりにも当然のように「私たち」と言われたが、俺にも戦場の兵士を薙ぎ倒して行けと言う気か。確かにこの旅で、幾度となく死線は越えてきたが、多数の人間相手の戦いは経験がない。
「おい、俺も含まれてんのか?」
「うん。それとも、自信ないの?」
エステルは当たり前のように頷き、それから挑発するようにベンジャミンへ微笑みかけた。これまでの付き合いで、ベンジャミンの扱いは心得ている。彼女の予想通り、ベンジャミンの闘争心に火が点いた。
「……んなわけあるか!俺様がただの兵士の百や二百で負けるかよ!」
「うん、その意気、その意気」
うまく乗せられたことは、ベンジャミンも自覚していた。だが、もう何でもいい。今更尻込みすることに比べれば、無謀なくらいの方が丁度いいのだ。
二人の様子を眺めていた王は、少し不安そうな顔を見せていたが、吹っ切れたように首を振った。
「相分かった。ならば、我が軍の総力をもって、おぬしらに協力をしよう。今日の所は客室で休まれるといい。明日の早朝から、作戦を実施する。構わぬか?」
「はい!」
二人は揃って、力強く王に返事をした。




