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ベンジャミンは斧と盾を構え、激しく怒りを燃え上がらせながら、駆ける。戦うことの必要性など、どうでもいい。だが、先に攻撃的な態度を取った自分ではなく、まだ躊躇し、構えすら取っていなかったエステルを狙い、不意討ちを仕掛けるような行動を取ったことが、許せなかった。
精霊へと距離を詰め、射程に入ると、一気に斧を横に薙ぐ。精霊は浮遊したまま、後方に少しだけ移動して、斧を躱した。さらに踏み込んで一撃するも、今度は後退すらせず、軽く体を反らせて避ける。二度、三度、何度も攻撃を繰り出すが、一度として当たらない。
苛立ちと焦りがベンジャミンに生まれる。普通、人間や魔獣ならば、攻撃を回避した側にも少しの硬直や隙が生まれるはずだが、こいつにはそれが、全く無い。一体どうやって移動しているのか知らないが、足で地面を蹴っているわけではないため、足の筋肉の動きや体勢の変化から次の動きを読むことができないのだ。
このまま斧を振り回し続けていても、全て躱されるだろう。ベンジャミンは一旦精霊から距離を取って、様子を見る。相手の出方を窺うほか、エステルが立ち上がるまでの時間を稼ぐ意図もあった。
身構えて精霊を睨み付けるベンジャミンの前、精霊が右手を突き出す。強い光が手の平に集束したかと思うと、そこから多数の光の矢が放たれた。
まさか、こいつもエステルと同じような魔法を使えるのか。
女神と同じ力を持つと言うのだから、考えてみれば不思議なことでもないが、危険であることは違いない。ベンジャミンは横に素早く飛び退いて、躱す。精霊はそれを追うように、手の平をベンジャミンに向ける。続けて放たれる光の矢が、ベンジャミンに迫る。次も飛んで躱すには、体勢が厳しかった。ベンジャミンは盾を構え、矢から身を守ろうとする。
いくつもの光の矢が、ベンジャミンの盾へと突き刺さる。決して大きな矢ではないはずだが、拳ほどの大きさの石が叩きつけられるような重い衝撃が、連続して腕に伝わってくる。このまま防ぎ続けていれば、遠からず盾が使い物にならなくなるだろう。だが、どうする?ただ跳んで避けても、また同じ事になるだけだ。だが、このままでは距離を詰めることもできない。
必死に思考を巡らせる中、不意に、光の矢の嵐が止んだ。攻撃に集中していた精霊にエステルが素早く近付き、蹴飛ばしたのだ。無防備に喰らった精霊は吹き飛び、そのまま壁に叩きつけられる。エステルの顔には、「さっきのお返しだ」と言うような表情が浮かんでいた。剣を抜いたエステルは、そのまま精霊に向かって走る。どうやら、戦う覚悟を決めたらしい。ベンジャミンも今が攻め時だと、共に精霊に迫る。
二人が射程に入るより前に、精霊は素早く体勢を立て直した。そして今度は両手を前に突き出して構える。またさっきの攻撃か?来るなら来い。ベンジャミンは盾を構えながら、さらに精霊へと接近する。だが、精霊が放ったのは、先程の光の矢ではなかった。
精霊の全身から溢れんばかりの光が放たれ、巨大な光の波動――衝撃波とも言える力の奔流が、二人にめがけて放たれる。強烈な衝撃が、ベンジャミンの全身へと襲い掛かってきた。予想だにしない、広範囲への攻撃。とても盾一枚では防ぎきれない。咄嗟にベンジャミンは盾を顔の前に構え、致命傷は回避しようとする。直後、巨大な岩がすっ飛んできたかのような衝撃。強い振動と、浮遊感。ベンジャミンは部屋の、ほとんど端から端まで吹っ飛ばされた。
なんとか受け身を取り、床へと叩きつけられる際のダメージを抑える。それでも、すぐには立ち上がれないほどの痛みが体を襲う。気力を振り絞り、周囲に目をやると、前方ではエステルの振り回す剣を、幾度も精霊が素手で受け止めていた。一体どうやったのか知らないが、エステルはあの攻撃から身を守り、そのまま攻撃に転じていたらしい。だが精霊はそれを大した苦にもしない様子で、防ぎ続ける。
やはり、倒れている場合ではない。ベンジャミンは全力で体を起こし、痛む手足を無理矢理に振るって、精霊へと駆ける。その足音を聞きつけた精霊は、左手でエステルの剣を防ぎながら、右手をベンジャミンの方に向ける。今度は何だ。不安を感じながらも進むベンジャミンに、精霊は光の矢を放った。ベンジャミンは、少し安心する。これも楽な攻撃ではないが、防げないほどではない。それに、これで敵の片手を塞がらせていれば、勝機が見えてくるはずだ。精霊の力も相当なものだが、俺に攻撃を続けながら片手で防ぎ続けられるほど、エステルの剣の腕は甘くはない。一抹の希望を持ち、ベンジャミンは身構えた。
「おじさん、上!」
鋭く叫ぶ、エステルの声。
上?上が何だ。今はそれどころじゃない、そう考えながらも言われた通りに上方に目をやると、ベンジャミンの頭上、天井付近にバチバチと音を立てながら弾ける光球が現れていた。何だ、あれは。だが、何か悪い予感がする。ベンジャミンは盾を構えたまま後方へ飛び、光の矢と、頭上の光球の双方から距離を取った。
その直後、光球の真下に向かって、激しい稲光が落ちる。床へと落ちた雷光が弾け、周囲に激しい光を撒き散らす。その光景に、ベンジャミンは息を呑んだ。あれは、小さな雷か?まともに食らえば、どうなっていたか分からない。光の矢は、今の攻撃のためのフェイントだったのか。エステルの声で気付かなければ、まともに食らっていた。命拾いしたと、ベンジャミンは胸をなで下ろす。彼は気付いていなかった。その時、自分の頭上に、新たな光球が作り出されていたことに。
「ごっ……!」
ベンジャミンの体に、激しい電撃が叩きつけた。体を内側から焼かれるような感覚。手足が激しく痙攣し、ビリビリと指先まで伝わる痺れに体を震わせる。受け身を取ることすらできず、ベンジャミンはそのまま前のめりに倒れた。
崩れ落ちるベンジャミンの姿に、エステルも一瞬、動揺を浮かべる。だが、彼女とて伊達に、今までの戦いを潜り抜けてはいなかった。今ここで狼狽し、ベンジャミンを守りに動いては、この戦いには勝てない。一瞬のうちに判断し、精霊へと目を戻す。
やはり、あれだけの攻撃を連続して放つのは容易ではなかったらしく、その身は硬直し、集中力も途切れている。今しかない。エステルは素早く剣を振るい、精霊を斬りつける。精霊も躱そうとするが、やはり直前の消耗が大きいのか、動きが鈍い。エステルの剣が、精霊の左肩から腕にかけての位置を、深く切り裂いた。
精霊の体から、血は流れない。だが、確かに痛みに顔を歪め、傷を負った肩を庇うように右腕を当てた様子から、確かに効いているはずだ。精霊は次の攻撃を受けぬように、エステルから距離を取る。そして、その右手に光を集めた。精霊が何を狙っているのか、エステルにはすぐに理解できた。回復する気だ。だが、剣は届かない。ならば――。
エステルは素早く右手を突き出し、手の平に光を集める。そして、その手から無数の光の矢を放った。今まで使ったことのない魔法だったが、精霊にできるならば、自分にもできると思ったのだ。精霊は床を蹴って跳び、それを躱す。集中が途切れたせいか、手に集まりかけていた光は消えてしまった。
そのまま、精霊が攻撃を躱した先へと、エステルは手の平を向ける。精霊は再び、飛び退いて躱す。
先程から、精霊は宙に浮かぶのをやめて、足で移動していた。おそらく、浮かんで動くための精神力が、尽きかけているのだろう。それでも、このまま光の矢を放つだけでは、先にこちらの精神力が尽きてしまう。精霊もそれを理解しているからこそ、馬鹿正直に矢を避け続けているのだ。しかし、エステルはそれを予測し、手を打っていた。
幾度となく矢を回避していた精霊は、ハッとしたように目を見開いた。自分の頭上から、バチバチと音がしていることに気付いたからだ。そこには、今まで精霊が作り出していたのと同じ、雷の光球があった。精霊が気付いた瞬間、そこから激しい雷が、精霊へと降り注ぐ。全霊の力でそれを回避しようとするが、躱し切れず、体の半分ほどが雷に飲み込まれた。
雷を浴びた精霊が、ビクビクと体を震わせる。それから、ドサリという音。
しかし、倒れたのは精霊ではなかった。精神力を使い果たしたエステルが、膝を付いて崩れ落ちたのだ。精霊は、まだ何とか、立っていた。これで終わりかと言うように、エステルを見据える。
だが、その背後に迫る者があった。ドスドスと音を立てて駆け、激しい怒りを込めた拳を構えている。精霊は、それを全く警戒していなかった。まさか雷の直撃を受け、ただの人間がまだ動けるなどとは、夢にも思っていなかったのだ。
「終わりだ――ッ!!」
ベンジャミンは叫び声と共に、身動きの取れない精霊めがけて、強烈なアッパーカットを繰り出した。驚愕に目を見開く精霊の顎に、拳は正確に叩き込まれ、ガツンという音と共に、精霊を大きく、吹っ飛ばした。受け身を取る事すらままならず、精霊はそのまま、激しく床へ叩きつけられた。




