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王の言葉通り、出発から一日半ほど過ぎた頃……翌々日の明け方、船は女神の祭壇近くの大地に辿り着いた。航海中に目立ったアクシデントは無かったが、到着した事には二人とも、ぐったりとしていた。慣れない海の旅のストレスや退屈さから、すっかり気力を奪われていたのだ。
「もう二度と、船の旅なんてゴメンだぜ」
「……私も、しばらく遠慮したいかも」
船員に見送られ船から降りた二人が、真っ先に口にしたのはそんなことだった。しかし当然、帰りも同じ船に乗るのだ。目的地のことを考えるより帰りの船旅のことで頭がいっぱいで、二人の足取りは重くなっていた。
二人が降り立った場所は、ベンジャミンの村から見て南西の方角、西の王都から見ればおおむね真西に位置している。西部育ちのベンジャミンも、ほとんど来たことがない。彼が知る限りこの辺りに村はないし、目立って果物や魚が取れるわけでもない。それこそ女神の祭壇に用でもない限り、来る必要の全く無い場所なのだ。
周囲は青々とした木々や草に覆われていて、これまで旅していた東部の砂ばかりの大地や、ついさっきまで嫌というほど見せられた海とは全く違う光景が広がっていることに、小さな感動を覚える。ベンジャミンにとっては、いつも歩いていた村の北の森と大差ない光景だったのだが、少し離れていただけで、随分と懐かしく感じた。
この辺りの土地は、確かにほとんど荒廃していないように見えるが、これが女神の水晶の力の賜物なのだろうか。歩きながら周囲を見回していると、切り口の新しい切り株や焚き火の跡など、最近に人が訪れた痕跡が見つかる。西の地にも少なからず世界の荒廃の影響が出ている以上、資源の残された土地が貴重になり、わざわざこの辺りを訪れる者も増えてきたのかもしれない。
二人は茂みをかき分けながら、進んでゆく。いくらか歩くと、細い道へと抜けた。おそらく、これが王都の方から普通に歩いて女神の祭壇へと向かうための道だろう。精々、暇な奴が物見遊山に訪れるか、でなければ女神を強く信奉する者がごくまれに参拝に来る程度の場所なので、道筋はハッキリとせず、所々が草に覆われて、道は途切れ途切れになっていた。
その道を少し歩くと、すぐに女神の祭壇は見えてきた。どうやら、船から降りたのはかなり目的地に近い場所だったようだ。いまいち頼りになるのか怪しい船員だったが、腕は確かだったらしい。ベンジャミンは心の中で船員に礼を言いながら、祭壇へと近付いた。
周辺に何本か立ち並んだ石柱の中央に、同じ石柱をずっと太くしたような円柱形の建造物が立っており、その壁面に一つだけ、扉らしきものが見える。窓は一切存在せず、一体中がどうなっているのか、外からでは確認できない。材質は石のように見えるが、切った石を積んであるのではなく、ツルリとした壁面には継ぎ目一つない。果たして誰が、どうやってこんなものを作ったのか、全く分からない。とにかく、奇妙な建造物だ。
ベンジャミンは、その扉らしき場所に手をついた。取っ手もなければ、手を引っかける場所もない。試しに押してみるが、びくともしない。強く力をかけたり、左右に押したり、上に持ち上げようとしても、うんともすんとも言わなかった。
「何だよ、これ。まさか壊すしかねえのか?」
それにしても、この扉を破壊するのは骨が折れそうだ。何より、仮にも女神の祭壇と呼ばれている場所を破壊するのは、いかにベンジャミンといえども気が引ける。どうしたものかと思うベンジャミンに、エステルが「ちょっといいかな」と声をかけた。
ベンジャミンは一歩下がり、エステルに扉を譲る。彼女もまた、扉に手をつく。それから、目を閉じて精神を集中させていた。魔法で一気に破壊する気か、とベンジャミンが思ったその時、扉が一瞬わずかな光を放ち、そのまま光の粒子となって消えてしまった。
魔法の力で、無理矢理に消し去ったという風ではない。エステルの力に扉が反応し、その道を開いた。そんな様子だった。
「お前、なんで……」
「なんとなく、わかったの。ほら、行こう」
絶句するベンジャミンに微笑みかけると、エステルは建造物の中へ入っていった。その様子には躊躇も、警戒もない。かと言って、好奇心に任せて飛び込んだという雰囲気でもない。まるで、何かに導かれたような、そんな足取りだった。
鬼が出るか、蛇が出るか……それとも、女神が出るか。ベンジャミンは警戒心を強めながら、内部へと足を踏み入れた。
そこには、異様な光景が広がっていた。円形の部屋の内部は、入り口以外に光を取り込む場所もなければ、松明やランプも存在しないのに隅々まで明るく照らされている。壁と天井は真っ白で、傷も汚れも全く無い。床は文字だか絵だか分からない文様が円形に連なっており、ゆっくりと明滅している。
そして、その部屋の中央には、大きな球状の物体が浮かんでいた。直径は一メートル半ほどだろうか。向こう側がそのまま見えるほどに透き通ったその物体の内部には、白銀に輝く刀身を持った、美しい剣が埋め込まれている。
何もかもが、人の手で作られたものとは到底思えない。仮に作れたとしても、人がこんなものを作り上げる理由は、まったく無いはずだ。呆気に取られているベンジャミンの前、エステルが部屋の中央へと、ゆっくりと近付く。そして、中央の物体に手を触れた。
その瞬間、球状の物体は内側から光を放ち、まばゆい光球へと変わる。光は徐々に細く集束し、人の姿を形作ってゆく。そして光が薄れ消えると、そこには整った顔をした、長い金髪の人間が立っていた。
「女神……?」
思わず、ベンジャミンは呟いていた。まさか、ただの人間であるはずはない。あの透き通った物体は、十中八九、『女神の水晶』だったはずだ。それが人に変わったのだとすれば、女神くらいしか、思いつかない。しかし、目の前の人間をよく見ると、長い髪や睫毛、、華奢な体ではあるものの、あまり女性らしい体つきではなかった。かと言って男らしいかと言えば、そうでもない。中性的な風貌だ。
「あなたの指す『女神』が、彼女に力を与えた存在とするならば、その通りだと言えます」
女神らしき者が、口を開いた。やはり男とも女ともつかぬ声だ。しかし、その落ち着いた調子の透き通った声は、聴いていてどこか心が安らぐような気がした。その者は言葉を続ける。
「――しかし、女神の樹として祀られる存在を差したものであるならば、それは正しくありません。私は、女神様より分かたれた、その魂と力のひとかけら。女神様と共に人々を観測し、守護する存在です」
魂と力の欠片、という表現がベンジャミンには今一つピンと来なかった。だが、とにかくこいつが女神に近しい存在であり、エステルに力を与えた者だということは分かった。この地を守る精霊のような存在、と考えれば良いのだろうか。
二人ともに言い聞かせるように話していた精霊は、それからエステルの方をしっかりと見据えて、さらに話を続ける。
「私は、あなたに力を与えました。それは間違いなく、この世界を救っていただくためです。しかし、それは女神様自身の意志ではなく、私の独断です。あなたは、それを知るべきなのでしょう」
「……どうして、そんなことを?」
エステルが問いかけると、精霊は彼女から目線を外し、再び二人ともに言い聞かせるようにして、話し始めた。
「――それを伝えるには、女神様の誕生からお話しする必要があります」




