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ベンジャミンが目を覚ましたのは、洞窟の外だった。まだ意識がはっきりしない中、月明かりが照らす夜道を、ゆっくりと進んでいるのが見えた。一瞬、自分で歩いているのかと思ったが、よく見ると違った。エステルが自分を背負って、運んでいたのだ。それに気付いたベンジャミンは、すぐさまエステルから離れようとする。
「わ、わ……っ!」
突然動き出したベンジャミンに、エステルが驚いて声を上げる。そんなことはお構いなしにと、ベンジャミンはエステルの背から無理矢理に離れ、立ち上がった。
だが、自分の身体をうまく支えることができず、すぐさま崩れ落ちる。エステルが駆け寄り手を差し伸べるが、ベンジャミンは無視した。よろよろとしながらも、なんとか一人で立ち上がる。頑固なベンジャミンの様子に、呆れたようにエステルが息を吐いた。
暗くてはっきりとは分からないが、エステルの顔色は相当マシになっているように見えた。今の表情からも、無理をしている様子は見えない。一応、生命の水の効果が出ているのだろうか。あのまま家で安静にしているのと、どちらが良かったのかは分からないが。そう言えば、俺も倒れる前より体が楽なのは、生命の水の中に倒れ伏したせいだろうか。それとも、エステルが魔法で俺を癒したのだろうか。
あれこれ考えながら、確かめるように一歩、ベンジャミンは踏み出す。うまく足に力が入らないが、何とか歩くことはできそうだった。そのまま、ゆっくりと進む様子を、エステルが見守っていた。
「……情けねえ」
「え?」
「お前を助けるために出てきたはずなのに、調子悪いお前に助けられるなんてよ。せめて、おぶって帰るくらいはしてやりてえのに、そんな体力も残ってやしねえ」
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで、十分だから」
「俺が良くねえんだよ。病人の、女のガキに助けられるなんて、英雄失格どころの話じゃねえだろうが」
ベンジャミンは、泣きそうな顔になっていた。結局、自分がやったことはエステルに無駄な負担を増やしただけだ。俺だけでは、目の前の少女一人を救う事すら、できないのか。今になって、水浴びをしていた魔獣に痺れを切らして喧嘩を売ったことを猛烈に後悔していた。あの時、俺が我慢して待てていれば、いずれ水を汲んで帰れたのではないか。短気な自分の軽率な行動が、こんな結果を招いたのだ。
せめて、俺がもう少し強ければ。世界を救えるほどでなくとも、あの魔獣を一人で倒せるくらいに強ければ、やはり今の結果は防げたはずだ。もしくは、多少無理をしてでも盾を持ってきていれば、今の俺でも勝てていたかもしれない。
過去のことを後悔しても、無駄であるとは分かっていた。それでも、浮かび上がる思いを止めることはできない。次々に湧き上がる後悔の念に、押し潰されそうになる。
「……おじさんって、どうしてそんなに英雄になりたいって、思うの?」
思いつめた顔で歩くベンジャミンに、エステルが声をかける。純粋な疑問よりも、ベンジャミンの様子を心配して何か話を振ろうとした、そんな様子だった。ベンジャミンは、「ああ」とだけ言って、少し考える。それから答えた。
「ガキの頃の、暇潰しみてーな夢だと思ってたが。今になって思えば、村に居場所が欲しかったんだと思う。俺は拾い子だったからな」
遠い目をしながら、ベンジャミンは言う。
自分が不幸だと、思ったことはなかった。親の分からない子など、そこまで珍しいものではないし、物心付いたときから村の誰もが家族のようで、親がいなくとも生きるのに不自由はしなかった。ただ一つ、気になっていたことは……。
「……誰かの役に立ってる。自分は必要とされてる。そう思ってねえと、不安だったのかもな」
その言葉は、自分の思いを確認するようでもあった。自分が村人たちを、あれこれ手助けしていた理由。それは元々村の人間ではない自分が、無意識に便利屋としての居場所を求めていたからではないか。だからこそ、エステルが村人を助けて回った時、あれほど取り乱したのではないか。今となっては、そう思った。
もっとも、本当にそれだけが、『英雄』を志した理由の全てではない。子供の頃から、いくつも読んできた物語。世界を救うほどの功績を打ち立て、讃えられる存在。名誉、栄光。それに憧れてきた思いは、決して偽物ではない。英雄とは何にも代えがたい、俺の夢なのだ。
「ま、それだけでもねえけどな。やっぱ男ってのは、強くねえとカッコ良くねえだろうが。こう、何百年も語り継がれるようなドカンとデカいことやってこそ、男の人生ってやつだろ」
ついさっきまでの、思いつめた表情は、いつの間にやら消えていた。胸を張り、ベンジャミンは語る。そうしてエステルの反応を窺うと、どういうわけか、ベンジャミンと入れ替わるように、エステルが何か思いつめたような顔をしていた。ベンジャミンの語った夢にも、何の反応も返さない。
自分から質問しておいて、話を聞いていないとは、どういう了見だ。ベンジャミンは少し不満そうにした。その時、エステルが口を開く。
「ねえ、おじさん」
「何だ」
「私は……おじさんにとって、必要な人なのかな?」
「……は?」
突然の、妙な質問に、ベンジャミンは頓狂な声を上げる。今の話の流れから、どうしてお前が俺にとって必要かどうかなんて話になるのだ。困惑するベンジャミンをよそに、エステルは言葉を続けた。
「もしも、私がおじさんより先に死んじゃったら……おじさんは私のこと、覚えててくれるかな?」
その言葉に、ベンジャミンは愕然とした。直後に湧き上がる、猛烈な怒りにも似た感情。ベンジャミンは叫んだ。
「バカ野郎ッ!!」
激しく怒鳴りつける声が、夜空にこだました。その怒気に驚き、びくりとエステルが身を震わせる。ベンジャミンは奥歯を噛み、睨むようにエステルを見据えていた。しばしの静寂。
ベンジャミンの頭を、激しい不安が駆け巡る。まさか単なる冗談で、こんな質問をするとは思えない。ならばこいつは、自分の死期が近いことを知っているのか?長老との話を聞かれていたはずはない。自身の体の不調から不安を感じているのか、でなければ単に、この先の旅で魔獣に襲われたりして、自分が先に死ぬ可能性も無きにしも非ずと、そんな程度の話だろうか。そうであれば良いのだが。そうであってくれ。
「……縁起でもねえこと、言うんじゃねえよ」
いずれにせよ、ベンジャミンが言えることはそれしか無かった。それ以上、どんな表情を向けて、どんな声をかければ良いのかなんて、分からない。エステルが何を考えてそんな質問を投げかけたのか知ることも怖くて、彼女の顔を見ることもできない。立ち尽くすベンジャミンの背を、エステルが叩いた。
「うん、ごめんね」
柔らかな調子で、彼女は言った。その言葉から、彼女の意志は読み取れない。しばらくの間、共に旅をして、彼女の表情や言葉から感情を読み取れるようになってきたと思ったが、今は彼女が何を思っているのか、全く分からなかった。
いくつもの不安が、肩に重くのしかかる。やりきれない思いを胸に押し込めたまま、ベンジャミンは重い足で帰路についた。




