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洞窟の奥は、光で満ちていた。ドーム状の広い空間の中、青々と葉を茂らせた木々、壁面の苔や蔓、湧き出す泉の水。そして地面の土すらも微かな光を放っており、洞窟の中だというのに、まるで太陽に照らされたように明るい。ランタンの小さな明かりは、部屋の光にすっかり呑み込まれていた。
その不思議な光景に、ベンジャミンは目を奪われてしまう。もちろん、光り輝く水や草木もそうだが、この部屋の空間そのものが、とても洞窟の中だとは思えない。まるで、巨人が箱庭の中に森を作って、そこに蓋をしたような、そんな光景だ。かつては人も訪れていた洞窟とは言え、ただの人間の手で、意図してこんな空間を作り上げるのは不可能だろう。だとすれば、こんな光景を作り出したのも、生命の水と呼ばれる霊水の力なのだろうか。
ベンジャミンは、最奥部の泉に目をやった。キラキラと、周囲よりもひときわ強い光を放つ泉からは、小さな光の粒子が立ち上がっては消えている。それが『生命の水』であることは、ベンジャミンにも一目でわかった。
だが、それをすぐに汲みに行くことは、できそうにない。そこに先客がいたためである。
それは、泉に頭を突っ込むようにして、ガブガブと音を立て、喉を鳴らしながら、泉の水を飲んでいた。その姿や大きさは牛頭に似ていたが、少し違う。あれほど筋肉質ではなく、丸々と太った体をしており、頭に角もない。ただ、とりあえずそれが魔獣の一種であろうことは、まず間違いない。
ひとまずベンジャミンは部屋の端の方に寄って、様子を見ることにした。不用意に刺激して戦闘になっては、たまったものではない。さっさと水を飲み終えて、どこかに去ってくれるのを待つのが得策だ。近くの木の陰に隠れるようにして、魔獣の動向を窺う。
ベンジャミンの期待に反して、魔獣はなかなか泉を離れようとしなかった。長い時間をかけて水を飲み、ようやく去るかと思えば、また思い出したように水を飲む。そして、今度こそ去るかと思ったら、泉の中で水浴びを始めた。バシャバシャと水しぶきを上げて、気持ち良さそうに泉の中を転げまわる様子は、ベンジャミンの神経を逆なでする。もとより短気なベンジャミンにとっては、半ば拷問のような状況だ。待つうちに肩が凝ってきて、ベンジャミンはカバンとランタンを地面に置いた。
それから十分、二十分と、必死に苛立ちを押し留めて待つと、魔獣は泉から上がり、去って行……かない。大きく伸びをしてから、また泉に戻って水浴びを再開した。そして、また十分ほど経って泉から上がり、本当に今度こそ去るに違いないと思ったのに、体操をするかのように体を動かしてから泉に戻った時には、とうとうベンジャミンは耐えきれなくなった。怒りのこもった拳で、隠れている木を殴りつける。ドスンと音がして、木にとまっていた鳥だか、コウモリだかが、バサバサと飛んでいった。その音に、もちろん水浴びをしていた魔獣も気付いた。
やっちまった、という思いと、もうどうにでもなれというヤケクソな思いが、半分ずつあった。警戒を込めた目でこちらを見る魔獣の顔を、ベンジャミンは睨み付ける。正面からはっきりと見た魔獣の顔は、豚に似ていた。
「クソ豚野郎、こっちはテメェの豚骨スープ飲みに来てんじゃねえんだよ。ダシ出ねえうちにさっさと失せやがれ」
右腕に握った斧を振りながら、ベンジャミンは魔獣に接近した。ここまで来たら、もう戦うしかない。仮に戦わずに済むとしても、目の前の相手に、この苛立ちをぶつけてやらねば気が済まない。敵意を向けるベンジャミンに、魔獣も臨戦態勢を取った。
魔獣の体長は、百七十センチ強と言ったところだろうか。ベンジャミンよりもわずかに大きいが、牛頭と比べれば小さく見える。それに牛頭ほど筋肉質な体ではないし、武器も持っていない。あれと比べれば、よっぽどマシな相手だ。だから、エステルがいなくとも……俺一人でも、勝てる。そうに決まっている。
ベンジャミンは自分に言い聞かせるようにして、斧を構える。そこに向かって、魔獣が吠えながら突進してきた。
「プゴオオオォッ!!」
ドスドスと音を立てて地面を蹴り、腕を振り上げながら、まっすぐにベンジャミンめがけて突っ込んでくる。ベンジャミンは魔獣をギリギリまで引き付け、自分の身体を素早く左に倒した。左手で受け身を取りつつ、迫る魔獣に足を引っかける。ゴツンと強い衝撃がベンジャミンの足に響き、魔獣の体が宙に浮く。大きな音を立ててすっ転び、土埃を巻き上げた。ベンジャミンは素早く立ち上がり、倒れた魔獣の背中に斧を叩き込む。
「ブギッ……ッ!」
ズシリと、斧が魔獣の肉に沈み込む感覚。ベンジャミンは、悪い予感がした。牛頭に斧を打ち込み、ほとんど効いていなかった時と似たような手ごたえだったからだ。そして、その予感は正しかった。魔獣の背にはうっすらと傷が付いてはいたが、大したダメージを与えたようには思えない。
直後、魔獣は唸りながら、転がるようにしてベンジャミンから距離を取り、立ち上がった。やはり、あまり効いていないらしい。それどころか、闘争心に火がついて、先程よりも意気盛んになったようにさえ見える。ベンジャミンは舌打ちした。多少リスキーでも頭を叩き割りに行くか、もしくは少しずつ四肢にダメージを与えて動きを封じていかなければ、勝ち目は無さそうだ。
再び魔獣が突進する。ベンジャミンは、もう一度足を引っかけてやろうかと思って、思い止まる。いくら、あまり頭の良くなさそうな魔獣とは言え、あんな騙し打ちが通用するのは一回きりだろう。もしも見切られて、こちらの足を踏み潰されようものなら、逆に致命傷を負いかねない。ベンジャミンは魔獣の動きをよく見て、素早く身を躱した。突進を外した魔獣は数歩通り過ぎると、素早くベンジャミンに向き直り、再び突っ込んでくる。それをまた、すんでの所で躱す。
魔獣は飽きもせずに、何度も何度も、突進を繰り返してきた。ベンジャミンはそれを全て躱しながらも、歯がゆい思いを感じる。こんなことをずっと続けていたって、埒が明かない。あちらのスタミナが先に切れてくれれば勝機が見えるが、まだまだ魔獣は疲れた様子を見せない。どうすべきか考えて、ベンジャミンは一つの策を思いついた。
魔獣の突進を躱しながら、ベンジャミンは近くの木を背にして立ち、身構える。そこに、再び魔獣が突進する。ベンジャミンはタイミングを合わせ、足元の土を魔獣の顔めがけて蹴り上げた。
さすがに、そのまま砂を目に受けてくれるほど、魔獣も間抜けではない。目を閉じ、砂が入るのを防ぐ。しかし、それでも視界は封じられた。ベンジャミンはその隙を突き、無防備に走る魔獣の右足を狙って斧を横薙ぎに叩き込む。固く、重い手ごたえ。今度は確実に効いた、と思った。
魔獣は打たれた右足から崩れ落ちるように前のめりに倒れ、そのままの勢いで、さきほどベンジャミンが背にしていた木に頭から突っ込んだ。ドスンと音がして木が大きく揺れ、土が跳ねる。魔獣はそのまま倒れ、力なく地面に突っ伏した。おそらく死んではいないだろうが、当分は倒れたままだろう。ベンジャミンは安堵と達成感に、大きく息を吐いた。




