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「あの子、って……エステルのことかよ!?」
今にも噛み付きそうなほどの剣幕で、ベンジャミンは老人に向かって叫ぶ。老人は少しも動じずに頷き、話す。
「女神の力。人が持つには、あまりにも大きすぎる力。その力が宿った日より、あの子の体がひび割れる様子が、わしには見えておる」
「何だよ、それ……ッ!!」
思い当たる節は、確かにあった。今の、不自然に体調を崩した様子は勿論、あの時――ベンジャミンの村を出て、山へと向かうとき、彼女は疲れているはずも無いのに、不調そうにしたことがあった。
それに、魔法を用いるにあたっては著しい精神力の消耗を伴うと言いながら、彼女は幾度となく、その力を振るい続けている。女神の加護とやらが無尽蔵の力を与えるとしても、元はただの人間である彼女が身の丈以上の力を振るい続け、その身が無事で済むという保証など、どこにもなかった。
理解は、できる。だが、それに納得することなど、ベンジャミンには到底できなかった。
「じゃあ何だ?あいつは……欲しくもねえ力押し付けられて、そのせいで何もかも奪われるってのかよ!?」
「そうとも言える。しかし、それもまた……女神さまのご意向やもしれぬ」
「この……ッ!!」
ぶつりと、ベンジャミンの中で、何かが切れる。女神の考えなど知ったことではないが、何の罪もない少女が全てを奪われる事すら女神の意向などと言う言葉で済ませ、眉一つ動かさない目の前の老人に対し、怒りが抑えられない。
怒りのままに老人の肩を掴み、壁に叩きつける。枯れ木のような老人の体が、衝撃で跳ねる。老人の表情が、わずかに歪んだ。
「何が女神の意向だクソジジイ!そんなもんで勝手に納得してんじゃねえ!!」
「ウ、グッ……。だが、嘆いても何も変わらぬ……」
「何とかしろ!何とかなんねえのかよ!」
老人の体を激しく揺さぶりながら、必死の形相で問い詰める。まさか、本当にただ余命が短いことを告げに来ただけではないはずだ。エステルの体調を見抜けるような、不思議な力がある人間ならば、その解決策くらい知っていてもいいはずだ。そうであってくれ。そうでなければ、あまりにも……。
祈るように老人の言葉を待つ。老人は、少し呼吸を整えてから、話した。
「この村を南に出て、西の洞窟……そこの生命の水があれば、少しは命を繋げるやもしれん」
「村を出て西の洞窟だな!?そこに行きゃあいいんだな!!」
老人の返事を待たず、ベンジャミンは家の中の荷物を持ち出し、村の南へ向かって全速力で駆け出した。風を切り、土埃を巻き上げ、一心不乱に走る。山越えの旅で蓄積していた疲労など、すっかり忘れていた。そんなものを感じている暇はないのだ。この状況、エステルを救えるのは、本当にただ、俺一人しかいない。英雄だとか救世主だとか、そんな事はどうだっていい。俺の体がぶっ壊れても、あいつを助けなければならない。
「あのクソジジイ……何が女神の意向だ!ガキから親も命も取り上げるのが女神の意志だってんなら、そんなもん俺がぶっ壊してやらあ!!」
乾いた大地に、怒りを込めたベンジャミンの叫びが、響いた。
日が沈みゆく中、どこだか知らない道を、めちゃくちゃに走ってゆく。方角は間違っていないはずだが、なにせ『村の西』ということ以外何も聞いていないので、道に迷いでもしないかと不安に駆られる。
だが、思ったよりもあっさりと洞窟は見つかった。本当に村からまっすぐ西、道の続く先の崖に、ぽかりと穴が開いていた。壁面は人の手で整えられた様子があり、『生命の水』とやらのために多くの人が立ち入ったであろうことを示している。
『生命の水』とは、つまるところ霊水と呼ばれるものの一種だろう。女神の力が特に強く宿ると言われる水で、口にすればたちどころに傷付いた体を癒し、疲労は立ち消え、病は撥ね退けられるという。世界に女神の力が満ちていた頃は、さほど珍しいものではなかった。現在では滅多に見られなくなりつつあるが、深い森や洞窟の奥などには、わずかに残った霊水があると、聞いたことがある。もっとも、それでも昔ほど強い効果は無いらしいのだが。
だが、今のベンジャミンが縋れるものは、それしかない。たとえ気休め程度であろうとも、無いよりはマシなはずだ。そう自分に言い聞かせるようにしながらランタンに火を灯し、洞窟へと入っていった。
洞窟の中は広く、人が数人は広がって歩けるほどの幅に、天井までは三メートルほどの高さがある。奥へ進むとさらに広くなっており、ランタンの小さな明かりだけでは、遠くの様子が見えないほどだ。耳をすませてみると、風が吹き抜けるヒューっという音と、どこかで生物が動き回る音が聞こえた。洞窟が獣の住処となっていることは多いが、やはりここも、そうらしい。訪れる人間が減ったのを良いことに、獣たちが住処にしてしまったのだろう。
ベンジャミンはできるだけ音を立てないようにしながら、ゆっくりと洞窟を進んでゆく。もちろん音を立てないようにしても、ランタンの明かりや人間の匂いだけで自分の居場所は周囲に筒抜けなことだろうが、それでも決して無駄ではない。多くの獣は、必要以上に刺激しなければ、人間ほど大きな動物を積極的に襲うことはしないからだ。もっとも東部の、それも洞窟の中に棲む獣の種類などロクに把握していないので、どれだけ安心できるかなど、分からないのだが。
でこぼことした、湿った地面を慎重に踏みながら、ベンジャミンは奥へと進む。進むほどに湿気が強まり、壁面は苔むしてくる。少し狭くなった道で、手を伸ばせば届きそうなほどの距離の獣を、必死になだめながら横を通り過ぎたり、突如バサバサと音を立てて飛び立つコウモリに肝を冷やしたりする。そんな、周囲へ必死に気を配りながら探索をする状況に冷や冷やしたり、時には苛立ったりする一方で、どことなく懐かしさを覚えていた。
思い返せばここ一週間ほどは、ずっとエステルと一緒に行動していて、それが当たり前のように感じつつあった。そんな中で俺は、あいつがいればどうせ大丈夫だろうと、緊張感や警戒心を失いつつあったらしい。つまるところ、俺はあいつの存在に甘えていたのだ。一人で旅をすることは、これほどに不安なものだっただろうか。
不意にベンジャミンは、盾を持たずに洞窟に入ったことを後悔してきた。右手は斧、左手はランタンで塞がっているし、背中には水を汲むための革袋や、薬草、ナイフなどの雑貨が詰まったカバンを背負っているため、持つ場所が無かったのだが、それでもなんとか無理をして、持ってきた方が良かっただろうか。いや、今更になって考えても仕方がない。ない物ねだりをしたって、どうにもならないのだ。
そうだ、盾が無いとか、一人旅が不安だなんて、どうでもいい。本当に一人ぼっちのエステルと比べたら、俺のチンケな不安なんて、取るに足りないのだ。怯えて縮こまっている暇などない。俺がすべきことは、さっさと霊水を手にして、あいつのところへ帰る事だけだ。それ以外、考えるな。
あれこれと湧き上がる思考を押し潰して、ベンジャミンは探索に集中することにした。歩き続けるうち、壁面の苔はより一層に増え、まばらに生えている程度だった足元の草も、どんどんと増えてきた。さらには植物の根や蔓が、あちこちから突き出すようになってきて、いつの間にやらベンジャミンは、自分が洞窟ではなく森の中にいるかのように錯覚しそうになっていた。歩く度にざくざくと鳴っていた足音も、今は足元の草に吸い込まれてしまう。
周囲の緑に目を取られながら進んでゆくと、光が見えた。青白いような淡い光が、洞窟の奥を照らしている。ベンジャミンは、きっとそこに霊水があるのだと直感した。その淡い光は、エステルが魔法を使うときに放つ光と、どこか似ているような気がしたからだ。少し駆け足になって、洞窟の奥へと向かった。




