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「おじさん、すごいね!あんなの、私じゃ思いつかなかったよ」
戦いの後の静寂を破ったのは、目をキラキラと輝かせたエステルの言葉だった。さすがに今回は、エステルも本当にピンチだったのだろう。ベンジャミンを誉める声にも、いつも以上の気持ちが込められている。それを聞いたベンジャミンは「まあな」と言って、ニヤリと笑ってみせた。やはりエステルの力が大きかったのは事実だが、サソリを使うという自分の機転が窮地を救ったのだ。誉め言葉を素直に受け止め、胸を張ることができた。
二人はそのまま先に進もうとしたが、数歩進んでベンジャミンは一つのことを思い立った。エステルを少し待たせ、魔獣の死体に近付く。ベンジャミンは斧を構えると、その足の付け根の辺りに向けて振り下ろす。何度か斬りつけて、その足を切り離すことができた。ベンジャミンは持ち物から小さなナイフと、いくつかの革袋を取り出す。肉を切り取って、食うつもりなのだ。
牛頭の肉は、「食うと不老不死になる」なんて言い伝えもあるほどに栄養価が高く、一方で魔獣の危険性の高さから、非常に希少な食材だ。これを食せるのは王族か一部の大金持ちくらいで、当然ベンジャミンが口にした経験はない。そんなお宝を、このまま放置して立ち去っては大損だ。取引の道具としても価値が高いだろうし、もちろん自分でも、一度くらいは食べてみたいと思っていた。これは、またとない機会だ。
厚い皮を引き裂いて、脂の乗った腿の肉を、握り拳程度の大きさに切り出しては、革袋に詰めてゆく。できれば他の部位の肉も取っておきたかったが、持てる量には限度があるし、のんびりと全身の肉を切り出すほどの暇もない。今回は、肉を切りやすそうな腿にしておいた。
「あ、本当に食べるんだ……」
倒した魔獣を、もう「食材」として扱っているベンジャミンの様子に、エステルは苦笑いする。そんな彼女の様子を気にも留めず、手持ちの革袋がいっぱいになるまでベンジャミンは肉を詰めると、満足げな顔をした。これでしばらくの間は、食事に期待ができそうだ。
それからベンジャミンは、魔獣の死体を引きずって、崖下に落とした。まだ食える部位が多々あるので勿体なかったが、これ以上は持っていけないし、このまま放置しておけば死肉を求めて別の魔獣が寄ってくる危険性がある。後のことを考えれば、こうしておくしかないのだ。処理を済ませると、二人は旅を再開した。
やはり山の終わりは近かったらしく、さほど時間が立たないうちに、二人は平坦な荒野へと辿り着いた。ただ、相変わらず続く道は砂ばかりで、道の起伏が減った以外に、あまり大きな変化はない。東の地は既にほとんどが砂漠化しているという話は、本当だったらしい。
二人は再び急ぎ足で、荒野を歩いていった。もちろん目的地へ急いでいることもあるのだが、山を下りても断続的に現れ続けるサソリの存在に、落ち着いていられなかったのだ。特にベンジャミンにとっては、平地では崖下に叩き落とすこともできないため、サソリはなおさら嫌な相手だった。
しかし、ベンジャミンには一つ疑問があった。こうもサソリがはびこっているのなら、エステルが西へと渡ってきた際にも何度か遭遇していそうなものだが、彼女はサソリを初めて見たような反応をしていたのだ。気になったので質問してみると、帰ってきた答えは非常に単純なものだった。
「私一人の時は、すぐに通り抜けちゃったから」
聞かなきゃよかった、とベンジャミンは思った。確かに、こいつの身体能力があれば、サソリがモゾモゾと土から這い出てくる前に通り抜けてしまえるだろう。考えてみれば、牛頭と対峙した時だって、エステル一人ならば戦わずに逃げて振り切ることもできただろう。自分のおかげで窮地を脱せたなどと思っていたが、そもそも自分がいなければ、窮地に陥ってすらいなかったはずだ。そう思うと、少しだけ取り戻していた自信が急激にしぼんでいった。
こうなったら、ヤケ食いだ。まだ陽は沈み切っていないが、腹は減ってきていたし、疲れも溜まっている。野営をするのに、早すぎはしないだろう。ベンジャミンは、できるだけ周囲にサソリがいなさそうな場所を探して、焚火を始めた。そして、持ち物から魔獣の肉を取り出す。調理用の道具などはロクに持ってきていないので、肉をナイフに突き刺して、そのまま火にかざして焼くことにした。手が熱いので、時々ナイフを逆の手に持ち替えながら焼く。徐々に肉に火が通り、焼き色の付いた肉からジワリと肉汁が滴ってきた。期待を込めた目で見つめるベンジャミン。エステルも、それを楽しそうに眺めている。
頃合いを見て、ベンジャミンは焼けた肉にかぶり付いた。こぶし大の肉の外側は少し焦げ、カリカリとした食感をしているが、内側は柔らかく、噛むと肉汁がしみ出す。咀嚼するほどに野生の香りが口腔に充満し、その力強さにむせ返りそうになるが、それがまた心地よい。まさに牛頭の荒々しい力強さを表したかのような肉だ。塩すら振っていないのに、味に物足りなさを少しも感じさせない。ベンジャミンは一心不乱にその肉をむさぼり、あっという間に胃に収めてしまった。
ふと見ると、エステルが今にも涎を垂らしそうな様子でベンジャミンを見ていた。ベンジャミンは肉を再びナイフに刺しつつ、エステルに肉の入った袋を渡した。エステルは大喜びで受け取って、剣の先に肉を突き刺すと、ベンジャミンと一緒になって焼き始めた。肉を切り出していた時には呆れていたのだが、やはり目の前で旨そうに食っている様子を見せられては、我慢できないようだ。エステルは剣をくるくると回転させながら肉に火を通し、全体が焼けてきたのを確認すると、思いっきり肉にかぶり付く。
「おいしいっ!」
肉を味わうと、単純な感想を述べた。気の利いたコメントを考える暇があれば、肉を味わうことに集中したい。そんな様子だ。
「な?肉、取ってきて良かっただろうが」
得意げに語るベンジャミンに、エステルはうんうんと頷く。そのうち、剣の先に刺したままでは食べにくいと、剣から肉を抜いて、手づかみで食べ始めた。年頃の娘としての恥じらいを感じない食べっぷりに、今度はベンジャミンが少し呆れた。
パチパチと音を立てながらゆらめく焚火を挟んで、肉に食らいつく。あまり華やかな光景ではないが、強大な魔獣を打ち倒した二人の、小さな宴だった。




