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この恵まれた世界の中で  作者: 雀村桜子
日常と非日常
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13

 ベンジャミンたちが食事に来たことを告げると、マールは喜び勇んで、調理場に新たな食材を引っ張り出した。さすがにベンジャミンたちが訪れることを予測していたわけではないので、追加で作る必要がある。マールは「もっと作るから、食べながら待ってて」と言って、焼きたてのパンや()かした芋、それから魚と野菜を煮込んだスープを並べた。食前の挨拶もそこそこに、ベンジャミン含む男たちは勢いよく食べ始める。それらを尻目にエステルは調理場へ、料理の手伝いに向かった。客に仕事はさせられないとマールは遠慮したが、エステルは引き下がらない。こういう所だけは、妙に頑固なのだ。

 彼女たちの様子に目もくれず、男たちは食事に夢中である。ティムはまだ、大人と比べると体は小さいが、育ち盛りの食欲はベンジャミンたちにも引けを取らない。スープの魚を多めに取った、とベンジャミンに文句を言って、ベンジャミンの皿からパンを奪い取って食べる。それに憤ったベンジャミンが、ティムの皿からパンを奪い返す。同い年の子供のように争う二人を、呆れた様子でトムソンが(たしな)めた。

 騒がしい食事が続くうち、調理場の二人が新しい料理を運んできた。パンと芋の追加に加え、魚の香草焼きがテーブルに並べられる。それを見て、ベンジャミンは口に含んでいたスープを吹き出しそうになった。ベンジャミンの前に置かれた魚に添えられていたのは、尖った葉の草……以前、自分が取ってきて、この家に落としていった薬草だったのだ。

「せっかくだから、有効活用しないとね」

 くすくすと笑いながら言ったマールに、ベンジャミンは絶句する。とんでもない女だ。こいつの前では、二度と失態を見せないようにしよう。固く誓いながら、ベンジャミンは魚を口に運ぶ。少し薬草の香りが強いが、それが魚の生臭さを消しており、思った以上に絶品だ。これなら薬草を落としたのも結果オーライだったかもしれないと、ベンジャミンはあっさり手のひらを返した。

 食事を続けながら、ティムはエステルにあれやこれやと話を求めた。剣を使った戦い方や、魔法の力、これまでの旅の話。エステルは一つ一つ丁寧に答えていたが、ただ一つ、自分の家族について尋ねられたことだけは、少し暗い顔をした後、「普通だよ」とだけ言って、それ以上を語ろうとしなかった。


 食後の会話をしばらく楽しむと、ベンジャミンは自分の家へと戻った。トムソンたちは、エステルと一緒に泊まっていくことを薦めていたが、自宅の方が安心できるのだ。狭い家の、粗末なベッドに体を横たえ、目を閉じる。

 自分はいったい、何をやっているのだろう。最初に思ったことは、それだった。エステルに付き添い、自分が東の国に行ったところで、自分の力で何かを変えられるとも思えない。村人たちをほったらかして、わざわざ旅立つ意味が、あるのだろうか。それとも、こんなことを考えるのは、ただ委縮しているだけだろうか。結局自分は、英雄だのなんだのと言いながら、村人たちの便利屋として生きていくべきなのだろうか?

 少し考えた後、それは嫌だ、と思った。夢を追っているからこそ、俺なのだ。もしも、本気で英雄になろうと願い続け、それでも叶わなかったのならば、胸を張って自分の人生を語れるだろう。だが、便利屋としての自分に満足し、夢を捨ててしまえば、きっと将来、自分の生き方に後悔する。本当に英雄になれないとしても、英雄になろうと足掻き続けることくらいは、続けなくてはならない。

 それに何より、自分の好奇心を抑えられなかった。これから東の国で起こること。女神の存在、世界の荒廃の真相、魔法の力、それから、エステルという一人の人間。この機を逃せば知る機会は二度と巡ってこないであろう情報を、俺はこの旅で得られるはずだ。このまま村の中で(くすぶ)り続けていても、俺はきっと、一生、便利屋のままだ。この旅がきっと、俺にとっての大きな転機となるのだ。希望的観測を自分に言い聞かせるうち、徐々にそれが、確信のように感じてきた。

 そうだ。俺はこの旅で、きっと英雄になるのだ。ベンジャミンは口元を緩ませながら、眠りに落ちていった。


 次の日、ベンジャミンはエステルと合流すると、村の長老であるロッソの家へと向かった。長老と言っても、彼がこれといった権力を持っているわけではないが、一応は村人たちの中心に近い人物だ。しばらく村を空けるのなら、一言くらいは伝えておくべきだろう。

 村の真ん中からやや南、赤い屋根をした少し大きな家へと向かい、ベンジャミンは戸を叩く。少し待つと、トントンと部屋の壁を叩く音が聞こえた。これが「入れ」という合図だ。ベンジャミンはエステルを連れ、家へと入った。

 本棚ばかりが並んだ家の中、(ひげ)を長く伸ばし、それとは対照的にツルリと禿げ上がった頭の老人が、窓際で本を読んでいる。その姿はもちろん、ロッソだ。彼は大抵、いつ訪ねても、窓際に座っている。そして、声を出して返事をするのが面倒だからと、戸をノックされたときには壁を叩いて返事をするのだ。

 村の老人たちには、本を読むことが好きな者も多いが、その中でも最も多くの本を読んでいるのが、彼である。と言うより、他の村人たちの家に置かれている本のほとんどは、彼が行商人から買い取った本を書き写したものだ。彼が長老と呼ばれるのは、誰より多くの本を読み、多くの知識を身に着けているから、という理由が大きい。

「ベンジャミンか。おや、それにおぬしは……」

 ロッソはベンジャミンに続いて入って来たエステルに気付き、目を向ける。エステルが「おはようございます」と言って、頭を下げた。ロッソもそれに、挨拶を返す。

「ちっと、東の国まで行くことになった。いつ戻れるか分かんねえし、しばらく村空けることになるからな。そんだけ伝えに来た」

「ほお、その子と一緒にか?」

「ああ、まあ、そうだが」

 それを聞いたロッソは顎の髭を撫でながら、ベンジャミンとエステルを交互に見た。

「しかし、まあ、なんだ。なかなか意外じゃな」

「何がだよ」

「おぬしの事じゃから、救世主だの何だのと言われとる娘なんぞ見たら、喧嘩でも吹っ掛けるんじゃないかと思っとったんだがな。ま、仲が良いに越したことはないんじゃが」

 ベンジャミンは、胸に何かがズキリと突き刺さるような感覚に見舞われた。喧嘩……と言うより、一度は本気で殺そうとしたなどとは、とても言えそうにない。一方のエステルは、仲が良いと言われて嬉しいのか、ニコニコとしてベンジャミンに一歩近寄り、隣に立った。

「お城に行って帰ってくるまで、私を守ってくれたんですよ」

 まるで自分のことを自慢するかのように、エステルは言った。ベンジャミンは、どう考えても守られていたのは自分の方だと思ったし、そんな事を言われても皮肉としか思えずに眉をひそめたが、どうにも彼女は本心から言っているらしかった。

「そういえば、おぬしは停戦の申し立てに来たのだったな。それで、どうじゃった?」

 ロッソの質問に、エステルは首を横に振る。やはりロッソも停戦が成立するとは思っていなかったらしく、「まあ、そうだろうな」とだけ言った。ベンジャミンは、王の冷たい瞳と、まるで取り付く島もない様子を思い出して、むかっ腹が立ってきた。

「あの王サマ、鼻で笑って終わりだぜ。ちったあ考えるような姿勢、見せてくれても良かったってのによ」

「まあ、西にはメリットの無い話じゃからな。そういう反応にもなるだろう」

「けどよ、もし戦争に勝ったって、このまんま世界が荒れてきゃ、こっちだって終わりじゃねえか」

「この辺りは、女神の水晶のおかげであんまり荒れとらんからな。王も、危機感が薄いのかもしれん」

「……女神の水晶?」

 突然出てきた聞き慣れない単語に、ベンジャミンはそのままオウム返しをする。すると、ロッソは呆れたように言った。

「おぬし、忘れたのか。昔、何度か聞かせたはずなんじゃが」

「知らねえな」

 やれやれ、と言うようにロッソは首を振る。もっとも、当時はそれほど重要な存在でもなかったから、仕方がないのかもしれない。ベンジャミンは、興味のない事はすぐ忘れるのだ。

「私、聞いたことがあります。西には女神の祭壇っていう所があって、そこの水晶は、女神の樹と同じように、世界に恵みを与えてる……って」

 エステルがそう言うと、ロッソは驚きと感心が入り混じった表情で彼女を見た。そうそう、その通りだ、と言うように数度頷き、再び呆れたような顔でベンジャミンの方を向く。

「ほれ見ろ。東に住んどる子だって知っとるじゃあないか。とにかく、その女神の水晶のおかげで西の地は、まだ自然が残っとるという話だ」

「私も、こっちに来たときは、ちょっと驚きました。東の方は、もうほとんど砂ばっかりですから」

 少し表情を暗くして、エステルが言った。ベンジャミンはここ最近、東の地の様子を見たことが無かったため、どうにもイメージが湧かないが、想像以上にひどい状態らしい。それで戦争に勝てる可能性も無いとなれば、一人の救世主に賭けて停戦を申し立てようとするのも、仕方がないのだろうか。

 しかし、今までの話を考えると、東の国の未来は絶望的だ。最後の希望だったはずの停戦も不成立となれば、もはや打つ手はない。ならば今後、エステルはどうなるのだろう。そのまま飢え死にするか、そうでなければ、負け戦に駆り出されて戦死するのだろうか。いずれにせよ、ロクな目に遭わないだろう。こいつには救世主の力があるし、生きようと思えば、東の国を捨てて生きることもできるはずだ。だが、こいつはそんな選択をしない。あまり長い付き合いではないが、こいつの考えは、なんとなく分かる。こいつなら、救世主としての使命感に逆らえぬまま、他人のために生きようとするに決まっている。

 俺は別に、こいつを守りたいわけじゃない。ただ、英雄となる素質を持った人間が、無駄に使い捨てられて死んでいくのだとすれば、それは我慢ならない。相変わらずムカつく奴だとは思っているが、彼女の持つ力を、俺は認めているのだ。

「……おじさん?」

 ベンジャミンは、無意識にエステルを凝視していた。声をかけられ、慌てて目をそらす。珍しいベンジャミンの動作に、ロッソがニヤニヤとしながら言った。

「どうした、この子に惚れたか?」

「んなわけあるか、ボケジジイ!」

 部屋に、ロッソとエステルの笑い声が響いた。

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