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この恵まれた世界の中で  作者: 雀村桜子
日常と非日常
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 歩き始めてから間もなく、ベンジャミンはエステルを呼び止め、家へと引き返した。勢いを削がれたようでエステルは不服そうにしたが、このまま旅立つわけにもいかないのだ。

 村から王都までは、普通に歩けば丸二日はかかる。急ぎ足でも一日半は必要だろう。旅立つにあたり、それなりの準備は必要になる。何より、俺は昨日の昼から何も食っていないのだ。ベンジャミンは家の棚をまさぐり、すぐに食べられそうな果物や穀物を、一気に腹に詰め込んだ。それから、家の隅に転がしていた大きめのカバンを引きずり出すと、水を詰めた袋やオイルライター、その他の雑貨を適当に放り込む。荷造りするベンジャミンの様子を、エステルが面白そうに見つめている。

 ベンジャミンはふと、エステルの姿を見た。彼女の持ち物は、衣服のほか、腰に下げている剣だけだ。それ以外には、何も所持していない。少女の身一つでの旅など、あまりに無謀としか思えないが、彼女に限って言えば、それで問題ないということなのだろう。昨晩、ベンジャミンの斧を受け止めた力。そして、腕を払った一撃は、華奢な少女の身体とは思えない、魔獣の筋力すら上回るほどの強さだった。それに加え、一体どこまでの事ができるのかは知らないが、彼女には魔法の力とやらがあるのだから。

 そう考えると、王都までの道のりで、彼女が足手纏いになる心配は、おそらく無いはずだ。むしろ自分が、彼女の足を引っ張るような事態を間違っても起こさぬように、気を付けなければならない。こいつの目の前で、これ以上の恥を晒すのは、本当に耐えられそうにない。

 一通りの荷造りを済ませると、ベンジャミンはエステルを引き連れ、村の南へと向かう。太陽は、ちょうど真上に来ていた。俺の足なら、少し駆け足で進んで、明日の夕方には王都に着くだろう。村を歩く間、いちいち「いい天気ですね」とか、「西は緑がたくさんありますね」とか、他愛のない話をするエステルを適当にあしらいながら、村を出た。

 村の南には、東西を林に挟まれるようにして、平原が広がっている。ちょうど平原を分断するように作られた道は、やや東の方角に向かって伸び、地平線まで続く。背の低い草の間をかき分けて、小さな獣が駆けていた。おそらく、イタチか何かだろう。

「えーっと、このまま道なりに進むだけ、でしたっけ」

「ああ。平原の真ん中歩いてりゃあ魔獣には会わねえだろうが、その辺の野生動物でも危険なのは居るから、注意しとけよ」

「私は大丈夫です。おじさんも、気を付けてくださいね」

 不意に呼ばれた「おじさん」という二人称に、ベンジャミンは眉をひそめた。彼自身、いつまでも若くないとは思っていたし、ティムから「おっさん」と呼ばれるのにも慣れていたが、また別の人間から若くない呼び方をされるのは、自分の年齢を再確認させられるようで辛いものがあった。そんなベンジャミンの様子を察してか、エステルはペロッと舌を出して言った。

「ベンジャミンさん、っていちいち呼ぶのが長くって……嫌でしたか?」

「……勝手にしろ」

 もう、こいつの言う事に対して、ああだこうだと言い返しても仕方がない。ベンジャミンは諦めたように言って、そのまま歩き出した。直射日光が照り付ける中、緑の平野の中を、ただ地平線に向けて歩いてゆく。その最中、ただ歩いているのが退屈なのか、鳥や獣が目に映る度、エステルがわあわあと騒ぎ、ベンジャミンに解説を求める。ベンジャミンは、面倒そうにしながらも、律儀にそれに応えていた。もともと、他人に蘊蓄(うんちく)を語るのは好きな方なのだ。一つ語る度、無邪気に喜ぶエステルの反応を見るのも、そのうち、あまり鬱陶しいと思わなくなってきた。

 エステルは、早足に歩くベンジャミンの後ろを、軽やかな足取りでついてくる。しばらく歩いても息を乱す様子が無いのは、救世主としての力も関係しているのだろうが、それ以上に、元々歩き慣れている様子だ。以前に自分を「田舎娘」と形容したのは、自虐的な言葉ではなく、本当にそのままの意味だったらしい。いずれにせよ、いちいち歩くペースについて相手に気を遣う必要がないのは、気が楽だった。

 王都までの道は、通る人間が多いこともあって、あまり危険な動物が出ることはない。時折現れる野犬や、大型の蛇などは無視できない存在だが、昼間から出くわすことは、ほとんどない。それに、その程度なら魔獣と比べればよっぽどマシな相手だ。それより、日中の平原で最も警戒すべき相手と言えば――――。

 その時、バサバサという音と共に、近くの木からベンジャミンたちに飛来する者があった。やはり来たか、とベンジャミンは身構える。エステルもその様子を見て、剣に手をかけた。件の相手とは、白い翼と鋭いくちばし、そして、赤いトサカを持った鳥……つまり、ニワトリである。

 たかがニワトリ、と言いたいが、家畜として飼育されている丸々と太ったニワトリとは、わけが違う。自然の中で鍛え抜かれた、しなやかな筋肉に覆われた体は固く引き締まり、ただ人に食われるだけの存在とは違うことを、強く主張している。他の鳥と同じように長距離を飛行することもできるし、何より気性が、やたらと荒いのだ。動くものを見かければ、それがネズミであろうと野犬であろうと、果てには魔獣であろうとも見境なく喧嘩を売ろうとする。その硬いくちばしの一撃は魔獣の分厚い皮膚にすら傷を付けるほどで、人間が何度も突かれれば、致命傷となることも珍しくない。さらに言うならば、やたら肉が固い上に食べられるところまで少ないため、仮に戦って仕留めたとしても、美味しくいただくこともできない。旅人にとっては、とことんまで嫌な相手なのだ。

 現れたニワトリは、全部で三羽だった。群れで狩りをしているわけではなく、ただ単に同じ獲物を狙いに来ただけだろう。そうも戦いたいのなら、ニワトリ同士で戦っていろと言いたくなるが、言って聞くような相手でもない。ベンジャミンは飛びかかってきた一羽を躱すと、左手を前にして身構えた。ニワトリのように小さく機敏な相手の場合、斧を振り回しても、そうそう当たってくれない。ならば、最初の一撃を何とか受け止めた上で相手の体を掴み、そのまま絞めてしまうのが確実だ。無傷で勝つのは難しいだろうが、他に方法はない。先程飛びかかってきたニワトリを睨み付けると、その隣にもう一羽のニワトリが見えた。どうやらエステルの方に一羽、こちらに二羽、と分かれたらしい。同時に二羽を相手にするのは厳しいが、やるしかない。そう覚悟を決めた瞬間、二羽のニワトリが、ほぼ同時に飛びかかってきた。

「おじさん、伏せてっ!」

 突然、隣で叫んだエステルの声に、ベンジャミンは一瞬、硬直する。その間にも、ニワトリが迫る。悩んでいる暇はない。ベンジャミンは倒れるようにして地に伏した。

 その直後、ごおおおお、と大きな音を立て、上着がちぎれ飛びそうなほどの突風が、ベンジャミンの頭上に叩きつけた。それに混ざって、バサリという音が二つ。飛びかかろうとしていたニワトリが暴風をもろに受け、激しく地面に叩きつけられたのだ。ニワトリは、そのまま動かなくなった。

 その状況に理解が追い付かず、ベンジャミンは伏せたまま、ニワトリを見つめていたが、その後、激しく跳ね起きた。そうだ、エステルに向かった方のニワトリが、まだ残っているのだ。這いつくばっている場合ではない。立ち上がり、エステルの方を向くと、そこには胸の辺りから真っ二つにされたニワトリの死体と、無傷のエステルがいた。どうやら、最初に飛びかかってきた時点で、一瞬にして仕留めていたらしい。

「おい、さっきの風は……」

「うん、私だよ」

 呆然としながら問いかけたベンジャミンに、エステルは、けろっとした顔で答えた。

「まだ、あんまり慣れてなかったけど、うまくいったみたいだね。おじさん、ケガはない?」

「あ、ああ……」

 次元が違う。そう、ベンジャミンは思った。風を操った力に、剣の腕。冷静に状況を見る判断力もある。それから、自身の力を鼻にかける様子もない心。それらは紛れもなく、自分が子供の頃からいくつも読んできた物語の英雄、そのものだった。これが、救世主と呼ばれる存在なのか。自分という存在が急激に委縮してゆくのを感じ、ベンジャミンは立ち尽くしていた。

「置いて行っちゃうよー」

 視界の先、笑顔で大きく手を振りながら呼ぶエステルの声に、我に返る。自分が固まっている間に、彼女は二十メートルほど先へと進んでいた。ベンジャミンは慌てて、全速力でエステルの元へと走った。何の気無しに言われた「置いていく」という言葉が、ひどく恐ろしく感じた。

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