最後の砦 その5
「縄って、ずっと縛ってっと縛られたところに擦り傷みてーのが残るんだよなァー。これも似たような物か?……なんか鉄臭いぞ」
ビクターが、左腕に巻き付いたワイヤーに顔を近づける。
鉄となると謎の親近感が湧くが、ビクター自身は金属特有の臭いには嫌悪感がある。
「敵にそう易々と手の内を晒すほど馬鹿ではないが…こればかりは手の内もクソもない。ワイヤーと言えば、あんたのちっぽけな脳味噌で理解できるな?」
フィオリは小馬鹿にしながら掌から出ているワイヤーを肩辺りまで引き、ビクターの体を揺らす。
ワイヤーで腕の主導権を握っている以上、なんら危惧することはない。
横では物凄い数の人間が動き回っているが、両者は目もくれない。部屋は無駄に広いし、一対一は変わらない。
ビクターが後ろに隠していた右腕を瞬時に現し、大きく腕を振りかざす。
「まずァいっぱああああつッ!!」
ブヴンッ!―――と豪快に鉄球を放った。
意外、それは下投げ。山なりに上がった鉄球はフィオリに着々と迫ってゆく。
しかしフィオリは顔色一つ変えずに、腕に力を込めた。
「戻れ!『パシフィック』ッ!」
ビクターの体が強く引っ張られる。
「うわぁおゥ!」
掃除機のコンセントをボタン一つで戻すように、ワイヤーがフィオリの手の中へと高速で引き戻されていく。すなわちビクターも引っ張られる。
それと同時に手綱の如くワイヤーを動かし、ビクターの位置を調節する。もちろんビクターの先には鉄球。
鉄球を止める方法があるのではと思い立ったフィオリは、本体を離れた鉄球をもう一度本体に接触させるという方法を考えついた訳だ。
「ゥフッ!!」
ビクターの頬に冷たく重厚な鉄球がめり込む。
響く鈍痛、やがて床に叩きつけられ、フィオリの足下に無様に転がる。そしてビクターについていくように、鉄球も音を立てて床に転がる。
策が功を奏したのか、鉄球は一切動かない。
「打つ手無し。諦めたほうが身のためですよ」
「………」
ビクターは眉をひそめる。
ある一つの疑問が生じた。鉄球の追跡能力は永久に続くはず、改めて接触しただけで止まることがあるのか?と。子供の頃に自分の能力に関する全ての謎は検証した。その時は永久に追跡した。この世でこの能力を一番理解しているのは自分のはずだ。
フィオリの足下にいるビクターは上を見上げる。視界に入るのは下半身。
ふとここで、とある一部分が目に焼き付いたわけだが、それがたまたまなのか先程の謎とリンクする。
「!!………まさかお前…!俺と同じ…!…そうか、世界は広いんだな」
予想外の事実に到達し、無意識に驚いてしまう。
いや、厳密に言えば違うには違うが、同じ思考を持つということはあるのかもしれない。
「何アホ面をしてる。諦めがついたか?そうだ、もしかしたらウチの雑用として雇ってくれるかもしれないぞ」
ビクターの顔に少し笑みが零れる。
「…………睾丸に衝撃がくるとクソ痛ぇ理由…教えてやる。生殖機能が失われるって脳が判断するからだ。生物は子孫を残すことが生きる理由だからよォ、生殖活動が出来ない奴なんて死んでるに等しいからな。子供が残せない奴は死んでも良いってい本能なわけだ」
「は?」
「でもな…「俺達」は子孫も残すつもりが一切無くても、生殖機能が失われても脳は痛みの信号を出さない。何故か考えたことあるかい?」
ひとりでに悠々とビクターが話し出す。
この時、フィオリは何が言いたいか少しずつ察し始めた。
「過剰だけどよォ…言うなれば神に選ばれた存在。これが人間のあるべき姿だと僕ちゃんは思うぜ」
こんな話をするということは、それに関係する背景がある。そして推測が確信に変わろうとしている。
「お前が言いたいことはよく理解できた…同類は初めてかもしれないな」
同じであること、見た目だけでそれを見抜いた事。フィオリにとっては初めての経験だった。
「敵として会わなかったら…良き親友になれたのかもな…」
「「お前も…」」
「ゲイだったとは」
「トランスジェンダーだったとは」
沈黙。
「交渉決裂だ。テメェの股間の穴に手突っ込んでから内臓ぶちまけてソーセージにしてやるぜ」
高らかなゲイ宣言をした男。ビクター・サージ。
「お前なんかに慈悲は無い。アソコ諸共輪切りにした後にデラウェア湾を遠泳する覚悟をしておけ」
同じく雄々しくトランスジェンダーを告白した心は男。スティリード・フィオリ。
ちゃんと体のラインは出さないよう尽力し、サラシも巻いている。よく見れば、女っぽい顔をしているような…
「いや…待てよ」
ビクターはとある重大な事実に気づいてしまった。
おそらく今までは、相手側は「対象の股間を永久に追跡する鉄球を創り出す」能力だと思い込んでいるだろう。しかしこれは誤解。本当は「対象の男性器を永久に追跡する鉄球を創り出す」だ。
「てことは……嘘だ…俺はあのお方に仕える僕だ…。こんな偶然あってたまっかよ…」
汗が頬を通り過ぎる。
トランスジェンダーは、手術を望まない者が多いと聞く。あの時鉄球が追跡を止めたのも、最初から追跡すらしていなかったからなのでは?
「どうしよ…」
「え?」
つい呟いてしまった。運が良いのか、律儀にフィオリは待っていてくれている。
ここで気づかれてはならない。どうにかして勝つのだ。
幸いなことに今回はエリックが同行しているし、かなりの数の奴隷を連れている。奴に気づかれずに、フィオリではなく男の奴隷を対象として鉄球を投げればいい。
「ふゥ~」
深呼吸をするフリをして横目で奴隷を捉え、フィオリに見えない位置で鉄球を握る。
「もぉいっぱああああつッ!!!」
脚のバネを全身全霊で動かし、立ち上がると同時にフィオリに向かって鉄球を投げた。
だが最初は当てず、勢いのみでフィオリの頭の横を通過させる。
「!」
フィオリはビクターの狙いは背後からの攻撃だと思った。ブーメランのように返ってきた鉄球を当てるものだと。
鉄球との距離が短すぎるがため、先程のようにビクターを振り回して鉄球と接触させることができない。
「へへッ!この感じだと頭蓋骨をぶち抜けるぜェーーッ!」
ワイヤーの巻き付いた左手でガッツポーズをとる。
奴隷の股間と鉄球の斜辺上に上手いことフィオリの頭がきた。当たれさえすれば勝てる。
避ける暇も無くフィオリの頭に着実に近づいている。
「やっちまえェェエーーッ!!!」
カンッ!!―――ビクターの耳を通ったのは痛々しい鈍い音ではなく、金属同士がぶつかり合う音だった。
「人間ってのは常に進化しながら生きてる。というより進化がなきゃ生きていけない。地球の頭脳代表として、テキパキしなければ」
フィオリの頭には傷一つ無く、なんだかさっきよりも気分が良いようにも見える。
「はっ、はぁ!?」
フィオリの右手からは、ビクターの左腕を捕らえているワイヤーが出ている。そして左手からは、フィオリ自身の左腕をヘビのように隙間無く巻きつくワイヤーが出ている。
「だが摂氏と華氏なんてもんがあるのは許せない」
まるで骨折したときにつけるギブスのような円柱状になったワイヤー。そして、左手の指でつまんでいるものは指輪。電撃を放つ指輪だ。それはワイヤーに直接接触している。
つまりはワイヤー自体に数十万ボルトの電気を流したということ。
「ちょっと無茶苦茶すぎるんじゃねぇのか!?こいつには腕が焼け焦げてもいいっていうイカれた覚悟があるぜ!」
それと、フィオリの左腕のワイヤーにピッタリと吸い付いた鉄球。
「いや、訓練はしてますけどね」
「それも電磁石も最高なジョークだ。僕ちん惚れちゃうぜェ」
ビクターは諦めと同時に呆れる。
フィオリはワイヤーと対特異能力道具の電撃の指輪によって一時的な磁力を獲得し、頭に鉄球が衝突するのを阻止した。
しかしあくまで一時的。すぐに磁力は失せ、ワイヤーから離れた鉄球は本来の目標である奴隷に向かい始める。
物の見事にフィオリには一切ダメージを与えずに鉄球は去っていったのだ。
「やはり男の体にのみ反応する能力だったようだな、ビクター。お前の諦めない姿勢だけはほんの少し褒めてやる」
「嬉しくない讃美だ。このままあのお方に顔を合わせる資格は無い。さあ早いとこ地獄か天国にでも送ってくれ」
体の力を抜き、ビクターはその場に座り込んだ。
「生かしてやる…とは言えませんがね。こっちも命懸けだ、さっきも言ったが一切の慈悲は与えない」
用無しになった左手のワイヤーを使い、ビクターの体中に巻きつけた。
なぜか安心と共に不思議と悲壮感が湧いてくる。
「偏見に負けずに頑張れよスティリード。あばよ」
「………」
返す言葉を失う。
本当に一捻りだった。フィオリが軽く引っ張るとビクターの体は一瞬で押し潰され、見るも無惨な何かに変貌を遂げた。
ビクター・サージ(23) 死亡
人を殺すのは慣れている。今回だって未練なんてものは無い。しかし互いのどこかに、似た悩みを持つ者同士の友情に似た何かが生まれていた。
足に血が辿り着いた頃には、丁度リル達の戦いも終わっていた頃だった。




