磁石のように
家には物音一つせず、葬式会場みたいに静まりかえっていた。
「母さん…?」
この時間帯にはもう帰っているはずだ。大きな違和感を感じたが、偶然外出しているのだろうと思った。
あまり家にいない父と違って母はほぼ女手一つでリアス達を育て上げた。父が行方不明になってもずっと笑顔だった。
カバンを自分の部屋に放り投げると、孤独を紛らわすためにテレビをつけた。
『速報です。連日ワシントン市内で発生していた連続通り魔事件の―――』
ハッとなて我に返った。虚ろな目で考えた。
まさか、そんな偶然あるか?
今朝のことを必死になって思い出す。
まだ眠気の覚めない朝方
今日はもしかしたら遅くなるかもしれないから、戸締まりよろしくね――
なぜ遅くなる?会議?食事会?
「まさか…D.C.に…?」
目が点になり冷や汗が出てきた。
そんな馬鹿なと思い込み、ポケットからスマートフォンを取り出した。震える指でタップしながら電話帳を開き、電話をかけた。
「……」
唾を飲み込み、じっと待つ。拳を握り締め、ひたすらに願った。
時間の感覚を忘れるぐらいに待ったところで、発信を切った。
不幸中の幸いなのか、明日は休日。
まさかあるわけがないと思い、待つことに決めた。
この日は適当に食事を済ませると床についた。
翌朝
いつもより早く目覚めた。
まだ孤独感と背筋が凍るような感覚は残っている。
ベッドから起き上がると、鼻を犬のように使い、目を閉じ耳を澄ました。
古びた本の匂い。
自動車の走る音。
朝御飯の支度をしている音は?匂いは?
そんなもの一切しなかった。恐怖のどん底にたたき落とされたみたいに寂しく、怖かった。
自室から期待を込めて出ると、空き巣のようにぎこちない慎重な足取りでリビングへと向かった。
「いるわけ…ないか」
思わず独り言が漏れた。
母がいる気配は全くしない。
この場合のやる事は既に決まっていた。顔を洗い着替えると、学校に向かった。
学校の右手前にある芝生の生い茂る不思議なスペース。そこにはプレハブ小屋とアンテナのような装置が無数に設置されている。
「先生、ジョーンズ先生」
小屋の扉をそーっと開けると、背を曲げて何かをしている怪しげな男が見えた。小屋の中には見たことのない機械や変な色の液体が入った瓶が雑に置かれていた。
「むっ、ペルフ何か用か」
試験管を手に持つ背の白衣の男、フェリックス・ジョーンズ。高い鼻に優しそうな目つき。手入れをしているのかも分からない髭と髪はその性格を体現しているようだ。
いつもこのプレハブ小屋で怪しい実験をしているらしい。
「それが、かくかくしかじかで…」
「ふむ…母親が帰ってこないと。それは問題だな」
顎を指で挟むように撫で、顔をしかめる。
「大問題ですよ、それで先生の能力を貸して欲しいんです」
「ダメとは言わないが…地球の裏にでもいたら永遠に辿り着かないぞ?」
「大丈夫です、休日潰してでも捜しますよ」
しかめた顔を解くと胸ポケットからボールペンを取り出した。
無造作にボールペンを机の上に縦に置く。
「母親のことになると我を忘れるのは君のよくないところだぞ」
そう言うと、ボールペンから手を離した。
ボールペンはリアスから見て左後ろに倒れた。
一見ただ普通にボールペンが倒れただけに見えるが、これがジョーンズの能力『ハイヴス』。
縦に置いた棒状の物を倒すと、棒状の物は「幸運の方向」へと倒れる。つまりは左後ろに向かって延々と向かえば何か良いことが起きるわけだ。
「必ず母親に会えるわけではないからね、もしかしたら1ドルが落ちてるだけかもしれないぞ」
「分かりましたって…じゃあ、これで」
「ああ、気をつけてくれよ」
歩いた。バカみたいに歩いた。足は棒のようで、まだフルマラソンを走り切るほうが楽の思えてきた。
呼吸を荒げ、スマートフォンを開いた。
まだ昼10時のペンシルベニア州内で、方向は間違っていないようだ。
周りはビル街で、かなりの都会でニューヨークのタイムズスクエアのような所だ。
日陰になっている所を中心に左後ろに向かっていく。まだかまだかと出来事が起きるのを待っているが、なかなか起きない。
「(この道って近道かな…)」
ふと視界の隅に見えた薄暗い路地裏に入った。一分一秒でも早く幸運の方向に辿り着きたいがために知らない道でも進む。
「やっ…触らないで!」
リアスの入った路地裏から女の人の悲鳴が聞こえた。ぐっと目をこらすと、3人程の厳つい男達が少女を壁に追いやっていた。
「(………関わるのはやめておこう)」
つい目を背けてしまった。
あの少女も運が悪いな。他人事だと見て見ぬ振りをすると、体を回転させ元の道に戻ろうとした。
「おい、どこ行こうってんだァ?」
いつのまにか男が背後に立っていた。
肩を掴み、今にも人を殺しそうな目でリアスを見つめるニット帽の男。その男はニヤリと唇の端を上げると、リアスの顔の真横に口を近づけた。
「お前の能力さァ…弱いだろ?だから逃げようとしたんだろ?世界っていいよなァ、世界人口分の全く異なる能力があるんだぜ…弱肉強食の世界…俺ァ生まれた時点で勝ち組なんだよ」
生温かい息を吹きかけ憎たらしく言い放った。
弱いんじゃあない、無力なだけだ。覚悟はできている。
「『幸運の方向』…」
無意識に咽から漏れてしまった。
しかしこれでよかった。思い返して分かった、これが自分の『幸運の方向』だと。ここで少女を救って改心しろという神からのお告げなんだと。
「あ…?なんだってェ?声が小せぇんだよォッ!!」
男は突如拳を振りかざし、リアスへと振り下ろした。
リアスは拳に気づき振り向きざまに左手を咄嗟にかざし、防御しようとした。
その瞬間。
フワッと、首根っこを引っ張られた猫のように、男は後方に吹っ飛んだ。
「えっ?」
突然のことに驚きを隠せなかった。男は鼻血を出し4メートルほど人形のように飛んでいたのだ。
一瞬これがあの男の能力かと思ったが、そんなわけない。勝ち組と自負していたあたりそれなりに強い能力だろうし、じゃああの少女の能力?
振り向くと、男の仲間の二人がこちらを怯えるように見ていた。
「お、おい…行こうぜ…」
一方の男が後ずさりすると、それを合図に二人共無言で逃げていった。
リアスは薄々思った。自分が吹っ飛ばしたのではないかと。今までこんな事は無かったし、17年間でこんなシンプルに強い能力なんてのも見たことない。
吹っ飛ばす能力…でもなぜ今?
「あの…ありがとう」
少女は軽く会釈をし去ろうとしていた。
リアスはこのチャンスを逃すわけにはいかない思い、この状況を少しでもとどめようとした。
「ま、待って!」
引き止めようとしたが、少女はそのまま走って行った。
無我夢中に後を追うと、通りに出た。
「ねぇ!君!」
どんどん遠のく少女に届くはずもないが、ドラマみたいにリアスは右手を前にかざした。
その時、何かリアスの体を押す向かい風のような「見えない何か」が当たった。
「うッ!」
今度はリアスが後ろに吹っ飛んだ。先ほどの男と全く同じようにフワッと引っ張られるように後方に飛んでいたのだ。
コンクリート製の歩道に体を打ちつけた。
「ッ!」
顔を擦りむきながら歩道に転がった。
意味の分からない事象に焦りながらも、諦めきれないリアスはすぐに立ち上がり、追いかけた。
視線の先には屈強なスーツを着た男とあの少女がいた。
スーツ姿のSPのような男は後部座席のドアを開け、少女を黒塗りの車に案内していた。
「待っ――
車はリアスが叫ぶ暇を与えずに発車した。
「はぁ…はぁ…なんだ、お嬢様…?」
足を止め、膝を手をついて休んでいると、足下に紙が見えたので、何気なく拾い上げた
「アーリー・エクトス証券会社…」
名刺に書いてあったことをそのまま口に出すと、何か引っかかるものがあった。
どこかで聞いたことがある名前…有名な会社というわけではない……アーリー……エクトス
覚えているはずなのだが、思い出せない。まあいいかと自答すると、違うことを思い出した。
「あ」
全ての原因であろう両手を確認する。
特になんの変哲も無い普通の手。眉をハの字にした。
「……」
力んでみたが、何も起こらない。
あの能力はなんなんだと結論の出ない疑問を自分に投げかけ、もう一回だけジョーンズ先生のもとへ行こうと思った。