リトル・ミックス その3
車の後方にはあの生物は見えない。
夜のニューヨーク市内、ハドソン川を越えた辺り。リアスにはどこへ向かっているのかも分からない。
「あいつはいないよ」
夜風が体を凍えさせる車内。ドアが無いせいで頭の中に「寒い」という二文字が木霊する。
リアスの言葉を聞いたとき、リルの顔が強張る。
「いや…後ろじゃあねぇよ」
車の前方に見える巨大な人影。3メートル、いや、4メートルはあるであろう奇妙な深緑色をした人型の何かがその場に屈んでいた。
「お早い再登場だこと…!」
「ぐじゅるるるるる………!!」
あからさまに人間ではないその生物は、唾混じりの叫び声を上げ、2人の乗っている車を睨んだ。
近づくにつれて姿が鮮明に見えてくる。
「前にいるぞ!掴まれリアスッ!!」
「うわぁっ!!」
リアスがその言葉を理解する時間はなく、車は急回転し、生物の3メートルほど手前の車道に向かって方向転換をした。いきなりドリフト気味に入ったためその衝撃は無防備な2人に襲いかかる。
「いてっ!」
突然の衝撃にリアスは耐えきれず体をぶつけた。
「おい予定変更だ!カウンティ・ロード近くのハッテンサック川で合流だ!分かったな!」
リルは怒号のような話し方でどこに伝達した。
体勢を崩して横たわっているリアスにはリルが何に向かって喋っているのかは分からなかったが、どこかと連絡をとり、予定されているということは分かった。リルと再会してからは目を離したのはほんの少ししかない、一体いつどこで練られた予定なのか、リアスは少し疑心暗鬼に陥る。
急に曲がって入った道を抜ける直前、ビルを押しのけるように車を影が被った。
「ガグルルルァァァァア!!!!!」
前回よりも巨大化していたあの生物が、車の真上でビルの間に手足を広げて掴まっていた。もう追いつかれていた。
「グギルァァァアーーーッ!!!!」
よだれを滝のように流し、車に向かって降りてくる。
「クッソォッ!!」
逃げる隙間も時間もないこの状況、さらに2人の能力は無いも同然。どうすれば助かるか、どうすれば倒せるかをスローモーション映像のようになった視界の中で考える。
車の屋根に何か大きな物体が接触したところで、スローモーション映像は途切れた。
「グラルルルルルァアッ!!」
鈍く大きな衝突音がビルの間を反響する。
生物のおぞましい顔面が、無慈悲に車体にめり込み、そのまま車は紙くずのようにペシャンコにされた。
「ギグアァァァァァァァア!!!」
次にその生物は、ペシャンコになった車を強引に蹴り上げた。
4メートルほどの体格から繰り出されるキックは容易に車を打ち上げ、左右にブレることなくフライのように高く上がった。
「ぐる…?」
生物は顔を真下に傾ける。
足下の車道が、泥のようになっていた。飲み込まれるように生物の足が沈み、灰色の液体の中から徐々に二つの固体が悠然と姿を現す。
「ったく……後始末が面倒くさいことしてくれたな」
「なかなか冴えたアイデアだと思ったんだけど…」
「全然冴えてねぇよ…しっかし臭ぇなこれ」
体中を液体でベタつかせ、リルとリアスは姿を見せた。
2人は生物が車をペシャンコにする直前に道路と車内の床に銃弾を放ち、生物の襲撃から逃げていたのだ。
「こっからどうすんだ?」
「体を洗い流すついでに逃走…かな」
気の抜けた会話をすると、液体となったアスファルト等の液体の下から、無色透明の液体が顔を出した。
水道管までをも既に溶かし、逃げる術を整えていたのだ。
「あぁ…そう」
リルのワイルドな気合いが消えかけた瞬間、2人の体を水が押し上げた。
水道管から漏れ出した多量の水は凄まじい力でものの見事に2人を斜め上空に、スリングショットの弾のように軽々と吹っ飛ばした。
「ここからどうするかは考えてない!!」
斜めに打ち上げられた2人はビルとビルの狭い間の路地を抜け、大通りの上空に出た。
風を横切り、冷たい空気を直接肌で感じる。真下には車と人々が行き交い、一生見ることのなさそうな景色が見える。
しかし高度はどんどん下がり、絶体絶命。
「私は考えてたぜ、既に二機目は呼んでおいたし、ガソリンを漏れ出させて電線を剥き出しにしておいた。感謝しろよ?」
打ち上げられた2人が空中にいた時間は片手で数えられるほど少なく、すぐに目の前に救世主が見えた。
髪をたなびかせ、強めの風圧が2人を迎える。そして黒く光沢を放つ機体から身を乗り出す乗組員らしき男が一人。
「掴まって!さあ早くッ!」
ビル街に既にヘリコプターは来ていた。
そしてそこから作業服に似た服を着た男が手を差しのべ、手から金属製のワイヤーのような物を出していた。おそらくそのワイヤーが彼の能力なのだろう。
2人は死に物狂いでそのワイヤーに手を伸ばす。
「「ウォォオオオオーーーーッッ!!!!!」」
ガシッと掴んだ。掴んだというよりはワイヤーが勝手に動いて掴まりやすくしてくれたような気もした。
風が緊張感と焦燥感を増幅させ、今までにない体験のせいか力が緩んできてしまう。
「よしッ!」
宙ぶらりんの状態の中、男は手から出たワイヤーを手の中にしまい始めた。
人生で最も高い握力で掴んだであろう手が痛み始めてきたころ、2人はやっとヘリコプターの中に、打ち上げられた魚のように入った。
「ふぅー……」
リアスは手を振り、背を床につける。
意外と広いヘリ内には、リル、リアス、そしてあのワイヤーの男以外には少しの荷物しかなく、広さに見合わない質素さがある。
「なかなか爆発しねぇな。ま、いっか」
リルはあの生物のいるビルの狭間に目をやることはなく寝転がった。
「いや、よく見てくださいリル…あいつ屈んで…何をしている?」
ワイヤー男は生物をまじまじと睨む。
よく見ればリルと同い年ぐらいだろうか。中性的な顔立ちに灰色の髪とそれに似合っている左右非対称の髪型。ファッションには気を使わないのか、前の開いた作業服みたいな服にタートルネックのシャツ以外にこれといった特徴がない。
「…?私たちを探してる…とか?」
「いや…顔を地面に擦りつけて…」
そう言っている間にヘリが移動することでその生物はビルに隠れ、見えなくなった。ヘリはどんどん上昇し、ビルの高さを余裕で越える。
「ぐじゅるるる………」
生物が狭い車道を抜け、大通りに顔を出した。大通りに出たせいか、人々が怯えている。
事が広がったことに少し末恐ろしくなりながら、3人は生物の行く末を見る。
「!…いた、大通りに出たよ」
「僕たちはやがて見つかる……それまでになるべく移動しなければ」
「待てフィオリ。ここでケリをつける。どっちみちあいつは追ってくるんだ、今すぐやったほうがいい」
リルは押しのけるように言った。
フィオリとはワイヤー男の名前だろう。どの国の者かはさすがに分からないが、それなりの修羅場を潜り抜けてきたに違いない。
「……勝手ですが許してくださいリル。本来乗るはずだったヘリにはルクセルさんを乗せています。そこでやったほうが手っ取り早いかと…」




