第3章『悪の幼子』
――ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
その咆哮は、ニューヨーク市全体に鳴り響いたそうな。
人々がこの声が何なのか理解できていなくとも、人々は本能的に理解させられてしまった。
――死ぬ恐怖を、
平和によって麻痺した恐怖を呼び覚ます目覚めの声。終焉からの報せ。
人々は、急に根底から押し寄せてくる『黒い感情』に理解が及ばず、それが恐怖だと理解出来ないままに、混迷に混迷を極めていた。
「主ッ! 気をしっかり持て! 喰われるぞ!」
「ハッ!?」
黒い感情に支配されていた彼を、ユダの気丈な声でもって現実へと帰還することに成功した。
「――ッ! あれは……なんだ……?」
黒い、唯々黒い巨大な塊に巨大な口が付いたソレは、余りにも醜悪、余りにもおぞましい姿をしている。
さっきの黒髪の女の子は、アレの事を『バルトロマイ』と言った。
つまり、アイツもそうなのか? カレスによって喚ばれた過去の英雄? そして、あの七、八歳ぐらいの女の子が、血戦の参加者の一人?
だとしても、アレは、あの黒い口は、明らかに人でもなければ、英雄でもないッ!
「……意外な事この上ないな。まさか『英雄の敵』が現れようとは」
「英雄の……敵?」
「そのまんまの意味よ。神話とかで英雄に倒される側の英雄、または怪物の事だ。アレはその類いよ」
予想外だ。いや、英雄の敵となる英雄が喚ばれるならまだ理解できる。
だが、まさか英雄に倒される側の怪物が喚ばれるなんて……。
「……白昼堂々襲うとは、中々に粋な奴よ。名を名乗れぃ!! 吾こそは『イスカリオテのユダ』!! この場で吾と戦うのであれば、汝の名を――」
『ウルサイ……エサ……ダ……』
「何!?」
喋った。なんて低く、機械音声のような、無機質な声だ。聞くだけで鳥肌が立つ。
『ナゼ……エサニ……ナヲ……ツゲネバ……ナラヌ? ……ワガシュジンヨ……キデンハ……ショクジノマエニ……エサニ……ジシンノナヲ……ツゲルカ?』
と、口は主である女の子に問い掛ける。
「……? えーと、つまり、ご飯を食べる前に、ご飯に自己紹介してから、いただきますを言うかどうかってこと?」
『ソウダ……』
「……アハハハ、何それ、変なの~。ご飯に言うのは『いただきます』だけでしょ~? 常識だよ~」
――こいつら……ッ!! 俺達を『エサ』としか見てないのか?
それでも、ユダはまだ私服のままで、昨日の鎧姿に変身していない。何故だ? アレは明確な敵だ。
ユダ、君は何故武器を取らない?
「……エサ、か。まぁそれはよしとして、汝は名だたる怪物とお見受けする。では何故、汝程の者がそのような幼子に付き従う?」
そうか、相手が知性のない怪物ならまだしも、向こうにはちゃんと知性がある。黒い靄のようなもので姿を隠している。
つまり、その姿を晒しただけで、一発で正体が割れてしまう程の大怪物だからかもしれない。
それを知った上で、あの靄で姿を隠してるってことは、それだけの知性はちゃんと存在しているようだ。
だからユダは、戦う前に、相手の様子を伺おうとしてるんだ。
『……シタガウ……リユウカ……カンタンナ……コタエヨ……コノコハ……コノ……ヨ……ノ……アク……ノコダ……ソレダケ……ヨ……』
なんて言った? よく聞き取れなかった。『この世の悪の子』って、言ったのか?
「……バルト、今、わたしの事『悪い子』って言った?」
『ソウダガ……?』
「……ぶー、ち・が・う・よー。わたし達『正義の味方』だよー。この世の悪い悪い大人を一人残らず殺しちゃう子供達のヒーローがわ・た・し・で・すー! ていせいを要求しますー」
女の子がむくれて怪物に抗議している。それだけなら愛らしい姿だが、その愛らしい仕草が気持ち悪く感じる程に、この子は歪んでいる。
「――――」
女の子の歪さに気付いたユダが絶句している。
この世の大人を皆殺しにするヒーロー。それが彼女の願い? その上、その行為が悪行だと思っていないのか?
――真の悪は、自分を悪だと気付けない。
昔、誰かがそう言っていた。その通りだ、あの子は、悪の子。この世界によって歪められた歪な子。
誰だ。あの子をあんな風にしたのは誰だ?
あんな子が、あんな恐ろしい怪物を従わせてる姿。
何者にも言い難い気持ち悪さを感じる。
「……君は……君の親は……君の家は……どこなんだ?」
今までに出会った事もない悪意に、彼は今関係ない事を女の子に聞いてしまった。
彼の問いに対して、女の子は首を回して真剣に悩んでいる。
「……おうち……パパに……ママ……そんなもの、いないよ?」
「――ッ!?」
「ねぇねぇバルト。わたしって、どこから来た子か分かる?」
やめろ。そんな化け物から答えを得ようとするな……!!
『……シラヌ……ダガシュジンヨ……キデンニ……ソンナモノ……ヒツヨウカ……?』
「や、やめろ……」
『キデンノカエル……バショガ……ナクトモ……ワレガ……ソバニ……オル……ダカラ……ココロオキナク……オトナヲ……コロセ……イイナ?』
「うん! 分かったよバルト~。やっぱりバルトはわたしの一番の友達~。バルトの言うことは全て正しいね~」
女の子が化け物に抱き付いて頬擦りをしている。
完全に、あの子はあの化け物を信用しきっている。
きっとあの子は、もうあの化け物以外の言葉は信じてくれないのかもしれない……。なんで……世界はあんな子を作ったんだ?
「……貴様……バルトロマイと言ったか……」
ユダが、拳から血が出るほどに強く拳を握って、怒りを露にしている。
「そのような……そのような世界をまだ知らぬ幼子に何を吹き込んでおるかぁぁぁぁぁぁ!!」
ユダが一瞬にして、私服から鎧姿へと変身して、一本の長剣を手に、あの怪物『バルトロマイ』に斬り掛かった。
「だめ! バルトを傷付けないで!」
「退けぃ童ッ!!」
女の子が、バルトロマイの前に出て庇い、ユダの剣の手が止まってしまった。
「――ッ!! 止まるなユダッ!!」
「ぬぅ! ?」
『……ヨクヤッタ……シュジンヨ……』
まただ。女の子の影から、別の黒いモノが飛び出て、それがユダの腕に噛み付いた。
「ぬぅあああ!?」
その飛び出したモノも、バルトロマイと同じ黒い靄に覆われた口だ。でも、バルトロマイよりかは、一回り小さい。
「ユダッ!?」
「あ、安心せい……くっ! こいつ……!」
どうやら、ユダは腕の籠手にソレを噛ませて、致命傷は避けたようだが、ソレに押し倒されて、身動きが取れなくなってしまっている。
「邪魔じゃッ!!」
ユダは、噛ませてる腕とは反対の手に持った剣で、ソレの頭を串刺しにして、急いで立ち上がると――
「ッ!?」
消えた!? バルトロマイが消えて、女の子だけが残されている。
「あ、バルト、もしかしてかくれんぼ? わーい! お兄ちゃん、お姉ちゃん! わたしのバルトは何処に行ったでしょーか!」
さっき、女の子の影から飛び出した事を思うと、女の子の影に隠れたのでは――
「……探す必要がなかろう」
と、ユダが剣から最強の複合弓へと持ち変えて、その矢を女の子に向けている。
「……相手が幼子で戸惑ったが、もう遅れは取らぬッ!!」
そう言うと、ユダは何の迷いもなく矢を女の子に放った。
もうあの子は救えない。いや、そもそも、この戦いに参加してる時点で、あの子に未来なんて……もう無いんだ。
「ひゃ!?」
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
やはり、女の子の影に潜んでいた。ユダが放った矢を、バルトロマイは矢を呑み込んでしまった。
「ユ、ユダ!?」
バルトロマイの勢いは止まらず、そのままユダを丸呑みしようと、その巨大な口を開けて飛び掛かってきた。
「……せいや!」
しかし、臆することなく、ユダはバルトロマイの口の中に、先程の長剣を縦に入れて、バルトロマイの口が閉じないようにつっかえ棒とした。
「ハッ! 無駄に大口開けてるからそうなる――ガッ!?」
バルトロマイの口は閉じなくなったが、その代わりに、バルトロマイは首を振って、ユダを真横に突き飛ばしてしまった。
「クッ!」
それでも、ユダは空中で体勢を立て直し、吹き飛ばされた先にあるビルの壁を蹴って、もう一本の長剣を取り出して、バルトロマイに斬り掛かった。
「くたばるがよい化け物!!」
『……『ハメツノツエ』ッ!!』
「な――!?」
そ、そんな、バルトロマイが、口から炎を出した!?
それを光線のように真っ直ぐ、ユダに目掛けて放った。
今は口を閉じられないから、あの巨大な口に食べられる心配はないと思ったが……やはり、そこまで簡単な怪物ではなかった……か。
「ユダァァァァ!!」
「ぬぅああああああああああ!!?」
ユダが、その炎の光線に呑まれてしまった。
な、なんて熱量だ。こんなのマトモに受けたら、人間なんて簡単に消し炭にされてしまうぞ!?
「わーすっごーい! バルトって炎をボワー、て出せたんだねー! かっこいいー!」
女の子が笑顔ではしゃいでる。
……なんてことだ。ビルの壁を溶かしてしまうなんて……これでは……ユダは……もう……。
「生きとるわド阿呆!!」
あ、生きてた。
「び、びっくりしたぁ、まさか口から炎が出るとは思わなんだ……」
ユダは、空中で手に持った剣を地面に突き立てて、上手く軌道修正をして回避したようだ。
あの刹那であんなことが出来るとは、さすが歴戦の英雄。
「しかし参ったのぅ……主よ。吾ではこやつに勝てないやもしれぬ」
「え!? な、なんで?」
ユダなら。化け物が相手でも「吾なら勝てるわー!」とか言ってしまいそうなものだが。
「……吾、怪物と戦うのは、これが初めてなのだ!!」
「それだけ!?」
「それだけとはなんぞ!? 吾は怪物退治の英雄ではないのだぞ! あんな口から火が出る怪物の倒し方なんぞ知るかッ!!」
「ええぇえええええええええ!?」
あんだけ勇ましく斬り掛かったのに、それかーい!
『……シラケルナ』
「えー? そうかなー? このお兄ちゃんとお姉ちゃん、とってもおもしろいよ!」
うーん、さっきまでの気持ち悪さが吹き飛ぶこの空気はなんだ?
あの緊迫してた空気を一瞬で変えてしまうなんて、ユダは何処まで凄いの?
と、言っても現状は変わらない。
『……ドウスル? キニイッタノナラ……テアシダケヲ……モイデ……ニンギョウニ……スルカ?』
「ッ!?」
「お人形さん……うん、うん! それなら可愛くなってくれるかもー」
何処が可愛いんだよ。やっぱり、この子は歪んでる……ッ!!
「……主、すまぬ、こやつには怒りを覚えているのだが……何故かやる気が出ない……」
「言ってる場合!?」
ちょ、ユダさーん! バルトロマイさんが口を開けてコッチに来てますよー!?
なんでこんな状況でこんな訳のわからないテンションになってしまってるんだろ!?
あの子だけじゃなくて、自分達も歪んでたのかな!?
『……クク、センイ……ソウシツ……カ……? マコトニ……オモシロキヨ……キサマラハ……』
まずい、冗談抜きでヤバイ状況だ。ユダの矢を呑み込んでしまうわ。すぐに女の子の影に引っ込んでしまうわ。口から某怪獣のような炎出すわ。
何なんだこの怪物は!? 全く検討が付かない!
と、思っていたその時であった。
『ギャ……ガ……ッ!?』
なんだ? 何かが、遠くから何かが、バルトロマイの頭を撃ち抜いた?
バルトロマイは怯んでいるが、それでも倒れない。
そこから畳み掛けるように、再び小さな何かが音速で数発、連続してバルトロマイの頭部を撃ち抜いてしまった。
ユダ達が居る場所から3km先にあるビルの屋上、そこに二人の人物が居た。
一人は、派手なメキシコ風の陽気そうな青年。
もう一人は、旧式の狙撃銃を構えていた。
「ヒュー☆ さすがっすねー『ゼロータイ』の兄貴! 兄貴の狙撃なら、俺達超余裕で勝てちゃうYO! YEAH!!」
「……………………」




