第0章『26939』
――26939。
これが何を表す数字か理解出来るだろうか?
2013年までのニューヨークにおける年間の『子供の誘拐』犯罪件数である。
ニューヨークはアメリカの中でも比較的に安全な街と言われているが、それでも日本より犯罪件数が十倍近く上回っている。
その中でも特に多いのが誘拐だ。
実に一日に3000人近くの子供が誘拐され、その大半が未だに行方不明のままである。
誘拐の目的は、主に闇市への人身売買、臓器売買、鑑賞用、奴隷、国外への少年兵としての強制徴用、その用途は幅広い。
子供の救出を目的とした民間事業が警察、CIAと合同で捜索、救出作戦を地道にしているが、
それでも救えるのは、26939人の中でも極一握りの子供だけである。
2017年現在においても、ニューヨークの誘拐事件は増え続ける一方、アメリカ政府も対策を立てられないのが現状であった。
「こちらアルファチーム。各員配置に着いた、応答願う、どうぞ」
『こちらHQ。指示があるまでポイントにて待機せよ。オーバー』
「了解。オーバー」
ニューヨーク市マンハッタンの南北を縦断する『アヴェニーストリート』の五番街。現地時間午前4時。
セントラル・パークを眺望できる高級マンションや歴史的な大邸宅が立ち並び、ニューヨークの裕福さの象徴でもあるショッピングストリート。
その中に埋もれるようにそびえ立つ一つの小さなビル。そこには完全武装し、アサルトライフルを所持した物々しい雰囲気の隊員五名が待機していた。
彼等こそ、アメリカ警察が誇る特殊部隊『SWAT(Special Weapons And Tactics)』の隊員達である。
SWATは、一般の警察官では手に負えない犯罪を解決するのに特化した警察署内でもエリートに属する部隊である。
ちなみに、彼等の任務の中には、特殊犯罪以外にも、災害時における民間人のレスキュー、自殺志願者の説得など、幅広い任務を請け負う事が可能な集団。
「HQ、こちらアルファ。対象に動きなし。繰り返す、対象に動きなし」
『了解、こちらでも対象が逃げた痕跡は見当たらない。アルファチーム、先に突入したデルタチームと一階ロビーで合流してくれ、オーバー』
「了解」
今彼等アルファチームが居るビルの入り口。このビルの中には子供の誘拐を専門にした犯罪組織が潜伏しているとの情報が入り、
警察内部で作戦を立て、2チームで犯罪組織を制圧することとなったのだ。
『こちらHQ。アルファ、デルタ、君達の存在が目標に知られたら、目標は子供を人質に取る可能性がある。目標を射殺してま構わない。だが被害者は必ず無傷で保護せよ。君達の健闘を祈る』
HQからの指示に従い、アルファチームの隊長『リチャード』は、後方に居る四名の隊員に手で合図を送り、ビル内部へと突入した。
それから10分後。
集団での隠密作戦にも特化した彼等は、犯罪組織にバレないよう、慎重にビルの一階を攻略していき、デルタチームとのランデブーポイントである一階ロビーに到着した。
「……」
「……」
「……」
「……」
居ない。ロビーに到着したが、デルタチームが居ない。そもそも妙だ。何故、入り口に見張りがいない?
何故、一階には誰もいない?
『こちらHQ。アルファ、現状を報告せよ』
「……HQ、先に突入したデルタチームがランデブーポイントに居ない。そちらでは何か連絡はあったか?」
『? 何を言っている。デルタの無線信号を使ってGPSの位置検索をした結果。そこにデルタチームが居るようだが?』
「「っ!?」」
HQの言葉に耳を疑いつつも、アルファチームの隊員達は周囲を確認するが、やはり誰もいない。
「……ではHQ。デルタチームから連絡はあったか?」
「隊長」
隊長のリチャードがHQに確認を取ろうとした矢先、リチャードの後ろに居た『スミス』が、血塗れの無線機をリチャードに見せてきた。
「っ!? こ、れは?」
「そこに落ちていた。恐らくデルタチームのかもしれない」
「……なんてこった」
唯ならぬ雰囲気を感じつつも、ふと、リチャードはある事に気が付いた。
最後尾に居た隊員『トーマス』が居ない事に、
「ケネス。お前の後ろに居たトーマスはどうした?」
「……? すみません隊長、確かにこのロビーに入る時までは居たんだが――」
リチャードは胸騒ぎをした。合流地点に居ないデルタチーム、血塗れの無線機、消えたトーマス。
いや、それ以前に、この建物には例の犯罪組織が、人の気配そのものが感じられない。
本当にここで合っているのか?
それでも、HQはトーマスとデルタチームの捜索よりも先に、被害者の確保、及び犯罪組織を早期発見し制圧する方を優先するように命令が下され、
リチャードは残った三名の隊員と共に、
二階、三階、四階、五階、と、一階一階を捜索するが、やはり人が居ない。あるのは夥しい量の血痕と食い散らかされた臓物だけで、どの階にも人っ子一人居ない。
しかも、一階一階を攻略する度に、アルファチームの隊員が、一人、また一人、と消え、五階に着く頃には、隊長のリチャードを残し、四名の隊員の姿が消えてしまったのだ。
「ハァ……ハァ……」
リチャードはSWATの中でも、今回のような犯罪組織のアジトに潜入、制圧する任務を何度も経験したベテラン。
それでも、歴戦のSWATであるリチャードですら、今の現状に恐怖を隠しきれなかった。
血に、臓物に、次々と消えた隊員。今までに味わった事もない異常事態だ。
まるで、リチャードは昔観たホラー映画の舞台に自分が今居るような気分にとなる。
しかも、五階まで来るとHQとの連絡が出来なくなってしまった。
謎のノイズが無線を妨害しているのだ。
「……えーん」
「!?」
聞こえた。恐怖に脅えていたリチャードの耳に、唐突に子供の泣き声が耳に届いたのだ。
「……この部屋か」
このビルには、確実に危険な何かがいるのは確かだ。
リチャードはもう理解した。その何かが、犯罪組織も、デルタチームも、自分以外の隊員達も、全員その何かに殺された、と。
もしかしたら、今もその何かが後ろから、ずっと付けて来てるかもしれない。それでも、一人でも無事な子供が居るなら、彼はその子供を守りながらこのビルから脱出しようと覚悟を決めた。
ギィィィィ、と錆付いたドアの音が響く。リチャードはアサルトライフルのサーチライトを使って、薄暗い部屋を確認すると、部屋の奥に一人の子供が泣いていた。
「えーん、えーん」
短い黒髪にボロボロの白いワンピースを着た七、八歳くらいの女の子だ。人種は日系アメリカ人かもしれない。
「……もう大丈夫だ」
リチャードは銃を下ろしながら、その女の子に優しく声を掛けて近付く。
「ここは危ない。早くおじさんと一緒にここを出よう」
「ひっく……おじちゃんも……わたしに……ひどいこと……するの?」
「そんなことはしない。君を必ずパパとママの所に連れてってあげるよ」
「……本当?」
「ああ、本当だ」
そう言って、リチャードが女の子の頭に手を乗せて、軽く頭を撫でて落ち着かせようとすると、うつ向いていた女の子と目が合った。
「『おとなはウソつきだ』」
「――――――――!!!?」
それが、リチャードが最後に聞いた言葉であった。
彼は最後に、女の子の影からワニのような恐ろしい巨大な口を見たのを最後に、彼の人生は終わってしまったのだ。
「……ねぇ、『バルトロマイ』。どうして大人はみんな、みんな、わたしに酷い事をするの?」
『シレタコト……コノセカイニオイテ……コドモハ……ジャクシャ……コドモハ……オトナノ……エサ』
女の子の影の中から、肉を貪り、骨を噛み砕く音に混じって、重機の重低音のような、機械音声のような、人間ではない何かが、無理矢理人間の言葉を喋っているような、
聞くだけでも恐ろしく、聞くだけでも鳥肌が立ち、聞くだけでも人生の終わりを予兆するかのような、終焉の声が女の子の影から聞こえてくる。
「……なんで? おかしいよ、子供に冷たい世界なんて……おかしいよ」
『アア……オカシイ……ダカラ……カエル……』
「……………うん、神父様が言ってた。意地汚い大人達を一人残らず殺しちゃえば、この世界を変えられるって」
影から、女の子の影から肉と骨が処理される音が消えると同時に、女の子の目の前に、真っ黒な影に覆われた巨大なワニのような口が現れた。
『……ク、ククク、ソウ、ソノトオリダ……デハユコウ……ワガシュジン……コノセカイノ……コドモタチヲ……スクイニ……』
「そうだねバルト……」
見るだけでも恐ろしい、人を一口で食べてしまいそうなくらい大きな口、横に並んだ大きな牙の列、神話とか伝説に出てくるような化け物の口。
子供が見たら泣き出しそうな口に女の子は怯えることなく近付き、その口の鼻先と顎を女の子は愛おしそうに、愛犬を愛でるように、優しく撫で回すのであった。
その表情は、母親に甘えるような、穏やかな表情を女の子は『口』に対して向けるのであった。
「あぁ……バルト……バルトバルトバルトバルト……わたしの唯一の友達……唯一わたしを守ってくれる友達……大好きだよ……愛してる……」
邪悪な友達を持った女の子は、このビルに残った残飯を友達に食べさせた後に、
――欲深き悪い大人達を殺しに向かうのであった。
ニューヨーク聖爵血戦・二日目。
――開始。




