第七章『正義王からの招待状』
「私の名は『ディディモのトマス』。真名を『ユディシュティラ』と申します」
「ッッ!!? 」
ユディシュティラ、その名を聞いて彼は耳を疑った。
ユディシュティラ、インド叙事詩『マハーバーラタ』に登場するパーンダヴァ五兄弟が長兄にして、正義神『ダルマ』と人との間に生まれた半神。
またの名を『正義王ユディシュティラ』!
「……汝の真名を明かしたと言うことは、こちらに対する誠意と受け取ってよろしいか?」
「はい、私は常に対等な立場を求める者でして、今は貴女と戦う気はございません」
「では何しに来た?」
「先程申し上げた通り、同じ王として貴女と対話を要求しに来たのです」
「信用できぬな」
ユダはユディシュティラを睨み付ける。ダヴーに続いてマハーバーラタの主人公『アルジュナ』の兄が現れるなんて……
だが幸いな事に、向こうは『まだ』自分達と対峙する気はないらしい。
「……真名を明かしてもなお信じて頂けないとは、では何をしたら信じてくれますか?」
「……そうだな。貴様の主は何処だ? まずは貴様の主の姿を吾の眼前にて献上せよ!」
「承りました。出てきてください、我が主よ」
すると、湖の淵から、今度は黒い外套に身を包んだ30代くらいの長髪の男が顔を出し、こちらを見下ろしている。
「……まったく、不滅の呪いとは、実にけったいな物に憑かれたな少年。オレは『クリフ・デズモンド』。魔術師だ」
すると、クリフと名乗った男も湖の底に飛び降りて、ユダと彼の眼前まで近付いてきた。
「……ふぅ」
クリフは、ユダが抱える彼を凝視して、少しタメ息をついた。
「こんな中途半端なものを君に与えるとは、その魔術師は相当な腹黒らしいな」
「……」
彼を視るや、彼に不滅の呪いを与えた魔術師の事を批判じみた口調で語る。それに彼は快く思わずに、その批判に対して反論した。
「……あの人は、アナタが思うほどの人では――」
「いいや、その魔術師は君を実験台にしたのだ。差し詰め、不死の研究の為に――」
「クリフ」
こちらに険しい表情を向けるクリフに対して、ユディシュティラはとても優しい声で呼び掛ける。
「憶測でものを言うのは相手に対して失礼ですよ? それに貴方も彼との対話を望んでいるのでしょう?」
なんて、優しく、太陽のように暖かな声で喋るんだ、このインドの英雄は、
これが正義王。 ユダの声は聞く者の心に呼び掛け活力を与える生命に満ち溢れた声。
それに対し、正義王の声は聞く者の心に優しく入り込み、内面から心に安らぎを与えるような慈悲に満ちた声。
まるで、ユダは『動』の声、ユディシュティラは『静』の声。
同じ人々を導く指導者の声、しかし、両者はまるで対となるような声質の持ち主であった。
「……ふぅ、そうだな。憶測で言うのはオレの主義に反する、か。悪かったな少年」
一見、偏屈で堅物そうに見えるクリフも、正義王の前では大人しくそれに応じ、彼に謝罪するのであった。
「……」
それでも、まだ彼はクリフに対する疑いは消えなかった。
「ふぅ、やはりまだ信じてくれないか。ある意味賢明な判断だ。だが君達は我々との対話に応じなければならない。これは必然だ」
「……何故、アナタ達はそこまで対話を求めるのだ? 俺達は敵同士だろ?」
「……」
やはり、相手の意図が見えない。一体、何が目的なんだ? ただ、ユディシュティラはかなりの強敵。そんな相手の機嫌を損ねて連戦となれば、今の自分達に勝機はない。
やはりここは、慎重に探りを入れるべきか?
「あい分かった。貴殿らの要求に応えようではないか!」
「な、ユダ!?」
何の探りもなしに対話に応じるなんて、何とも大胆な行動だ。ユダらしいと言えばらしいか。
「ただし条件がある!」
「はい、なんでしょう?」
「貴殿らとの対話は明日の夜にせい!」
「……何故です?」
「吾は疲れた! 早急にホテルのふかふかベッドで床に付きたいのだッッ!!」
こんな時にそんな事を堂々と言うなんて、さすがに肝が冷える。
「……よろしい。その条件を呑みましょう。それでよろしいですね? クリフ」
「……好きにしろ」
こんな条件をマトモに呑んでくれるなんて、しかも爽やかな笑顔で、本当にマハーバーラタの伝承通りの聖人だ。
それに対してクリフは腕を組んでこちらとの視線を反らして不機嫌そうになってしまった。
ちょっと苦手なタイプだ。
「……ですが、明日の夜と来ましたか。それまでに時間がありますね。……もう一つ、条件を設けてもよろしいですか?」
「なんぞ?」
「……『五人』。明日の夜までに五人の参加者を脱落させてみせます」
「なっ!?」
五人!? 明日の夜までにユディシュティラ単騎で五人の参加者と使徒役の英雄を相手取ると言うのか!?
それを何の迷いもなく宣言するなんて、余程自身の腕に自信があるのか?
こちらは『不敗のダヴー』一騎倒すだけでも満身創痍となったと言うのに……。
だとしたらこの男、敵として見れば危険すぎる。
「敵が少ない方が貴女も私も、共に喜ばしいことではありませんか?」
「……確かにな。しかし汝の力、信じてよいものか?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………うっ」
「?」
ユディシュティラの実力に疑念を抱くユダ。それに対して間の長い沈黙の後、ユディシュティラは何故か狼狽えたような声を発して、一歩、二歩と後退する。
「……クリフ」
「なんだ?」
「私は今、非常に悲しいです。正義王たるこの私が、異国の王に不信感を抱かせてしまっている。なんたる無礼千万! これでは正義王の名を我が父『ダルマ』に返上せねばなりません!!」
すると、ユディシュティラは膝から崩れて地に両手を付けて悲しげな声を上げながら顔を伏せてしまった。
「お許しを勝利王。我が対応で貴女様の不信感を払拭することが出来ないなんて……………パーンダヴァ家長兄にあるまじき所業! これでは他の兄弟達に顔向けができないッッ!!」
こ、これが正義王? これは13人の参加者が過去の英雄を使って行われる殺し合い。
つまり自分以外の12人は全員敵になる。
ユダと自分がユディシュティラとクリフに不信感を抱くのは当然のこと。
それなのに、自分のせいでこちらに不信感を抱かせてしまったと本気で思っているのか?
そして、その不信感を払拭できないのはこちらではなく、自分の責任だと感じているのか?
善悪のパラメーターで言うと、善に偏り過ぎた聖人。それが『正義王ユディシュティラ』か。
「……なぁ主よ」
「なに?」
「……この男も面白いな」
「……さいですか」
まぁ面白いと言えば面白いかもしれないが……。
すると、落ち込んでいたユディシュティラは突如立ち上がり、服に付いた土と泥を払いながらユダと自分に面と向かって、何事もなかったような爽やかな笑顔を向けてきた。
「失礼。少々取り乱しました」
「…………少々?」
「……そこは突っ込まないでやってくれ」
さすがのクリフもフォローを入れる始末。先程のダヴーもそうだが。過去の英雄はみんなそれぞれ個性が現代人以上に強いのかもしれない。
「……やはり、いくらこちらが本心を語ったとしても、人は自身の目で見たものしか信じてくれないのですね……悲しいです」
「当然だ。本心を出しすぎると、それが返って相手に裏があると思われて疑念を抱かせるのだ。覚えておけ」
「なんと!? 本心を包み隠さず相手に見せれば、どのような相手とも対等な立場で対話ができると思っていたのですが……クリフ、勉強になりました。私はまだまだ未熟だったようです」
「……そうか」
ユディシュティラとクリフのコンビ。まるで教え子と教師みたいな関係だな。
「ではしばしお待ちを勝利王、それにその主よ。今から貴方達に我が正義王の力をお見せ致します」
「ほほう、どうやってだ? 吾は眠い。早々に済ませよ」
「かしこまりました」
正義王は、まるで召し使いのようにユダと自分に会釈をする。
とても綺麗な礼儀作法ではあるが、聖人もここまで来ると、なんか逆に王としての威厳が感じられないな。
「実は、調度この場に我々以外の参加者が『二組』。遠くから更に『二組』。計四組の参加者と使徒役がこちらを監視しております」
「なに!?」
「ッ!?」
そんな、いつの間にか囲まれていたのか!?
だとしても、何故攻めて来ない? こちらの出方を伺っているのか?
「……えぇ、今この場にいる二組の内、一組だけ私に匹敵する御仁がおられる様子。後の三組は精々様子見でしょう」
「……何故そこまで的確に戦況を把握できる? それは半神としての何らかの力か何かか?」
「それはですね……明日の会合までのお楽しみでよろしいですか?」
「ありゃ……」
真面目な性格と思ったら、意外とお茶目な性格をしていた。
「ではクリフ、出ます」
「良いだろう。オレもお前の力、ここで確認する必要があるようだ」
そう言って、ユディシュティラとクリフが跳躍して、湖の底からセントラルパークの芝生エリアに移動した。
「……どうやら、吾らも奴の実力を見定める必要があるようだな。行くぞ主よ!」
「あ、ちょっと待って」
「どうした!?」
「……お、俺の体も持ってって」
「あ」
そう言えば、彼はダヴーに首を切断されたままだった。
「……これ、くっつくのかや?」
「俺も分からない……あ」
「あちゃー、やはりくっつかぬか。参ったのぅ……」
やはり不滅の呪いには再生能力がないらしい。取り合えずユダは彼の首と体を抱えて芝生エリアに戻ると、ユディシュティラ&クリフが、30mぐらい離れた距離にいる、ある者と対峙していた。
その者は、中世の騎士のような出で立ちで、整った顔立ちの偉丈夫 、風に靡く黄金色の頭髪、腰には一本の剣、背中には身の丈を遥かに超える長大な槍を背負った一人の騎士が立っている。
その姿は、誰しもが夢見るような白亜の騎士そのものであった。
「……」
その隣に、その騎士と同じ黄金色の頭髪を持つ車椅子に乗った少女が居た。あの子があの騎士の主か。それにしても、この距離だと闇夜に紛れて、その少女の顔だけがどうしても見えない。
「お初に御目にかかります。私は『ディディモのトマス』真名は――」
「いや、真名は語るな。貴方が真名を語れば、某も真名を明かさねばならない。それは我が主の命令に反する行為だ」
「そうでしたか。それは大変失礼致しました」
今の会話だけでも、あの騎士もユディシュティラと同じ真面目な性格のようだ。
やはり二人とも、ユダとは正反対の性格だ。
「うむ? 主よ。今何か変なことを考えなかったか?」
「え? そ、そんなことないよ……」
「ふーん?」
こう言う所が鋭いな。さすが勝利王。
「では……我が主よ」
「ええ、構いません」
騎士が少女から許可を頂いてから、自らの名をこちらに明かした。
「我が名は『バルヨナのシモン』! 真名を明かせぬ不作法をここに許されよ!」
「えぇ、許します。では勝利王、特とご拝見ください。我が父ダルマより授かりし法『王国の七肢 (サプタ・アンガ)』を!」
すると、ユディシュティラは僧侶が持つような錫杖を模し、あちこちに宝石による派手な装飾が施された槍を手に取った。
それを見て、バルヨナのシモンも腰の剣を抜いて戦闘体勢となった。
「……しかと目に焼き付けよ主。あの二人の死合、今後の戦闘において必要な経験となるであろう」
彼は目にする。ユダとは別の王、正義神『ダルマ』の半神である『正義王』の力と、彼の主『クリフ・デズモンド』の実力を。




