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夢、或いは昔の、お話 【前編】

2章が長くなりそうなので前後編に分けての投稿です。

 何気無く漏らしたつもりの溜息はシィヴル本人が思っていたよりも大きく、まるで肺の中に溜まっている空気全てを吐き出したかの様な物だった。自分の事ながらも一瞬驚愕するが、シィヴルは直ぐに納得する。あんな生活を送っていれば1人きりになった途端漏れ出た溜息が大きく、深い物であっても何も不思議ではない。

 良い家に住み、整った外見を持ち、将来も約束されている。

 其れを羨ましいと語る人間は多いだろう。其れにこそ辟易しているのだと訴えれば嫌味である、贅沢であると非難さえ受けかねない。

 しかしシィヴルとしてはこう思うのだ。所詮誰もが表面上しか見えておらず、綺麗な部分だけを羨むのだと。或いは所詮人間は他人の物を羨む生き物なのだと。

 現にシィヴルは己の置かれた環境が恵まれているなど思ってもおらず、寧ろ町中を自由に行き来する平民の方が羨ましいと思う程である。無論彼等がシィヴルの苦労を知らぬ様にシィヴルも彼らの苦労を知らない。ただ自由に町を歩ける其の姿だけを見て羨んでいるに過ぎない。

 事実大切なご子息様として甘やかされているのは確かであり、シィヴルが羨む彼等の様な生活は数時間の娯楽程度としては可能であっても半永久的にそうした生活を送るのは不可能だろう。十分に理解している。視界しながら其れでもシィヴルの歳相応な幼い1面は或る程度の自由が保証されている生活を羨んでしまうのだ。

 両親不在、権力の奪取を企むのに必至な親戚と其の妨害に勤しむ忠臣達。そうした平時と異なる忙しさの隙を突き、シィブルは住居でもある城を脱走、こうして活気に満ちた町へ繰り出した結果、冒頭の溜息に至る。

 と言ってしまえばシィヴルの脱出劇は簡単な物であるが実際に行うには、優れた頭脳と抜きん出た身体能力を持ってしても難解な物だった。思い返すだけでもシィヴルに重い疲労感が()し掛かる。また先程よりは随分と大人しくなったものの、小さいとは言えない溜息がシィヴルの口から漏れ出た。


「あ、あの、大丈夫……?」


 其の溜息に今度は返事があった。

 一瞬シィヴルの脱走及び行方を知られたかと思いどきりと心臓が派手に跳ね上がった事に自覚するも、遅れて追っ手にしては妙な点に幾つか思い至り、思考は幾らか落ち着いた。

 もっとも1度跳ね上がった心拍が元の鼓動に戻るには多少なりとも時間を要する様で、冷静な思考を取り戻しつつも心臓だけが煩いという奇妙な状態に置かれる羽目になったが。


「ご、ごめん!そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど」

「ちょっと!お前驚き過ぎじゃない?なんかやましい事でもあんのー?」

「……は?」


 シィヴルは声がした方に顔を向ける。

 1人の少女が座り込むシィヴルの傍らに立ち、様子を窺う様な目を此方に向けていた。

 シィヴルが驚いた事は此の少女にも伝わってしまったらしく、慌てて謝罪の言葉を口にしていた。眉も申し訳なさそうに垂れ下がっており、驚かされたのは此方であるにも関わらず却って申し訳ない様なそんな気持ちになってくる。

 しかし醜態を晒した事はマイナスであったものの、こうして少女の顔をきちんと見つめる事で得る物はあった。

 聞き慣れない声であった事。シィヴルを見付けた事への安堵や脱走に対する怒りから切り出された言葉ではなかった事。此方の機嫌を窺ったり、無駄に持ち上げている様な敬語を用いた喋り言葉でなかった事から追っ手である線は殆ど完全に消去していたものの、顔を見て確信する。

 歳の頃は同じ位に思える、白い肌と対照的な黒髪の少女。

 整っているらしい外見に惹かれてか、財力に惹かれてか、シィヴルに言い寄ってくる女性は多いが其の中に彼女の顔を見た覚えはない。自宅の中擦れ違った覚えさえなく、完全に初対面だろう。

 1度会った人間の顔、其れも僅かでも隙を見せれば足元を掬われる危険性の高い相手の顔をシィヴルは決して忘れない。其の心配が無くとも毎日の様に顔を合わせ、シィヴルが乳飲み子であった頃から世話になっている忠臣達の顔は其れこそ脳裏に焼き付いており忘れる方が難しい。

 そんなシィヴルの記憶力を持ってしても彼女は初対面だと判断したのだから、城の誰かが町人から追っ手を雇ったでない限り脱走したご子息を捕まえに来た追っ手ではないだろう。

 そうなればもう、シィヴルにとって驚愕に値する事はない。

 恐らく此の少女はお人好しで、偶々此処を通り過ぎた際、(うずくま)る様に膝を抱えて座るシィヴルが溜息迄吐いたのだから心配になって声を掛けたという所か。

 しかしシィヴルは少女の後に続いた声によって、言葉を失った。

 目を真ん丸に見開き、まじまじと少女を、性格に言えば少女の腕の中を見つめる。

 1つ目の謝罪は最初に聞こえた声と同じ物で、確かに少女の方から聞こえてきた。しかし続いた、少し不機嫌そうな声は。少女の物と違う、高い声ではあるものの幼い少年の様な声で、其れも少女の腕の辺りから聞こえていた。

 賑わう町中を外れ、森の中迄足を踏み入れた事もあってか森其の物は日が差し込み明るいものの、周囲にシィヴルと少女以外の人間は居ない。影も形も無いと言ったところか。

 もう1度まじまじと少女を見つめる。

 少女の腕には白いうさぎのぬいぐるみが抱えられていた。男であり、姉も妹も居ない。加えて女性というものに辟易としていた所為かシィヴルはあまりぬいぐるみという物に縁の無い生活を送ってきているが、其れでも目にする事があるぬいぐるみと比べて、多少素材面で劣るかも知れないが其の他は何の変哲も無い、至極普通のぬいぐるみである。少女の持ち物は其の腕に抱かれたぬいぐるみと、腕に掛けられたバスケットのみ。

 少年の声の持ち主らしき人間なんてやはり見受けられない。もし可能性があるとすれば件のぬいぐるみが喋ったというところだろうが、普通のぬいぐるみは喋らない筈である。

 心無しか少女の腕の中でぬいぐるみが生き物の様に動いたかに見えた。其れもうさぎ染みた動作ではなく、まるで人間の様に。例えるのなら手柄を立てた大臣が同僚達に自慢する際、誇らしげに胸を張る其の仕草。

 非現実的だ。きっと目が疲れているだけで、先程の少年の声も幻聴か何かだろう。

 そう思い込もうとするシィヴルの思考を阻む様に、誇らしげに胸を張り、腰に手を当てた動作をぬいぐるみは見せた。そしてぬいぐるみの方からまた、あの少年の声が、幻聴にしてはいやに鮮明に聞こえてくる。


「へっへー!ボクの可愛さに言葉も出ない?其れとも賢さの方?あ!両方かもねー」


 長く白い耳は誇らしげにゆらゆらと揺れ、少女の腕の中でぬいぐるみは益々胸を逸らした。鼻高々といったところか。

 幻覚幻聴だと思い込むのが難しくなってきたシィヴルにトドメを刺したのは、慌てきった少女の声だった。

 少女はぬいぐるみを抱えていた手を、うさぎの口元迄移動させる。まるで人間が自分にとっては重大な秘密を明かしそうになった友人の口を、戯れで塞ぐ様な動作。

 そうした後、悪戯ばかりをする幼子を言い聞かせる様な声音で少女は言葉を紡いだ。彼女の目はふざけている様子も、妄想に耽っている様子も無く、焦燥を孕みつつも真剣其の物だ。


「こら!ココット!!普通の人は急に話したりしたらびっくりするんだから、喋っちゃ駄目だって言ったでしょ?普段は大人しくしてたのに、何で今日に限って口を開いちゃうかなぁ」


 もっとも少女はシィヴルを混乱に陥れ様としたのではなく、寧ろ逆で、シィヴルを此れ以上驚かさない様にと配慮しての結果だったのだろう。しかし其れは残念ながら逆効果になった。

 此の少年の声は少女にも聞こえているし、少女は彼女の妄想でも無い限り喋るぬいぐるみのからくりについて知っている。おまけに彼女の言葉を全て鵜呑みにしてしまうのであれば、此のぬいぐるみは今の今迄大人しくしている様にという少女の言葉を守って、ぬいぐるみらしくしていたらしい。

 つまりは揃って幻聴と幻覚に見舞われているのではない限り、喋って動くぬいぐるみは実在するという事か。

 非現実ではあるが、今出会ったばかりの少女と何の脈絡も無く全く同じ幻聴に襲われると言うよりは、未だ現実味はあるかもしれない。

 シィヴルの思考等お構いなしと言わんばかりにぬいぐるみは人間らしい動作で首を横に振り、口を塞いでいた少女の手を振り解くと、彼女の方を上目遣いに見つめた後、ついで真正面からシィヴルを見つめた。

 ぬいぐるみに正面から見据えられるなど初めての経験で、たじろぎながらも新鮮味溢れる経験に先程とは違う風に心拍が高鳴るのを自覚する。


「だってさぁ、折角スィが心配して声掛けたのに驚くだけで礼も無しな態度はムカツくし、もし犯罪者とかだったらスィが危ないし、あとコイツ、フツーの人っぽくないんだもん」

「……すげぇ」


 其の心拍の高鳴りは、普段より気が緩んでいる所為もあってかあっさりと声に出ていた。

 偉そうな物言いは多少苛立たしくもあるが其れなりに様々な物を見てきて、或る程度の知識も備えていると言えるシィヴルであっても意志を持ち喋るぬいぐるみと言うのは初めて見る。とっくに死滅したと思っていた好奇心の様な感情が自分の内側で沸々と首を擡げているのがよく分かった。

 シィヴルの呟きは少女とぬいぐるみにも届いていたらしい。少女は恐らく自分が想定していただろう反応とシィヴルが示した反応との差異に驚き、ぬいぐるみは益々得意気に胸を反らした。一般的なぬいぐるみらしく頭が多少大きめである為、少女が抱えていなければとっくにバランスを崩しで引っ繰り返っているだろう。


「ふっふーん!ボクの凄さが分かったか!だったらスィの事も敬うべきだよね!ほら、スィへの感謝は?」

「喋るぬいぐるみなんて初めて見た」


 シィヴルとしては極自然な感想を述べただけであったが、其れは失言であったらしい。

 今の今迄誇らしげに胸を張り、上機嫌な顔をしている様にも見えていたうさぎの目が露骨に不機嫌そうな物に変わる。本来であれば感情を宿す筈もないだろう無機質な黒い2つの丸には明らかな怒りの色が浮かび、少女は、あ、という如何にも不穏な声を漏らした。

 シィヴルの発言を止めるにはもう遅い。ならばせめてと言う様に少女は腕の中のぬいぐるみを更に強く抱き締めた。とても力がある様には思えない少女だが、喋って動こうが所詮はぬいぐるみと言う事か。じたばたと手足を必至に動かすも少女の拘束はぬいぐるみに破れず、シィヴルは事無きを得た。

 不思議と目の前のぬいぐるみから負の感情に晒され慣れたシィヴルでさえ思わず後退する程の殺気を感じたのは、何だったのか。


「ほんっっっっと、失礼なヤツだなぁ!!!ボクはぬいぐるみじゃないし!!」


 つまりはシィヴルのぬいぐるみ発言が此のぬいぐるみ、もというさぎには不服であったらしい。少女に痛いのではないかとシィヴルでさえ多少気に掛かる程強く抱き締められているにも関わらず、まだシィヴルにせめて1発位は蹴りなり拳なりを入れなければ気が済まないと言わんばかりに手足の動きは止まらない。

 少女は腕の中のうさぎとシィヴルを可哀想な程焦燥しきった顔で交互に見つめ、うさぎの方には彼女なりに宥めようとしているのだろう幾つか言葉を掛けていた。

 少女の言葉で多少怒りも治まったのか、幾ら暴れても少女の拘束は解けないと根負けしたのか。

 真相を知る術は無い物の、一先ず何らかの理由でうさぎの抵抗は止んだ。其れでも怒りが完全に治まったワケでは無いらしくシィヴルの方を責める様な半眼で見つめている、様に見えてくる。

 うさぎの様子を焦燥を色濃く浮べつつもしっかりと見届けた少女は、此れで当面の危機は去ったとでも言う様に小さな溜息を漏らすと、シィヴルに向かって深々と頭を下げた。腕の中にいたうさぎも自然頭を下げる様な格好になり、彼女が顔を上げた時ぬいぐるみは多少不服そうに少女を見上げていたが少女は其の視線に気が付いていないのか、敢えて無視をしたのかシィヴルに向かって話し出す。


「ごめんね!!此の子、ココットっていうんだけど、ココットはぬいぐるみ扱いされるのを凄く嫌がるの。見た目には普通のぬいぐるみ、こうして喋って動くとこを見ても変わったぬいぐるみにしか人の目には映らないのは分かってるし、多分ココット本人も理解してると思うんだけど……多分あなたの事気に入ったから、そんなあなたにもぬいぐるみ扱いされた事に怒っちゃったと思うんだ。普段は大人しくしてるし、ぬいぐるみだって言われてもそんなに怒らないから、私も油断してた」

「いや、如何見てもぬいぐるみ……」

「お前失礼過ぎ!!如何したらそんな失礼な物言いが出来るようになるんだよ!?」


 ココットというらしいうさぎは、余程ぬいぐるみ呼ばわりが癪に障るらしく牙があったら剥いていただろう勢いで食って掛かる。

 自分の物言いが礼儀に欠ける事をシィヴルは自覚している。生まれ持った性格に傍若無人な振る舞いが許される立場、僅かでも隙を見せれば終わる環境が益々其れに拍車を掛けていると言い訳も出来るが、少なくとも半分は己の性格や思考の為であると思っている。もっとも反省もしていないので改善しようとも思っていないが。

 本人の主張は如何あれ見た目ぬいぐるみに指摘されるというのも妙な気分だ。怒りよりも其の斬新さに寧ろ幾らか気分が弾むのを感じつつ、其の気分の良さに脱走してきた身であるにも関わらず聡い相手であれば其れと察せる様な台詞を思わず口にした。


「んー、まあオレ、或る程度やりたい放題が許される環境に生まれ育ってるからねぇ」

「やっぱフツーの人間じゃなかったか。まあボクの言うフツーの人間ってそーいう規模の話じゃないけど、其れにしてもやっぱ失礼過ぎ!無礼過ぎ!!」

「落ち着いてココット!説明しなかった私だって悪いんだし、此の人はインチキなカラクリだって言い出さなかっただけ見る目があるじゃない」

「見る目があっても無礼過ぎ!!」

「……ねぇ」


 自分で思ったよりも不機嫌そうな、と言うよりは子供が拗ねた時の様な声が出た事にシィヴルは驚いた。

 今より遥かに子供の時から常に傍若無人な振る舞いで我を通し、其の反面何時如何なる時でも相手に漬け込む隙を与えぬ様にと気を張って生きていた。そんなシィヴルは今迄不満を訴える声を上げる事も無ければ、必要にも迫られなかった。其れにも関わらず今自分は。少なからず動揺を覚えながらも、先の呟きで言い合いと表するには平和な戯れを中断した1人と1羽に、戸惑いと不機嫌を共存させた目線を向ける。

 今迄こうした経験は無いが本来であれば王族の脱走を見掛けた場合、其処に重要な理由が窺えずとも城の衛兵なりに連絡を入れるのが当たり前である。また王族と聞けば町人であっても態度を変えるのは自然な事だ。敬うであれ、憎むであれ。

 しかし少女とココットは其のどちらをするでもなく、先程と変わらずに言葉を交わしている。衛兵に報告へ行く気配もまるで見せていない。

 下手をすれば不敬罪や民の義務を怠ったと罰せられる危険性もあるというのに、呑気な様にも見える。


「ごめん!キミを放っておく形になっちゃったね」

「なにー?おぼっちゃまは自分の事無視されるのが耐えられない感じー?」


 益々唖然としてしまう。

 確かにシィヴルの言動は細かな物であっても一々が監視と言って良い勢いで見られており、今の様に放置された事はない。しかし放っておいて欲しいとさえ思うシィヴルにとって無視される事其の物は願ったり叶ったりの面もあり、ココットの言う様に耐えられないと言う事はない。

 ただ純粋に驚愕していた。

 シィヴルが自分の身分をそれと無く明かしても、少女とココットは態度を急変させるでもなく脱走を報告しに行くワケでもない。

 もしかしたら其れなりの身分だとは察せてもいずれ此の地を治める事になるとは思っていないのだろうか。其れなら此の態度も少しは分からないでもない。

 勝手に勘違いをしてくれているのであれば自分の身分を明かす事は自分の首を絞める事に繋がる。しかし、もしもシィヴルの身分を正確に察しつつ何らかの意図で態度を改めないのだとしたら。

 後者の可能性に賭けるのは常時であれば決して行わない様な、保証の無い危険な道である。

 不思議なぬいぐるみを見た所為もあるかもしれない。此の時シィヴルはガラにも無く好奇心に浮かされ、興味だけで突き進んでしまう様な無鉄砲染みた行動力が湧き上がっていた。

 言っておくけどオレ王子だからね、なんて。脱走しておきながら自ら明かすにはあまりに馬鹿馬鹿しく、何処か虚しささえも抱かせる行為。其れでありながら其の先に待つ彼女達の反応を知る為には、そんな馬鹿馬鹿しさも虚しさも如何でも良くなる様な興味に突き動かされるまま口を開いた。

 しかし少女が口を開く方が早かった。


「だってキミはキミでしょう?」


 穏やかな微笑みさえ浮べながら口に出された言葉に、今度こそシィヴルは言葉を失った。軽口も出てこない。今迄大人達の陰謀さえ掻い潜ってきたというのに、同い年位の少女1人の言葉に完全に閉口させられた。

 口を半開きにしたまま少女を呆然と見つめる姿は、さぞかし間抜けに映っただろう。少女の腕の中でココットがけらけらと笑っているが、今のシィヴルに自分の見た目も、少年の笑い声も、気にしている余裕は無い。


「キミが王子であっても、町人であってもキミはキミで。キミが自分の置かれている環境から一時でも逃げ出したい!って思ったから、今此処に居るんじゃない?其れなら私にもコットンにもキミの身分は関係ないの。成金野郎の道楽息子でも王子様でも、町人であっても其れは同じだよ」

「流石に成金野郎の道楽息子呼ばわりは癪だけど?」

「ごめんごめん。雰囲気から王子様かなーとは思ったけど、あくまで1例ね。気を悪くしないで」

「でもオレが王子だったら尚更、アンタ達……外見ぬいぐるみなココットは兎も角、アンタは確実に不敬罪とか面倒臭い罪に問われるよ?」

「キミが王子だと仮定して、王子様が面倒になって抜け出してきたのに其の先で迄王子扱いをする程私は性悪じゃないし、其れなりに苦労して抜け出してきただろうに報告して元の場所に戻す事もしないよ。今はキミはキミで良いんじゃない?暫くはお城の人達も気が付かないって」

「最悪アンタの首が飛ぶよ?」


 とは言え、其れは大袈裟だろう。

 恐怖政治を敷きたがっている人間も居るがあくまで今国を治めているのはシィヴルの父であり、シィヴルの父親は無闇矢鱈と権力を振り翳す様な政を望んでいない。

 不敬罪や脱走の報告を怠った事に関する処罰も形だけ残しているだけである。もっともだからこそ王に気付かれず、恐怖政治を望む人間だけに露見した場合が恐ろしいのだが。

 ただ敢えて大袈裟な、最悪な可能性を口に出した事は先程不発に終わったシィヴル自身の好奇心を満たす為である。

 微笑みさえ浮べて王子から逃げてきたのであれば、其の脱走が叶っている今、シィヴルは王子ではなくただのシィヴルだと言った此の少女は自分の首が掛かった場合、態度を一変させるのだろうか。

 無論其れで幻滅する危険性はあった。彼女が態度を一変させた場合、幻滅するのが理不尽である自覚もあった。其れでも先程拗ねた声をあげた幼い子供のシィヴルが、シィヴルを受け止めてくれるという答えを求めて聞かずにはいられなかったのだ。

 果たしてシィヴルの縋り付いた希望は保たれた。

 少女は変わらず微笑んだまま。腕の中のココットは偉そうに胸を張る。


「まあ私は法外と言うか、此処の法は私には一切適用されないって言うか。だから大丈夫なんだよ」

「スィは凄いからねー!!王様だってスィを裁けないよ?」

「でも、そうでなくても私は黙認するかなぁ。少なくとも私には自衛の手段があるから、態々(わざわざ)キミを売る必要はないんだよ」


 此の少女はどれだけシィヴルを驚愕させ、興味を惹かせれば気が済むのだろうか。もう今日だけで今迄の人生分を遥かに超える勢いで興味を抱き、驚いている。

 表情筋にも筋肉痛があるのなら、明日は顔面中の痛みにのたうち回る羽目になりそうだ。

 法の外の人間。

 長らくそうした環境で生きていればシィヴルとてそうした人間を見た事がある。(すなわ)ち膨大な金を払ったり、甘い蜜をチラつかせる事によって自らの犯罪に目を瞑らせる人種の事だ。

 しかしそんな事を名乗っていないとは言え何となく王子だろうと察してはいるシィヴルの前で明かすとは思えないし、ココットも偉そうに口にしないだろう。そもそもシィヴルの父親である王は他の重役連中と比べる迄も無く厳格であり、眼前の甘い蜜に誘われて罪を赦す人間ではない。其の王さえ裁けぬと語る少女。

 本当に何らかの意味で法の外に置かれている、或いは存在さえ確認されていないのではないかという好奇心が湧き上がったのだ。

 よくよく考えれば日の差す明るい森とは言え、賑わう町からは外れている此の森に少女は何の用があったのだろう。シィヴルの記憶によれば此の先に集落は無い。

 普段はぬいぐるみの振りをしているらしいが、ぬいぐるみではないというココットの事を考えれば尚更少女の存在は謎めいてくる。

 シィヴルが困惑していた事は表情から十分に読み取れたのだろう。何処か楽しそうに笑いながら少女は自らの言葉に補足した。


「私は普通の人間とは少し違うの。だから人間を裁く法で私を裁くのは無理だし、正式な文章に私の存在は組み込まれてない。まあ、だからって人を殺したり、盗みを働けば王様は其れに見合う罰を下すと思うけどね?其れにちょっとしたお手伝いをさせてもらってるから、私に対して不敬罪は適応されないんだ」

「普通の人間と違う、って。じゃあアンタは何なの?」

「そう言えば自己紹介がまだだったね」


 ココットを抱きしめている為実際には出来ないが、もし両手が空いていればぽんと叩いてみせただろうと思える様子で口にし、少女は言葉を続ける。

 そういう意味じゃないと思う反面、少女の事が気になるのも事実である。今更だがシィヴルは少女の名前さえ知らないのだ。

 彼女が抱く白うさぎの見た目ぬいぐるみ、実際は違うというココットにせよ、少女とココットの会話から名前を察したのであって、少女からもココットからも紹介されてはいない。其れにココットに関しても、ぬいぐるみ扱いに憤慨すると言われても本当は何であるのかも明かされていないではないか。

 アンタは何?

 求めた問いは単純な自己紹介を望む物では勿論無かったが、教えてくれると言うのであれば知りたい。だからこそシィヴルは其の言葉を呑み込む事で彼女に続きを促した。

 少女の方も其れでシィヴルの意図を汲んだのだろう、微笑みを浮べたまま自己紹介を始める。


「私はスィム。此の先にある家にココット、此のうさぎの事ね、ココットと2人で暮らしてる、分かり易く言えば魔女の様なモノかな?其の延長で案内人の真似事もしてるの」

「……ちょっと待て」

「なんだよー!スィに紹介させておいて、自分はだんまりー?」


 ココットが不服そうに声を上げるも、今のシィヴルは其れに返すだけの余裕は無い。

 少女の普通の人間とは違うという発言を疑っていたワケでは無い。ココットが言う様にだんまりを決め込むつもりもなく、当初の予定では今し方知ったばかりの少女の名、スィムの自己紹介が終わり次第入れ替わりに自らの身の上をきちんと明かそうと考えていた。

 薄々スィムは察している様であるから不要であるかもしれないが、自らの口から明かそうと考えてはいたのだ。しかし予想以上の情報にそうした物は全て抜け落ちた。

 ココットの抗議は聞き流し考えを纏める事に集中する。

 自己紹介自体は決して長い物では無い。しかしそんな会話の中でもシィヴルの中で4つ程の疑問が浮かんでいた。

 其の内容も然る事ながら人の会話で自分に理解が及ばぬ点がある。其れも1つではなく4つもという異例の事態が益々シィヴルを混乱させている。

 またココットから無礼だと糾弾されそうであるが、礼を欠いているのは昔からであるし、生憎傲慢不遜な振る舞い位しか出来そうに無い。其れに礼を重んじるのも今更である。スィムに対して、初対面から散々無礼は重ねていた。今更礼を重んじようとしても不格好に取り繕うだけだろう。

 そう考え疑問解決を優先、シィヴルはスィムを見つめ言葉を切り出した。


「ちょっと聞きたい事があるんだけど良い?」

「ちょっと!?スィが察してるからって自分の紹介はスルー!?スィ相手だよ!?どんだけ無礼なの!?」

「一応名乗らせてもらおうとは思っていたけど、幾つか気になって」


 予想通りのココットの訴えを聞き流す。ココットは尚も不満を訴え、シィヴルを糾弾しているものの無視。

 シィヴルの父親やシィヴル自身を気に喰わないと思ってる人間、権力奪取を企てている人間から影で愚息だの王の器に見合わぬだのと口にされているのは知っているが、こうして正面きって非難を浴びせられるのは初めてかもしれない。(むし)ろ其の分を踏まえても一生分の非難を聞いている様な気さえする。

 そんな事を頭の片隅で考えるでもなく思いつつも、ココットの非難其の物は総じて聞き流し、ただスィムの返答だけを待つ。

 スィムは腕の中でシィヴルへの不満を声高に叫ぶココットと、其れを涼しい顔で聞き流すシィヴルという図をまるで子供のじゃれ合いでも見ているかの様に微笑ましげに見つめていた。

 そんな微笑みのまま、スィムは首肯し、改めてシィヴルに肯定の言葉を返す。


「いいよ。キミの疑問に私が答えられる保証は無いけどね」

「1つ。此の森の先には集落が無いって記憶してるんだけど、此の先に住んでるって如何いう事?」

「無いのは“集落”だよ。1軒だけぽつんと建っていても其れは集落とは呼ばないよね。其れにさっきも言った様に私は法の外側に居る。もしキミが何らかの国に関する公的資料から此の先に住居は無いという情報を得たのなら、公的資料に私の事が載るワケも無いから此の先に家は無い事になるよね」


 そう言えばとスィムの返答を受けシィヴルは彼女の言葉を思い返す。王は流石に大きな不正を見逃さないだろうと言いつつ、自分に法は適応されず正式な文章にスィムの存在は組み込まれていないと彼女は言った。

 スィムの指摘通りシィヴルが何処にどんな住居が構えられているのかといった類の記憶は、自宅でもある城にある公的文章から得ている。正真正銘の正式な物である其れに、彼女の住居が組み込まれている筈が無いという事か。

 次に気に掛かったのはココットの事。

 もっともココットに関してはココットが人間の言葉を話し、人間らしい仕草を見せた瞬間から興味を惹かれていたものの、訊ねるタイミングを逃していただけといった部分は否めないが。


「じゃあ、其の白うさぎ……ココットって結局何なの?」


 ぬいぐるみ呼ばわりに立腹するのは明らかであった為、言葉を選び白うさぎという表現を用いれば其れは然程不快ではないらしい。既にスィムの自己紹介の後自分の身分を明かすではなく自己紹介に対する補足を求めたシィヴルの無礼に立腹しているココットではあるが、緋に油を注ぐ結果には至らなかった様だ。

 シィヴルの言葉を受けスィムは視線を腕の中で未だ不満そうにしているココットへと視線を移す。


「其れはココットに直接聞いたら如何かな?」

「え!?やだよ!スィの紹介にも応えない無礼者だよ!?」

「ココット、お願い。其れに此の人も名乗ろうとは思ってたって言ってるじゃない」

「まったく、スィはお人好しなんだから!!」


 不満そう且つ不機嫌そうにしつつもココットは基本スィムの言葉に弱いらしい。其れは何処かスィムを心酔してさえいる様な言動から察せてはいたが。

 スィムの腕に抱かれたまま格好付けてコホンと咳払いを1つしてみせるものの、外見は白うさぎのぬいぐるみ。声は少年の高い物。格好は少女の腕に抱えられたままと、如何にも其の咳払いはココットに似合っていない。

 吹き出しそうになるのを辛うじて自制出来たのは褒められても良いだろう。


「スィが言うから教えてあげるよ。ボクはココット。ぬいぐるみじゃないから、そこんとこは間違えないでよね!ボクはスィの使い魔みたいなもので、マスコットでもあるかなぁ」


 使い魔。スィムは自らを魔女の様なモノと表している。魔女と使い魔というのは極自然な取り合わせに思えるものの、此処では今度はココットが断言を避けた。其処については次の疑問にも関わってくる為今はココットの事だけに思考を向ける。

 そもそも断言を避けた事も気に掛かるが、マスコットという単語は初めて聞いた様に思う。使い魔と言うよりは弱そうで、如何にもプライドが高そうでぬいぐるみ呼ばわりに憤慨するココットが敢えて付け加える事では無い様にも思える。


「使い魔とマスコットって何か違うの?」


 もっとも其の2つは異なる物だからこそココットも敢えてマスコットという名称も付け加えたのだろうが、こうした知識についてシィヴルは専門外である。

 魔術や魔術師の話は時折持ち上がり、そうした力を用いて国家転覆を企てる者も居れば人の安全を守る者も居る為最低限の知識として持ち得てはいる。しかしあくまで最低限の知識、王子として次期王として困らぬ程度の知識しか持っておらず、細かな部分や専門用語を使われれば正直な話、知識量に自信さえあるシィヴルとてお手上げだ。

 ココットの言葉により新たに浮かび上がった疑問は、だからシィヴルにとっては専門外であり当然の疑問であったが其の道の者、其れも使い魔でありマスコットであるらしいココット本人にしては当然の事だったのか。其の返答は僅かも予想していなかったと言う様に目を真ん丸にして驚愕を表し、其の後少年の声が明らかにシィヴルを小馬鹿にする意図を込めて笑い声を上げた。

 些かどころではなく苛立つも、シィヴルが何か行動に出る前、そしてココットが更なる煽りを加える前に微笑ましそうに見つめていただけのスィムが言葉を挟んだ。しっかりとした観察眼を持ち得ているらしく、此れ以上傍観者で居ては事態が悪化すると判断したのだろう。


「ココット。其れは知ってて当たり前じゃないからね?そもそも魔法も使い魔もマスコットも、魔法使い系の人種じゃなきゃ無縁なんだから」


 腕の中のココットを制し、ココットは例の如くスィムには忠実で今にも発しようとしていた煽り文句を止める。そんなココットの様子を見届けてから、スィムは今度はシィヴルに眉を少しだけ垂れ下げた苦笑を浮べた。


「ごめんねー。ココット、漸く話しても問題無い相手が見付かったから、ちょっとはしゃいでるのかも。平たく言っちゃうと使い魔は魔女とかが作り上げた存在で、マスコットは初めから其の姿で存在してるの。ちょっと違うけどマスコットは妖精に近いって言えば、魔術に縁遠くても分かり易いかな?ココットは私が作った使い魔である反面、うさぎの姿で存在していたマスコットでもあるんだよ」

「魔女の使い魔って1言に言っても複雑なんだねぇ」

「まあ、ぬいぐるみ扱いをしなければココットは怒らないよ。マスコットでも、使い魔でも」

「ボクはマスコットとして優秀だし、スィの作り上げた使い魔だからね!ぬいぐるみ風情と一緒にされるのは気に喰わないのさ!!」


 えっへんと言わんばかりに胸を張ってみせる其の姿は、やはり可愛いぬいぐるみにしか見えない。

 其れでも魔術に携わる者にとっては優秀な使い魔であるのかもしれないし、実際ココットの力を目にしているワケではない。緋に油を注ぎ無用なトラブルを生むのも馬鹿らしい為、此処は素直にココットの言い分を呑んでおこう。

 此処迄ぬいぐるみ呼ばわりを嫌っている事を聞かされ、ココットの正式な種族も教えられた上でココットをぬいぐるみ扱いすれば、今迄以上に怒りを爆発させるか、ありとあらゆる言葉を駆使してシィヴルを煽ってくるだろう事は容易に想像出来る。

 さて、ココットの話の際も意図せず触れられたが3つ目の疑問を解決しよう。

 魔女についての知識はシィヴルも多少なりとも持ち合わせている。此処は王の意思もあり、魔女だから、不思議な力を持っているからと特定の種族、特定の人間に対する疎外傾向は無い。従って王子であるスィヴルも魔術関係の知識を得る為に励む結果になり、現状の其れなりに魔女に対する知識を持つシィヴルが居る。

 だから魔女だという名乗りは分かり易い。スィム自身が分かり易く言えばと語った様に其の効果はあるだろう。だが、却ってシィヴルの中に新しい疑問は生まれていた。

 分かり易く言えば魔女の様なモノ。魔女だと名乗る前に此処迄ややこしい回り道を経たからには、実際スィムは魔女に近しい種族である可能性こそあれ、魔女ではないのだろう。

 其れならスィムは何者なのか。

 今迄些細な好奇心さえ沸き起こらず、微塵の興味も抱かずに生きてきた反動であるかの様に1度湧き上がった興味や疑問を突き詰め、解決しなければ如何にも気が済まなかった。

 シィヴルの中で其の欲求は次期王として、此の謀略渦巻く中を生き抜く術として己の知識を万全に備えるべきという理に適った物ではなく、幼い子供が見る物見る物の名を訊ねる様な稚拙で自分の為だけの欲求。

 そんな欲求其の儘にシィヴルは口を開く。


「アンタさっきさ、自分の事分かり易く言えば魔女みたいなモノって言ったよね?其れってつまり、本当は魔女ではないって事でしょ?だったらアンタは何なのさ」


 シィヴルの当然の疑問に、しかしスィムは予想だにしなかった事を聞かされたとでも言う様に目をぱちくりさせている。そんな風に見つめ合う事数十秒。

 何か皮肉を言うなり、此の短時間で最早お決まりの様になってしまった無礼者発言をするなりしそうであったココットさえ黙り込んでいた為、其の数十秒はやけに長く、重苦しく感じられた。

 元来そうした事を気にする性質ではないシィヴルでさえ何やら失言をしただろうかと其の間で気に掛かり、注意深くスィムの顔を窺うも彼女は純粋に驚愕、或いは不意を付かれただけの様で其の顔に微塵も不快感は窺えない。

 数十秒の時間を経て、沈黙の理由はスィム自らが語ってくれた。

 其の頃にはもう彼女に微笑みは戻っていたものの、未だ驚愕から抜け切れていないのか端々に戸惑いの僅かな色が、少なくとも人の顔色を窺い本音を見抜く事に長けているシィヴルにはありありと見て取れた。


「ごめんね。いやぁ、今迄其処を突っ込んで聞いてきた人って居なかったからびっくりしたよ」

「いや、普通は気になるっしょ」

「うーん、少なくとも深く聞かれたのは初めてだよ。私が魔女の様なモノだって名乗れば今迄は其れで納得されてた。やっぱキミは普通の人じゃないのかも。ココットが勝手に話し出して、ぬいぐるみと言われた事にもハッキリと憤慨するワケだね」


 スィムは何やら1人納得した様子でうんうんと頷いている。其の様子からスィムが今迄同じ自己紹介をした後どの様な反応を受けていたか、常であればココットはどの様に振舞うのかは大体理解出来たものの何処か置き去りにされている風もあってシィヴルの機嫌は露骨に悪くなる。

 其れを敏感に察したのか偶々そうしたタイミングになったかは定かでないが、本格的にシィヴルが(へそ)を曲げるより早くスィムが答えを口にした。

 先ずはシィブルの疑問に回答其の物を短く一言で。


「うん、私は魔女じゃないよ」


 其れから時折顎に指を当て上目遣いになるという典型的な思考のポーズを取りつつ、スィムは言葉を紡いでいく。

 恐らく彼女の中で当たり前ではある物の、魔術と縁遠い人間、或いは机上論しか持ち得ていない人間にも分かり易く馴染みのある表現を選んで語っているのだろう。自分の事を話しているにしては、単純に話したくないと思っているのとは違う、言い方に迷っている様な間が時折挟まれた。


「私はね……不思議な力があるの。魔術もあるけど、主力はそっちじゃない。思い出とか、記憶とか、感情とか。人のそういった気持ちを其の人の所に残しながら……別の場所でも管理する事が出来るんだ。其れは其の人が忘れてしまってもずっと残って、其の人の下に返す事も出来る。そうすれば例え忘れてしまった大切な記憶でもきちんと自分の物として取り戻す事が出来るの。逆に全ての想いを奪う様に閉じ込めてしまう事も出来るし、だからこそ案内人っていう立ち位置も獲得出来てる。……あ。案内人も説明必要だね?」

「うん、其れがオレの最後の疑問。案内人って何?」


 案内係という存在はシィヴルにとっても珍しくない。しかしスィムが言う案内人というのは、施設の案内をするといった様な、一般的に知られている意味合いとは異なる様に思えた。

 どちらかと言えば魔術師の方が近いような意味合いではないかと。

 シィヴルの予想が当たっていたというのは直ぐに分かる。もっともあまりに分かり易い為、予想と言うのも憚られる様な稚拙な物ではあったが。


「世界は無数に広がってるの。例えば此処で私がキミの脱走を密告した事によって展開は変わる、そんなパラレルワールドもだし、此処とは全く違う世界が存在していたりもする。其れは簡単に行き来出来る物じゃないけど、私は其の人の思い出とか記憶とか、其の人を形作っている物を別所に保管出来るから、其れを媒介に其の人を此処とは違う世界に橋渡し出来るんだよ。今居る世界と別の世界を繋げるのが案内人。本当の案内人は媒介を使わずに自分の能力だけで其れをやっちゃうけど、私は媒介が必要だからあくまで真似事なんだ」


 スィムから明かされた言葉は、あまりに規格外であり、魔術を当たり前の物として認識しているシィヴルであっても俄かには信じ難い物であったが。

 しかし不思議と眉唾物の御伽噺だと決め付ける気持ちになれなかったのは、初めて興味を惹かれた相手である事もあって興奮していた所為もあるだろうし、不思議とスィムの話には謎の現実味があった。喋って動くココットを目の当たりにしたからという単純な理由ではなく、其れこそ理由なんて無しに何故かシィヴルは此の少女の事を無条件にと迄は言えずとも信頼する事が出来たのだ。


「へー、凄いね。ああ、此れでオレの質問は以上。オレの名前はシィヴル。一応今の王の息子だから王子で次期王の最有力候補かな。でもまあ、正直そういうの如何でも良いや。ねぇ、スィム。アンタは何時も此の辺に居るの?」

「町に行っている事もあるけど、私の家が此処からもう少し奥に進んだ所にあるからね。此の辺には結構居るよ」

「また脱走するつもりなんだけど、そしたら話相手になってもらって良いかな?」

「なになに?さっき迄と打って変わってやけに下手に出るね?」


 茶化す様にココットが言う。

 実際ココットは茶化しているのだろうが、シィヴルは聞き流した。今はスィムの返答が気掛かりで、幾ら彼女の使い魔にしてマスコットという如何にも近しい存在であっても構っている余裕は無い。

 スィムが驚愕を浮べていたのは一瞬で、直ぐに此の短時間ですっかり見慣れた微笑みを浮べた。しかし見飽きたという事は全く無く、寧ろ其の笑顔はシィヴルに安堵さえ与えていた。

 シィヴルにとって笑顔とは媚び諂うご機嫌取りに使う為の物であるという印象が強い。王に向けるそうした笑み。王子であるシィヴルに向けられる笑み。社交界でしなを作って纏わり付く女が浮べている欲望を隠す為の手段。

 そうした生活環境はシィヴルの捻くれた性格も拍車を掛け、笑顔に対するマイナスイメージをシィヴルに植え付けるに打って付けであった。三つ子の魂何とやらと言う様にそう簡単に拭いきれる物ではなく、此れからもシィヴルは笑顔を嫌って生きていった筈だろうに。

 其れは1人の少女によって簡単に塗り替えられてしまったのだ。もっともシィヴルの中で笑顔全般に好印象が生まれたワケではなく、あくまでスィムが浮べる物と極めて限定的であり、今迄平等に卑劣だと思っていた其れに比較対象が生まれた事で其の他大勢が浮べる笑顔については尚更嫌悪を抱くようになるのだが。


「でもあまりお父さんに心配掛けない様にね?」


 スィムが其の微笑みと共に肯定と取れる言葉を返した時、シィヴルは其れこそ飛び上がってしまいたい程に歓喜した。

 其の儘言葉が付いて出たのは、だから良家の御子息特有な望めば満たされるという安直な考えからではない。其の時のシィヴルは普段の聡明な頭脳も、感情の読み合いに長けたご自慢の観察眼も全て仕事を放棄し、ただただ喜びに浮かされたままに言葉を紡いでいた。

 もしも此の時明確な意図や感情があったのならば、其れは今感じている此の想いを忘れてしまう事が無いよう大切にしたいという、執着心からだろう。


「ねえ、其れともう1つだけ。オレの今日の思い出や此の想いも取っておきたいんだけど、お願い出来るの?」

「うん。そもそも其れが本職だしね」


 スィムは微笑んでそう言いバスケットの中を探ると何も入っていない青色の小瓶をシィヴルへと差し出した。如何やら此れが思い出を詰める為に必要な物らしい。

 其れをシィヴルが欲した事が嬉しくてたまらないとでも言う様な満面の笑顔を浮べて、スィムはシィヴルへと青い小瓶を差し出した。

 其の小瓶を受け取った際、或いは彼女の満面の笑顔を見た瞬間。シィヴルの胸は今日高鳴っていた中でも一際強く、加えて今日鳴っていたのとは全く異なる高鳴り方で鼓動を刻んだ。

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