隠食日記「わらび餅」
博多マルイ期間限定ショップ「藤菜美」にお邪魔しました。開催期間は11月10日(木)~11月22日(火)です。
博多マルイ期間限定ショップ「藤菜美」
開催期間:11月10日(木)~11月22日(火)
失業後、会社からの書類が届かず、生活費の不安からとうとう恋人が重い腰を上げた。
彼は無職ではあったがヒモではなく、ヒモになれるほどの傲慢さや鈍感さとは縁遠いだったので、とうとうここまできたか、といった気持ちだ。私が働いていた頃は、養ってもらっているという申し訳なさから、一日一食で家事をすべて請け負っていた男だ。また、金のかかる趣味を持っていたので、私に迷惑かけずに欲しいものを買いたいという気持ちもあっただろう。
博多で面接があるというので、甘い声ではぐらかして一緒に地下鉄に乗り、駅で別れる。今日はハローワークに行く予定だったが、ネットであの画像を見てから、どうしてもうずうずして、生活費も危ないというこの状況に、アレ、が食べたくなってしまったのだ。しかしそんなことは言えないので「帰りに一緒にマック食べよう、私はそれからハロワ行くから」と言ってある。
博多マルイ。入口が見えてくると、どうも気後れしてしまう。私の格好は近くのコンビニにでも行くような格好で、マルイというとおしゃれ値の高い人間が行くところ、というイメージがある。やはり帰ってしまおうか、そう思わせるほどのおしゃれ力がエントランスの黄金のライトにはあった。しかし、そこからパーカーにジーンズというもっさいスタイルの男が一人出てきただけで気持ちが軽くなった。そうだ、ここにドレスコードはない。それに、私はお客さんなのだ。
入口からすぐ左手に、抹茶・わらび餅、の文字。期間限定出店なので目立つ場所にあったようだ。
あった。
三つに仕切られた木の箱に、緑・茶・薄茶の粉をかぶったわらび餅がみっちりと入っている。
これだ。今日の私のお目当て。ネットでこの画像を見てから、私はもう食べたくて食べたくてしょうがなかった。恋人は和菓子が食べられない人間だ。餅はその中でも「餅と聞くだけで無理」という部類で、餅が大好きな私は、少ない生活費から二人で食べられるお菓子を一つしか買えない最近のお財布事情から、餅から離れていった。しかし餅よ。私はお前が憎くなったのではないのだ。恋い焦がれていたのだ。
しかし1080円か。みっちり詰められている餅の箱を見ながら唸った。確かに量からして値段は全く妥当なものなのだ。しかしこの量。食べきれないのだ。そりゃあ、買ったら幸せだろう。毎晩ちまちま食べて三日、下手するともっと持つかもしれない。しかし、生活費を切り詰め、家賃が払えないのではないかという状況で、私一人で食べられない人間の隣で甘味を味わうなど、許される事ではない。1080円って。ブラックサンダーいくつ買えるんだ。
一種ずつなら500円台か、そう思って視線を右に滑らせると、木の舟に大口に切った三種のわらび餅が少しずつに、抹茶まで付いたセットが目に入った。
「(これ、三種食べられる上に、抹茶も飲めるの?!しかも500円台で!?)」
私の優先順位は、「三種食べること」だったので、迷わずそっちを購入。しかしマルイで食べるところというのが分からず、このセットをどういう状態で食べるのかが全く想像できなかった。
「あの、これ食べるところってどこがあります?」
「こちらのテーブルか、エスカレーター横に座れるスペースがございます」
ずっと視界に入っていた立ち食いのテーブルは販売ブースのど真ん中だったので、さすがに…と思っていたところに、イスの存在を教えてもらった。ありがたい。やはり分かっている人に聞くのが一番だ。
販売員がセットを準備してくれている間に、イスの位置を確認する。白い長椅子がガラス沿いに伸びている。結構な人数が座れるようだが、平日の午前中ということもあって人はまばらだ。
「お盆だけ返却してくださいね」
私はセットを受け取ると、長椅子の一番端に座った。小さなお盆は、端にあるスペースにちょうど収まりそうだと思って、置いてみると案の定ピッタリ。これで、安定した場所で食べることができる。
喉が渇いていた。思いつきできてしまったので、きちんと時間をとって朝食を食べた恋人とは違って、水も飲んでいなければ、朝食も食べてはいなかった。そんな状況で、抹茶を飲むのか。失礼じゃないか、抹茶に対して。きっと一つの商品として推すくらいだから、濃厚系なんだろうな…いややっぱ別で安い水でも買ってこようかな。でもまあ、飲んでから考えよう。そう思って一口飲んだ。
呆然。
あっさりとした飲み口。でも、渋みの余計な主張もない。甘さも感じる。しかし甘さとケンカしていない。私はグルメ評論家ではないので、なんと表現したらいいか分からない。まるで、普段飲んでいる緑茶に砂糖を加えたような「飲みやすい抹茶」だ。今まで抹茶といえば濃厚系で「俺がお茶だ!オラ!感じるやろが!渋み!それでいてこの葉っぱの香り!そしてお前らが大好きな甘み!どうや!完璧やろが!」とグーで殴るような完璧主役味だったので、どうしても「まあまあ、その状態じゃ胸焼けしちゃいますよ」と抑えてくれるような役割の水だとかが必要だったのだが。そのイメージが完璧に破壊された。この抹茶の喉通り、「おや、こんにちは。抹茶です。餅の前に一口飲んではどうですか?さっぱりしますよ」という好印象。私が面接官なら新卒・中途関係なく採用してしまう。この抹茶がスーパーで試食を配っていたら立ち止まって食べてしまうだろう。
私の喉の渇きはなくなったが、水のようにこの抹茶をガブガブ飲みきってしまう気持ちにはなれなかった。本当に、本当にすごく美味しいんだ、これ。一息に飲みきってしまうのは容易だ、こんなに飲みやすいんだから。しかし、餅もまだ口をつけていないし、ゆっくり、大事に飲みたい。
とうとう私はわらび餅に手を出すことにした。左側から食べよう。抹茶、お前だ。木の楊枝で切ろうとしたが、もちもちしたボディでぬるぬる逃げられ、それを押さえつけるスペースもなく、このままだと落としてしまいそうだったので、一口で一気に頬張る。むっちりとした食感が口いっぱいに広がり、みずみずしさで溢れている。プチトマトを噛んだような水分が中から弾け飛ぶみずみずしさではないが、そこに水を感じるような涼しさ。この抹茶もまた、控えめだが抹茶らしさを感じる。通行人には私の姿は「口周りを緑色にして餅食ってる人」だろう。そうだ、それこそが私の幸せだ。なんと言おうともこれは幸せなんだ。
続けて、黒糖。これも一口で頬張る。先ほどの抹茶と同じように、むっちりとした食感とみずみずしさ、しかし控えめに甘く、黒糖特有の食べたら喉乾くやないか現象もない。全てが控えめなのに、ベスト。濃厚系が好物な人間からしたら物足りないかもしれないが、それが逆に次から次へと手が伸びる秘密かもしれない。一番最後に、きな粉。ベーシックな薄茶の粉の合間から、透明な中身と目が合う。私はガラス体を思い出したが、あまり詳細に記憶を手繰ると食欲が失せてしまう気がしてやめた。きな粉も一口でいただく。やはりきな粉、ベーシックでいてベスト。みずみずしさやシンプルさに関してはこれが一番存分に味わえる気がする。抹茶と黒糖はこのきな粉をベースに味を加えていったのだろうか、全ての基になっている、そんな感じがする。
まずは前半戦が終わった。ここからは後半戦。抹茶・黒糖・きな粉のわらび餅が一つずつ、抹茶が半分ほどある。
口元の粉を拭い、抹茶を一口。本当にこの抹茶の爽やかさといったらない。餅の味も抹茶の味も殴り合わず、席を譲り合っている。抹茶を飲んでいるときは抹茶の味がして、餅を食べているときは餅の味がする。当たり前のことだが、どちらも主力として前面に出されているのに、ここまで謙虚なのは驚きだ。前半戦と同じように抹茶から食べる。今度は充分なスペースが確保されているので、四つに切ってちまちまいただく。小さくなってもむっちり感とみずみずしさは健在だ。口の水分と溶け合って消える柔らかさに、寂しささえ感じる。黒糖に進む。切っているときさえ幸せだ。もうずっとこの時が続けばいいのに。きな粉の最後の一口は、木の舟中の粉という粉をつけまくって放り込んだ。口の中で全ての味が感じられたような気がした。むっちりとみずみずしさを感じて、甘みを感じたかと思ったら、そっと消えていってしまった。
私はしばらく動けなかった。お盆を返さなければ。それから、給与受取用の口座残高を見に行かなければ。その後は恋人と合流して、昼食を食べたら、地下鉄で帰って、私は歩いてハローワークに行かなければ。先の用事は見えている。一度立ち上がって人の流れに乗れば、それはプログラムされていたかのように難なくこなせるだろう。だが、まだ立ち止まっていたかった。座り込んでいたかった。一口か二口だけ残った抹茶を言い訳にして、しばらく座ったままでいた。
お昼近くになり、人が増えてきた。入口の方から、幼子の鳴き声がする。面接は11時だって言ってたな。アルバイトの面接だし、そんなにかからないだろう。恋人からの連絡があれば、合流場所に行かなければ。
時の流れに乗って、お菓子を節約する日々に帰る、それまでは、どうか。どうかこの幸せに浸らせてください。