昼休みと策略家
学校祭から一週間。世界がひっくり返ったかのような騒ぎの後、あたしは検査入院ということでずっと学校を休んでいた。検査とはいっても人間ドックのようなものだったが、思い出してもげんなりする。胃カメラなんてもうやりたくない。
久々に登校すると、学園は普通の共学校になっていた。視線には慣れているが、通りかかっただけでかなり注目されて少々疲れる。廊下ですらそうなので、人が多い食堂に行く気になれず、絵里子ちゃんと教室でご飯を食べることにした。
あたしが食後のいちご牛乳を味わっている時、沈黙を守っていた絵里子ちゃんが、タッパーにぎゅうぎゅうにつめられたリンゴにフォークを突き刺しながら口を開いた。
「で、なんだったって?」
「……ふぇ、フェロモンだって……」
「は?」
「フェロモンだって」
「は?」
「フェ、ロ、モン!」
あまり大きな声で言いたくはなかったのだが、顔にぎゅっとしわを寄せた絵里子ちゃんのために頑張る。が、反応がほとんど変わらないことから、単語が聞こえていないわけではなかったことを悟った。周りからの視線が痛い。
そんなことをものともしない絵里子ちゃんは、マイペースに首をかしげる。
「どういうこと?」
「なんか、あたしから特殊なフェロモンが出てるらしいよ。ウイルスに対する毒性があって、それを感染者が吸引すると一時的にウイルスの活動が抑制されるんだって。あのいい匂いってやつ、それだったみたい。薫さんの近くでいい匂いがしたのも、あたしのフェロモンと女王ウイルス持ちの感染者のフェロモンが混ざるとそうなるらしくて」
「あー、うちにはわかんなかった匂いのやつね」
「そうそう。で、女王ウイルス持ちの薫さんと……その……キスした時に、ウイルスにとって猛毒みたいなあたしの……フェロモンも体液も感染者の体内に入ったわけじゃないですか」
「えっ……なんで照れてんの?なんかいたたまれないよ」
「あたしが一番いたたまれないよ絵里子ちゃん!詳しく話せっつったじゃん!」
なるべく気にしないようにしてはいたが、ランチタイムにフェロモンだの体液だの言いたくない。いや、むしろ日ごろからそんなこと言いたくないが。
そもそもあの時のことは、思い出したいようなそうじゃないような、あたしの中でもまだうまく整理がついていない記憶なのだ。
気を取り直して、あたしはなるべく軽い調子で続ける。
「で、ほら、凶悪な毒が一気に回ってウイルス死滅、みたいな」
「なんじゃそりゃ」
「あたしが一番それを思ってるよ!わけわかんないよ!」
眉間にしわを寄せたままの絵里子ちゃんに泣きつくと、リンゴを一切れくれた。いつもはわりと冷たいのに時々見せる優しさにほんと救われる。一週間検査した結果がこんな感じだったので、もやもやした思いを抱えていたのだ。
フォークをしまいながら、絵里子ちゃんが眠たげな目をこちらに向ける。
「でも、ナツのおかげでいろんな人が助かってるんだよね」
「うん、特効薬ができたとか」
「やったじゃん」
「……うん」
それ自体は嬉しいし、感謝されるたびに照れくさくなる。だが、なぜか釈然としないし、そんな思いを抱く自分自身に対する自己嫌悪を覚えて、何とも言えない気持ちになるのだ。
「まあ、ナツの気持ちもわかんなくはないよ。ナツは女の子の美園さんを好きになって追っかけてきたわけだし」
「……いや、まあ、そうなんだけどさ。みんな、中身はあたしが知ってるみんなと一緒なんだよね。それなのにこう……男だからやだなって思うのが、なんか情けなくて」
憧れ続けた先輩やせっかくできた友達に、きっと嫌な思いをさせてしまった。元の姿に戻ったことを喜ぶべきだったのに。
うなだれるあたしに、絵里子ちゃんは器用に片眉を上げてみせる。
「そういうこと言えるんなら大丈夫なんじゃない?美園さんのこと嫌いになった?」
「なってない。上目づかいとかあたしが弱いのわかってて狙ってやってんじゃないかって最近思うしちょっと困った感じで笑ったときとかたまんねえし」
「性別に関してはまあ慣れかもね」
入院の際に、いつもしていることだからと色々お世話してくださった美園さんは、美男子だったが相変わらず素敵だった。長い髪をかきあげた時など、性別ってなんだろうという疑問をあたしに抱かせるほどだった。
「……ここだけの話、うちも女子高に下心持ってたんだ。うちの恋愛対象っていうか性指向は女の人だから」
「…………は?」
すぐには意味を理解できずに絵里子ちゃんをまじまじと見つめると、引いた?と小声で問われる。確かに意外だったが、あたしも人のことを言えたものではないので首を横に振ると、絵里子ちゃんに手招きされる。
これ、ちょっと憧れていた恋バナというやつじゃないのか。あたしは内心どきどきしながら椅子と一緒に近づいた。
「彼女の一人でもできるかなーって期待してたんだけど、なんか違うなって。脈がありそうな子はなんとなくわかるんだけど、それもほとんどなくてさ。やっぱりみんな男の子好きなのかなって思ってたんだよね。そしたら半分以上が感染者だったっていう」
「……うん?え?つまり絵里子ちゃんは女の子がガチで好きなの?」
「うん。ていうか、ガチで好きになるのは女の子だけ。男の子はライク」
そうだったのか、と口をぽかんと開けていたら、絵里子ちゃんはあたしをじっと見上げて、ちょっと首をかしげた。
「まあナツもうちとは違うみたいだし、大丈夫だと思うけど」
「え、ち、違うって?」
「女の子じゃないとガチで好きになれないってわけじゃないと思う、ってこと」
「はあ……」
確かに、美園さんに惹かれた時は美園さんを女の子だと思っていたが、そもそも最初から女の子を恋愛対象として見ていたわけではない。絵里子ちゃんは相変わらず鋭いなと感心し、同時に疑問にも思った。どうして今このタイミングで、このことをあたしに教えてくれたのだろう。
「……ていうか、もっと早く言ってくれてよかったのに」
思わずつぶやくと、珍しくちょっと視線を逸らしながら絵里子ちゃんが答えてくれた。
「ナツが竹本さんと親しいなんて思ってなかったから言わなかっただけだよ」
「竹本さん?なんでまた竹本さんなの」
「うちが今一番ガチでお近づきになりたい人だから」
言ってから、きゅっと唇を引き結んで窓の外に顔を向ける。あ、ほんと珍しい、照れてる。
「絵里子ちゃんは直球だね」
「ナツに言われたくない」
どういうことだ。薫さんのことか。
絵里子ちゃんは、憎き敵でもいるかのように青い空を睨みつける。
「幼馴染の桃井さんが男の子に戻ったって聞いて、結構危機感覚えたんだよね。金髪くるくるの美少年に奪われるなんてきっついなーと思って、これは早急なテコ入れが必要だなって結論に至ったの。協力してね」
「早急なテコ入れ……あたしにできんのかな、あんま期待しないでね」
「あ、その点は全然期待してないよ。うちのことを紹介してくれたら、そっからは自分でどうにかするから」
絵里子ちゃんは策略家のように見えて案外大胆だ。いや、戦いには時に大胆な戦略も必要なのか。それともなりふり構わないということだろうか。あたしはたいがい最後のパターンだが。
なんにせよ、クールな絵里子ちゃんのいろんな顔を引っ張り出させるなんて、竹本さんはやはりすごい人だ。あたしはいちご牛乳をずるずるとすする。
「ま、惚れたら追いかけた方がいいってわかったからね」
ニヒルに唇を吊り上げた絵里子ちゃんはさらりと言い放って、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。
竹本さんはもちろん桃井さんとも結構仲がいいが、いろいろと言いながらもずっとあたしと一緒にいてくれた絵里子ちゃんの恋をこっそり応援しようと思う。




