八月九日(日)―朝
落ち込みを通り越して、自棄になった様子でラブソングを熱唱する岩淵に投げやりな気持ちで付き合い、カラオケで午前二時くらいまで騒いだ後そのままの流れでファミレスに寄り、朝方五時までくだらない事で駄弁り、一番家の近い金田の家に乗り込んで軽く雑魚寝をして、結局家に帰り着いたのは朝の十時になろうという時間だった。
雑魚寝、と言っても代わる代わる麻雀をして精々うとうとした程度なので、玄関の鍵を開けながら、今日は日曜日で安芸も来ないから好きなだけ惰眠を貪っていようと決める。
靴を乱雑に脱ぎ捨てて、廊下を抜けて部屋に向かう途中で呼びとめられた。
「お兄ちゃん」
そちらへ視線を向けると、リビングから顔だけを覗かせながら美琴がこちらを見ていた。いつも小生意気な妹だが、今は何故か不機嫌を無表情で示していて、何かやらかしただろうか、と思考を巡らせる。この思考回路が戦う前から負けている原因かもしれないが。
あまりに家の中が静かだったので、両親は変わらず仕事だろうが、美琴も出ているものとばかり思っていたので少し驚く。
「ああ、何だ。いたのか」
「どこ行ってたの?」
俺は少し訝しんだ。妹は基本的に兄に対して無関心なので、こんな風に行動を探られるのはとても珍しい。
友達と朝まで騒いでた、と正直に答えようとしたが、それは他でもない美琴の言葉によって遮られる。
「あの、女の人の所にいたの?」
「……………………へ…ぇ?」
「最近、お兄ちゃんの様子がおかしかったから、部屋の前で聞き耳立ててたの。そうしたら、女の人の声が聞こえた。楓ちゃんの声じゃなかったし、気になって、昨日の夜にお兄ちゃんが出て行くのをこっそり覗いたら、知らない女の人がお兄ちゃんの部屋から出て来た」
美琴は俺から視線を逸らして、詰まらなさそうな、不満そうな声で俯きながらそう言った。まさか気付かれていたとは。
俺も安芸も慣れが出て来ていた為、注意を怠っていた事は否定できないが、それにしても迂闊過ぎたようだ。俺達の関係は誰にも知られない方が良い、と言っていたが、こうまであっさりと美琴に見つかった事を考えると、その警戒はまるで不十分だったようだ。
「いや、あいつはそういうんじゃなくて、」
「こそこそ隠れて女の人を連れ込むなんて、格好悪いよ。そういうんじゃない、っていうならあの人は何なの?」
「それは……」
俺は思わず口ごもる。美琴は完璧に俺と安芸の関係を誤解しているが、本当の事を話す訳にもいかなかった。
上手い言い訳を思いつかない俺に、終始不機嫌な様子で美琴は口を開く。くるくると自分の髪を指に絡ませるのは、不機嫌な時の美琴の癖だ。
「綺麗な人だね」
「まあ、顔は」
そこは素直に認める。顔以外、つまり性格はけして良いものではない、という事はわざわざ説明する必要が無いだろう。むしろ、知らない方が幸せとさえ、俺は思う。
美琴は数瞬俯き、それから小さな声でぼそりと呟いた。
「だけどあたし、あの人あんまり、好きくない。あたしは、楓ちゃんの方が好き。お兄ちゃんは、」
そこで美琴は一度言葉を切り、俯き気味だった顔を上げてとんでもない事を口にした。
「お兄ちゃんは、ずっと楓ちゃんの事が好きなんだと思ってた」
俺は一瞬言葉を失った。この妹は一体何を言っているのか。俺はそんな事一言も口にしていないし、確かに一番気の置けない異性ではあるが、楓の事をそんな風に思ったことなんて一度も無い。いや、まるで考えもしなかった、と言うと嘘になるかもしれない。けれど、そんな事を考えた後は大抵『でも俺と楓だし、絶対無いな』という結論に至っていた。
だからやっぱり、そんな事は有り得ないのに。
それきり言いたい事だけ言って自室へと戻ってしまった美琴を見送り、俺は呆然と呟く。
「だからってどうすりゃ良いんだよ」
例え、仮にそうだとしても、楓には彼氏がいる。誰から見ても非の打ちどころの無い、俺とは住んでいる世界が違うのだろう、と思ってしまうほどの最高の彼氏が。楓がずっと憧れて、二年以上片思いをしてようやく実らせた大切な彼氏。
分かる事と言えばやはり、もし美琴の言葉が正解だとしても、俺にはどうしようもないという事だけだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
穴だらけの犯行計画。
妹は潔癖症なお年頃。でも、たぶん自分は普通に彼氏がいる。